1997年秋 初めての北京-4
トラブル2・3 通訳
学会の公用語は中国語と英語なので、私達はレシ-バを借りて、
英語の同時通訳を聞くことにした。
勿論無料だが、高価なレシ-バの紛失を恐れた主催者は、
大会参加証である名札をデボジットとした。
つまり、レシ-バが必要な人は、分科会入口で名札を預けて、
レシ-バを借りる。 帰りにレシ-バを返すと名札が戻ってくる
というシステムだ。
初日、会場に行って仲間5人分の席を確保。
そのとき、仲間の1人が5人分の名札を持ってレシーバを
借りてきてくれた。 講演が終わって、次の会場に移ろうと
したときにトラブルが起こった。
私の名札だけ戻ってこないのだ。
レシ-バには番号があり、私がレシ-バを返したら、
他の人の名札が返ってきた。 まとめて借りたからだ。
皆で名札を取り替えたのだが、私のだけが無い。
レシ-バを返す時、名札を貰い忘れた人がいたのだ。
それが私の名札だった。
名札が無いと会場に入れない。 意を決して、翌日は、
まず名札を取り返すことを朝1番の仕事とした。
会場に着くや、レシ-バ担当者に聞く。 予想通り「無い」
の返事。 「誰に聞いたらよいか?」と私。
「受付」というので、行ってみる。
また「無い」なので、大会総指揮部へ行って談判。
ようやく、管理者が判った。
まだ安心はできない。 「レシ-バを紛失した」
と誤解されないようにする必要がある。
レシ-バを紛失した場合はUS$350を弁償することになっている。
私はウソをついて、「私がレシーバを返したとき、
名札を貰い忘れた」ことにした。
よくもまあ英語と中国語が、こんなに流暢に話せるものだと
自分でも感心する程に力説。(しかもウソ !)
そしてその数分後、めでたく我が名札は戻ってきた!
この事件では、私の「力説」に余計な手出しをせず、
見守ってくれた仲間と、根気よく話を聞いてくれた
大会関係者に感謝したい。
今も私の手元には、中国語で「忘れ物」とステッ力-が
貼つてある思い出深い名札がある。
私は、このトラブルを通して、外国での交渉のポイントを
学んだような気がする。
私が強硬に力説した相手である大会関係者とも、
このトラブルで顔なじみとなり、かえって仲良くなった。
私は中国側大会関係者と互いに笑顔で握手を交わした。
その名札 国際会議中心正面にて
通訳のトラブルは多い。 ある会場で、レシ-バで
同時通訳を聴いていたら、通訳がサボり始めた。
私は急いで通訳デスクへ行き、通訳を要求した。
通訳デスクはボックスの中にあり、なかなか聞こえないようなので
、大きな身振りで通訳を要求し続けた。
私の勢いに驚いたのか、彼女は急に通訳を始めた。
終了後、通訳の彼女が私のところへ来て、
「通訳はこれで良いか? 判りにくいところは無いか?」
というので、2・3注文をつけた上で礼を述べた。
すると「どこから来たか?」と言う。
私を中国人だと思っていたようだ。
「日本人」と答えると、彼女は驚いて、
「日本人でも英語で聞くのか」と言う。
なめられたものである。
しかし、これが実態で、日本人参加者は会場では
めったに見かけない。
高い参加料(事前登録割引でもUS$400)を払っているのに、
皆観光に出かけているのだ。
他の国の参加者は、参加料分の収穫を国に持ち帰ろうとするから
熱心である。
日本の鍼灸師は勉強しない。 これが日本国内の学会
がつまらない原因の1つだと思うが、彼女としばしそんな議論を
交わし、「お互いがんばろう」と約束した。
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大成鍼灸院 2001年10月
Ly-Zh-9704