夢見るHard Winds番外編・2
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彼女はふくれっ面をしていた。 鳶色の髪、金色に近い瞳…まだ年若いがそれでも美しさを匂わせている。かなりの美人の部類だった(…年齢的には美少女、と言った方が近いが)。 着ている服は通学用であるからそれ程華美ではないが、それでも大きく膨らませた袖に細かく施されたピンタック、挟み込まれた綿レースもこの片田舎ではなかなかお目にかかれない上品なもの。12歳という年齢から考えるとシック過ぎるブルーの小花模様も彼女だからこそ着こなすことが出来る。華奢な首周りを包むスタンドカラーにも惜しげもなくレースが縁取られていた。 彼女の服はこの村で仕立てられたものではなく、いつも遠い街でオーダーされていた。新調するごとにクラス中の女の子達からは羨望の眼で見つめられる。 こういう整った顔立ちはただでさえ、冷たい印象を与えてしまう危険性がある。ましてや今は不機嫌なので声を掛けるにも遠慮してしまいたくなるほど怖い。 「…どうしたの? リーア、さっきから難しい顔しちゃって…」 幸い、今となりを歩いているフェリスはおおざっぱな性格である。彼女の不機嫌さに躊躇することなくズケズケと平気で聞いてくる。となりの友とは対照的にそばかすだらけの人なつっこい笑顔だ。この村の典型的な娘の容貌である。着ているものもシンプルなブラウスに無地でくるぶしまでのスカート。 「別に、何でもないわ」 そう言いながら彼女…リーアは抱えた教科書を胸の辺りでしっかり持って、かろうじて自分の中の感情を押し殺していた。少し乱暴な足取りだったので長いスカートの裾が広がり、中に付けているペチコートが覗いた。幾重にもレース縫いつけたこの下着だけでも村娘達の10着分のワンピースが買えるのではないかと思われる。
学期末の試験の結果が発表された。父親…雑貨屋の主人をしているオルフェインがいつもに増して憂鬱そうな表情でリーアを見た。 「…何だ、この成績は」 普段は口うるさく言わない寡黙すぎる父だったが、今回は違った。学年で最下位から…10番目の算術の成績。これを見たら彼がどんなにか気分を害することか…リーアには分かっていた。 一応、雑貨屋の一人娘である。母親は数年前に亡くなり、今は父親が1人で店を切り盛りしていた。一般の教育課程を終了したら都会の大学には進学させず、婿を取って店を継がせようと父親が考えていることは知っていた。店の経営のために算術の知識が不可欠であることも分かっていた。 …しかし一方で。自分に算術の能力が欠けていることも承知している。それでも小等部の頃の易しいものならどうにかなった。今の教科書を開いてもミミズの行列にしか見えない。 「ごめんなさい…」 「次は頑張りますから…」 その言葉にオルフェイン氏の右眉がピクッと上がった。 「…次は、次は、と…お前の言い訳はもう信用できない」 リーアは身の置き所もなく、ひたすらうなだれた。 「…で、アレクに頼んだあるから、ポリスの帰りに2時間くらい、来てくれることになった」 「…えっ…?」 「頼んだって…何を?」 「決まっているだろう」 「お前の家庭教師を、だよ」 「……」 抗議しようにも言葉が出なかった。 あの男が?
リーア親子もよそ者であるが、アレクは自分たちより半年ほど後にこの村にやってきた。 何日着替えてないのか分からないぼろを着込んで、栄養の足りないため痩せこけて衰弱した姿。目を背けたくなるような5人の子供達の中にいた彼。 やつれて窪んだ眼が鋭い光を放ってこちらを睨んだ。ダークグリーンの燃えるような瞳が自分たちを蔑んでいる者達への挑戦のように見えた。 怖かったのではない。 みすぼらしい身なりの孤児達が中央広場にいる、と聞いて面白半分にやってきてしまった自分は人間的にとても恥ずかしいことをしたのではないか。
2,3日して父親が、「手伝いを雇う」と言った。それがまさかあの彼だったとは。 村人の好意で古着をもらい、身を綺麗に整えた彼は見違えるほど美しい。 …まるで美術館で見た古代の彫刻のような彫りの深い顔立ち。すっきりとおった鼻筋に上品な口元。長いまつげの下に憂いをたたえた湖の如く双の目がある。ダークブラウンの綺麗な巻き毛が肩の下まで伸びて、柔らかく彼の輪郭を縁取った。 リーアはその姿を見て、言葉に詰まった。余りにも完成された美しさに声を掛けることも躊躇したのだ。 それは幼い頃から「美少女」として周囲の人々から褒めちぎられていた自分にとって信じられない事だった。 呆然としたリーアを一瞥した彼は、顔色も変えずさっと向き直った。 「ご主人、何から始めたらいいのでしょうか…?」 リーアにとって、それは屈辱の他のなんでもなかった。自分を見て顔色を変えない男が存在するなんて…大抵の男は自分を見るなり食い入るように熱い視線で見つめるか、あるいは恥ずかしそうに目を逸らしてからこっそり盗み見る。リーアという美しい美術品を眺めずにはいられない、と言う感じだった。その視線が彼女は嫌いではなかったし…周囲の友人達の中でも優越感に浸ることが出来た。村を歩いていてもいつもどこからかの視線を感じた。 「何…? この男…」 心の中で舌打ちする。私の美しさに気付かないのかしら? それともナルシズムで自分の美しさに酔っていて、周囲に無頓着なのかしら?
毎朝、彼は定刻丁度に出勤してくる。リーアが学校に出掛ける時間だ。 「お早うございます、お嬢さん」 「お、おはよう…いいお天気ね…」 会釈をしたときに巻き毛がするりと彼の肩を流れる。それを関節のはっきりした大きな手がゆっくりとかき上げる。
リーアですら目をそらせないほどの美少年を村の娘達も放っておくわけはなかった。自分の誕生日のディナーに誘うもの、村祭りのダンスのパートナーに立候補するもの…季節の花を見に行こうと誘い出すもの…もちろん彼女たちはリーアの家にも直接、訊ねてきた。丘の上の小屋に行くより、勤務中の彼を呼び止める方が容易だったのだ。 だからリーアは始終、ヤキモキしていた。その感情が生み出されること自体にもイライラしていた。 アレクは自分のことも仕事場の主人の娘としてしか見ていない。他の男達のように色めきたった眼で見たりしない。…馬鹿にしている…! 年上の女達が色仕掛けに胸元の大きく開いたドレスで誘うのすら見てしまった。そんな彼女たちを心底軽蔑する一方で、羨む気持ちが自分の心に芽生えていることに気付かない振りをした。
…幸い…アレクは誰の誘いにも首を縦に振らず…いつもやんわりとした態度でかわしていた。 「結局彼は…あなたに気があるんじゃないの…?」 「リーアの方から誘いかけてみたらいいのよ」 無邪気な発言。彼らの言うこともあながち外れてはいないかも知れない…。しかし、礼儀としてしか自分に話しかけることのない彼の本心が何処にあるか何て分かりっこなかった。 それに…。嫌だった。自分から誘うなんて…万が一、無下に断られたら情けない。自分のプライドがそれを許さなかった。
店に来て丸1年が過ぎた頃…彼は国家の警察機関である「ポリス」の隊員に推薦され、そちらに移った。店にいたときのように頻繁に顔を合わせることもなくなって、正直ホッとした。…でも…その倍くらい寂しくなる。 同じ村に住んでいるのだ、すれ違うこともある。狭い村で雑貨屋はリーアの家だけだから、買い物に寄ることもある。白地に濃いブルーでラインの入ったポリスの制服を美しく着こなす彼は皆の注目をさらに集めた。情けないことにリーア自身も余りの美しさに凝視するのを憚るほど。
ほんの数日前。 川辺に1人佇むアレクを見たときは呼吸すら止まった。日差しにくっきりと浮かび上がった横顔の美しい輪郭線…すんなりと伸びた手足は白い制服に包まれていたが日頃の訓練で鍛えられたたくましい体躯がその中にあることは容易に想像が付く。彼の視線は遥か前方を見ていたので、リーアは見つめていることに気付かれずにすんだ。柔らかな髪が風にふわりとなびく。 知らず、鼓動が高鳴る。 その時、彼はくるりと視線をこちらに向けた。 「…やあ」 そのままこちらにすたすたと歩いてきたときはどうしようかと思った。きっと顔が真っ赤になっていただろう。 「な…何!?」 アレクはそんなリーアを不思議そうに見つめた。 自然な手つきでふわっとスカートを整えられた。 …ペチコート、見えていたんだ!! さっき、立ち上がったときちゃんと整えたはずだったのに、大きいりぼんにスカートの裾が引っ掛かって、レースのペチコートが丸見えになっていたらしい。 「君は、誰に見られているか分からないんだから…気を付けなさい」 リーアはその場にへなへなと座り込んでしまった。
…そんなことがあったばかりなのだ。彼に会うのは遠慮したかった。
「…今日は寄り道しないで戻ってきたみたいだね」 「あ…父さんは…?」 「…さっき、酒屋の主人が呼びに来て、出ていったよ」 「…今日は、早いのね」 ポリスは4時半までの勤務のはずだ。今はまだ3時過ぎ…引けるのには早すぎる。 「ご主人に泣きつかれちゃったし…自主練習だったから抜けてきたんだ」 「そう」 さらりとした受け答え。別に自分に会いたくて早く来たわけではないのだ。父に頼まれたから、こうしてやってきただけなのだ。分かり切っていることなのにひどく落胆した。 「さあ、早いとこ、終わらせよう…君は理解力はあるんだから、練習問題をたくさんやってやり方を覚えるしかないと思うんだ。リードやキャシーにやらせている問題があるから、とりあえず宿題も置いていくよ」 彼の弟や妹も彼同様に働いている。従って学校に通う暇もないのでアレクと兄のロッドが2人で勉強を見てやっていると聞いた。 隣に座るとアレクの香りがした。嫌な匂いではない…むしろ誘われるような甘さが秘められている。胸の鼓動を隠しながら、リーアは計算問題に集中する振りをした。
「…今日はここまでにしておこうか」 「お紅茶を入れてくるから、飲んでいって」 「…あ、そうだ」 「君に…渡すように頼まれて…」 「これ…?」 「ポリスの先輩に頼まれたんだ…今日ここに来るって言ったら」 リーアは情けない面もちになった。 軽い怒りを込めて、その場で封筒を2枚一緒に破り捨てた。 「…何をするんだ!?」 「ひどいじゃないか、これは…」 「あら」 「だって、こんなの…中身を見なくたって、分かるもの。大体、読んだところですぐにゴミ箱行きよ!」 ぱあん!! 一瞬。何が起こったのか分からなかった。 信じられず、すぐにアレクに向き直る。 合点がいった。 「ひどいわ!! ぶつこと、ないじゃない!」 「…ひどいのは、どっちだよ」 2人の間で厳しいにらみ合いが続いた。 「君は…姿が美しいからと言って、天狗になっているよ」 「周りの男達がちやほやしてくれるから、当たり前みたいに思っているんだろう? …今のうちはそれでもいいだろう。でも彼らだって馬鹿じゃない、いつか君の本性に気付くよ」 それから怒りに満ちた表情のまま、素早く上着を翻した。 「…君のように見た目の美しさに思い上がっている人間はいつかその美しさが色あせて、醜い姿になるよ。…思い上がるのもいい加減にするんだな…」 そう言い捨てると、そのまま振り向きもせずに夜の闇が漂い始めた表通りを去っていった。
リーアは涙に頬を濡らしながら、しばらくは動けずにいた。 確かに。 アレクの言い分はとても正しかった。自分は思いやりに欠けていたと思う…だけど…。 「アレクだって、悪いのよ…」 「アレクが、悪いのよ…」 リーアは。 その時、初めて自分の怒りの正体を知った。
「ねえねえ、リーア…」 「今度の日曜日!! …イザベラの家でダンスパーティーをやるんですって!!」 「…そうなの…」 イザベラの家はこの村で一番大きいレイオスと言う酒場だ。宿屋を兼ねていて、大広間もある。ダンスパーティーだって開けるだろう。 「でね、私たちも招待してくれたのよ!!」 「…パートナーと一緒に、5時に来てくださいって!」 …だからか。 「…リーアは、いいわよね〜パートナーは選びたい放題!!」 「そんなじゃないわ」 この手の話題は今日は辛い。昨日のアレクの怒りに満ちた眼が脳裏に甦る。思い出すだけで背筋が凍るほどだ。 「私は、どうしようかなあ…」 「ごきげんよう…リーア」 彼女は素早くリーアの今日の服装をチェクするように視線を走らせた。陰湿なものでないにせよ、村の実力者の娘はリーアをライバル視していた。 「おはよう、イザベラ…」 「ダンスパーティーにお招き下さるそうで…光栄だわ」 「…そのことで…あなたに直々に…お願いがあるの」 「あなた、アレクを連れてきてくださらないかしら…」 「…え…!?」 「彼は今まで、どのパーティーにも参加したことがないわ…でも、今回はウチでパパが初めて私のために開いてくれるものよ。どうしても華が欲しいの…あなたとアレクが一緒に参加してくれたら…私としても鼻が高いわ」 「そんな…彼の都合も聞かないと…」 「あら!?」 「あなたが誘えば、さすがの彼だって来るに決まってるわ…素敵なドレスで来てね、期待しているわよ!!」 その声に皆が振り向く。 リーアは消えてしまいたい気分だった。
窮地に立たされる、と言うのはこのことかも知れない。 「それに…自分から誘うなんて…」 もしも。 アレクの方から誘われたのだとしたら…自分はどうするだろう…馬鹿馬鹿しいもの思いだ。彼が自分を誘ってくれること何てありはしない。もしそう言う気ならば、出逢ってからのこの3年間にどれくらいの機会があったのだろう? 大きく溜息を付く。 あんな風に…イザベラに言い渡されては…他の男の人を連れてはパーティー会場に足を向けられない。 それ以前に。 リーアは自分の顔を両手で覆った。 こうして瞳を閉じれば容易に想像が出来る。特上の笑みを浮かべて自分に手を差し伸べる彼…それに心からの微笑みで答える自分…うっとりするほどの光景だ。 …馬鹿みたい。 我ながら情けない。パートナーなんていくらでも立候補者がいるのに、どうして自分が望むのは手に届かない、決して振り向いてはくれない人間なのだろう…?
「…ただいま…」 「…お帰り」 「…アレク」 信じられない気分で立ちつくすリーアに、アレクの方はテーブルに肘をつき、困ったような表情で少しだけ微笑んでいた。 「…ごめん、僕…昨日は言い過ぎた…と、思う…」 ポリスの隊員で腕も確か、とは言え、彼は秋祭りが終わった頃、ようやく15になる。まだまだ少年の面もちだ。 「…う…ううん…私の方が…悪かったんだから」 「…じゃ、今日の分、やろうか?」
今なら…言えるだろうか… 「ねえ、アレク。お願いがあるんだけど…」 リーアの話を一通り聞いたアレクはその表情を少しも変えないまま、きっぱりと言った。 「悪いけど」 「僕は行かないから…他の人を誘ってくれる?」 …思った通りだ。 「…どうしても…駄目なの?」 「いくら言われたって…駄目なものは駄目だね」 「そんな…」 リーアの唇は震えていた。俯くと鳶色の髪がするりと流れる。柔らかな明るい輝きを持った髪。 「…私、待っているから…」 「日曜日…きちんと支度をして…あなたが来るまで…待っているから」 「行かないって、言っているだろう?」 「あなたが、来るまで…待っているわ、絶対…」 ぽろぽろと涙が頬を流れ落ちる。情けない姿だろう…こんなに拒絶されて、尚もすがって泣くなんて… そんなリーアを呆然とした顔で見つめていたアレクはやがて静かに言った。 「本当に、ごめん…無理だよ」
日曜日。 リーアは髪を高く結い上げると、新調したばかりでまだ袖を通してなかったドレスを着た。薄紅色のふわふわした柔らかな布地で幾重にも重ねられている。大きく開いた襟元から大輪の花びらのように見頃にひだ飾りがかかる。すんなりと伸びたリーアの二の腕がそこから覗く。この色はピンクや水色とは異なり、着る人を選ぶがリーアはその選ばれた人間だった。襟元が開きすぎて恥ずかしいので共布でリボンを作り、首に巻くようにした。 時計を覗く。…今日何十回目だろう… 針は4時半を指していた。出掛けるなら…そろそろかも知れない。 「こんにちは…」 店先で声がする…お客さん…? ドレス姿のまま出てみると、そこにいたのはアレクの同僚であるレイフだった。セーターにスラックス、と言うラフな格好だ。 「…お届け物を…預かって参りました」 「何…? これ…」 …綺麗に流れる書き文字は…誰が書いたのか、ひと目で判別できた。 『…お招きに参上できずに申し訳ありません。今日は当直になります。私の友と素晴らしい時間をお過ごし下さるように…』 サインなんて見る気にもならなかった。 リーアは黙って俯いた。小さな紫の花びらに次々に水滴がこぼれる… 「可哀想に、ね…」 「…本当はさ、俺に正装して君をエスコートするように言われたんだ。でもさ、それは駄目だなあと…」 「アレク…そんなに私のことが嫌いなのね…たった一度のパーティーのパートナーにすらなりたくないなんて…」 キリ、と唇を噛む…血の味がした。世界中の人に背中を向けられたような寂しさがまとわりつく。 「…それは、違うと思うよ…」 「あいつさ、今日の午前中…非番だったから、それを探しに行ったらしいんだよ。森の奥の…人目に付きにくい所にあるんだ。結構、足場も悪くてね…普通は行く気にならないだろうね…」 「……」 「あいつも…何か、考えがあるんだと思う…君の申し出を受けられないこと…どうか責めないで」 「そんなこと…言ったって…」 今更、パーティーなんてどうでもいい。アレクがエスコートしてくれないなら、どんな素晴らしい場所だって行きたくはない。クラスのみんなに何と言われようが、構った事じゃない。そんなのは慣れっこだ。 …でも。 「…ちょっと! …リーア!?」
時計は11時を指していた。 当直室は狭い一室で仮眠用のベッドと小さな机があるのみだ。まだまだ夜は始まったばかり。 レイフは…上手いことやっただろうか… そんなことを考える。レイフがずっとリーアに好意を持っていたことは薄々感づいていた。表だって言われたわけではない。でも言葉の端々からそれを感じることが出来た。 彼なら…リーアの相手としてふさわしいだろう… レイフは馬屋の総領息子だ。彼の家は裕福で村人からの信頼も厚い。彼自身の人柄も言うことはない。よそから流れ着いた得体の知れない自分を本当に大切に思ってくれているのだ。 その時、外からノックの音がした。 「はい?」 「レイフ…」 「どうしたんだ…? …お前、パーティーに…」 「…リーアがいなくなった」
夕方、家を飛び出したまま、行方知れずになってしまったリーアを村人が探し出したのは夜半になってからだった。 「…レイオスに行ったものとばかり思っていて…まさか、あんな話になっていたなんて…」 「あんな話って…?」 「レイオスの娘の…イザベラは君をパーティーに呼び出すようにとリーアに言ったそうなんだ…多分、それが無理だと分かっていてね。リーアのことを快く思っていなかったようで…パーティーから彼女を閉め出す計算だったんだな…」 「そんな…」 初耳だった。 「今…皆が探しているんだけど…後残っているところは…森の奥だけで」 「森の、奥?」 「この雨で増水して橋が落ちているんだ…若い女の子が夕まぐれから行くような場所じゃないから…あそこじゃなければいいんだけど…」 季節を間違えた野スミレが咲き乱れる場所…その場所への抜け道をアレクは知っていた。山の奥の道で迷いやすく、普通の人には歩けない。アレクにはその手の土地勘があった。 「…行ってくる…」 「気を付けて!!」
…止まないかなあ… リーアは山のすその横穴で呆然としていた。後先考えずに走ったらこんな所まで来ていた。戻ろうにも道が分からず、気が付いたら真っ暗、ついでに雨まで降り出していた。 …情けないな… そう思いながら手にしたブーケを見つめる。 こんなもの、どうして持って来ちゃったのかなあ… 雨に打たれる野原一面に紫の花は咲き誇っていた。それなのにひとつかみほどのこのブーケは自分にとって何ものにも代えがたいものだった。 アレクが、自分のために摘んでくれたものだから… 花束なんて何度も貰っていた。それらは高価な薔薇や百合をふんだんに使ったもので、豪勢なもの。
…ふっと、意識が遠のく。身体が冷たい。10月にこんなに薄着で雨に打たれたからだろう… …少し…眠りたい… リーアはその瞼を閉じようとした。
「…ア、…リーア!?」 鼻先の当たりに自分以外の人の気配を感じる、誰かの両手が自分の頬を包み込んでいる。 「…アレク…」 「はあ〜〜〜〜っ…」 次の瞬間。 「…なんで、こんな所まで来るんだよ」 「…知らないわ」 「気が付いたらここまで来ていたのよ、理由なんてないの」 「オルフェインのお嬢様がこんなに活動的だとは思わなかったよ…」 すっと、視線が合わせられる。彼はポリスの制服を着たままだった。そこら中に泥や木の葉が付いている。 「…ごめん」 「イザベラのこと、聞いたんだ…僕を連れ出すように言われたんだって? 僕が行かなかったから…パーティーに出られなかったんでしょう…」 申し訳なさそうにダークグリーンの瞳が揺らめいている。 「…別に…パーティーなんて…どうでもいいの、行きたくもなかったの…」 「…でも…そんなに、…」 「…これは…パーティーの為に、じゃないもの…」 「アレクに…見せたかったから…」 綺麗だ、と思って欲しかったから… そっと上目遣いに覗くと、アレクは困ったような表情で額に片手を当てていた。 やがて、彼は髪をかき上げて、片膝を立てると座り込んでいるリーアにすっと右手を差し出した。 「…踊りましょうか…? お姫様…」 「アレク…?」 いつの間にか、雨が上がって月が雲間から顔を出していた。 「ほら…」 アレクの顔を月灯りが照らし出す…陰影を際だたせたそれは月の使者と見まがうようだった。微笑みをたたえ、自分を見つめる瞳に胸の高鳴りは押さえられない。リーアは真っ赤になって俯いてしまった。 「あの…私…、ダンスはあんまり…踊ったことなくて…その…」 「じゃあ、リードしてあげる…ついてきて…」 「駄目じゃない、もっと身体の力を抜いて…ほら右に3歩…」 どうしてこの人は…今までダンスパーティーに出なかったのだろう…もしも出ていれば、みんなを今まで以上に魅了することが出来たのに。 アレクのリードに逆らわないようにその動きに身を任せると自分が急にダンスの達人になったかのような錯覚を覚える。羽が生えた様に身体が軽かった。つま先で軽くステップを踏む。 自分とアレクの姿が月灯りに浮かび上がる。 その様が見えて来る気がする。夢のような光景…なにより、アレクの信じられないほどの優しい視線に心ごと吸い込まれていくようだ… どうして、この人が…これはもしかして…私は自分に都合のよい夢か幻想を見ているのではないだろうか。 するりと。アレクの肩に置いていたリーアの左手が滑った。 「…危ない…!」 「…きゃ…!」 「ご…ごめんなさいっ…!」 でもそれはほんの一瞬だった。 次の瞬間、リーアは再びアレクの胸の中にいた。 …え…!? 一体何が起こったのか、自分でも分からなかった。 「…ごめん…」 「僕…パーティーには出席できないんだ…ロッドがそう決めたから…」 「え…?」 「こうやって…人前で君と踊ることも…出来ないんだ」 …どうして? と聞いては行けない気がした。 「僕たちは孤児だし…自分の生活を守るだけで精一杯で…君には気の利いたプレゼントのひとつも贈れない」 アレクの腕が小刻みに震えている。 「それでも…それなのに、君を独り占めしたいんだ」 この言葉…リーアにはにわかには信じがたかった。 そんな…まさか。都合のいいことが起こるわけはない。 「アレク…」 今自分はどんな表情をしているのだろう…間抜けな川魚が呼吸困難に陥って口をぱくぱくさせているような滑稽な姿ではないだろうか…。 「君が…いつか誰かの誘いにのって…他の男のものになるなんて考えたくなかった」 それは、私が思っていた事よ…そう答えることは出来なかった。 話そうとした口元にアレクの熱い息がかかり…そのまま塞がれてしまったから。 静かに瞼が閉じていく…この世の幸せを独り占めしてしまうほどの幸福感が今、リーアに舞い降りていた。 |
fin(2001,10,1)
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…本編では話の冒頭から恋人同士の2人、アレクとリーア。2人のなれそめは一体、どんなんだったのかなあと妄想してみました。格好マンで歯の浮くようなセリフがバシバシ出てくるアレクも最初はこんなに不器用で奥手さんだったのです!! この頃、私が書くものってみんなこんな感じですね〜「大丈夫!?」と自分で突っ込んじゃいたくなります。
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