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…18…

 


「…疲れた?」

 惣哉に寄りかかって、少し眠っていたのかも知れない。千雪は軽く揺り起こされて、ふうっと目を開けた。

「あ、大丈夫です」
 千雪は身を起こすと、辺りをきょろきょろした。車の中…後部座席、運転しているのは惣哉の父・政哉の専属運転手である園田。いつもの車ではなくて…もう少し大きくて中も広いもの。リムジン、とか言うのかなと東城の屋敷の前から乗り込むとき千雪は思った。

 それから今までのほんの数時間のことがまるで夢の中の出来事のように思える。瞼を開いたとき、全てが夢だったとさえ思った。でも、惣哉が軽く握りしめてくれていた左手にはめられた指輪を見つけた。惣哉がはめてくれたもの、神様の前でお互いに交換した想い。

 惣哉の腕が背中に回る。かさかさっとベールのこすれる音がした。

 

◇◇◇

 


 慌ててメイクを直して、ドレスを整えて…デザイナーのシノブ先生とタクミが2人で政哉からのプレゼントを付けてくれた。高く結い上げた髪の周りにこぼれんばかりの白薔薇を飾って、そこから高く噴水のようにふわりと高さを出したベールを被せる。

「これはね、最初は巻きで渡されたの…」
 ベールの長さを整えながら、シノブ先生が言う。すらりと長身のきりりとした美人。何とも年齢の分からない人だ。どうも若い頃はモデルをしていたらしい。

「正直、こんな素晴らしいアンティークは見たことがなかったし、本当はドレスに使いたかったわ。私のイメージにぴったりだったの。千雪様のドレスはこんな生地で作りたかったわ」
 口を尖らせて、ちょっと残念そう。

「でも…咲夜様がお使いになれるように、と考えたら…仕方ないわねえ…」

 咲夜は女性でも長身な部類に入る。165センチは固いんじゃないだろうか。細身ではあるが、千雪とふたりでドレスを着回すのは少しばかり無理だと思う。ベールに仕立てたのはシノブの苦肉の策だったらしい。

 

◇◇◇

 


 朝靄の消えかけた教会は道路からずっと建物の入り口までの細い道の両端に白い花が飾られていた。こぼれるばかりの白い道。ようやく乾いた煉瓦敷きの上を惣哉に手を引かれて歩く。真っ青な空、木々に輝く朝露。小鳥のさえずり。都会の住宅地にあって、嘘のように静かな休日の朝だった。
 ステンドグラスが自慢だという建物の中にいたのは神父さんとオルガン奏者の女性。そして賛美歌を歌う天使たち。こぢんまりとした外装の割りに中は広々としている。高い天井。七色に輝く光。

 結婚式なんて、もちろん初めてだし、親戚のものにも余り参列したことがなかった。教会での挙式に至っては見たこともなかったので千雪は戸惑うばかりだった。はっきり言って、神父さんが小声で教えてくれるとおりに必死でこなしていた感じ。ままごとのような儀式だった。でも…もしかすると誰もがこんな感じなのかも知れない。夫婦なんて最初はこんな風にたどたどしいふたりなのかも。
 千雪は半分夢心地で、ふわりと霞に包まれた気分でいた。だから、神父さんに「おめでとう、お幸せに」と微笑みかけられたときも、惣哉に「…じゃあ、行こうか?」と囁かれたときも上手く答えられなかった。

 

 昨日までのことを考えると、一瞬でこの夢は覚めてしまいそうな気がする。それより前に、こんな大それた夢を自分は抱いてはいなかった。いつもいつも終わりを予測していた。章人との時のように。頼りなくて不安定な幸せのかたちに身を任せることは出来なかった。

 そんな不安な気持ちが伝わったのかも知れない。惣哉が千雪の手を握りしめてくれる。そのぬくもりだけが確かなもの、それしかない。ふたりを繋ぎ止めるもの…。

 

 静寂が途切れたのは、教会の扉を開けて外に出ようとしたときだった。

 千雪たちの目の前に辺りを埋め尽くすほどの花びらが舞い、大きな歓声が湧き起こったのだ。

「…な、何ですか?」
 千雪は惣哉の腕にしがみついて、訊ねた。見上げた先の惣哉は落ち着いたもので、ウキウキとさえしてる。

「今日は日曜日でしょう。日曜礼拝の皆さんだよ? 挙式の間、お待ちいただいたからね…」

 ほんの数十メートルの参道ではあったが、そこの両脇にずらっと並んだ…近所の人達? みんな幸せそうに微笑んでいる。千雪にとっては初めて出会う人ばかりだった。なのに…みんなが祝福してくれる。

 信じられなかった。誰からも認められないふたりだったのに。こうしてたくさんの人に包まれて、こんな事があっていいのだろうか…?

 

◇◇◇

 

 千雪を驚かすのはそれだけでは済まなかった。教会の入り口で車を停めて待っていてくれた園田の運転で、次に向かったのは区役所。休日で正面の入り口は閉じられていたが、そこにはたくさんの人達がいた。

「…区役所の最上階が展望スペースになっていてね。休日でも解放されているんだ…今日はお天気だし、見晴らしも良さそうだからね。たくさんいるなあ…」

「そ、惣哉さん?」
 嬉しそうに呟く惣哉に手を引かれて車から降ろされて。千雪は慌てて訊ねた。

「もしかして…あの、もしかしなくても…私たちはとても目立っているのではないでしょうか?」

 そりゃそうだろう。賑わう区役所のエントランスにいきなり現れた新郎新婦。注目されない訳がない。千雪はもう恥ずかしくて仕方なかった。大体、ウエディングドレスのままで区役所に来る人なんているのだろうか? ドラマじゃあるまいし。誰もが口々に「おめでとうございます」とか「綺麗〜」とか叫んでいる。惣哉はこの上なく嬉しそうだ。胸を張ってどんどん進んでいく。

「…あの? 惣哉さん?」

「何?」
 満面の笑みが振り返る。

「もしかして…楽しんでませんか?」
こっちはもう消えてしまいたい気分なのに、どういう人だ。全くもう!

「あ? 分かった? …だって、綺麗な千雪をたくさんの人に見て欲しいじゃないか。最高のセッティングだね、我ながら惚れ惚れするよ…」

 その後、区役所の2階の宿直室まで行って、届けを提出して。そして戻ってくるまで。終始、惣哉のペースだった。千雪はただ、数え切れないほどの視線にさらされて、慌てふためいているだけだった。

 

◇◇◇

 


 そんなめまぐるしい時間を過ごしたのだ。やはり身体に無理が来る。区役所からの帰りの車内ではくったりとしてしまった。車は見慣れた街並みを滑るように走る。やがて東城の屋敷が見えてきた。ホッとした千雪だが、車が門の前で止まらずに通り過ぎてしまったので、びっくりする。

「惣哉さん!? あの…もう終わりですよね? お屋敷に戻れるんじゃないんですか?」

 慌てて詰め寄ると、惣哉が何てことない笑顔で答える。

「副理事長室の、机の上。少し片づけてくれない? もう今にも雪崩が起きそうなんだよ」

「だったら…あのっ、着替えてからでいいじゃないですか?」
 今日は休日で、余り学園内に人気はないだろう。でもやはり誰かに会ったら恥ずかしいじゃないか。どこにウエディングドレスで仕事に来る人がいるんだ?

「ええ? だって…」
 惣哉はくすくすと笑いながら、千雪の耳元に唇を寄せる。

「今日は僕が満足するまで、それを着ていてくれるんでしょう? 11回目の、で、そう約束したはずだよ?」

「…惣哉さんっ!」
 千雪はもう泣きそうだった。

 運転している園田だって少しはフォローしてくれても良さそうなものなのに。バックミラーに映る人の良さそうな顔はにこにことほころんでいるばかりだ。

 

 やがて、管理棟の前に車をつける。そこから、降ろされると、千雪はきょろきょろと辺りを見回した。幸い通りかかる人もいない、良かった。

 惣哉は千雪の手を引いて、長い廊下をどんどん歩いていく。途中から、道が違うことに千雪は気付いた。

「あのっ? 惣哉さん!? …階段を上らなくていいのですか? そちらは…」

 慌てふためく千雪の言葉など耳に入っていないように、惣哉は歩いていく。大きな扉の前で立ち止まる。固く閉ざされた鉄製の扉をトントンとノックした。

 

 …ばんっ…!!

 

 扉が真ん中から割れて向こうに開く。千雪が惣哉に引っ張られるように中に導かれると。いきなり頭上から何かがばっと降ってきた。

「…え…?」

 千雪は初め、自分の視界を埋め尽くす白いものが何か分からなかった。呆然と立ち尽くして、惣哉のスーツを握りしめる。

 やがて、ふわんふわんと浮遊するものが何かかたちを作っていることに気付いた。

 落ちてくるひとつを受け止める…しろい、花。生花ではない、柔らかいティッシュのようなもので折られた小さな花だった。よくよく見るとそれはいつか子供たちに折り方を教えた変わり折りの花で…それが無数に天から降り注いでいたのだと気付いた。

 

「ちゆ先生!! おめでとう!!」
 白の向こうから、響き渡る声。たくさんの声。

 ここが学園の中で一番大きな体育館だと千雪は知っていた。でも…何? 今日はお休みでしょう? 日曜日でしょう? 何で…人がいるの…?

 バスケットコートを4面取れる広い屋内に、それこそ数え切れないほどの人間がひしめいているのが見えた。何が何だか分からない千雪の前にすすっと歩み出たのは、笑顔の朔也と咲夜だった。

「おめでとう〜! ちゆ先生っ!!」

「あなた…たち?」
 割れんばかりの歓声の中で、千雪はようやくそう呟いた。あんまりにびっくりしすぎて、もうどうにかなってしまいそうだ。

「すごい…聞いてはいたけど…これって、もしかして全校生徒・児童?」
 さすがの惣哉も千雪の隣りで戸惑っている。辺りを見渡して。

「うーん…多分…もっと。父兄も来てるし…東城の家の親戚も一籐木の会社の人も来てるから。もちろん学園の関係者は全員参加ね?」
 制服姿の咲夜はいつもの通り、おっとりと小首を傾げる。

「2000人くらいいるんじゃないの? …どうやって集めたら、これだけ集まるんだ?」

「ええとね、まず…その辺を歩いていた小等部の子に、話をしたんだ」

「そう、惣哉さんから話を聞いた日に…3日前だったかな?」
 惣哉の言葉を受けて、ふたりが楽しそうに答える。

「何て言ったわけじゃないんだよ? 『ちゆ先生がお嫁さんになるんだって、体育館でお祝いをしようと思うんだ、来られる子は来てね。日曜日だよ』…って」

「そうしたら、こんな。どうも緊急連絡網が回ったらしいわ? 事務室と理事長室の電話は問い合わせでパンクしたって」
 ふたりは顔を見合わせて、くすくすと笑いあっている。楽しそうだ。

 千雪は。

 もう、頭の中が真っ白になっていた。たくさんの、数え切れない人がいる。体育館の中に…そして、自分を見ている。

 

 くらくらっと来そうになったとき、ふいに後ろからドレスを引かれた。振り向くと顔なじみの小等部の子が何人か立っていた。

「ああ〜、ちゆ先生っ!! おめでと〜、…ねえ、ちゆ先生のお婿さんて…惣哉さんだったの?」

「もったいない、惣哉さんには綺麗すぎるよ〜」

 唖然としながら、立ち尽くす千雪の背後で吹き出す声。惣哉が自分のことを言われてるのに、楽しそうに笑っている。千雪が憮然としながら見つめると、彼は涙を拭きながら、答えた。

「…千雪。聞いたでしょう? ここに集まった人達は千雪をお祝いしに来てくれたんだよ? 千雪のために、来てくれたんだ…僕の花嫁だから、ではなくて」

 その言葉に。千雪は大きく目を見開いて、惣哉を見ていた。ゆっくりと目の前の人が頷く。柔らかい笑顔。

「僕は、こんなに素晴らしい花嫁を頂いたんだね…嬉しいよ」

「惣哉さん…」
 千雪の目からまた、涙が溢れる。その瞳がキラキラと輝いて。

「あのねえ、ちゆ先生!」

「お花、みんなで折ったの。ちゆ先生に枯れないお花をたくさんあげようと思って。大変だったけど…ひとり、100こ!!」
 子供たちは床を埋め尽くす白い花を小さな両手にすくい取る。ティッシュのように柔らかい素材で折られた花、どんなに大変だっただろう…子供たちの笑顔と花を見比べながら、千雪は何と言ったらいいのか分からなかった。

 

「お花も、だけど…お料理も飾り付けも…みんなみんな父兄の有志ですって。それこそレンタル会社から食品会社から…たくさんの職種に携わる方がいらっしゃるから。もう私たちはやることがなかったわ。仕方ないから小学生に混じってお花を折っちゃいました」
 咲夜が笑いながら、語りかける。

「ほらほら、ふたりとも。早く皆さんの前に行って、ちゃんとご報告しないと…」
 朔也が人並みをかき分けて、ステージへの道を作ってくれる。そこをおずおずと歩みだしたとき、ふたりの前にすっと現れた人物がいた。

 

「…橋崎様…」
 千雪の胸がどくんと音を立てた。

 しかし、青ざめた千雪に微笑みかけた橋崎は…次の瞬間、ちょっと寂しそうな口調で言った。

「負けましたね、佐倉…いえ、千雪先生」

「…え?」
 千雪は聞き返していた。どうしてこんなことを言い出すんだ。この人は。

「惣哉君に、朱美との結婚を正式に破棄されたときはまだ挽回の余地もあるかと思っていたんです…でも、今日、ここまで来て…どんなにか自分が浅はかだったのか知りましたね。あなたを学園から追い出すなんて、私には出来っこなかったんです…下手をすると私の方が追い出されていたのかも知れない。口惜しいですが、朱美は…あなたには敵いません…本当に、親として、口惜しいばかりですが…」

 そして、彼は「今後とも宜しくお願いしますよ?」と言いながら人混みに紛れていった。千雪はまた無言のまま惣哉を見上げていた。

 

「やあ、惣哉君。おめでとうございます」
 次にふたりの前にやってきた人は、いつもとは違うスーツ姿で千雪を驚かせた。

「佐倉さん…ではなくて、もう東城さんなんですね。お加減は大丈夫ですか? 無理は禁物ですよ?」

「院長先生…」
 千雪はあんまりにも意外な人物の登場に、惣哉の袖を握りしめていた。どうして? 確かに自分の担当ではあったけど…そんな一患者の所に病院の院長が来るものだろうか?

「妻もね…どうしようかと思ったんだけど。本人が来る気になったから、連れてきた…惣哉君、大丈夫かな?」

 

 ちょっと困った笑顔。その視線の先を見た千雪は、思わず…3歩ほど後退していた。自分の意志に関係なく、身体が勝手に動いていたのだ。

 とん、と何かにぶつかって止まる。振り返ると、それは院長先生の身体だったので、びっくりしてちょっと身を離した。

「千雪さん…妻が随分、迷惑をかけたらしいね。あれは口が悪いから…でも、良く言って聞かせましたから」

「…は、はあ…」
 そう答えつつもずんずんと惣哉の前にやってきた小柄な女性は千雪を震え上がらせた。…そうだったのか、全然気付かなかった。…そう言えば総合病院の院長の奥様だって…そう聞いていたような気がする。でも頭の中で繋がっていなかった。

「…惣哉? あなたには失望したわよ?」
 紫色の上品なドレスを着て、惣哉を睨み付けたのは…あの、惣哉の叔母、村越夫人だった。

「やあ、叔母上…お祝いにわざわざありがとうございます」

 惣哉のにこやかな笑みにもその冷たい表情は少しも崩れない。

「惣哉、あなたはいつからそんなに聞き分けがなくなったの? その女に惑わされて…今に東城の家を駄目にするんじゃないでしょうね!?」
 そう言いながら、千雪を睨み付ける瞳の強さも変わらない。千雪の肩を院長の手のひらが、優しく包んだ。

「…叔母上」
 惣哉は柔らかく、でも毅然とした声で応えた。

「僕は千雪を守るためだったら、いくらでも我が儘になりますよ? 叔母上だからって容赦はしません。東城の家のことは僕がきちんとやっていきます、もう叔母上には関係のないことです」

「…まっ…!!」
 額に青筋を立てた夫人が自分の口元をハンカチで押さえた。かなりの打撃だったらしく、大きく身を震わせている。

「すっかり毒気を抜かれて…!! どうなったって、わたくしは知りませんからねっ!!」
 震える声でそれだけ言うと、ふらふらときびすを返す。

 

 千雪はその小さな背中を見たとき、何だかたまらない気分になっていた。

「あの…村越様…」

「何よっ!!」
 思わず声を掛けてしまった。でも振り向いた顔はものすごく凄んでいる。千雪は息を飲んだ。

「あの…」
 何か言わなくては、と思うのだけど…言葉が出てこない。困り果てていると、夫人の赤い唇の方が先にせわしなく動いた。

「…腹ただしくはありますけどっ!! あなたはもう東城の嫁なんでしょう? 叔母のわたくしに対して…その様な他人行儀な物言いはやめてくださる? それとも? あなたも惣哉のように私をもう東城とは関係のない女だと言いたいの!?」

「え…」
 千雪は言葉に詰まった。村越夫人の言葉の意味がよく理解できない。頭の中を動かそうにもきしんで上手く動いてくれないのだ。

「わたくしは、惣哉の叔母なのよ!? 惣哉の母親の妹なの! …だったら、嫁として、きちんとこれからは呼んで下さらないと…わたくしは許しませんわよっ!!」

 夫人の大きく見開いた瞳が真っ白なドレスに包まれた千雪の姿を捉える。そこが大きく揺らいでいた。千雪はどうしていいのか分からなかった。でも、心の中にひとつだけ浮かんだ言葉を必死で口にしていた。

「…叔母様…あの、これから宜しくお願いいたします…」

「――分かればいいのよっ!」

 紫色の背中が人並みに消えていく。その後を白髪の人が慌てて追っていく。彼は途中で一度振り向くと、千雪と惣哉に軽く会釈した。千雪は呆然とその姿を見送っていた。

「偉いな〜、ちゆ先生。さすがオトナだな、外見に似合わず…」
 朔也のとぼけた声が千雪の耳に届く。声の方向を見ると、彼は嬉しそうに微笑んで大きくガッツポーズをしていた。

 

 福島の千雪の叔母も駆けつけてくれた。バイト先だった食堂の主人、大学の教授…惣哉が朔也たちに今日の話をしたのはたった3日前だったというのに、どうしてこんなにと言う人間が広いはずの館内を埋めていた。

 懐かしい顔に次々に声を掛けられて、千雪はあっちを向いたりこっちを向いたり…皇太子妃・雅子様のご成婚の儀のパレード宜しく、慌ただしい感じだった。

 

 

 ある一角まで来ると、惣哉がふいに立ち止まって耳打ちする。

「…千雪、じっと見ちゃ、駄目だよ?」

「…はい?」

「柱の影…飲み物のお盆を持って給仕している方がいるでしょう…? それと、その横の…ボーイさん」

 会場に大きくコの字型にテーブルが置かれ、その上に所狭しと料理と飲み物が並べられている。たくさんのお揃いの服を着たコックと給仕が忙しく働いていた。
 千雪がそっと、惣哉の肩ごしにそちらを見ると。視線に気付いたのか、そのふたりはこちらへの視線をふっと落として俯いてしまった。

「…あ…」
 千雪は思わず、両手で口元を覆った。もう、どうしていいのかも分からず…腰を支えてくれる惣哉の腕がなかったらこの場に崩れていたかも知れない。俯いた瞳から涙がとめどなく溢れてくる。

「ご挨拶に伺ったんだ。だって、千雪を頂くんだから…そして、今日は是非、来て下さいって。そしたら…千雪に合わせる顔はないから…こっそりだったら来てもいいって」

 

 もう、ずっと会ってなかったから。遠い記憶の断片の中にしかいなかったから。面影もおぼろだった。でも忘れる日はなかった…会いたかった人たち。忘れることの出来なかった人たち…。

 

「お母上、再婚なさって…お幸せだそうだよ。でも、千雪のことだけは気がかりだったって…一緒に連れていかなかったこと、後悔してるって」

「…惣哉さんっ…」
 寄り添う振りをして、そっと胸に顔を埋めた。メイクが落ちるのが心配だったが、感情を抑えるすべを他に思いつかなかったから…。

「千雪をお願いしますって、泣きながら頭を下げられた。…優しい方だね…」

「はい…」
 千雪は惣哉のスーツをきゅっと握りしめた。そして、大きく頷いた。

 

 

 ステージの下まで辿り着くと、そこにはタクミが顔をしかめて待っている。

「ああ、本当に今日はちゆの専属だな…良くもまあ、凄腕の新鋭アーティストの作品を何度も崩してくれるもんだ…」
 そう言いながらも、ガチャガチャと手早く携帯用のメイク道具を引っかき回して、千雪の顔を塗り直してくれる。口紅を綺麗に引いた後、千雪にだけ聞こえる声でそっと呟いた。

「こんなにちゆを泣かせるおーじ様は信用できないよ、全く。でもさ、…不思議だよな。こんなに泣きじゃくっても、ちゆはどんどん綺麗になるんだね。今のちゆ、今までで一番綺麗だよ? 多分、世界中で一番素敵な花嫁さんだ」

 その言葉に応えるのは、花のようにほころんだ笑顔だけで十分だった。

 

 

「さあ、みんなにご挨拶しようね。…幸せになろう、千雪…」

 体育館のステージに登る階段に足をかけて、惣哉が振り向く。そっと差し出される手のひら。その上に千雪は自分の手を重ねた。

 そして、見上げる。自分が信じた人を。これからずっと、信じて生きていこうと決めた人を。泣き濡れた瞳で、それでも精一杯微笑んで。

 

 窓から注ぐ10月の柔らかな陽ざし。晴れ渡った青空を背に揺れる木々のさざめき…。

 割れんばかりの声援と拍手の中…千雪は幸福への階段を一段ずつ、ゆっくりと上り始めた。

了(020724)

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