…「秘色の語り夢・沙緒の章〜外伝」…

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 屋敷は表庭に面して、幅の狭い敷地のぎりぎりにまで立てられていた。

 さらにその脇を固めるように鬱蒼とした木々が小山のように迫っている。屋根ばかりが立派で不格好なほどに高く、頭でっかちな見た目がその建物を実際以上に貧弱に見せている。脇の木々はそのまま裏の山までびっしりと続いており、その向こうにある全てをかいま見ることも出来なかった。
  使われている木材も古く、ところどころには隠しようのない節も見える。屋根瓦もあちこちが欠け、修繕もままならない様子だ。まあ、地域豪族の分所としては、十分な造りになっていると言えよう。表庭の造形も形ばかりで、植木もぼうぼうと伸び放題、その根元の岩には苔がびっしりと生えていた。全く目も当てられないようなみすぼらしい佇まいである。

 

 ――だからこそ、容易に外部の人間を欺くことが出来るのだわ。

 建物の脇から見れば、その屋根は奥まるに従って、次第に低くなっている。一番奥まった宮殿造りの対などは、その先に広がる風景と一体になってしまったように見えた。木々の枝が大きく羽を広げたように取り囲み隠す秘密の住み処。そこに辿り着くまでの渡りも複雑な構造になっていて、方違え(かたちがえ)などで一夜の宿を借りる客人を通す入り口間近の部屋からは確認することが出来ない。

  こちらに滞在して半月ほどが過ぎ、燈花にも次第にこの屋敷のことが少しずつ分かってきた。夫である男が外出してしまえば、あとは気ままな時間となる。

  客人の予定もなければ、こうしてわずかばかりの供を連れて庭を散策するのも楽しみのひとつであった。表庭に出ないのであれば、衣を改める必要もないと告げられている。柔らかい芝草で覆われている地面は、垂らしたままの髪で衣を引いて歩いても構わないほどだ。
  行く先々で、すでに顔なじみになった下男たちが頭を下げる。いつも似たような顔ぶれであることから、この館の使用人は思っていたよりもかなり少ないのではないかと思い始めていた。まあ領主の館でもないのだから、そう多くの人手は必要ないのであろう。
  侍女の数も両手で数えられるほどで、燈花の衣装替えの時などは館中の女衆が奥の対に集まってきていると言っても言い過ぎではない。もちろん、先の婚儀の宴の折りには他の館からも応援が来ていたに違いないが。

「盛りを過ぎた御庭とは申しましても、美しいものですね。水場の草がとても涼しげですわ」

 傍らに控えるいつもの侍女の言葉に、燈花は静かに頷く。春の庭「青龍」をゆっくりと進んでいた。精悍としてりりしい趣の「朱雀」と比べると、こちらは全てが柔らかく見る者を和ませるしつらえになっている。緑の葉を揺らし頭上に影を落とす天寿花、花の盛りにはどんなに見事な姿を見せるのであろうか。静かに音を立てて流れていく遣り水に、ひらりと落ちた一枚が漂っている。

「そうね、とても優しげな雰囲気だわ。女子(おなご)の顔をしているみたい」

 背後にある対は、まだ柱の木目も新しく建てられて間もなくではないかと思われる。あのように急に決まった婚儀であったのだから、まさか燈花の輿入れのために準備されたとは考えにくい。それに、庭の方は長い時間を掛けなければこれだけの見事なものにならないであろう。ここの館の先代はかなりの趣味人であったと思われる。そこに燈花の夫となった夏月が受け継ぎ、さらに手を加えさせたのだろう。

 このように誰からも咎められることなく庭を歩くことは、大臣家の館にいた頃は決して許されることではなかった。大臣である兄は燈花が人目に触れることを忌み嫌い、庭師が奥の対の手入れに来たときなどは、夏の盛りであっても戸を立てた部屋に閉じこめるほどの念の入れよう。特に美しいとされている大広間に面した中庭などは、年に一度か二度渡りを足早に通り過ぎながら眺めるに留まっていた。
  自室の表のささやかな庭ですら、お付きの侍女頭の許しを得なければ出ることを許されない。それも三度に一度、渋々と承知されるに留まり、心ゆくまで楽しむことなど期待することも出来なかった。

「まあ、……珍しい。お方様、どうぞこちらへ」

 少し前を歩いていたもうひとりの侍女がそう言って手招きをする。指さされた方を覗けば、花がすでに終わった低木の枝先に緑色の指先ほどの実が付いていた。

「天真花の実にございますよ。ご承知の通り、天真花香の原料はこの木の根になります。このように立派に実を結ぶことは本当に稀にございますわ」

 明るくはしゃぐその者は、夫とは乳兄弟として幼い頃から共に育った間柄だと聞いている。かなり親密な関係であるのは明らかで、正妻である燈花の前でもそれを気にする素振りもない。ふたりが軽口をたたき合って声を立てて笑う姿を眺めながら、やはり心穏やかではいられなかった。

 ――もしや、あの女子こそが夫の愛妾なのではないかしら?

 その侍女だけではない、どの女子を見てもそんな風に思えてきてしまう。この館の者は皆、自分を女主人として温かく迎え、心をかけて尽くしてくれている。かゆいところに手が届くほどの柔らかい心遣いで、兄の館にいた頃には到底望むことの出来なかった安息を得ることが出来た。有り難いことだと思う、だがそうは思っても、未だその存在も定かではない女子のことを気に病まずにはいられない。
  初めからあのような男に捧げる愛情など、ひとかけらも持ち合わせてはいなかった。汚らわしい腕の意のままにならず過ごせることは、かえって幸いであると言えよう。そう何度自分に言い聞かせようとも、胸騒ぎは止まらない。

「そんな……、香りもない実など何の価値もないでしょう。そのように大袈裟に騒ぎ立てるのは見苦しいわ」

 ついつい、きつい口調になってしまう。言い終えたときに、ぎりりと噛んだ唇から血が滲んできた。きっとこの女子も呆れているに違いない。このように親しげに接していても、腹の奥では自分を大臣家の鬼姫として嘲笑っているのだ。ああ、口惜しい。どうしてこのような仕打ちを受けなければならないのだ……!

 

 使用人の裏切りなど、今更いちいち心を乱すまでもない。幼き頃から、心を許した者にある日突然手のひらを返されることなど、当然のこととして受け止めてきた。

  早くに生母を亡くした燈花はである。幼く甘えたい盛りに心を預ける相手を始終求めていた。もちろん乳母もそのひとりには違いなかったが、この者はかなりの年配である。しつけにも厳しい人であったので、いつも何を咎められるかとびくびくしながら接しなければならなかった。それではおよそ、心安らげる状況など望めない。
  麻奈(あさな)という侍女がいた。聞けば貧しい里より口減らしでこちらに上がったのだという。燈花よりは十ほど年上であったが、とても美しくそして優しい気性の持ち主で姉のように慕っていた。もともとは田舎暮らしであったために、いつでも控えめで他の侍女にありがちな傲慢さは微塵も感じられない。乳母から叱られて泣いているときにも、温かい言葉で慰めてくれた。
  しかしある時に、彼女の無垢な美しさは燈花の元にご機嫌伺いに訪れた兄の目にとまる。すぐさま閨に召され、いつしか愛妾のひとりと数えられるようになった。さらに強運なことに、彼女は兄の子を身ごもったのである。
  幼かった燈花にそんな大人の事情など分かるはずもない。急に側からいなくなった彼女が恋しくて、毎日涙に暮れた。どんなに会いたいと訴えても、周囲の誰も聞き入れてはくれない。とうとう思いあまって皆の目を盗み、向こう対まで忍んで行った。そして与えられた部屋に暮らす麻奈を探し当てたのである。
  しかし、ほんのしばらくの間に優しかった侍女は変わってしまっていた。彼女は燈花の姿を一目見るなり、何か汚らわしいものでも見つけたかのようにつんと横を向いてしまったのである。

「なあに、あなた。ここは私の部屋よ、断りもなく入らないで頂戴。人を呼びますよ、早くどこかにお出でなさい……!」

 信じがたいことであった。その言葉を耳にしても、すぐには反応出来ず途方に暮れてしまう。しかし、この目の前にいるのはかつての恋しい侍女に間違いない。目元にある小さなほくろ、少し訛りのある語尾までが懐かしくてたまらなかった。思いあまって泣き出したときに、ぱたんとふすまを閉められる。すぐに騒ぎを聞きつけた他の侍女に見つかり、部屋に連れ戻されてしまった。

  話はそれだけでは済まない。さらに兄嫁からは「あなたがふたりの仲を取り持ったに違いない」と決めつけられ、大勢の侍女の前で口汚く罵られた。そんなときにも誰ひとりとして自分をかばってくれる者はいない。皆遠巻きに眺めるだけで、側に寄ろうともしないのだ。
  忌々しい限りであった、皆呪われてしまえばいいと思った。自分はやがて竜王妃となる身の上。誰もが認める殿上人となったら、今まで自分を苦しめた全ての人間を厳しく罰してやろう。泣き叫んで許しを請うても、誰が耳を貸すものか。必ず思い知らせてやる、それまでの辛抱だ。

 

 ああ、何ということであろう。気分の良かった野歩きも、ふと浮かんだ昔の記憶で台無しになってしまった。そうよ、笑えばいいわ。思う存分罵りなさいよ――そんな自虐的な想いまで浮かんでくる。今やただ人の妻になってしまった自分には、もう輝かしい未来はない。
  西南の大臣である兄が、腹の底に新たな野望を滾らせているのは知っている。その時が来れば、自分は再び「駒」となり、新たなる戦場へと出向くことになる。刃や矢が飛び交わなくとも、人の住まう世はどこも殺伐とした荒れ野なのだ。どんなに美しく着飾り張り付いた笑顔や言葉で偽っても、その心の汚れまでは隠し通すことが出来ない。

 今に夫も、夫が愛した女子も、みんなまとめて奈落の底に突き落としてやる。このように軽々しく扱ったことを必ず後悔させてやるのだ。今に……、今に見ているがよい。鬼姫と呼ばれるからには、その名に恥じぬように振る舞ってやる。だから耐えるのだ、その日まで。

 

「綺麗な色の紅ね、そのようなお色が殿方を惑わすのかしら……?」

 何気ない素振りでそう訊ねてみれば、明るい侍女は声を立てて笑う。

「嫌ですわ、お方様……! 何故、そのようなことを仰るのでしょう。御館様のあなた様へのご寵愛ぶりにあてられているのは私たちの方ですわ」

 澄んだ瞳には一点の濁りもなく、明るい日の下でキラキラと輝いている。そこに闇を落とすのは間違いなくこの手なのだ。待つが良い、その日を。そう思いつつ、燈花もにっこりと微笑み返していた。

 

◆◆◆◆◆


「今宵は天の輝きがひときわ美しい、こうして宵から戸を立ててしまうのはもったいないことだと思いますよ?」

 夕餉を終え、膳と共に侍女たちも渡りの向こうに下がらせてしまうと、男はいつものように陽気に声を掛けてきた。そして一度ぴっちりと閉じた戸を、またガラガラと開けてしまう。その言葉通りに天全体が黄金に輝き、数えきれぬほどの光の帯がゆらゆらと地上に降り立っていた。くっきりと陰影をつけた庭が昼間とは趣を変えた姿でそこにある。

「ご覧なさい、ほらあちらの草陰に……美しいでしょう?」

 指し示す方向をふと見やれば、遣り水のほとりからふわふわと無数の光が湧き上がっている。小さい小さい炎が揺らめき、やがて闇の向こうに消えていった。

「蛍の放つ光は求愛の言葉だと申します、あのように美しく想いを告げる姿は見る者の胸を打ちますね? 彼らは声もなく、ただひたすらに我が身を燃やすことで伝えようとするのですから」

 当たり前の下男の装束から元通りに美しい衣装に着替えた男は、ゆったりとした動きで縁に出て、そこにあぐらをかいて座った。庭先から静かに気が流れ込んでくる。彼の垂らしたままの髪が柔らかく舞い上がった。

 ――馬鹿みたい。早くいつもの方の元へお出でになればいいのに。

 毎晩夜更けまでこのように無駄な時間を過ごす男を、燈花は心底忌々しく思っていた。きっとどこかの離れ庵でこの者の到着を待つ女子は、こちらがいつまでも引き留めて離さないのだと思っているに違いない。イライラしながらも、それを口にすることはついに出来なかった。もしも、ひとことでも告げれば、その時は自分の負けになる。ここは耐えるしかないのだ。

「そのように怖いお顔をなさらないでください。今夜は……あなたへの贈り物があるのですよ。本来ならば、ご到着にあわせてお目に掛けたかったのですが、少し作業の方が手間取った様子で。――こちらを、ご覧なさい?」

 男は障子戸の向こうから布の掛かった幅広のものを運んでくる。人ひとりが横たわっているよりも長く見えるそれは、やがて静かに燈花の前に置かれた。

「……あ……」

 濃い紫の布が男の手で取り払われ、燈花は軽く叫び声を上げた。

「集落一番の作り手の仕事です。西南の集落はこの通り木々の多い土地ですから、このような見事な品が出来るのです。ほら……立派なものでしょう。このように木目が細いのは、木肌が詰まってしっかりしている証拠なのですよ? 長い時をかけて丁寧に作られた一級品です」

 現れたのは、楽器と言うよりはまるで美術品のような一張(ひとはり)の琴であった。

 美しい木目はまるで涼やかな清流の流れを思わせる。その流れの浮き沈みする桜の花びら。向かうだけでうっとりと見入ってしまうほどの素晴らしい仕上がりであった。すでに弦も張られ、手入れもすっかりと終えているらしい。もしも今この手でつま弾けば、さえざえとした音が辺りに響き渡るであろう。

「せっかくですから、早速お手慣らしになったら如何ですか? あなたのお琴の腕前は相当なものであると聞き及んでおりますが。夫として、是非に拝聴したいものです」

 その口元に微笑みを浮かべながら、男は語りかけてくる。静かな胸にしみいるようなその声に、しかし燈花の心は頑なに閉ざされていった。

「――お聴かせ出来るほどの腕はございませんわ。夏月様はわたくしに恥をかかせようという腹づもりなのでしょう……?」

 艶めかしい輝きに触れてみたい欲求を、必死で押しとどめる。両の手をぎゅっと握りしめて、燈花は湧き上がってくる怒りを抑えた。

 

 この男もとっくに承知しているはずだ、琴に対する大臣家の末姫の醜聞を。知っているからこそ、このようにあからさまなやり方をするのだ。そう思えば思うほど、新たな怒りがこみ上げてくる。

 派手好きであった兄は、折に触れ集落の者たちを集めては宴席を設けるのが好きである。そのような場には雅な余興が不可欠であるが、燈花も琴の奏者としてたびたびその腕前を披露してきた。将来は竜王妃となるべく育てられた深窓の姫君の登場に招かれた人々は我先にと身を乗り出す。竜王様も雅楽には広く長けていて特に琴の腕前はその道の名人をもしのぐほどだと言われていた。

 ――しかし、である。

 兄は決して人前に燈花の姿を晒すような真似はしなかった。彼は大切な「駒」としての妹姫が他の男の目に留まり間違いが起こることを何よりも恐れていたのである。そのような杞憂から、宴席と燈花の間はぴっちりと御簾で閉ざされ、ゆらりと揺れる影でしか人々は彼女の存在を知ることが叶わなかった。
  確かにその腕前は確かなものであった。だが、それがかえって災いを生じたと言えよう。あまりに素晴らしい演奏に、人々は口々に囁き合うのだ、あれが本物の姫君であるわけがない。きっと替え玉の仕事なのだ……と。

 いつの間にか、燈花には他人の腕前を自分の手柄として賞賛を得ようとする厚顔無恥な姫君という烙印が押されていた。もちろん、皆兄の前では言葉を尽くして褒め称える。恐ろしい西南の大臣に楯突く覚悟のある者など存在しないのだから。噂は兄の知らないところで、広まっていった。
  もちろん兄の耳には入らずとも、当人である燈花の元にはすぐにその話は伝わってくる。自分の主である姫君の噂話を楽しそうに囁きあう侍女たち。耳を塞ごうとも、流れ込んでくる笑い声。もう二度と宴席には上がりたくないと思ったが、そんな妹姫の意向などあの兄が受け入れてくれるはずもない。大好きだったはずの琴の稽古もいつか嫌いになっていた。

 

「また、そのようなことを。……困りましたね、私に聴かせるのが惜しいと仰るのでしょうか。誠に残念なことです」

 失礼、とひとつ咳払いをしてから。彼は懐から横笛を取り出す。そして、くるりとこちらに背を向けて縁に腰を下ろすと、澄んだ音色を奏で始めた。

「……」

 燈花は信じられない面持ちで、夫である男の背を見つめていた。

 何と言うことだろうか、彼こそが稀に見る素晴らしい腕前である。流れる調べが広い対をゆったりと漂っていく。いつかその心地よい調べの中に心まで溶けていく気がした。たったひとりの奏者が生み出す旋律とは思えぬほどに、深く広がりがある音色。温かく、全てが満たされていく。

 そして。

 燈花の心の中にも、未だかつて聴いたことのない新しい旋律が鮮やかに浮かび上がった。笛の音に乗せて、それはあとからあとから湧き上がってくる。もしも今弦の上に指を置けば、すぐさまふたつの音色は豊かに共鳴しあうに違いない。

 ――否、どうしてそんなことが出来るだろうか。

 

 一頻りの演奏を終えた後、男は静かに元通りに戸を立てる。四角く区切られた空間をゆっくりと歩き、いつも通りに彼は燈花の前を通り過ぎていった。

 ……今宵も、お出かけになるのだわ。

その刹那。じわりと湧き出でてきた感情に、思わずハッと胸を押さえていた。……そんなはずはない、いつも通りせいせいするはず。どうして、このように……! 

 

 男が姿を消したにじり口。

 その戸を閉めて振り返ると、琴の傍らには先ほどの笛が静かに並べられていた。灯りを落とし、薄暗くなった部屋。仲間からひとりはぐれた蛍が、静かに静かに何かを求めてその上をさまよっている。幻影とも真実とも見えるその情景に、燈花はいつまでも見入っていた。


つづく(050629)

 

 


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