「…じゃあ、私。お水を汲んでいくね。先に行っててくれる?」 「うん、分かった…」 私は、何度も通ったゆるやかな道を迷うことなく歩いていく。なだらかな坂道。山を切り開いて作られた新しい霊園。年に何度となく、葉月ちゃんとここを訪れていた。
坂の中腹で立ち止まる。大きな木の影になった、ささやかな墓標。「夢」と書かれた小さな碑が私を迎えてくれた。 「…先輩」 「先輩、あのね…私、好きな人が出来たよ。とってもいい人なんだ…これから、連れてくるからね」
彼を好きになったとき。初恋の時よりも胸がきしんだ。この人だ、と思った瞬間の締め付けられる痛みに私は動揺した。 …好きって、こんなに苦しいものだとは知らなかった。心を全部すくわれて、持って行かれて…この人がいないと生きていけないと思う瞬間の…。
…先輩。 どうして? 「好き」って言葉はこんなに痛いの…?
先輩も「好き」はこんな風だったの? そして、その痛みをずっと抱えていたの? それを持ったまんま、旅だってしまったの?
「…ね、私…幸せになるから。きっと、たくさん、誰よりも幸せになるから…だから…」 許してね、と言葉にならなかった。 でも、先輩が笑ってくれた気がした。俯いた花がカサカサと揺れる。きゅっと、唇を噛む。そして左手のリングにそっと手をやった。
「―…こうちゃん!!」 坂を上がってくるその人が私に気付いてちょっと照れ笑いした。二人の方へ駆け寄る。 「早いのね〜なんだ、もしかして…同じ電車だったとか? タクシーで来たの? すぐに分かった?」 嬉しくて。何だか、とても嬉しくて。たくさん質問してしまった。こうちゃんは目をぱちくりさせて、ちょっと考え込んでいた。 「…多分、水橋の次の特急。でも、あんまり時間に大差なかったね?」 「だったら、携帯に連絡くれたら。そしたら駅で待っていたのに…」 「でも、電車の中で携帯は良くないよ?」 それを聞いていた葉月ちゃんが、吹き出す。こうちゃんはきょとんとして、彼女の方を向いた。 「…すごい。カナに本当にぴったりの人ね。話には聞いていたんだけど…タクシーを降りた姿で直感したの、この人だって。すぐに分かったのよ?」 「…水橋」 「水橋は…他の人に、俺のことどんな風に言ってるんだ?」 その声に、私と葉月ちゃんは顔を見合わせて笑った。でも、その時。葉月ちゃんの顔がこうちゃんに分からないようにふっと歪んだ。私にそっと何かを伝えるように、一瞬だけ、色を変えた瞳。私も黙ったまんまで頷いた。
「わ〜嬉しいな。今日は二人のなれそめをたくさん聞かせて貰っちゃう!! コーラス部のみんなにも声を掛けたんだ!! 長屋先生にも…」 「ええ〜うっそお…!!」 「だってさ〜カナは先生にずっと迷惑を掛けたんだよ? ちゃんと報告しないとね…」 葉月ちゃんは私たちの前をぽんぽんと弾んで歩いていく。それを追うようにこうちゃんと私はちょっと早足になる。ふっと、隣りを歩くこうちゃんが、私の方を見た。 「…で。お墓参りに行きたいって…誰のお墓?」 「ええと、大切な人のお墓。たくさんお世話になったから、こうちゃんもご挨拶してね?」 「ふうん…」
それを見ながら。幸せだなあと思いながら。 私はふっとこの人と初めて逢った日のことを思い起こしていた。
こうちゃんと。 初めて逢ったとき。周りの風景が揺らいだ気がした。
こんなこと、言えないけど。ずっと、言えないと思うけど…その時に私は思ったんだ。 出来ることなら、この人と幸せになりたい。幸せにならなくちゃいけない。心の奥に封印されていた想いがふっと浮上する。
――そう。 声が、似てた。
私の遠い日の記憶を、目覚めさせるように…。
終わり(020422) 感想はこちら >> メールフォーム ひとことフォーム(無記名) |
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