…13…

 

「―― え、学園に朔也を呼んだのは、おじさまだったの?」
 墓地の中を歩きながら、咲夜は驚きの声を上げた。

「そうだよ。僕はおばあさんの四十九日が終わったら、両親のいるアメリカへ行くはずだったんだ。僕を日本に引き留めていたのはおばあさんなんだし、アメリカにも興味あったしね。で、引っ越しの荷造りを進めているところにいきなりおじさんがやってきて」

 朔也の話によると。そもそも一籐木月彦と後藤家梓の話をしてくれた人物その人が、この学園理事長だったという。

「実は……私の母親は元は後藤家の使用人だったのです。早くに父親が亡くなりまして、田舎から出てきました。丁度、月彦とは同郷でして母親同士も仲良くしておりました。後藤家と一籐木は仲が良くなかったものの、私たちは惹かれ合うところがあったのでしょうね。後藤家の好意で進学させて頂いた大学でも一緒でした。もっとも、月彦の方が少し年上でしたが」

 にこにこと微笑んだ惣哉の父は、2人をかわるがわるに眺めながら楽しそうに言った。手には墓前に供えるための大きな花束がある。

「母は梓様の一件が明るみに出たとき、お嬢様を庇ったために後藤家の当主、すなわち梓様の父上から解雇を言い渡されました。私は大学があと1年残っておりましたし、途方に暮れていたところ月彦から声がかかりまして。それからは一籐木のために働いて参りました。早いものです、50年ですからね」

 ふさふさとした頭髪は美しいほどにシルバーグレイ。ほんのりピンクに染まった顔色で眼を細めた彼は、誰かに応えるようにひとつ頷いた。

「この年月…ずっと2人の間を行き来して…お互いの近況をお伝えしておりました。…月彦には飛脚、と笑われたものです。梓様はお言葉通り、月彦と会うことはありませんでしたが、…宵子様と三鷹沢を娶せたのも月彦の案でしたしね…」

 そう言うと、朔也に向かってウインクして見せる。同時に朔也の表情が憮然としたものに変わる。

「あいつ…本当に嫌な奴…」

 一人、状況を把握できない咲夜はきょとんとした。それに気付いた惣哉の父は笑みと共に説明する。

「…朔也様の父上は、一籐木の有能な幹部の一人でして…現在、今までの親族経営を反省した上層部により変革が行われておりますから、近い将来には幹彦様…咲夜様のお父上とごく近いお立場になられるでしょう」

「そうなの…」
 咲夜は会社の経営について何も知らないでいたので、朔也の父のことも初耳だ。

「三鷹沢君の子息となれば…社内でも異論を唱えるものはないでしょう…咲夜様のお相手としても」

 …一体どこまで知っているのだろう…? 何かを含んだように微笑む表情に、咲夜の顔はぽーっと赤くなる。傍らを歩く朔也の表情は俯いているためによく分からない。

「よく言うよ…」
 朔也はその俯いたままの姿勢で小さく呟いた。

「おい、咲夜。お前のとこの学園の編入試験…何だよ、あれ。東大の2次試験だってあれほどじゃないと思うよ…受かる奴いるの?」

「え? …おじさま? そうなんですか?」

 編入試験、と言われても幼稚部から上がった咲夜はそんな試験を受けた経験もない。

 確かに学園のレベルはそれなりに高く、ただの金持ち学校ではない。毎年、学年末には進級試験があり、点数の届かないものはそのままよその学校に移ることになっている。大学は併設されていないので外部を受験することになるが、その進学先には有名大学が名を連ねていた。

「一籐木のお嬢様のお相手としてふさわしいかどうかの最初の試験です。腕によりをかけて作成させて頂きました…まさか全教科で満点を取られるとは思いませんでしたけどね…」

 喉の奥でククッと笑う。…楽しそうだ。

「だって、惣哉が…きちんと頑張らないと咲夜には会わせないって言うから…」

「試験前は息子の惣哉が付きっきりで指導しましたが…いやあ、お嬢様にも見せて差し上げたかったですね…」

「…惣哉さんが…」

 そうなのだ、惣哉は全てを知っていたのだ。知っていて、咲夜には何も教えてくれなかった。こんな裏切りは出逢って以来初めてだったし、咲夜としても腹ただしさこの上ない。

 そんな咲夜の心中に気付いた学園理事長は急に真顔に戻った。丁度、学園の集会で訓示するときの改まった顔だ。

「あのですね…私は今も、朔也様を正式に認めたわけではありませんよ」

「おじさま…?」

 彼の周囲を包み込む空気の変化を感じ取った咲夜は、不思議そうに訊ねる。

「私は…月彦が、前頭取が息子の惣哉をお嬢様のボディーガードとして任命してくれたときに…もしかしたらと期待したのですよ。口には出しませんでしたけどね、我が息子ながら惣哉は本当に優れた人間だと思います。彼以上にお嬢様にお似合いになる人物が現れるとは…思えませんでしたね」

「はあ…」

 このような話を彼の口から聞くのも初めてだった。色々なことが一気に溢れ出てくる状況で、咲夜は少し混乱していた。

「三鷹沢君の許可も出て…朔也様は私の自宅で暮らしてもらっています。学校での勉強には留まらず、一籐木を支える人物になるためには…様々な知識が不可欠です。惣哉の力も借りて、これからみっちり仕込ませて頂きますからね」

「すげえ、スパルタなんだよ、惣哉の奴。いびって追い出そうとでも思っているんじゃないの?」

 そんな朔也の憎まれ口も軽くかわされる。

「そうなれば、東城家と致しましては本望です…いつでもリタイヤなさって宜しいですからね」

 

 そんな会話を展開しつつも、目の前の2人の間にしっかりした信頼関係が築かれていることを咲夜は感じていた。

 口元に安堵の笑みを浮かべた咲夜をゆっくりと確認して、学園理事長は静かに言った。

「では…お水を頂いて参ります。お二人で先に向かってください…」

 

 

「僕さ、ずっと考えていたんだ…」

 2人きりになると、おもむろに朔也は口を開いた。

 彼も学園理事長の前ではそれなりに緊張していたらしい。それもそうだろう、一挙一動を見て審査されているようなものなのだ。

「え…?」

 咲夜が返答する間に、彼はバックのポケットからごそごそとあるものを取りだした。

「きゃ、…それ、持っていたの!?」

 目の前に突きつけられたものを見た途端、跳ねるように後ずさりした。

 それも無理はない。あの夜、月の光に浮かび上がった…いわく付きの瓶だ。2ヶ月経過した今も、中の2本の固形物はまるでたった今切り取られたように、生々しい。

「お前な…怖がるなんて失礼じゃないか…? って、やっぱ、グロいか…」
 そう言うと朔也も改めて瓶の中身を眺めて、顔を歪めた。

「で…何か分かったの?」

 いくら愛する祖父とその愛した人のものだとはしても、やはり見ていて気持ちいいものではない。意識して離れて後ろを歩きながら、咲夜は怯えたように訊ねた。

「これの収納場所。…さっき案内所で区画を確認した…おばあさんの墓地と咲夜の家の墓地を繋いだ所に…あったんだよね、4438って区画」

「4438…?」

「霧の朝、あいつの亡霊が僕に言った数字。電話番号か何かかと思っていたんだけど…誰も入っていないのにちゃんと墓標が建っている。…ほら」

 朔也が指さした方向を見る。大きく茂った大木に隠れるように畳1畳分ほどの小さな新しい墓地が佇んでいた。

「あ…」

 抱えられるほどのささやかな墓石は、河原から拾ってきたような自然な曲線を描いていた。見えないほど小さな字で何かが掘ってある。

「『…1月15日一条、咲耶…梓…?』…どういうこと? あの、じゃあ、…お祖父様は? 警察は登次郎叔父様の謀った事故だと断定したのよ…叔父様はカーマニアだったから、車の事には詳しかったから」

 そうなのだ。

 祖父の死因については謎が多かった。しかし、登次郎叔父の事があって…知るものもないまま、彼の犯行として確定された。

「おばあさん…あの夜、飲まなくちゃいけない薬を、飲まなかったんだ。心臓を病んでいてね、薬で抑えないと発作が起こって命に関わる。実際、発作はあったようだけど…僕のことも呼んでくれなかった…」
 そう言うと、朔也は静かに目を伏せた。

「…お祖父様も…お医者様のお話では…余命いくばくもなかったんですって…」

 月彦と梓。2人の没した日にあわせて、あらかじめ掘られたのであろう墓石の文字。

 跪いたまま呆然としていた咲夜の傍らで、朔也は静かに言った。

「…納めて、いいよね…」

 同意を求める眼が咲夜を優しく包む。無言のままゆっくりと頷いた。

 

 墓石の横の敷石の下には申し訳程度の穴があり、骨壺を収納するスペースになっていた。
 そこに首を突っ込んだ朔也があの瓶を置くと、元のように蓋をした。

 

 ざり、と言う音が小さくして…ひとつの愛が封印される。

 

 どちらともなく墓石に手を合わせると、言葉もなく目を閉じてうなだれる。

 

 頭上の木の枝が風を呼び込んで、ざざっと音を立てた。その音に導かれるように立ち上がる。

「そろそろ行かないと…おじさんが先に着いちゃうよ」

「そうね…」

 小さな石段を下りるともう一度、振り返る。

 

(ありがとう…)

 風の音に紛れて、聞こえる声。ふわふわと優しい女性の声…。

 

「…どうした?」

 訊ねる声よりも早く、後ろから腕が回って抱きしめられる。ゆっくりと背中を預けた。

「朔也…聞こえないの?」

「何が…?」

 朔也には聞こえないのだろうか? 今まで何回も咲夜の頭に響いたあの声。

「…ううん、何でもない。…50年も会えないなんて…やっぱり悲しいわね…」

「…そうだな」
 愛おしげにこすりつけられる頬の感触。額に感じたときに目の前の視界に薄茶の髪のカーテンが現れた。

「朔也…私に会わないで…アメリカに行っちゃうつもりだったんだ…」
 身体を預けながら、瞳を閉じて背後の人の感触を全身に感じ取る。

「…だって…」
 仕方ないだろ、と言うニュアンスを含んだ声。

「咲夜は一籐木のお嬢様だろ? どうやって会いに行けと言うんだよ…自分は一籐木月彦の孫ですって? 馬鹿馬鹿しい…だったら、あっちできちんと勉強して…一人前になったら、一籐木グループに殴り込もうかなって…」

 弱々しい声の告白に少し吹き出す。咲夜は胸の前で組まれていた腕のひとつを左手で解いて、その手を自分の頬に持っていった。

「…今でも…そう思っている?」
 大きな手のひらの感触を感じ取りながら、甘えるように呟く。

「ううん…」

 その声に反応して、後ろを振り返る。頬に吸い付いていた手のひらが朔也のものに戻って、咲夜を包む。

「咲夜の顔を見たら…もう、行けなくなった…離したくない」

 鼻先まで近づいた双の瞳が、ひとつの想いを込めて咲夜を捉える。身じろぎもせず、それに応える。

「…私も…離れたくない…離さないで」

 ゆるやかに微笑む。

 ずっと会いたかった…もう会えないかと思った…もう一つの鼓動…重なり合う心。

 

「咲夜…」


 ゆっくりと目を閉じた…と、その時。


「不純、異性交遊…見逃せませんね」

 

 いきなりの第3者の声。霞のようなベールが一気に剥がれて、2人は現実に戻っていた。

 声の方向を見ると…そこにはクリーム色のスーツに身を包んだ惣哉が、眼鏡に手を当てて立っていた。

 

「惣哉さん!」

「惣哉!!」

 2人はぱっとお互いから離れると、同時に叫んだ。

 

「…用事が済んだから、合流しようと来てみれば…何ですか、咲夜様、学校をサボられてこんな事を…。一籐木の後継者として恥ずかしいとは思いませんか?」

「う…」

 現場を押さえられては言い訳も出来ない。

「朔也も、朔也です…君がしっかりしなければどうするんです?」

 さくや、と言う同じ響きなのに、惣哉の言葉は2人を呼ぶときに微妙に色を変える気がする。意識しているのかそうでないのか、微妙なところだ。

「これからも、私はお嬢様のボディーガードです。お二人のことはしっかりと監視させて頂きますよ…私だってお嬢様のことを諦めた訳ではないのですから…」

「…惣哉さん…」

 そう言いながらも眼鏡の奥にある惣哉の目は優しい色だ。ほんのりと包み込むように2人を見ている。

「…それに。元はと言えば…お嬢様の方から積極的に言い寄って来られたのですよね…私の場合…。忘れませんからね…」

「…え?」

 眼は笑っているのに、とんでもないことを言う。それには当然、朔也が反応する。

「ちょっと待て? …どういうことだよ、聞き捨てならないな。きちんと説明してもらおうか? …咲夜?」

 ぐいっと、腕を取られる。意識して左手を選んでくれているのが嬉しい。

 首をすくめて、するりと逃れる。

「知らない、…忘れました〜」

 

 晴れ渡った空に明るい3人の笑い声が響く。シルバーブルーを基調とした制服姿の2人がクリーム色のスーツの青年の背中を追うように駆け寄っていく。

 

 その情景を…大木の影の小さな墓石が、静かに眺めていた。

 

 

終了(020109)

<<


「赫い渓を往け」扉>13
  感想はこちらから  あとがきへ