1997年秋 初めての北京-5
トラブル4 人民大会堂でのバンケツト
中国のシンボル・天安門広場に面して、
国会議事堂に相当する「人民大会堂」がある。
1958年の完成、日本的感覚では非常識な程、スケ-ルの大きい
建物である。
大会初日の夜、ここでバンケットが開かれるというので
参加を申し込んだ。 US$60である。
タクシーは、片側6車線の長安街を天安門へと向かう。
運転手は「人民大会堂東側しか停車できない。
着いたらすぐに降りてくれ」という。
1989年6月4日の「天安門事件」以来、警戒が厳重らしい。
やがて、ライトアップされた天安門が見えてきて、
間もなく下車。 やたら広くて大きい!
「中華人民共和国万歳」「世界人民大団結万歳」と書かれ、
毛沢東の肖像画のある天安門を見ると、
今私もまた歴史の舞台に立っているのだと感動する。
「中華人民共和国中央人民政府成立了 ! 」と
1949年10月1日の毛沢東のセリフを発音してみたりした。
人民大会堂前から見た夜の天安門
しかし、時代は変わった。 今や、この国のどこが
社会主義なのか捜すのに苦労する。
天安門のちょうど対面には、「マクドナルド」「VISA力-ド」
のネオンが豚しい。
招待状の記載に従って、北口へ向かう。
ロ-ブが張ってあり、公安(警察)が立っている。
「こっちへ来なさい!」という語調だった彼に招待状を見せると、
疑わしそうにライトを当てて見ていた。
しかし、全員同じ招待状を持っていることがわかって、
表情が和み「どうぞ!」という。
人民大会堂の警備を任されるのだから優秀な(党に忠実な)
公安なのだろう。
若い彼は南方の出身のようで「北京は寒い」とこぽしていた。
自動小銃を装備した護衛でさえ、
「一緒に写真を撮つていいですか?」と聞くと、
恥ずかしそうな笑顔を見せる。
しかし、権力は恐ろしい。
1989年6月4日の事件を忘れてはならない。
人民大会堂内部 左:1Fロビー 右:宴会場
人民大会堂の中は、大理石、赤絨毯、
豪華なシャンデリア、・・・・とVIP気分であった。
2階の大宴会場はサッ力-ができそうな程、広く天井が高かった。
会場で、日本鍼灸師会国際部長に会った。
「日本人同士まとまって座ろう」と言うので、すぐ逃げだした。
国際学会に来ているのだから、インターナショナルでありたい。
同じテ-ブルの顔ぶれは、5人の中国人とオ-ストラリア人、
モンゴル人であった。
私達は、モンゴルのサガラ-ジヤフ先生
にモンゴルの生活やモンゴル語について、色々伺った。
先生は、富山医科薬科大学にいらした経験があり、
日本語が流暢で、楽しく過ごすことができた。
私達は「モンゴルに是非行ってみたい」と常々思っていることを
話すと、非常に喜んでおられた。
中国やオ-ストラリアの医師達とは、
日本の風土や習慣が日本人の健康に及ぼす影響、
青少年の成人病傾向など、やや重い内容について議論したが、
中華料理にも話題が広がり、冷凍肉まんや冷凍鮫子のまずさも
話題になった。
参加者同士、写真を撮ったり、名刺交換したり
(ほとんどユースホステルの雰囲気!)、
学会の議論の続きをしたり、楽しく時間が過ぎた。
左:モンゴルのサガラ−ジャフ先生
右:元中華人民共和国
衛生部部長(厚生大臣に相当)胡教授
また、帯広の吉川先生のおかげで、世界の鍼灸医学をリード
する著名な先生と交流するという、願っても無い貴重な経験も
出来た。
残念ながら料理はUS$60の価値は無かった。
人民大会堂の使用料が高いのであろう。
私達は名残惜しくて、最後まで粘っていた。
席へ戻ると、カメラケースを入れた小さな力バンが無い。
要員に声をかけ、力バンが無いとを伝えたが、
詳細がうまく伝わらない。
幸い、北京留学中の日本人学生の力で、詳細が伝わった。
すると、彼等は実に機敏に捜索してくれ、
会場入口に届いていることが判明。
力バンと中身は無事に戻ってきた。
「忘れ物」として処理されてしまったようである。
それにしても、力バンの中身はカメラケースで、
一瞬「まあいいや」と思った。
この気持が伝わってしまったのか、
当初は熱心に捜索してくれなかった。
しかし、ケ-スが無いと不便なので、気を取り直して
捜索を願うと、熱心に捜索してくれた。
全く合理的である。
また中国側に迷惑をかけてしまった。
全く申し訳なく思う。
見付けてもらって喜ぶ私を見て、人民大会堂関係者も
ホッとしたような笑顔をみせてくれた。
私は、丁童に礼を述べ、互いに握手を交わした。
私はこの一件以来、とても荘厳で壮大だが、
どちらかというと冷たいイメージだった人民大会堂が、
とても人間臭いものに思えてならない。
玄関前で直立不動の警備兵に中国語で「さよなら」と言うと、
彼は恥ずかしそうな照れ笑いを浮かべた。
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大成鍼灸院 2001年10月
Ly-Zh-9705