〜みどりちゃんのお話〜 …後編…
翌日。 「…お待たせしました」 何度か、送ってもらった家の近くにある街道が待ち合わせ場所。すっかり裸になった銀杏の並木。カサカサした落ち葉を踏みしめながら早足で、駆け寄った。ブルーのスポーツワゴン。ピカピカに磨き込まれている。 「やあ」 髪はお昼から、美容院できちんと手入れをしてもらった。元々、綺麗なストレートだからくせ毛の矯正は必要ない。でもトリートメントは欠かせないし、微妙に毛先をカットしてもらうと綺麗なのだ。前髪もほとんど流して、一部を後れ毛の様に額に落とした。ついでにメイクもしてもらう。ナチュラルに見える、手の込んだテクを盗み見。…うん、ウチに帰ったら研究しようっと。新色のワインレッドのルージュも綺麗だな。
「ちょっと、混んでるかなあ…新宿の伊勢丹のオーナメント。今年は凄いそうですよ…滝のように流れているとかで」 …え? 新宿!? 驚いて思わず運転する卓司さんの方を見る。伊勢丹の向こうにある雑居ビルの中に、あいつが毎日のように練習に使うスタジオがある。…行きたくない!! 体中の血液が逆流するような、嫌悪感を覚えた。 「…あんな、雑踏の中! 行ったって面白くもないと思います! …子供じみているわ!」 「そうですか?」 「じゃあ、ちょっと変わったところにご招待しましょうか?」
「…変わったところって…ここですか?」 呆気にとられる、お店の入り口。クリスマスの飾り付けは仰々しいぐらいだけど、それだけじゃない、この大響音は…あの、これはいわゆる…。 「僕、こういうのは結構得意なんですよ?」 ぎゃいぎゃいわめく、張りぼてのゴリラ。轟音を立てて走り回る映像のレーシングカー…様々な色彩に目が回りそうだ。 「ま、その辺に座ってください。…見ているだけでいいんですよ」 実際。卓司さんは上手だった。 レースをすればぶっちぎりでゴール。格闘すればバタバタと強豪をなぎ倒す。モグラは出てくるのが嫌になるくらいボコボコにされている。 「…凄い…ですね」 さすがに1時間もいると耳がおかしくなった。店外に出て、ショッピングモールの中央に据え付けられたクリスマスツリーの飾りを見ながら、缶コーヒーを飲んでいる。 今、私が言ったのはツリーのことじゃない、卓司さんのゲームテクに対する、素直な誉め言葉だった。素人目から見ても、職人芸だったと思う。 「…でしょう?」 「子供の頃から、ゲームのたぐいには強いんですよ。いわゆるファミコン系の家庭ゲームも、いつも仲間の中じゃ一番先にクリアしちゃうし。隠しアイテムとか、裏技とか…鼻が利くって言うんですか? ピピッとひらめいちゃって…」 「…ゲームが、お好きなんですね…」 「そうですよ、みどりさんは嫌いですか? 僕は人生もゲームみたいなモノだと思っていますよ、そう思うとどんなことでも楽しくなるんです」 「……」 「…みどりさん、失恋したでしょう?」 「はあ?」 「…マイケルが、言ってましたよ。今まではサボりがちだったのに、最近は熱心にレッスンに来るって。きっとプライベートで何かあったんだって…」 …何ですって…? 「…ひどいわ、プライバシーの侵害ね。そんなこと、答える義理もないわ。マイケルも講師のくせに、なってないわ!」 思い切りむくれた。まあ、いつも2人でそんな話をしていたのかしら。あったまに来ちゃう。欧米の人間は他人に干渉しないドライな人種じゃなかったのかしら? 何よ、大の男が2人して…私が男に振られた云々と詮索して楽しんでたの? そりゃ、そうよ! 私は振られましたよ。しかもこっぴどくね!! でもアキラだってひどいわよ。さんざん私に貢がせておいて…その金で若い女と遊んでいたんだからね。…その女たちに「オバさんは金持ちで助かるよ…」とか言ってたって…オバさんですって!? 23歳でオバさん扱いされていいものですか!! 「じゃあ、卓司さんも私のこと振られ女だと思って、可哀想で付き合ってくれたのね? …おあいにく様! 同情してもらうほど、落ちぶれちゃいないわ!」 我ながら、理不尽だとは思う。でもアキラに対する怒りが、何故か目の前の卓司さんに向けられていた。 辺りにほかの人影がないのをいいことに思い切り叫ぶと、立ち上がった。そして空になった缶コーヒーを卓司さんめがけて投げつけた。 …ぱし。凄い至近距離だったのに。卓司さんは間一髪、眼鏡の先でそれを受け止めた。 「危ないでしょう、人に向けて投げちゃ、ダメですよ。ルール違反というものです」 「…嫌いだわ」 謝らなくちゃいけないのに、そう言う言葉が出てこない。泣いて涙で訴えたくたって、一粒も出てきやしない。憎まれ口だけが勢いよく吹き出してくる。 「男なんて、みんな一緒じゃないの! 最初は下手に出て、さんざん持ち上げといてさ、いらなくなればポイ捨てよ。あなたのことだって、ハナから信用してなかったわ! …楽しいゲームをありがとう! これで、ゲームオーバーね!」 私が悪態をついたというのに。憎らしいほど変わらない卓司さんの表情。穏やかに微笑みながら、ゆっくりと私の腕を掴む。 「…何よ!」 「…僕も、ちょっと言い過ぎました。お詫びに、愚痴でも何でもお付き合いしましょう。…とことん飲むって言うのは如何です?」 あくまでも穏やかに。どうしてこの人は態度が変わらないのだろうか? 心が広いのか、それとも何も考えてないのか…? あんまりの意外さに、だんだん馬鹿らしくなってきた。 「…いいわ、付き合ってあげる。借りもあるんだし…あなたがお願いするなら、一度くらいは聞いてあげてもいい…」 「…良かった」 ちょっと、ホッとした感じで。もう一度、眼鏡の向こうの目が私を見つめてにっこりと微笑んだ。
ボーっと、目を開けた。あれ、何だ? この天井は!? …私の部屋じゃないわ。自分のベッドとは反対方向から降り注いでくる朝日…? がばっ…!! 「…あれ、起きましたか? 頭は痛くありませんか?」 …卓司…さん? …どうして… 「え…」 …念のため、自分の服装もチェック。昨日のまんまだ。あえて言えばモヘアの上着だけ着てないけど…下着もストッキングも身につけたまんま。 窓の外に広がる風景。かなり高い階にいるようだ。 「みどりさん、お酒に強いのに…いきなり潰れるんだから。驚きましたよ…お友達に電話をかけたりしてね」 「…え?」 「花菜美さん、とおっしゃったかな? 『みどりちゃんはいつものことですから…』って言ってらっしゃいましたよ?」 「…おっと、時間だ。すみません、料金は払ってありますから。送れませんけど…ここからだったら電車でもタクシーでも程ないと思いますから」 「え? …先に出るんですか?」 「じゃあ、すみません。…本当に、気持ちよく休んでいたから起こせなくて…チェックアウトまでにはまだ間がありますから、大丈夫ですよ」 「あ、あの…」 「昨日…私は、何か…話しました…よね?」 すると。振り返った卓司さんは、優しく笑った。 「…まあ、色々と。でも、忘れましたから」 「はあ…」 「…あ、それから」 「…これで、今度こそゲームはおしまいです。では…」 何か、言いたくても。ドアにしゃべっても仕方ない。ぱたん、という音を最後に…卓司さんは私の目の前から消えた。 次の瞬間、私は気付いた。右手にはまっていたはずの指輪が…いつの間にか左手の薬指に位置を変えていたこと。違和感もなく、それは朝の光に輝いていた。
その言葉が、心の中で何度、反芻されただろう。 今までの日々が夢か幻かのように。仕事の後、ビルの外に出ても卓司さんの姿を見つけることはなかった。 彼の立っていたはずの場所がぽっかりと穴を開けたように見える。ついでに向こう側の街路樹にいたアンパンマンくんも2度と現れなかったが、そのことは今の私にとって大きなことではなかった。いえ、どうでもいいことだった。 …これで、ゲームはおしまいです。 あれから、何度も英会話スクールに足を向けた。でも私のレッスンにも、次のコースにも彼が現れることはなかった。思いあまって、とうとう10日後に講師のマイケルに訊ねてしまった。 「…タクジ…?」 「彼は…また暫く、シアトルだって言ってたね? 仕事、あるって言っていた」 …これで、ゲームはおしまいです。 心の中でもう一度反響する…最後の言葉。あれは、別れの言葉だったんだ。彼は、卓司さんはすぐにシアトルに戻る人間で…それで、日本にいる間の楽しいゲームとして…私に付き合ってくれてたんだ。
「それなら、それでいいわよ…」 …知らないウチに携帯を取りだして。指が覚えたナンバーを押していた。
「みどりちゃんも、ひどいの! クリスマス・イヴにいきなり電話してきて、今から会おうなんて…ちょっとさ〜それじゃ、私が『シングル・ベル』ですって、分かっているってことでしょう? 会社のみんなにも笑われちゃったんだから…」 「んなこと言ったって…本当にその通りだったんでしょう? 花菜美は…」 憎まれ口を叩きつつも、好意で付き合ってくれているのは分かっている。実は数少ない私の親友。短大時代に出席番号が隣りだったのが縁で、それからの付き合いになる。お互いの男性遍歴も筒抜けで、今がシングル同士と言うのももちろん、承知の上だ。 「…まあね、でもお誘いはあったんだからね。みどりちゃんのために、キャンセルしたんだから…」 「…そんな、また、人のせいにして…」 「私からの電話がなくたって、何かしらの理由を付けて断るつもりだったんでしょう? …何をえり好みしてるのよ?」 私の言葉に、花菜美は何度も見せたことのある、表情になった。 笑っているような…泣いているような。彼女のことは良く知っているつもりなんだけど…実は、こんなにまで男性の誘いに乗らない理由を知らない。無理に付き合ったとしても、すぐに別れてしまう。 「でも、知らなかったな〜アンパンマンさんのことも、卓司さんって人のことも。あの夜、みどりちゃんからの電話が来て驚いたもん、本当…」 「やめてよ…」 花菜美は、一瞬ひるんだけどそこは長い付き合いだ。すぐに気を取り直してにっこりした。 「みどりちゃん、アキラに振られてから元気なかったもんね。誘いの電話が来なくなったと思ったら、勝手にいいことしてたんだ〜」 「花菜美…」 「だって、とってもいい人っぽかったよ? 卓司さんって。窮地に立ったみどりちゃんの前にいきなり現れるなんてスーパーマンみたい。アンパンマンさんよりスーパーマンの方がいいよね〜」 「…人をホテルに連れ込んで? でもって、何かするんならともかく、何にもしないでさっさと出て行っちゃったんだよ? それが何で、いい人なのよ!?」 そうなんだ、私はそのことにも十分腹を立てていた。 「…でもさ…」 「私言ったんだけど、…みどりちゃんが潰れたときは、お家に電話してタクシーに乗せればお母さんが待っていてくれるって。ちゃあんと、私が電話しましょうかって…言ったんだよ?」 「…そうなの!?」 「だからさ、思ったんだよ。卓司さんはみどりちゃんと少しでも一緒にいたかったんじゃないかなあって…」 「そんなの嘘よ!!」 どん、とテーブルを叩く。 安っぽいテーブルは安っぽい音を立てて揺れる。クリスマスディナーに湧くレストランは予約なしで入れるはずもなく、時代遅れのしけた喫茶店でお茶する羽目になっていた。 「…あの、みどりちゃん?」 「本当に、何にも…覚えてないんだね?」 「当たり前でしょう? 花菜美だって私の体質を分かっているでしょ? すぐに潰れるわりに次の日は残らなくて…でもって、酔いと一緒に記憶もなくなっちゃうのよ?」 「そう…」 「あ…!」 「ごめん、急用を思い出した。私、帰るわ」 「ちょ…ちょっと、花菜美!? 会ったばかりで何言ってるのよ? 待ちなさいよ!!」 何が起こったの? そして、私は息を呑んだ。…呼吸が止まった。心臓すら止まるかと思った。何故なら。白い息を吐きながら、喫茶店のドアの前に立っていた人を視界に入れたから。 ガタンと、椅子が倒れる。自分が立ち上がったことすら、気付かないうちに…すっと音もなく、卓司さんはさっきまで花菜美がいた場所に静かに座った。 「ただいま」 対する私の方は言葉が出ない。ボーっと突っ立ったまま、亡霊でも見るように目の前の人間を瞳に映す。…間違いない。半月の間、アンパンマンから私を救ってくれて、その後、半月の間、目の前から消えていたその人だ。 …もう会うことはないんだろうとついさっきまで思っていた人だ。 「…シアトルに…戻られたんじゃ、なかったんですか?」 卓司さんの方は、さっきの花菜美と同じような…不思議そうな顔をした。 「…何だか…どうしたんですか? 何にも覚えてないみたいだ」 「朝、様子がおかしかったから、もしやとは思ったんだけど…まあ、いいか」 「シアトルは…担当していた得意先が…僕と話を付けたいと駄々をこねられましてね。後任の担当じゃどうにもならないので、トラブル処理に行っていたんですよ? 本当は1ヶ月ぐらいかかりそうだったんだけど…どうしても今日、戻りたかったから。…まあ、終わらなくたって、休暇を取って、強行で日帰りでも戻ってくるつもりだったんだけど」 「…はあ…?」 「ちゃんと話したんだけど…覚えてなかったみたいですね…」 「……」 「…で、申し訳ないんですけど。これから支社に行って今回の報告書を作成しなくてはなりません。空港から直接ここに来てしまいましたから…花菜美さんに引き留めていて頂けて良かった。…はい、これ」 どかっ。安っぽいテーブルがまた揺れた。目の前に置かれたのは白い発泡スチロールの保冷ボックス。 「…お土産…ですか?」 「…嫌だなあ…今日はクリスマス・イヴですよ、プレゼントです。ご自宅に戻られてから、開けてください」 「でも…」 「…私の方からは何も差し上げるものがないわ…」 「構いませんよ? それは、きっと明日いただけますから…」 「差し上げた名刺に携帯の番号があったでしょう? 報告書を徹夜で仕上げれば、明日、僕は代休です。時間はいつでも構いませんから、電話をください」 「はあ…」 支社に戻るという卓司さんと私は喫茶店の前で右と左に別れた。私の手にはエルメスのバッグと、保冷ボックスが残った。
「…何なの? これは…??」 家に戻って、早速開けてみると…箱の中にぎゅうぎゅう詰められた雪だるまが出てきた。横に寝かされている。2つの玉の小さい方が頭らしく、目が付いている。ピンク色にキラキラ光って…ちょっと抜いてみると対になったピアスだった。思わず、左手のリングと合わせてみる。セットで買ったように同じ形でよく似合っていた。 「…これが、プレゼントなのかしら…?」 『珍しくシアトルがクリスマススノーに包まれました。朝になるまでこのまま部屋の中に置いてあげてください』 「雪を…部屋に置いたら…溶けちゃうじゃないの…?」
次の朝け方。ハッと飛び起きた。 …まだ、辺りは薄暗い。寝ないで番をしようと思ったけど、睡魔には勝てない。私は睡眠時間を多めに取らないとダメな人間なのだ。お肌のためにも11時前には寝るようにしているのだから。 窓際に目をやる。箱から飛び出ていた頭が見えない。中を覗くと…当たり前だけど、シアトルの雪は全部水に戻っていた。 「…あれ?」 水の底に沈んでいたのは目だった一対のピアスと…水色のカード。 それを手にした瞬間。私はすぐに携帯を取りだした。そして、何度も何度も押して、途中で止めたナンバーをとうとう最後まで押すことが出来た。
10分後。ノーメークのまんまで私は家を飛び出していた。 さすがに早朝であってもネグリジェのままでは外を歩けないので、ざざっと着替えて…ピアスだけはしっかり付け替えて。 朝のもやが辺りに立ちこめた夜明け前。街道沿いにあのブルーのスポーツワゴンはちゃんと止まっていた。 「……」 車を降りた卓司さんは目が赤い。本当に、徹夜明けなのだろうか? 小さく、あくび。 その後、照れたように私の耳元を見た。 「…良く、似合ってる」 「ありがとうございました…あの…」 「プレゼントって…これ、ですか…?」 名刺の半分しかない本当に小さいカード。走り書きの短い英文が並んでいる…でもそれは誰にでも分かる言葉で…。 「僕ね…実は、みどりさんを相手に新しいゲームを始めたいと思っているのです…」 「それはね…」 「みどりさんの心を、僕の方に振り向かせること…今日の所は、こうして、電話して出てきてくれただけで嬉しいんだけど…」 「そんな…」 私は、目を閉じると大きく深呼吸する。それから卓司さんのセーターの胸に頭を押しつけた。 「そんな、ゲームは…始めることないわ…」 「え…?」 「だって、最初から…ゲームオーバーですもの…」 「みどりさん…?」 「でも、僕は…銀行員ですよ? 海外勤務がありますよ…? そう言うのは最初から願い下げだって…」 「え?」 「どうして、それを知っているんですか?」 「知ってるも何も…みどりさんが言ったんですよ? …まあ、ほかにも、色々と…」 「色々と、って…?」 「…私の口からは、とても言えません…」 「そ、そんなあ〜!」 そりゃ、私は酒癖が悪いと言われている。途中まではいいんだけど、いきなり潰れて言いたい放題になるらしい…花菜美からも良く聞いている…でも、卓司さんに何を言ったんだろう…!? 「みどりさん」 「…でも、そんな素直なみどりさんがいいなと僕は思ったんですよ? 言いたいことを言ってくれた方が気が楽ですから」 「…そんなこと、言ったって…」 ううう、猛烈に恥ずかしい…どうしたらいいのか分からない。それなのに卓司さんと来たら、ごくごく自然に私を引き寄せた。 顎に手が掛かる。抵抗する間もなく、すぐ目の前に…卓司さんの顔が… 「あ、あの…卓司さん…?」 「…何ですか?」 お互いの息が目の前でふわふわと揺れている。 「私、カードの言葉…ちゃんと日本語で聞きたいんですけど…日本人だし…」 「そう」
Fin(011214) ◇あとがき◇ Novel index>さかなシリーズ扉>石の誕生日/後編 |
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