今年も「日々好日」
3月1日にとうとう古希(数え七十1才)を迎えました。
ここまで来たらあと僅か?
最後には「我が人生に悔いなし」とにっこり笑って!
それまではマイペースの人生を楽しみます。

2012.05.21
2012.06.25 (月)![]() 32年間連続の「人間ドック」受診! 今年も吹田市にある「みどり健康管理センター」に家内と二人で「人間ドック」を受診してきました。 現役時代から毎年受診してきたところなので今では我が家の年間行事の重要な一つになっているみたいだ。 一般で受診すると4万5千円以上の診察費用がかかるのだが、幸いなことに現在住んでいる豊中市が「みどり健康管理センター」を人間ドック受診の提携機関として認定してくれているので必要費用の7割を補助してくれることになっている。 お陰で13,525円の支払いだけで受診OKなので現在まで続けてこれたみたいだ。 現役時代の38才の時から毎年このセンターで受診してきたので今年で32年間にわたってこのセンターを利用したことになる。 ![]() このセンターの素晴らしいところは診療機関ではくて「人間ドック」の専門機関なので、各項目の検診も大変効率的に実施されていて、全ての検査から、看護士さんの問診、そして最後に担当医師からその日の検診結果を詳しく説明してくれるまで約3時間弱で全て終了してしまうことだ。 さらに過去5年間分の「結果表」も添付されてくる。 他の機関のように結果が一週間後というようなこともなく、全てその日の内に検診結果を持ち帰ることが出来るのが素晴らしい。 最初受診したときは少し肥満気味だったので医師から検査結果を聞いていたときに「食事制限などを折角この機会に指導しても奥さんには正確に伝わる可能性が少ない。一番効果的なのは夫婦一緒に来て医師の話を聞くことが良い」と言われた。 それから常に二人一緒に受診してきて今年でちょうど31年間目を迎えた。 これってすごいことだと思うのだが...。「これは表彰ものだね」とセンターの人も驚いていた。 お陰で70才を目前にして大きな病気する事もなく、二人とも現在まで元気で過ごして来られたのは毎年受診しているこの「人間ドック」のお陰かもしれないと思っている。 ![]() ところで昨年7月に人間ドック受診のためセンターに行く途中にめまいがしてまともに前を歩けなかったのだが、人間ドックの検査の結果でも特に異常箇所は見つからず、耳鼻咽喉科や眼科医院に行っても特に異常は見あたらず、最後は脳神経外科でMRIも受診したがとうとう原因も分からずじまいでしばらくして直ってしまった。めまいの80%は原因不明だと聞かされたが...。その後は館の症状も出ないので一応安心している。 ![]() 今年も特に身体の自覚症状もないので、大丈夫と思っていたが、何と超音波検査で異常が見つかったらしい。 医者の結果説明の時に大きな写真を見ながら説明してくれたが、確かに食道下部に一部変な箇所があり、赤ペンでマークされていた。 ドキッとしたが医者の話では、あまり心配することはないだろうが念のため一度精密検査を受診するよう病院への紹介状を書いてくれた。 心配することはないと思うが、男の70才は厄年だと昨年訪れた京都・鈴虫寺の住職さんから聞いていたので、素直にいうことを聞いて市民病院あたりにいって検査してこようかと考えている。 そのほかは特に大きな変化はなかった。 特に今年も肺活量検査では3,320mlを維持していて、肺年齢は61才平均の機能だと検診結果表には記載されていた。 |
2012.06.05 (火)![]() ウォーキング仲間と「六甲高山植物園」と「六甲オルゴールミュージアム」に行ってきました 4年ほど前にも「六甲高山植物園」を訪れたことがあるが、その時にピンクのクリンソウが見事に咲いていた印象が強く残っていて、もう一度訪れてみたいと思っていた。 さらに前回来たときは隣設する「オルゴールミュジアム」は入場料が高いこともあって見送っていたが、今回は恐らく最後の機会かも知れないということで、ここにも入場することにした。 阪急梅田駅から三宮駅までの乗車時間は40分ほど。 ここからバスに乗り換えて六甲ケーブル乗り場までいった。 「六甲ケープ」で山上へ! ケーブル代は30人ほどのメンバーがいたので、往復1,000円のところ、15名以上は一割引ということで900円で利用することが出来た。 ケーブルは六甲山上駅まで新緑の素晴らしい木々を抜けて約10分弱で到着した。 今日は快晴で、空気も良くウォーキングに最適の状況だった。 ケーブル山上駅からなだらかに続く坂道を30分ほど歩いていくと「記念碑台」という神戸市内が一望できる見晴らしの素晴らしい公園に到着した。 「記念碑台」到着! ![]() 「記念碑台」はこの神戸の地を最初に開拓したイギリスの貿易商アーサー・グルーム氏を記念して造成された公園らしい。 彼はまた日本最古のゴルフ場を造るなど居留外国人の避暑地として最初に六甲を開拓したことでも知られている。 今回もいい空気を吸いながら同行のNさんの指導で軽く準備体操を行った後、発声練習?も兼ねて全員で2曲ほど懐かしい歌をみんなで歌ったあと一服し、次の訪問地オルゴールミュージアムに向けて歩いた。 六甲大通りという道を進むのだが、名前とは大違いで車も通れない山道を進む。 木々の間からゴルフ場が眺められたり、小鳥の鳴き声や、道端の野草花を楽しみながら、六甲オルゴールミュージアムに到着した。 ![]() 「六甲オルゴールミュージアム」へ! 高山植物園の入場とセットで入場券を買うと1600円が1200円とかなりの割引になるのでセット券を買うことにした。 1900年頃に英国人グルームが神戸に暮らす多くの外国人のために六甲に山開発し多くの別荘を建てたが、その頃の欧米ではオルゴール人気が最盛期でを迎えていて、その流行が六甲別荘にも影響して、多くのオルゴールがこの別荘にも持ち込まれたらしい。 この「六甲オルゴールミュージアム」には当時欧米で親しまれていた「オルゴール」や「自動演奏楽器」「自動人形」などを集めて、1994年に開設したものだ。 一歩館内に入ってみるとその豪華さには驚いた。 毎日その当時の素晴らしい音色を直接入場者に聞かせているとのことで、早速演奏会場に足を運んだ。 オルゴール独特の軽やかな澄んだ音色や大きな自動演奏楽器の演奏を聴きながら100年前の当時の欧米の情景を楽しんだ。 会場正面に鎮座しているビッグな自動演奏楽器の前でとりあえず全員で記念撮影。 一時間ほどのんびりと楽しんだ後、中庭に出て庭園を眺めながら昼食タイム。 このオルゴール館の前から直接高山植物園に通じる裏道が整備されていたので進むことにした。 良く手入れも行き届いていて、歩道には敷き板も敷かれていて歩きやすい。両側には白やピンクのクリンソウもしっかりと咲いていた。 一応この花のシーズンは5月末ということになっているが、今年は少しピークが遅れているということなので、高山植物園内のクリンソウ畑もまだかなり咲いているのではと期待された。 ![]() 「六甲高山植物園」へ! ![]() 20分程歩くと植物園の西出入り口に到着。 入場すると案内図に従って先ずはめずらしい高山植物が多く咲いているロックガーデン地区へ進む。 この地区は現在コマクサやエーデルワイスなどの花が咲いていたが、珍しいといわれている「ヒマラヤの青いケシ」が群生している地区に急ぐ。 まだ多く咲いていました。 涼しそうな大きな青い花びらの真ん中にふんわりとした橙色の輪があってなかなか綺麗な花だ。 でもケシという名前が付いている以上はやはり毒を持っているのかな? でも次のクリンソウが咲く地区に急ぐ。ニッコウキスゲなどが咲いている地区を抜けると、急にピンク色した花畑が目前に現れた。クリンソウの大群だ。解説では1600株ほどあるらしい。 ![]() ピンクに混ざって白色や薄いピンクも混ざっていて素晴らしい光景だ。 高山植物を楽しんだ後は最後の目的地「六甲ガーデンテラス」に向かう。 植物園の東出口を出て、「石切道」と書かれた山道を20分ほど登っていくと入り口に到着。 「六甲ガーデンテラス」へ! ここは入場無料ということだが、ここの展望台からは六甲市内の景色が一望に眺望することが出来て素晴らしい光景だった。 ここからケーブル乗り場までは、車道を離れて日本最初に開設された名門の六甲ゴルフ場の真ん中に通じている遊歩道をのんびりと楽しみながら今日最後のウォーキングを楽しんだ。 今回は普段のウォーキングのように歩くだけでなくいろんな場所を寄り道をしながらの六甲山上ハイクだったが、案外楽しめたようだ。 |
| 2012.05.21 (月) 300年に一度の「金環日食」観察会と葛城山のツツジ見学へ 今日は全世界の人々が興味を示している「金環日食」が観測できるということで天候が気になったが、朝から薄雲がかかっているだけでなんとか大丈夫とわかってホットした。 観測用メガネも飛ぶように売れていたらしい。品切れの処も多くて関心の高さが伺われた。 特にこの日はウォーキング仲間とツツジが満開の大和葛城山に行く郊外ウォーキングの日と重なり合ったので、集合場所を 服部緑地の梅林前として、ここの時計台の前で「金環日食」の観察会をまず行うこととした。1)「金環日食」観察会! この日は宇宙の神秘「金環日食」が時間帯(7時28分から32分)に合わせて集合することにした。 今回の世紀の天体ショウを見逃すと大阪では次の機会まで300年後ということで、みんなはすでに永遠の眠りについているのは間違いないので私達にとっては最後のチャンスだ。 「金環日食」とは地球から見て太陽と月がほぼ同じ方向に並んだとき、月によって太陽が覆われ全体が欠けて見える現象のこと。 その時、月の見かけが太陽より小さいときは太陽の中にすっぽりと入り込み、太陽の周囲がリング状に見えることからこのように呼ばれているらしい。 観察用メガネも事前に多数用意していたこともあって、なんと32名もの会員が集まった。![]() ![]() ![]() 「金環日食」時間帯には少し薄い雲がかかっていたが、観測には全く支障はなく、集まった全員は本当に綺麗な「金環日食」を観察することが出来て大いに満足そうだった。 特にその証拠の写真をデジカメで撮影して残しておこうという気持ちが強く残った。 技術的には少し難しいところもあったが何とか上手く撮影に成功したみたいだ。 ![]() 2)ツツジ満開の葛城山へ! 本当はもう少し日食の観察を続けていたかったが、葛城山も今がツツジの満開時期を迎えているということもあって、特に山頂まで行くロープウェーの大混雑が予想されていたので急ぐことにした。 近鉄の大阪阿部野橋駅から近鉄電車に乗り近鉄御所駅で下車。 ここからはバスでロープウェー駅まで行くのだが、事前の情報では今からでは乗車出来るまで約2時間待ちということが伝えられ心配した。 しかし以前緑陰クラブの会員で、現在この近くに転居されている女性が今回は私達と一緒に合流してツツジ見物をしょうということになっていて、ロープウエー前で待ち合わせることになっていた。 ![]() この女性が大変気を利かせてくれていて、幸運なことに乗車整理券を人数分事前にもらってくれていた。 そのため乗車場に着いてもほとんど待ち時間なしでスムーズにローブウェーに乗車することができて本当に助かった。 大和葛城山は標高960m。 「葛城」という名前は、神武天皇が先住部族を制圧する際に葛の網を使用したことから付いたという話が「日本書紀」にも載せられている。 ロープウェーに乗り込んで約7分で山頂駅に到着! 山頂駅に着くと空気も一気に変わり、新緑の素晴らしい山々が我々を迎えてくれた。 ここから実際の葛城山の山頂までは、なだらかな山道を歩くのだが、途中ウグイスの鳴き声や、素晴らしい新緑の木々が迎えてくれていて、疲れもあまり感じずに20分ほどで山頂に着くことが出来た。 ![]() 山頂は360度の展望が開け、金剛生駒山系の山並み、大和盆地、大阪平野の眺望が望めて素晴らしい光景だった。 風が少し強かったが、あまり人がいない場所を見つけて、先ずは準備体操! 続いて発声練習?を兼ねて、全員で「四季の歌」や「遠くへ行きたい」の歌を歌って英気を養い、今日の目的の一目百万本といわれるツツジ満開のツツジ園に向かった。 山頂を後にしばらく歩くと、急に真っ赤な斜面が現れびっくりだ! ちょうど満開を迎えていて、すでに大勢の見物客が訪れていた。 広大な山の斜面一面に、真っ赤なジュウタンを敷き詰めたような豪華さで言葉に出ないほどの豪華さだ。 ただ山の上部は風が強かったので、谷間の降りてみると一面ツツジに囲まれて風もほとんどなくところが見つかった。 ちょうど昼食時間帯になっていたので、ここでゆっくりと昼食をとった。 ツツジ園を一周して時間もあったので、直ぐ近くに自然散策路があったのでそこを散策しながらロープウェー乗り場までウォーキングする事にした。 新緑に囲まれ、野鳥の声を聞きながら整備された自然遊歩道を歩きながらロープウェー乗り場までのウォーキングを楽しんだ。 今日は早朝の「金環日食」の観察会、ツツジ満開の葛城山と充実した一日だったのではないかと思う。 |
2012.05.15 (火)![]() 小雨振る中、京都国立博物館へ! 王朝文化の華、「陽明文庫名宝展」に行ってきた。 先日ウォーク仲間の一人から連絡をいただき、「陽明文庫名宝展」の入場券があるので行かないかとのことだった。 4/17に開催されてすでに5万人突破との報道もあり、かなり混雑も予想されたが、今日は朝から小雨続きだったので、この日はもしかしたら空いているのではないかと期待して、家内と二人で午後から出掛けた。 予想はズバリ当たって来場者も比較的少なかった。 入り口でいつもの通り500円で音声解説の機器を借りて会場を廻ったが、お陰で全展示物をゆっくりと見ることが出来た。 京都にある陽明文庫は昭和13年に近衛家第29当主で内閣総理大臣も務めた近衛文麿氏によって設立された。 ![]() 五摂家(摂政や関白に任ぜられる家系)でも最高の位置にあった近衛家は、平安時代を代表する貴族、藤原氏の直系にあたるということだ。 この陽明文庫は宮廷貴族近衛家の一千年に渡って所蔵した十数万点もの宝物を保存管理しているといわれている。 今回の展示会では、同文庫が所蔵する国宝8点、重要文化財60件の全てを一挙公開しているのが人気となっているようだ。 最高権力者として栄華をを極めた藤原道長自筆の「御堂関白記」(国宝)や「和漢抄下巻」(国宝)、さらにみやびな和歌の遊びを記録した「歌合、十巻本」(国宝)など宮廷華族のライフ・スタイルが垣間見られる珍しいものを今に伝えていて、華やかだったであろう王朝文化を大いに楽しむことが出来た。 それにしても貴族以外の平民はこれらの優雅な暮らしを見てどのように思っていたのかということも興味を持った次第。 ただ今回の展示物は、昔の達筆な文字の連続で目が疲れた。 2時間30分の立ち続けの展示物の見学だったが、空いていたお陰で良く鑑賞できたのがせめてもの幸運だったといえるのかも知れない。 |
2012.03.07 (水)![]() ウォーキング仲間が緑地広場で古希祝をしてくれた! ほぼ毎日ウォーキングをしている服部緑地広場で、男子のウォーキング仲間8人が、それまで唯一60歳代だったが3/1に古希を迎え70才の仲間入りという理由?でバーベキューで僕の古希祝をしてくれた。 実際は何かの口実を見つけて飲み会を兼ねたバーベキューを楽しもうというのが目的みたいなところもあるのだが。 この服部緑地は他の公園と違ってバーベキューOKの箇所が2ケ所もあり、休日ともなると遠方からも駆けつけた大勢の家族連れで賑わうところだ。 ![]() 今日はウィークデーということもあって、バーベキュー組は我々だけだった。 前日には仲間達が近くの市場までわざわざ、肉、魚、野菜を買い込みに走ってくれた。 そして今日はその丁寧に調理された物を持ち寄って11時から16時まで食べるは、飲むわの大宴会だった。 道行く人は楽しそうな我々を横目に見ながら、うらやましそうに通りすぎていった。 でもこのような催しもみんな年を取りすぎて今回で終わりになりそうで少し寂しそうな感じをしながらの野外大宴会だった。 |
2012.03.01 (木)![]() 今日は70才の誕生日です。年を取りました! 60才を還暦。70才は古希。77才は喜寿。80才は傘寿といって昔から一つの人生の区切りとしてお祝いしてきたようだ。 最近は還暦を迎えたといっても、まだまだ現役で働いている方がほとんどで、定年と還暦を同時に祝うような慣習は無くなってしまったのではないかと思われる。 これは年金受給資格が以前の60才→65才まで順次のびてきているからだが、いくら平均寿命が延びたからといっても少しわびしい感じもするものだ。 僕の場合は年金受給開始年齢が61才からだったが思い切って会社をリタイヤーして自分の好きなように人生をすごそうとしたのだが、ちょうど10年たったが、会社生活とは違った充実感のなかで過ごしてくることが出来たと満足している。 健康な時だけだと思って始めた外国旅行、富士山登山、毎日のウォーキングなどを通じて新しい友人も出来た。 これからも体力が続く限りなんでも興味あるものにこれからも挑戦してみようと計画中だ。 ところで70才になる直前には「国民健康保険高齢者受給者証」なるものが市役所から届けられた。これを医療機関に持参すると医療費がこれまでの3割自己負担から1割負担にしてもらえるというありがたい証明書だ。 また警察署からは「自動車運転免許書」がまだ有効期間がかなりのこっているにもかかわらず、近くの運転試験場で高齢者講習を事前に受講するようにとの通知がきた。 これは運動能力の衰えや、認知能力の衰えなどの検査が主で、ただ年齢が70才になったということだけで、強制的に一律受講しなければならないので、一気におじいさん扱いだ。 ただ友人から70才越えての運転免許の有効期間は3年間だと聞いていたが、誕生日にもらいに行った運転免許証の有効期限はこれまで通り5年間だった。 よくわからないが不利になることでもないのでだまっていただいてきた。 恐らく高齢者講習や免許申請を早い段階で受講申請していたのでその辺が原因かも知れない。 |
2012.02.20 (月)![]() 「国税還付金振り込通知書」が届いていた! 17日から今日まで、ウォーキング仲間達と中国蘇州、無錫、上海旅行を楽しんで家に着いたら、所得税還付金の通知書が届いていた。 最近はパソコンで「確定申告書」が簡単に作成できるので、毎年必要書類がそろい次第、早い時期に作成している。 作成結果還付金があるときは1月から受け付けてもらえるので今年も1月23日に提出しておいたものだ。 本来の「確定申告書」の受付は2/16からなのだが、払いすぎているのだから、実際の申告書受付時期よりも早く受け付けてもらって、一刻も早く返還してもらって当たり前のことだと思う。 1月の時期は税務署で並ばなくてもよくて、パソコン作成資料ならまず計算間違いも皆無なので受け付けも簡単に目を通すだけだから直ぐに終わってしまうので助かる。 去年の還付金は25,000円程度だったが、今年は少し多くて28,622円とボーナスがない年金生活者には臨時収入として大助かりだ。 早速パソコンで指定の銀行口座を確認してみたら、確かに入金されているのが確認できた。 今年は3月で70才になる。そのため医療費もこれまでの3割負担から1割負担になり、医療費控除分が少し少なくなりそうなので還付金があるかどうかは微妙なところだろう。 |
| 2012.02.17(金)〜20(火) 蘇州・無錫、上海への3泊4日の旅行を楽しんできた! いつも緑地でウォーキングを楽しんでいる仲間6人で中国旅行に行ってきた! 往復ANA利用でしかも5つ星ホテル3泊、観光、食事込み27,900円、燃油サーチャージ、海外旅行保険、その他必要料金を足しても46,000円という信じられない価格なので心配したが、結果は大満足の中国旅行だった。 正規料金で個人旅行をすれば400,000円はするのだから団体旅行料金というのはどう考えても計算が合わない。 しかも安かろう、悪かろう、危険だろうという心配は全くなく快適な旅行だった。 1泊目はANA(全日空)便で関西国際空港を午後出発。この日は上海浦東国際空港到着から一路蘇州に移動。 宿泊ホテルも「金澄錦江国際酒店」という豪華なスーパーホテルだ。中国では酒店とはホテルのことらしい。 初日なのでゆっくりと休む予定が仲間の一人が以前商社マンとしてこの地に生活していた経験から、近くのスーパーマーケットへ酒を買いに。 酒といっても55度もある強烈な度数のあるお酒だ。さらになんとサントリと書かれたビールも売っていたがどうも怪しいと思ってよく見たら隣に中国語で「三徳利」と書かれていた。とりあえず買い込んでホテルへ。 早速ホテルで酒盛りがスタート。明日の出発が早いというのに24時近くまで飲み続け。何しに中国まで来たのやら明日からの予定が心配だ。 でも翌日の朝食時間7時半から、出発8時には何事もなかったように観光旅行に出発するためにバスに無事乗り込むことが出来た。 以下特集記事へジャンプ → |
2012.01.26 (木)![]() え〜! 彼はもう三途の川を渡られた! 服部緑地でのウォーキング後、クラブの仲間10名ほどで広場の片隅にある蓮池のそばにブルーシートを敷いて寒い中いつものようにビールやお酒を飲みながら談笑し自宅に帰ってみると一枚のはがきが届いていた。 今年出した友人への年賀はがきの中で一名だけ音信不通の友があったので心配していたが、その心配が的中し彼の奥さんからの寒中見舞いハガキだった。 ハガキには本人は昨年春に病気が見つかり、懸命に病気と闘ってきたが、残念にも昨年末の12/25に亡くなったという知らせだった。 ![]() その友人は僕が60才で定年退職するまで在籍していた最後の職場(監査室)で同じ机で頑張ってきた仲間の一人だった。 僕より3才ほど若く、亡くなったときはまだ66才だったと記されていた。 会社を退職後、しばらくして梅田の地下街の居酒屋で他の仲間を交えて一杯飲んだことがある。別れ際にまた再会の約束もしたが。 そのときは元気そのものだったので今度の訃報には驚いた。 つい最近もまた彼を囲んで一度会いたいねと他の友人と語り合ったばかりだった。 人生なんて明日のことはわからないものだということが痛切に感じられた。 我々くらいの年齢になると、もうすぐ誰にも訪れる運命だが元気なうちに思い残すことなくなんでもやっておきたいという気持ちがますます強くなってきた。 そして最後を迎えたときは石原裕次郎の「我が人生に悔いなし」を大声で歌ってお別れしたいものだ。 自分のことはどうでもよいが、奥さんからいただいたハガキの内容が素晴らしかった。 強い夫婦の絆がにじみ出ていて涙がこぼれてきた。 もし僕にもそのときが来たら、家内もこんな立派な内容のハガキを用意してくれるのかな? 家内にハガキを見せたらじっと下を向いていただけだったが。 |
| 2012.01.25 (火) 旅行説明会と「ALWAYS 三丁目の夕日’64」久しぶりの映画鑑賞! 3月中旬より10日間ほどドイツ〜スイス〜フランスへの欧州旅行を予定しているので、主催旅行会社が企画していた説明会に出掛けてきた。 ![]() 当初は一人で参加の予定だったが、当日の特別招待日に浪速のモーツアルトこと キダ・タロー氏の講演が含まれていることがわかり、突然家内も行きたいと言ったので急遽二人で聞きに行ってきた。 講演といっても短時間の女性司会者との掛け合い漫才みたいなものだったが、なかなかおもしろかった。 感心したのは、キダタロー氏は今年80才の高齢者だが、記憶力はまだまだ抜群で外国の難解な地名や人名も間髪を入れずに出てくる記憶には恐れ入った次第だ。 足もしっかりしていてとても後期高齢者には見えない。生き生きと前向きに生活しているとこんなにも元気さが保たれるのかと思うと大いに参考になる。 ![]() 会場には驚くほどの人が集まっており海外旅行熱が全然冷めていないみたいで活気に溢れていた。 説明会終了後、久々に二人で梅田に出掛けてきたのでちょうど「ALWAYS 三丁目の夕日’64」という映画がTOHOシネマで上映されていたので観ることにした。 この映画はなんと3Dという立体映画だということで、シニア割引の入場料1000円にメガネ代400円払わなければならなかった。 昔もシネラマという立体映画が一時流行したが、その再来ということか。 2005年11月に最初の「ALWAYS 三丁目の夕日」が公開され、このときも見に行ったが東京タワーが出来る年の時代が場面設定になっていた。この映画も日本アカデミー賞はじめ、多くの招待者獲得したが、その2年後には「ALWAYS 続 三丁目の夕日」が公開され前回を上回る大ヒットになったということだ。 さらに5年後の今年、さらに今度は「ALWAYS 三丁目の夕日’64」となって公開されることになった。しかも今回は3D映画と言うことで大いに話題になっていた。 ![]() 映画も吉岡秀隆、堤真一、小雪、堀北真希、薬師丸ひろ子等の演技も素晴らしかったが、場面設定が1964年の東京オリンピック開催年との物語で、当時の東京はビルや高速道路の建築ラッシュで活気に観た溢れていた時代だった。 当時の僕はまだ早大の学生ではあったが何故かNHKのテレビカメラマンとしてメイン会場の国立競技場で開催日の入場式からオリンピック閉幕式までの競技をとり続けていた当時のことを思い出し感無量だった。 国立競技場3号カメラを操作する僕の姿です。 古き良き時代の想い出だった。 |
| 2012.01.24 豊中市民ギャラリーへ絵画鑑賞へ! 今年も服部緑地のウォーキング仲間が集う緑陰クラブの責任者でもあるN氏が所属している絵画クラブの「ねむのき」クラブの展示会が今日から開催され、絵画作品が3点ほど出品されているとのことで早速鑑賞に行ってきた。 会場に着いて来訪者名簿に氏名を書いたが、まだ4番目の早さたった。 N氏はすでに会場に見えられていた。さっそくN氏の案内で作品を見て回ったが、なかなかの秀作揃いで楽しませていただいた。 特に今年はN氏の作品も見させていただいたが、今年は「雨の日の箕面」、振り向く女」、それから模写作品でフェルメールの「牛乳を注ぐ女」の3点だった。 3点ともN氏の個性がにじみ出ていてなかなかおもしろかった。 特に「振り向く女」は昨年クラブで上高地に一泊旅行したときに宿泊した白馬のホテルの窓から望まれたアルプス連峰を背景に後からモデルの女性をはめ込んだもので、「知る人ぞ知る」の合作作品になっていた。 「牛乳を注ぐ女」はフェルメールの有名な絵画だが、この模写絵画も素晴らしい作品に仕上がっていた。 ただN氏によると1点だけ原画と違う箇所があると教えられたが、そのときは判らなかった。 自宅に帰ってパソコンでこの原画をみて比べてみたが、なるほどわずかにしかも明らかに相違しているところがあった。場所は後のお楽しみというところだ。 |
2012.01.23 (月)![]() 早速、平成23年度の確定申告書を提出してきた。 今年も確定申告書の提出時期が近付いてきた。 正式の受付は2/16からなのだが、今年もパソコンから打ち出した国税局の「確定申告作成フォーム」に従って作成したので、約30分程度で完成してしまった。 計算の結果今年も所得税が28,622円も還付されることがわかったので早速「豊能税務署」に提出しにいってきた。 還付請求を出来る人については、正式の受付開始日1ケ月前の1/16からでも受け付けてくれるのだ。 本来払う必要がない過分の所得税が強制的に源泉徴収されているのだから少しでも早く返してもらっても当然だとは思う。 ![]() また実際の申告時期になると大勢の人が確定申告書提出や作成方法の相談に税務署を訪れてくるので長時間またされることは必死なんで、事前に提出できることは良いことだと思う。 ところで所轄の税務署は阪急池田駅の近くにあるのだが、名前が「豊能税務署」というのでいつも違和感を感じる。 いつも思うのだが豊中市は大阪でもかなりの大都市で、ほとんどの官庁は豊中市内にあるのだが、税務署だけがないのが不思議だ。 豊中市が市になる前は確かに豊能郡...町というふうに呼ばれていたことがあったらしいが、ずいぶん昔の事らしい。 今でも豊能郡自体は存在しているが能勢町あたりの北摂地域のみのはずなのに、税務署の名前は以前のまま残っているらしい。 少なくとも豊中ぐらいの人口密集地には出先機関を設けても不思議ではないと思うのだが。 ただこの時期だけ日にちを区切ってこれまで豊中市民会館に申告書の作成のための相談所や申告書提出場所が設うけられていたが、今年は市民会館が閉鎖中ということで服部の体育館に場所に移されたみたいだ。 還付申告については、早く提出すればかなり早めに還付金が振り込まれることになっている。昨年は2月23日には振り込まれていた記憶がある。 今年も昨年と同時期に還付されるよう念じながら税務署を後にした。 |
2012.01.14 (土)![]() 学生時代の級友と30年振りぐらいの再会! 何十年ぶりかの午前様帰宅! 先日、大阪出身で同じ大学で学び、同じクラブ(雄弁会)で訓練に励んだというよりよく遊んだ学友M氏から独特の昔と変わらないだみ声で電話があって、当時の仲間の一人Y氏が一年間出向していた国連から帰国したので帰国歓迎会をやろうという連絡がはいった。 5時半にJR京橋駅で待ち合わせの筈だったが、どこを探してもそれらしき友人は見あたらなかった。 Y氏とは年賀状のやりとりは毎年しているが会うのは実に30年以上経っているはずだ。 彼の学生時代から声は大きく、大変几帳面で、まじめな勉強家だったがお酒大好きの破天荒なマルチ学生だった。 ![]() 卒業後も一生懸命まじめに学問に取り組み、現在では我が国の国際政治学者の第一人者として国際的に活躍しているらしい。 私大出身のものが一時東大の教授までしていたというからたいしたものだ。 経歴を見ると名門ハーバードなどの世界の名門大学などにも教鞭を執っていたというから、学生時代のことしか知らないものからみると想像も出来ない程の人物になっているみたいだ。 今日は恐らく現役の教授らしく服装もビシッと決めてくるのかと思っていたがそれらしい人物はどこを探しても居なかった。 一人だけ全然顔の大きさに合わない小さな野球帽をかぶり、大きな外套を着て、大きなリックサックを担いでいる人物が柱に寄りかかっていたがどう見ても彼ではなさそうだった。 ところが突然彼がどこかに大きな声で携帯をかけ始めて、その声でY氏であることが確認できた。 かなりの体重で風采は昔の面影は全然無くても声だけは年月が如何に経過しようとも変わらないものだということなのか。 彼は我が家の結婚式の司会をしてくれた大事な友人なのだが年月の経過というものは恐ろしいものだ。 ![]() 少し遅れてやって来たM氏はこれ亦昔からコテコテの大阪弁しか話す事が出来なかったのだが、だみ声と声の大きさは昔のままだった。 彼も現在は外国語大学の学部長という要職にあるらしいが、どう考えても外国語など話せるような面影は昔から無かったし、むろん一度も外国語をしゃべったことを聞いたこともないのだが、月日の経つのは恐ろしいものでみんな一生懸命まじめに人生を過ごして来て現在の地位に辿り着いたのだと想像できてうれしくなった。 最初は駅近くの居酒屋で大いに話が弾み楽しい時間を過ごしたが、2次会は7人ぐらいしか入れない一杯飲み屋に席を移し、さらに当時の仲間一人が加わり、カラオケで大いに盛り上がり気が付けば深夜12時近くまで時計が進んでいた。 M氏は明日も実施される大学入試センター試験が行われる試験会場の総括責任者だといっていたが、これから家に帰って明日遅刻しないのか心配になってきた。 こちらはサンデー毎日の生活だから全く問題はないが、それでも帰宅が午前様というのはここ何十年もなかったことだった。 それぞれまだ現役で大活躍中だが、会えば学生時代に完全にタイムスリップしてしまう。 利害無き若き日の友人とは本当に大切で人生の宝みたいな存在だ。 本当に楽しい一日だった。 |
| 2012.01.06 なばなの里 ウインターイルミネーションへ! 全国的に節電が叫ばれているときに、日本最大級の実に630万個の電球を使って園内全体をイルミネーションで飾りあげているのだからまさになにおかいわんやだ。 でも「煌びやかな光が織りなす感動の世界へ!」というキャッチフレーズに乗せられて正月早々早速見物に行ってきた。 この企画はほとんどの観光旅行業者が企画を組んでいるが、阪急トラピックス社のバスの集合場所が阪急曽根駅の我が家のちょうど前となっているので今回はこの旅行会社を利用させてもらうことにした。 「なばなの里」は三重県長島町の長良川河口に位置する所にあるが、近くには長島スパーランドなどの広大なレジャー施設があり観光客が連日押し掛けている所だ。 10時過ぎにバスに乗り込み出発となったが、なぜか近道の新名神高速や西阪名国道を利用せず、名神高速を走り続けてかなり遠回りの関ヶ原方面へ? 関ヶ原に近付くと付近はかなりの積雪で、周囲は真っ白だった。 2日程前にこの付近はかなり雪が降ったということだった。 旅行案内書によると昼食場所が関ヶ原となっていて、ここで一旦腹ごしらえをしてから目的地に向かうらしい。 旅行社としてはいろいろな契約もあるのだろうが、本来は余り遠回りせずに近くのレストランで十分なのだが。 でも昼食の中身はかなり豪華そうな案内になっていた。 近江牛すき焼きと松阪牛の朴葉焼き膳とある。 丁寧にも看板に偽りなしの証拠として、お膳の片隅に実際当日使用されたブランド牛の個体識別番号表までが添付されていた。 最近はここまで徹底しなければ信用されないのかと逆に不安になってきた。 昼食自体はかなり豪華でさすがに肉も美味しく申し分なかった。 昼食後は名古屋に向かう国道を一路南下し、長島スパーランド内にある「ジャズドリームランド」に到着。 ここは名前からは想像できないが、今流行のアウトレット商品専門を扱う約70店舗の店が並んでいて、高級ブランドを含めて割引セールを実施しているが、実際はどれほど安いのか判らない。 若者が大勢押し掛けていたが、こちらは特に買いたい品物もないので、店舗を見て回るだけで終わった。 日も落ちてきたのでいよいよ「なばなの里」に向けて出発。 ここは長良川河口に近いところにあって、入口から一方通行の通路に沿って歩いていくと一気にイルミネーションで飾られた道路に出くわす。 まず約9,000uもの大温室の「ベゴニアガーデン」に入場してみることにした。 この温室には、世界各国から集められた数百種、12,000株の大量の花々が咲き誇っていてその壮大さに度肝を抜かれた。 特に広大な室内一面に大輪のベゴニアが咲くほこる様子は、絵画の世界にでも入り込んでしまったような錯覚を覚える程の荘厳さだった。 ベゴニア館を出ていよいよイルミネーション見物に移るが、会場は@水上イルミネーション会場、 A120万個ものすごい数の電球で飾り込まれた光の回廊、 B遙か遠方には「日本の四季」と広大な敷地にびっしりと入り身ネーションがちりばめられたその数の多さにはまさに絶句。 毎年テーマは変わっているらしく、昨年は富士山の四季移り変わりだ゜ったらしいが、今年は「日本の四季」がテーマで、東北地方の大自然をモチーフに下最新鋭のLED技術と特殊イルミネーションで表現された四季の情景には先ず感動と驚きの連続だった。 C最後は光のトンネル「宝石箱」でここでもその見事さに圧倒された。 毎日観光客が大勢押し掛けているとのことだが、我々の訪問時は正月休みが終わった直後だったためか比較的すいていたのでゆっくりと見ることが出来て幸運だったと添乗員さんは言っていたが。 |
2012.01.03 (火)![]() 新年早々大変な発見が! あっという間に正月3ケ日も終わり。 現役の時は亦明日から仕事に復帰ということで、いろいろと支度をしなければならなくなったが、年金生活者は一年中サンデー毎日の状態だから特に改めて準備することはないので気が楽だ。 ただ新年に切り替わったので気持ちの上だけでも気分を新たにしてみようということで、庭にある倉庫を整理することにした。 一応目的は学生時代の修士論文の原稿が部屋のどこを探しても見つからないので最後の望みをかけての捜索だった。 ところが運良く原稿は見つかったが、同時に同じ日通の段ボール箱の中から僕にとってはとんでもない貴重なものが混じっているのを発見した。 特に高校時代から大学時代に交わした手紙や書き残したノート等がぎっしりと詰まっていた。 手紙などはほとんどが当時交際のあった女性からのもので僕にとっては青春時代の貴重な宝物というべきもので、これには本当に驚いた。よく残っていたものだ。 ![]() サラリーマン時代には東京、仙台など各地で勤務したため荷物の移動も多々あり、こんな古い物などなくなっていたと思っていた。 その中でも高校時代の想い出ノートの一冊に挟まれていた一通の手紙は、高校3年時に知り合った初恋以上の素晴らしい女性で、地震でいえば7以上の震度を越えるような興奮で毎日毎日この人のことばかりが頭を支配して本当に恋いこがれていた人だった。 この人のお陰で勉強は全く手に着かず、当然浪人生となり、この人の励ましによって猛勉強して大学に入り、この人との交際で充実した大学生活を送ることが出来たものだった。 でもこの人とはここまでで、事情により嫁いでゆく直前の彼女からの最後の手紙だった。 内容は便せん3枚にびっしりと書かれていて、最後の文章には「涙がこぼれてこれ以上書けません。許してください。馬鹿な○○を!」と書かれて終わっていた。 内容も今までに出会ったことがないような見事な心情が全文に綴られていた。僕の青春時代の最高の宝物として絶対に残して置こうという強い信念で持ち続けていたものと思う。 日付を見ると1967年5月12日付だからちょうど今から45年前も前に受け取った手紙だ。 文中で彼女の切に希望した通り、4年後に友人の自宅でたまたまアルバムを見せていただいていたとき、直感的に僕の心の中にやはり震度7級の人と思える衝撃的な人の写真と出会い、当然一面識もないこの人に強引に会わせるよう友人に迫り、2年後にその人と結婚してから昨年40周年を迎えた。 この人との結婚で家庭でも職場でも不思議とストレスのようなものも全然感じるようなこともなく過ごして来れたのは、なぜかこの手紙の内容がすでに示唆していてくれていた感じがしてならない。 人との出会いや別れは誰でもあるものだが、僕の場合は完全なストーリーのような感じでこれまでの人生を送ってきたといっても過言でないようにも思える。 ただそのストーリーも順調満帆というものではなく、波瀾万丈といった方が正解かも知れない。 ![]() 人生のどこをとっても青春時代のこの人の出会いが今日までの全ての基礎になっているみたいな感じさえしてくるように思える。 (この人とは実はこのHPの歌謡喫茶の「赤いハンカチ」で以前紹介している人のことだが、同級生だから当然今年僕と同じ70歳を迎える) 機会があれば是非一度この人ともお会いしてこれまでの45年間のそれぞれの人生を語り合ってみたいものだと思う。 手紙の内容の素晴らしさに家内も感激した様子だった。もしこの手紙をこの人から受け取っていなければ、今の僕たちの出会いは無かったかも知れない。 |
2012.01.01 (日) 新年明けましておめでとうございます! 今年の新年はすがすがしい快晴の天気で迎えました。 新年を迎えたといっても昔ほどのときめきを感じることもなくなりましたが、それでもなんとなく新鮮で気分新たな気持ちになるものです。 大晦日から娘が子供を連れて泊まりに来ていたので、折角だからと昼過ぎになって近くの「原田神社」に初詣に出かけました。 我が家では昔から実際に生活している住居近くの神社にまずお詣りすることが習わしになっており、東京や仙台、長岡京市に住んでいたときも住居近くの神社にお詣りに行ってました。 今年は初孫を連れての初詣とあって、初めてお爺さん気分ということで毎年の気分とは違って、なんか一気に年を取ってしまったような感じでした。 現在の「原田神社」は住宅や商店街に囲まれているので敷地も大きくはないが、なかなか歴史的には由緒ある神社ということです。社記によると白鳳12年(西暦684年)に天武天皇が神宝、神鏡や獅子頭を納められたことや、また同時代に悪病が流行したときに「妖邪退除」の詔勅を下して当神社に祈願されたことが記されている。 また以前は東は吹田市榎阪町から西は尼崎市富松までの72ケ村に及ぶ氏神として強い影響力を持っていたとのです。 現在も地元地域の人々には絶対的に人気も高い神社です。 ![]() 自宅からゆつくり歩いても5分位なのだが、拝殿前まで辿り着くまでにはすでに長蛇の列の参拝客人々の行列で、最後尾は境内入口の大鳥居をはみ出しており、拝殿に辿り着くまでには30分程並ばなければならなかったほどでした。 お詣りは1分もかからないのだが、それでもほとんどの人がおとなしくじっと順番が来るのを静かに待っているのはやはり正月独特の気持ちが表れているようです。 お詣り後に、境内で今年の運試しにおみくじを買ったが、昨年と同じ「小吉」 だった。 昨年も個人的には特に大きな困難も無かったことから別に運がないとあきらめることもないだろう。 ただ裏には英語で It’s blowing hard outside. but in the house It’s warm like a spring; (軒のはの 嵐の風は さわげども 春を覚ゆる 家の内哉) と記されていた。 「外では困難なことがあっても我が家は春風が吹くようだ」という意味だと勝手に解釈して、まあとにかく今年も家庭内では安心ということか。 自宅に戻ると、今年も高校時代、大学時代、会社勤めの知人、友人、そしてリタイヤー後に知り合ったウォーキング仲間などから今年も多くの年賀状が届いていた。 最近はパソコンなどの普及により、年賀状の発行も激減しているとのことだが、それでも年一回の消息が知り合える唯一の機会でもあるので、この素晴らしい風習は今後とも大切に残していきたいものだ。 特に70歳あたりに近付くと、そろそろお別れしなければならない友人も出てきているので、その安否を知る上でも年一回の年賀状は貴重な役割を果たしているといってもいいのではないか。 |



「金環日食」

服部緑地レストハウス前
