第2章 報道被害を引き起こす要因
1.警察とマスメディアの関係
犯罪報道による報道被害が起きるのは、警察とマスメディアとの間に癒着が存在し、マスメディアが警察側の一方的な情報を流すからだと言われている。新聞倫理綱領第4の「公正」の原則は、「非難されたものに弁解の機会を与える」ことによって、取材が一方的になってはいけないことを戒めたものである。逮捕されている容疑者本人からの取材が不可能であるならば、弁護士や友人の反論を取材したり、科学的検証をしたりすることによって、裏付け取材はできるはずである。それにもかかわらず、なぜ警察の情報だけに依存するのか。そのことを警察情報の入手の仕方から考えてみる。
(1)記者クラブ
犯罪記事は、記者クラブでの警察発表と呼ばれるものと、記者が個人的に一捜査官から捜査状況を聴くリークと呼ばれるものに、基づいて書かれる。記者クラブは警察だけでなく、政府など、日常的に情報を発信する公共セクターに置かれている。記者クラブはニュース・メディアの記者が情報収集活動を展開する拠点である。
記者クラブは現実的に取材機関である。ところが『記者クラブに関する新聞協会の方針』では、"親睦機関"であるという。そういう建前があることで、ますます排他性・閉鎖性・独占性が強まったと言われている。「親睦社交の場を乱す恐れがある」として、他のメディアの記者クラブへの入会を拒否するのである。しかも、情報源である警察や官庁などは、記者クラブに所属していない記者には概して冷淡であり、時に記者クラブの存在を楯にして、取材には応じられないとの弁解がなされる。
こうして他の記者たちを排除しているため,記者室は、記者クラブが占有している形である。その記者室は、上記の『方針』で、公共機関が「電話、机、椅子など記事執筆、送稿などに必要な施設を設け全新聞社に無償かつ自由に利用させる」となっている。情報提供側にしてみれば、記者の人数を絞り記者室を無償で利用させることによって、記者がその組織に都合の悪い情報を外部から入手しても、書きにくい状況を作っているのである。
また情報源の公共機関は、公式発表である記者会見や非公式に行う懇談のほかに、背景説明をするレクチャーや資料配布をして、記者クラブに情報を提供している。記者クラブの記者はまさに上げ膳据え膳のサービスを受けているのである。だが情報源からすれば、情報の増大はマスメディアや市民にアピールしたい情報を積極的に実質的価値以上に誇張して広報し、逆に知られると都合の悪い情報を隠したり、故意に歪曲したりすることができるのである。クラブ内で協定が結ばれ、情報源側が設定した公表日時まで記事化しない約束事もある。協定破りをするとクラブ内で違反社を制裁することがあり、「除名」といった厳しいこともあるので、ますます情報源の言いなりになる。
記者クラブを通しての警察の発表モノは、大きな事件は記事のリード部分、その他の記事でも頭出しに使われる。警察の発表は記事の大きさのわりに少ない。しかも警察の動きを警察自体が発表するものであり、後で警察発表を読んでもどうにでもごまかせる表現が多い。たとえ容疑者のように扱っていても、「参考人として事情聴取を行った」という具合である。
(2)リークによる情報
リークとは、公式発表の後の非公式な『懇談』や、重要人物と記者が個人的な付き合いで得られた情報である。犯罪報道の場合、仕事が終わった後で記者が個人的に一捜査官から捜査状況を聴いて得る情報のことを指す。犯罪記事で発表以外のものは、ほとんどリークによるものといっても過言ではない。
捜査員も記者自身もプライベートな時間帯に、プライベートな信頼関係を作って取材する。その信頼関係を築く方法などは『読売』が昭和61年に作り、新入社員に配った『ガイドブック警察回り入門』では、それは事件がない時にもまめに捜査員の家に行って顔つなぎをし、"手土産"に安物のウイスキーを持って行ったり、捜査員の結婚記念日や子供の誕生日をおぼえておくように、と勧めている。※1記者が手土産を渡し情報を得て、その情報を商売に使うということになるので、手土産の単価が安くても賄賂に近いものといえよう。
こうして、記者は警察の公式発表より詳しい情報を得るのであるが、非公式な場所で得た情報を記事や放送原稿にするときには、犯罪報道以外でも情報源を秘匿することが、日本の記者が守るべき鉄則になっている。しかし警察の公式発表を伝えた後に、何の断りもなく続けて書いたものも少なくなく、読者が警察の公式発表だと誤解してしまうことがある。
リークの情報源の秘匿というルールは、特ダネを引き出すこともあるが、逆に大誤報を招くことの方が多い。情報源である権力側がある問題・事件についての情報を前もってマスメディアに流すことは、市民の反応をみて物事を有利に展開するために使う手段、情報操作に使われる手段である。またリークは情報源を明らかにしないため、リスクを一方的に記者側が負う取材手段とも言うことができるのである。
(3)警察情報に依存する理由
マスメディアは公式発表やリークに基づいたものを報道するのであるが、どちらも警察の情報操作に使われる可能性があり、時として誤報や報道被害を引き起こす。それにもかかわらず、なぜマスメディアは警察情報に依存するのであろうか。
その理由の1つは、記事の締め切り時間に間に合わせようとしたり、マスメディア各社が他社より早く読者・視聴者に伝えようとして、警察情報の裏付け取材をする時間がないということがあげられる。
また、例え誤報・報道被害を引き起こして名誉棄損で訴えられてしまっても、警察の情報であれば免責されるというマスメディア側の思い込みがあるのではないかと思われる。刑法第230条に名誉棄損罪が定められ、同条の2には「前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない」と定められている。しかし真実の証明が難しいため、真実と誤信するに相当な根拠があれば認められる。先程の『ガイドブック警察回り入門』には、真実と信じるに足りる資料や根拠として、「たとえば警察の発表とか、当事者に直接取材したときの取材メモなどがこれにあたる」と書かれている。※2だが、最近の警察の公式発表は量的に少なく、言い方にも気を使っているものが多くなってきた。したがってリークが記事のほとんどを占めている。果たして捜査員が個人的に記者に話し、しかも情報源が秘匿されたものが確実な資料・根拠になるのか、疑問である。
(4)警察との密着の弊害
公式発表やリークによる情報を手に入れるための行動は、知る権利や取材の自由という権利の行使によるという態度でなく、警察から情報をお願いしてもらうという態度で行っている。そのため警察の情報操作にのりやすい。その現れの1つが、警察がらみの犯罪や警察の不法逮捕の報道である。容疑者である警察官は匿名で報道されることが多い。またオウム真理教が関与したとされる一連の事件では、信者たちを別件逮捕することが多かった。別件逮捕は不法なものであり、マスメディアはそれを批判しなければならないが警察寄りの報道をした。日常"権力を監視する"と自ら言っているにもかかわらずである。
報道被害をできる限り少なくするためにも、警察を監視するためにも、警察との距離をおくことが必要である。記者室を自分たちで管理・運営したり、警察以外の情報源を取材したりすることによって、はじめてマスメディアは"警察権力から独立し、市民の信頼を得る"ことができるのではなかろうか。
2.興味本位の報道と経済至上主義
興味本位の報道は、通常、週刊誌・スポーツ新聞・テレビワイドショーなどによる芸能人・有名人のプライバシーに関する報道に多い。しかし最近では、大きな犯罪事件やその疑惑が起きると、報道のワイドショー化・新聞の週刊誌化といわれる現象がみられる。なぜそういう現象が起きるのか。
(1)ワイドショーの報道化
興味本位の報道として歴史に残る事件、1980年代の半ばに起きた"ロス疑惑事件"がある。夫は85年9月に妻の殺人未遂容疑で逮捕されたが、その1年以上前から週刊誌・ワイドショーは保険金殺人の容疑者として報道したばかりではなく、ホモ疑惑や夫の性器まで写っている乱交パーティーの写真を流した。※3保険金目的の偽装殺人の容疑とこの乱交パーティーや他の情報とは直接関係がないにもかかわらず、強引に結び付けて発表したのである。
逮捕時には、警視庁玄関前に数百人の記者やカメラマンが並び、手錠・腰繩付きで連行される夫の姿を報道した。夫は人権侵害の救済を申し立て、東京弁護士会が報道機関に要望書を提出したので、新聞(一般紙)は短い記事で報道したが、写真週刊誌・ワイドショーは連行される姿を一部始終伝えた。この頃は、「犯罪報道の先頭にたっていた新聞が比較的抑制的で、最終段階まで報道戦争に加らなかった」。※4ものの、これ以降から、"スポーツ新聞の一般紙化""ワイドショーの報道化"といわれる現象がみられるようになったのである。
この後、週刊誌・ワイドショー等が伝えた大きな事件は、女子高生コンクリート詰め殺人事件、連続幼女誘拐殺人事件(89年)、松本サリン事件(94年)、つくば母子殺人事件(94年)などがある。警察の公式発表のほか、隣人の話、うわさ、プライバシーまでを暴き出し、"事件の異常さ"を強調して報道することがその特徴である。つくば母子殺人事件では被害者である妻のプライバシーまで事細かにさらけ出されていた。
(2)オウム報道と市民の反応
"ロス疑惑"の時新聞は比較的抑制的であったが、だんだんと報道戦争に加わる傾向がみられてくる。それが一気に表れたのが、95年3月22日からのオウム真理教に関する一連の報道である。
同日早朝から、捜査当局は目黒公証役場事務長拉致事件の容疑で、山梨県上九一色村などのオウム真理教関連施設を捜索し始めた。いかにも2日前の地下鉄サリン事件との関連を想像させるものであった。その一斉捜査以後、警察は信者・教団関係者を微罪で次々と逮捕する。明らかに殺人予備罪の容疑のための別件捜査・別件逮捕であったが、マスメディアはそれを批判することはなかったどころか、それを利用していたといっていい。通常微罪や別件逮捕は匿名であり、写真はむろん使用しないことになっている。ところが今回はテレビは言うまでもなく、新聞も微罪で逮捕されたのが一般信者でも実名報道、地下鉄サリン事件に関与したと推測される教団幹部の場合は顔写真・連行写真を載せ、「過去の経歴にまで踏み込み、はやくも極悪人の扱いの記述となった」。※5しかも新聞は当初、事件についての教団の言い分を掲載しなかった。記事の書き方も、今までは伝聞形式をとって客観報道を表してきたが、今回はあたかも自供・供述を取調室で聞いたかのように書いている。※6
またテレビは既存の番組だけでなく、特別報道番組を制作した。報道番組はワイドショーと同じく、ホラー映画のような恐ろしい効果音・センセーショナルなBGMや低音のナレーション、資料映像によって、"オウムの異様さ"を強調したのである。この人権無視の報道について、浅野健一は「10年前のロス疑惑報道も思い出しますが、さらにそのまた10年前、つまり20年前(松戸OL殺人事件や甲山事件)の報道のレベルに戻った」と語っている。※7
量的にも、地下鉄サリン事件から教団代表逮捕までの期間に掲載された記事数は、「朝日は約450本、読売は約1100本、毎日がおよそ350本(いずれも東京以外の各本社発行分も含む)」。※7テレビでは3月22日から5月末までの在京6局のオウム特番は、「夜7時から11時のプライムタイムだけで計76本。平均すれば、毎晩1本は放送されていた計算になる」。※8情報量からみても、戦後最大級と言っても過言ではない。これらの放送は高い視聴率を記録した。こうした大量報道について、日テレの氏家一郎社長は高視聴率をもとに「『各局とも同じようなことをやっているが、絶えず放送していることが視聴者のフラストレーション解消の手段になった』と分析して見せた」。※9
一方、市民はそれらの報道をどう評価したのであろうか。日本新聞協会研究所では、95年6月初旬に「第11回全国新聞信頼度調査を実施した際、付帯調査として「オウム真理教・阪神大震災をめぐる報道」に対する調査も行った。※10それによると、「興味本位の報道が多かったと思いますか」の質問では、新聞について『そう思う』は17.5%、『そう思わない』が81.9%、テレビについてはそれぞれ68.3%、31.5%となっている。市民は「テレビは興味本位の報道が多かったが、新聞はそれほどではない」と思ったらしい。また「報道される人のプライバシーや人権に気を配っていたと思いますか」との質問では、新聞については3分の2、テレビについては4割強が、『そう思う』と答えている。オウム報道の過激な時期に行われた調査なので、"悪者に人権なし"の風潮があったともよめる。
しかし、興味本位で人権を侵害した番組や新聞報道であるのには変わりなく、市民がそれを受け入れたということになる。逆に言えば、市民が人権侵害の情報を面白がって消費したため、マスメディアは市民の要求に応えたということにもなるのである。
(3)経営至上主義
フリージャーナリストの原寿雄氏は、87年の講演の中で、「経営至上主義の強まり」ということを取り上げた。原氏によると、「広告環境が悪くなると、ジャーナリズムより経営を優先させる、という傾向が」※11マスメディアにはあるという。NHKと共同通信社以外はすべて商業主義の原則で営まれている資本主義企業なので、企業の存続・維持のために経営を優先せざるを得ない。
また原氏によると、現代の社会は「理性的にものごとを考えるよりも、好きか嫌いか、かっこいいか、悪いか、という価値基準を優先してしまう」※12傾向がある社会という。こういう中では人々もマスメディアも感性に迎合してしまう。「ハードで真面目なものよりソフトでおもしろいものが選ばれる。人間に関すること、ヒューマンストーリーが好まれる。プライバシーを追求する傾向が強まり、個人生活の瑣末なできごとを取り上げ」※13るようになる。そのような報道は読者や視聴者のを目を引き、単純に部数を多くしたり視聴率をとったりするのである。
しかし原氏は次のようにも述べている。「憲法21条が保障しているプレスの自由は、経営の自由を保障しているものではない。…(中略)…現在のコマーシャリズムは収益優先の視聴率第一主義、部数第一主義である。経営者も労働組合もこの点を自戒しなければならない。プレスに特権的自由が与えられているのは、ジャーナリズムのためであって儲けのためではない、ということをあらためて、社会的に強調することがいま大切だと思う。」※14
以上、本章では報道被害を引き起こす要因として、警察とマスメディアとの癒着体質と、興味本位の報道を取り上げた。そしてその裏には、速報主義・経営至上主義というマスメディアの体質が見え隠れしている。しかしその体質は、常に市民のマスメディアに対する要望に応えようとするものでもある。したがって報道被害(特に犯罪報道によるもの)は、警察とマスメディアと市民の3者が引き起こすものと言っても過言ではない。
しかし報道被害の責任に対しては、警察はマスメディアに、マスメディアは警察と市民に、市民はマスメディアに転嫁しているようにみえる。