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Scene・4.5…小休止
真夏Side*『Spy』

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 ――まったく、おめでたいったらないわ。

 馬鹿よね、私が気付いてないとでも思っているのかしら? 侮って貰っちゃ困るわ。こっちは22年近い付き合いよ、もう行動パターンだって完璧に見抜いてる。のほほんとして抜けまくっている両親は騙せても、私はそうはいかないわよ。

 

 西原真夏(にしはら・まなつ)、25歳。

 某家電メーカーのお客様窓口に勤務してる。仕事内容はいわゆるクレーム処理。怒りまくって電話をかけてくるお客様のお話をじっくりと忍耐強く伺って、そのあとこちらの話をゆっくりとご説明申し上げる。「社長を出せ!」とか開口一番罵倒してくる電話は大抵私に回ってくるわ。そりゃあ、内心むかつくことも多いけど、やりがいもあるのだ。
 最初は何を言っても聞く耳を持ちそうにない方も、こちらがきちんと対応すれば大半は気持ちよく電話を終えることが出来る。確かに会社の方針と消費者の要求に板挟みになって辛いなあと思うこともある。心臓だって強くなるし、声だけで相手を瞬時に察する能力も身に付いてくる。鍛え方だって伊達じゃないのよっ!

 

…**…***…**…


 普通さ、気付くじゃないの。あからさまに行動パターンが変わるんだもの。

 今までに見たことのないヘアスタイルにしてきたり、メイクの色合いが微妙に変化したり。ついこの前まで、学生時代の延長のようなちょっとオコサマっぽいファッションが多かったはず。それがいきなり、ふんわりと女らしい花柄のスカートなんか買ってきて。

 突然難しい専門書を読み出したと思ったら、珍しく連ドラに見入ったり。あんなあっさりした顔のタレントが好みだったかなと首をひねっていたら、どうも食い入るように眺めているのはヒロインの方。まさか、女に走ったんじゃないでしょうねと心配になったわ。ちょっと身の危険すら感じたわよ。

 そのうちに、休日にお弁当なんて作り出す。どう見てもそう言うタイプじゃないのに。自慢じゃないが、母親がそれなりに家事が出来てしまうと、娘たちは堕落するのよね。多分、妹の料理の腕前は私とトントンだったはず。一体何日分の食材だよと思うくらい買い込んできて、前日から仕込みして。当日は朝の5時から台所に立っていた。

 もう、それで決まりだって思ったわ。間違いない、妹に男が出来たんだ。


 これは姉としてゆゆしき問題よね。

 何しろ、妹の彼と言ったら、まかり間違ったら、私とは義理の姉弟になるかも知れないんだから。この先一生付き合わなくちゃならないと思えば、おのずとチェックも厳しくなる。外見や人となりはもちろんのこと、将来性や実家、もう全て全てで合格点を出してくれなくちゃ。

 ここで、妹が私のようにしっかりしていて人を見る目があればいいんだけどね。そこが、難しいところなの。何しろ、私の妹と来たら、ぼんやりした両親の気性をそのまま受け継いで、人がいいというか騙されやすいと言うか。ノーと言えない日本人を絵に描いて色づけして額縁に入れて飾ったみたいな子なのだ。

 言うなれば、隙がありまくり。男にとってはこれ以上おいしいカモはないと思う。

 

 高校時代だって、危機一髪だったのよ。

 誰が見ても「さかりがつきまくって、目の色が変わっています」って顔に書いてあるみたいな彼氏がいてね。両親の留守なのを知っていて家に上がりこんでも、全然気付いてないの。私が大学の講義が休講になっていつもより早く帰宅したから良かったようなものの、そうじゃなかったら絶対に犯られていたわね。間違いないわ。あの時の呆然とした男の顔、一生忘れないわよ。

 あのヒラメのようにぺったんこな顔の男を睨み付けたときに、私は悟った。駄目だ、妹に任せておいたら。とんでもない男に引っかかってしまうに違いない。本人だけの問題ならいいけど、妹の彼は私の身内になるかも知れない人間。どうでもいいとは割り切れない。

 

 それからは用心して、妹の行動にいちいち神経をとがらせるようになった。

 まあ、短大は国文科で、女の子しかいなかったからその点は安心。ただ、学外のサークル活動とか合コンとかあるから、そこはチェックした。テニスのサークルに入ると言うから、出来るだけ危険度の少なそうなところを選んでやったし。「今日は遅くなる」と言われれば、どんな仲間と飲むのかちゃんと把握。

 その甲斐あって、妹には悪い虫が付くこともなく、ここまでやって来た。自分で自分に表彰状を贈りたい気分だ。就職してからもそれなりに誘いがあったようだが、妹も私が口を酸っぱくしていろいろ吹き込んだせいか、どうしようもない男が近づいてきてもきちんと断れるようになったらしい。よくもまあ、ここまで成長したものだと感激する。


「職場にいい人はいないの?」

 ……って聞いてみても、あまり弾まない返事。まあ、いいわ。いい男がいないならそれでいい。私がそのうち、ウチの会社の男の中から見繕った奴を紹介してやろう。会社としては中の上くらいだけど、ピカピカの一流企業じゃない方が真面目に仕事するからいいのだ。

 もう、職場で男性社員を見ても、「どの男なら私の弟として最適か」と考えてしまう。同期か後輩の社員ばかりと仲がいいので、すっかり姉御になってしまっているわ。吟味に吟味を重ね、めぼしいのを2人3人に絞り込んだ。

 さて――、と思ったら。突如、妹の背後に男の影が見えたのだ。

 

…**…***…**…


 どうもその男は同じ職場の奴みたいだった。ただ、部署は違うらしく、そう頻繁に会えるわけではないらしい。

 妹が男と会っているのは週に一度ほど。その日だけは服装が違うからすぐに分かる。ただ、相手は年上らしいし、いつ何時一線を越えてしまうか、気が気ではない。何しろ、見てしまったのだ。無造作にベッドの上に置かれたランジェリーショップの袋から、ちらりと覗いた大人っぽいデザインのセットを。

 これはっ、早めに手を打たなくてはならない。手遅れになる前に。妹のことだ、男と寝たりしたら完全に情が移る。どんなボンクラでも、誰が見てもどうしようもない相手でも、簡単には切れなくなるに決まっている。そうなる前に、どうにかしなくちゃ。

 でも、家に連れてくる気配もないし、巡り会う機会もない。これではチェックできないではないか。

 

 さて困った、と思っているうちに、何故か妹の帰宅時間が早くなった。服も以前のように「会社に着ていくにはギリギリ」レベルの子供っぽいモノになっていて。振られたにしてはそれほど落ち込んでいる風もないし、何だろうと思っていた。そしたらどうも相手の男は出張中だったらしい。

 その後。ひと月ほど経過したら、また週イチのデートが始まった。花柄のスカートに柔らかい色合いのニット。どうしてあんなに分かりやすいんだろうか。これではすっかり社内に広まっているんだろうなあ。

 

 夏の終わり、上天気の日曜日。今朝も妹は出かけていく。「いってきます」と晴れやかな声が玄関のドアの向こうに消えていく。私はすっかり身支度を終えた姿で、部屋を出た。

 

…**…***…**…


 別に追いかけて姿を見失わないようにする必要はない。

 昨日の晩。きちんとドアの閉まっていなかった妹の部屋から、いくつかの単語が漏れ出てきた。携帯で電話をしているらしい。今はそんな便利なモノがあるから、掛かってきた電話の取り次ぎとかそう言うのがない。良くないことだ。

 もしも声を聞く機会があれば、何となく男の雰囲気が伝わってくるのに。声だけだって、大抵のことは分かるんだから。こういうのも職業柄かな。

「池袋」「サンシャイン」「西武のブックストア」――映画か水族館か、まあそんなところだろう。行き先は知っているから心配ない。

 

 どうしてか分からないが、待ち合わせが本屋の専門書コーナー。

 何を考えてるんだ、相手の男は。もうちょっと気の利いたことを考えられないか。これではまるで本を買うついでに妹に会うみたいじゃないか。それともインテリぶって尊敬されたいのか。もうそれだけで、いけ好かないタイプに思えて仕方ない。

 きょろきょろ見渡すと、まだ妹の姿はない。一応、テキパキと乗り換えてきたからどこかで追い越したんだ。こういうところにも性格は表れるのよね、出掛ける支度でも妹は私の倍以上の時間が掛かるもの。

 小難しい「なんとか物理化学」とか、訳の分からない単語が並ぶ。人影もまばらで、あまりに傍に近づいたら変な感じ。一体どの男なんだろう、背の低いあっちの奴は学生っぽいし、かといって向こうの男性は40代。……ええと。

「園芸の12ヶ月」なんて本をカモフラージュで持ちながら、私は視線を走らせていた。すると――。

 

「あ、春さんっ! ごめんね、遅れちゃった」

 ぱたぱたと落ち着きのない足音がして、聞き覚えのある声が小さく聞こえてくる。ハッとしてその方向を見る。

 そこにいたのは妹と……客の中でも長身の部類に入る男。まあ、私とタメくらいかな? そんな感じだわ。何だか仕立ての良さそうなスーツなんて着ちゃって。格好付けてるつもりかしら、どうにも安っぽい思考だな。

 何か言葉を返しているけど、小声なので聞こえない。どこまでも涼しげな横顔。やな奴、一応あんたたち恋人同士なんでしょ? 彼女に会えたならもうちょっと嬉しそうな顔しなさいよ。会えて当然みたいなその態度は何?

 

 私は肩から提げたバッグを抱え直した。ああ、重いわ。だって、この中には色々と入っているんだから。オペラグラスはもちろん、デジカメに変装用のマスクと帽子。そして野菜ジュースの900mlパック。

 そうよ。もしも男が妹に良からぬコトをしようとしたら、これを頭からぶっかけてやるわ。普通のジュースじゃたいしたことないから、ここは出来る限りダメージのありそうなものを選んだ。
 服を汚されたときにはきっと本性が出るし。大声を上げて慌てふためいたりしたら、心の狭さが分かるというモノだわ。ああ、私って天才っ!

 ――と。自分の完璧な段取りに私が悦に入っていたら、妹が男に声を掛け、両手を顔の前で合わせて「なむー」のポーズを取ってきびすを返す。どうしたんだろうと思ったら……ああ、トイレだ。妹が消えたあと、男はささっと手にしていた本を棚に返した。

 

 何をするんだろう。つかつかと壁際まで歩いていって立ち止まる。

 そこには何故か姿見がででんと置かれていた。ああ、そうか。店全体を見通し良くするためだ。本屋は万引きのメッカ。でもどうしても死角が出来るため防犯対策が大変なんだって聞いた。そこで鏡などを使って物理的に「見張ってますよ」っていう姿勢を示すのだと。

 まあ、それはこの際どうでもいい。男は鏡の前で髪をささっと直して、スーツの乱れを正す。ハッとして足元を見ると、急にしゃがみ込んでハンカチを取り出して靴を拭いている。何なんだ、せわしない。妹が目の前にいるときはあんなに悠然としてるのに、どうなってるんだ。

 

 彼は鏡の前で一度ポーズを取ってから、颯爽と元の場所に戻っていく。そして、何食わぬ顔で先ほどの本を取ったときに、妹が戻ってきた。

「ゴメンね〜、お待たせ」

 そんな妹の言葉にも、奴はふっと微笑んだだけ。おい、口があるなら何か言え。何を気障っちくしてるんだ。こうやって眺めているとすごく変だぞ。

 ……まあ、外見は上の中と言うところか。身長とかがっしりとした身体とかは男らしくていい感じ。髪型もとてもすっきりしてるし、スーツのセンスも悪くない。顔は若干、地味目だけど、それくらいの方がいい。

 そんなコトを考えていたら、「じゃあ行こうか」みたいな感じで、ふたりが歩き出した。

 ――うわぁ!!!

 慌ててあとを追おうとしてぎょっとする。まあ、血の気が引いたのは私だけじゃないようだ。妹の斜め後ろを歩いていた男も、背中だけを見ても分かるほどにびくっと揺れた。

 

 ――あの、妹よ。スカートの後ろ、ファスナーが全開です。

 

 それだけならまだいい。いや、それだけでも十分良くないのだが、さらに困ったことに……どうして、ガードルとか付けてないんだ。それくらいは基本だろうが、基本。若いからって気を抜かず、今からきちんと下着選びをしないと、重力に逆らってだんだん肉が下がってくるんだぞ。いつも私が言ってるじゃないか。

 と言うことで、全開のその部分からは、コトもあろうに白地に赤のチェックという世にも子供っぽいパンツがチラチラと見えてる。何かなあ、もしかして妹は男に対して緊迫感がないのだろうか? 一応、デートだろう。どこかで間違って、きわどい状況になるかも知れないのに。そんなときにオコサマ仕様のパンツを見せたら、やる気になった男も萎えてしまうぞ。

 ああ、すぐに駆け寄って指摘したい。でもそんなことをしたら、尾行がばれるじゃないか。せっかくの休日、妹の将来のためにこうして頑張っているのに。おい、彼氏! 傍にいるんだから、一声掛けろ!!!

 それなのに、奴は耳を真っ赤にしたまま、きょろきょろと辺りを見回す。そして、さりげなく妹の背後に回って、その部分を隠そうとしているようだ。でも、そんなことをしても覗けば見える。ほら、ひとこと言えばいいじゃないの。何、照れてるんだよっ、いい大人が!

 対する妹の方はと言えば、悲しいくらい全然気付いていない。ぴょこぴょこと嬉しそうに進んでいく。彼氏の方は、もうガチガチに固くなっちゃって、とにかく妹の後ろをしっかりキープ。振り向いて声を掛けられても、返事も出来ない有様だ。ああ、何て奴、早く教えてやれよ〜っ!

 

 ガヤガヤと人通りの多い休日の都心。ずんずん歩いていくひと組のカップルを必死で追いかける。

 もう、どうしようもないじゃん、こうなったら私が教えてやる――と思ったとき。すたすたと目の前を歩いていった見知らぬおばちゃんが、妹に寄っていって肩を叩いた。

 ……はぁ。

 ようやく妹は気付いたらしい。どっしゃ〜、とオーバーなリアクションをして、さささっとパンツを隠す。ああ、良かった。公衆の面前でこれ以上恥をさらさなくて。そして、彼氏の方はと眺めると、奴はやはり涼しげな笑顔で妹を慰めてる。

 

 ――何というか、もう、あの……。

 

 サンシャインに続く、日曜日の歩行者天国。

 人混みの中、ふたりの背中が遠ざかる。もうこれ以上付き合っていられない。何だか見てるだけで、いちいちこっちが恥ずかしくなるじゃないか。あいつら、何者? 頼むよ〜今時、中学生だって、もうちょっとどうにかしてるぞ? とりあえず、はぐれないように手ぐらい繋いでくれ。

 もしかして、と不安が過ぎる。

 たったこれだけの時間、かいま見ただけでもかなりの体力精神力が必要だった気がする。まかり間違って、このままあのふたりがゴールインなんてした日には、私はどうなるんだ。いや、もう。結婚式の当日だけでもおなかいっぱいかも。何かもう、一生振り回されそうな予感がするんだけど、……どうしよう。

 そりゃあさ。彼氏も悪い人間じゃなさそうだ。妹も惚れ込んでるんだな〜って分かる。あれはあれで、お似合いのカップルなんだろう。ただし、だからといって周囲の人間が安心して見ていられると言った訳ではない。これからどんな風になっていくのか、それを想像するのも怖いなあ。

 

 ――あれが、義弟(予定)?

 あの妹が見てるときと見てないときとで態度が豹変する男が? 何かなあ、付き合いにくそう。私としては妹と接している奴の方が好みだけど、絶対に情けないバージョンの方で接する羽目になるんだよ。……あああ、脱力。

 

 花壇を囲っているブロックにどかっと腰を下ろす。そして私は景気づけに、バッグから取り出した野菜ジュースを一気にあおった。




…おわり…(040421)

 

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