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………12

 

 

 

「…じゃあ、私。お水を汲んでいくね。先に行っててくれる?」
 車を駐車場に止めて。葉月ちゃんは私に花を手渡しながら言った。にっこりと微笑んで。

「うん、分かった…」

 私は、何度も通ったゆるやかな道を迷うことなく歩いていく。なだらかな坂道。山を切り開いて作られた新しい霊園。年に何度となく、葉月ちゃんとここを訪れていた。

 

 坂の中腹で立ち止まる。大きな木の影になった、ささやかな墓標。「夢」と書かれた小さな碑が私を迎えてくれた。

「…先輩」
 石の前にしゃがんで、静かに語りかける。でもそこまで言うと、もう涙で前が見えなくなる。さわさわと優しい風が何度も樹を揺らす。お彼岸に飾られた花がちょっとくたびれてそこにあった。

「先輩、あのね…私、好きな人が出来たよ。とってもいい人なんだ…これから、連れてくるからね」

 

 彼を好きになったとき。初恋の時よりも胸がきしんだ。この人だ、と思った瞬間の締め付けられる痛みに私は動揺した。

 …好きって、こんなに苦しいものだとは知らなかった。心を全部すくわれて、持って行かれて…この人がいないと生きていけないと思う瞬間の…。

 

 …先輩。

 どうして? 「好き」って言葉はこんなに痛いの…?

 

 先輩も「好き」はこんな風だったの? そして、その痛みをずっと抱えていたの? それを持ったまんま、旅だってしまったの?

 

「…ね、私…幸せになるから。きっと、たくさん、誰よりも幸せになるから…だから…」

 許してね、と言葉にならなかった。

 でも、先輩が笑ってくれた気がした。俯いた花がカサカサと揺れる。きゅっと、唇を噛む。そして左手のリングにそっと手をやった。

 


「カナ〜!!」
 坂の下の方から葉月ちゃんの声がする。立ち上がって、そちらを向く。葉月ちゃんと…もうひとり。水桶を持った…大きな体の男性…。

「―…こうちゃん!!」

 坂を上がってくるその人が私に気付いてちょっと照れ笑いした。二人の方へ駆け寄る。

「早いのね〜なんだ、もしかして…同じ電車だったとか? タクシーで来たの? すぐに分かった?」

 嬉しくて。何だか、とても嬉しくて。たくさん質問してしまった。こうちゃんは目をぱちくりさせて、ちょっと考え込んでいた。

「…多分、水橋の次の特急。でも、あんまり時間に大差なかったね?」

「だったら、携帯に連絡くれたら。そしたら駅で待っていたのに…」
 申し訳ない、タクシー代は高かったはずだ。でも、こうちゃんは何てことがないようにふっと笑った。

「でも、電車の中で携帯は良くないよ?」

 それを聞いていた葉月ちゃんが、吹き出す。こうちゃんはきょとんとして、彼女の方を向いた。

「…すごい。カナに本当にぴったりの人ね。話には聞いていたんだけど…タクシーを降りた姿で直感したの、この人だって。すぐに分かったのよ?」

「…水橋」
 こうちゃんはちょっと困った顔で私を見た。

「水橋は…他の人に、俺のことどんな風に言ってるんだ?」

 その声に、私と葉月ちゃんは顔を見合わせて笑った。でも、その時。葉月ちゃんの顔がこうちゃんに分からないようにふっと歪んだ。私にそっと何かを伝えるように、一瞬だけ、色を変えた瞳。私も黙ったまんまで頷いた。

 

「わ〜嬉しいな。今日は二人のなれそめをたくさん聞かせて貰っちゃう!! コーラス部のみんなにも声を掛けたんだ!! 長屋先生にも…」

「ええ〜うっそお…!!」
 ちょっと待て。長屋先生は…さすがに恥ずかしいなあ…。

「だってさ〜カナは先生にずっと迷惑を掛けたんだよ? ちゃんと報告しないとね…」

 葉月ちゃんは私たちの前をぽんぽんと弾んで歩いていく。それを追うようにこうちゃんと私はちょっと早足になる。ふっと、隣りを歩くこうちゃんが、私の方を見た。

「…で。お墓参りに行きたいって…誰のお墓?」
 こうちゃんは、先輩のこと知らない。きっとずっと話さないかも知れない。

「ええと、大切な人のお墓。たくさんお世話になったから、こうちゃんもご挨拶してね?」

「ふうん…」
 こうちゃんはいつも通りにあまり深く考えない様子で頷いた。その横顔を春の風が揺らす。短い前髪をふわふわと。

 

 それを見ながら。幸せだなあと思いながら。

 私はふっとこの人と初めて逢った日のことを思い起こしていた。

 

 

 こうちゃんと。

 初めて逢ったとき。周りの風景が揺らいだ気がした。

 

 こんなこと、言えないけど。ずっと、言えないと思うけど…その時に私は思ったんだ。

 出来ることなら、この人と幸せになりたい。幸せにならなくちゃいけない。心の奥に封印されていた想いがふっと浮上する。

 

 ――そう。

 声が、似てた。

 

 私の遠い日の記憶を、目覚めさせるように…。

 

 

終わり(020422)
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