1997年秋 初めての北京-10
中国国鉄試乗1・北京→天津西
元JR社員で鉄道好きの私であるから、外国に来た以上、
鉄道に乗らなければならない。 11月5日をこれに充てること
にした。
中国の列車は定員制で、駅毎に乗車人員割当てがあり、
これを越えるとキップは売らない。 グレードの高い列車は日本で
予約できるが、現地でキツブを買う楽しみが無くなってしまう。
汽車に乗れさえすれば行先はどこでもよい。
そこで、列車が多くキツプが取り易そうな「天津」
にでも行ってみようと思う。
情報によると、北京駅は大きく、キップ売場や待合室を
捜すのが大変だという。(列車毎に窓口・待合室が違う)
8時〜10時頃は天津方面への列車が多いので、
7:30に北京駅に着くようバスに乗った。
北京駅バス停付近は、昔の上野駅のような大鉄道タ-ミナルに
共通の雰囲気が漂う。 駅舎は巨大で、パノラマではない
私のカメラではうまく撮れない。
駅舎に入ると、電光掲示板が各方面の列車時刻を告げているが、
すぐ表示が変わって判りにくい。
昨年ニューヨークのペンシルバニア駅で
Amtrak(米国鉄道旅客輸送公社)に乗るとき、一番困ったのは、
時刻表が入手できなかったことだ。
列車ダイヤが判らないと計画が立たないし、
鉄道の旅の楽しみが半減する。
タイムテーブルを貰って、やっと計画が立った思い出がある。
今回は、幸い北京鉄路局発行の、その名も「時刻表」を
3元で売っている。
早速買って検討した結果、「直快597次・済南行」に乗って
天津西駅まで行ってみようと思う。 ゲリーン車に相当する
「軟座車」は眼中に無く、普通車の「硬座車」がいい。
147km、2時間弱の旅である。
因みに、時刻表には、「国際列車」のべージがあり、
モスクワ、ウランバートル、ピョンヤン、ハノイへの直通列車
がある。 実に羨ましい!
さて、キッブの入手。 売場を見渡すと、列車番号の表示は
無い。 「当天、北京→天津西 597次 硬座 2個人(2人の意)」
と紙に記して、人に見せて、「この列で良いか?」と尋ねる。
「ここでも良い」らしいが、本日分窓口を教えてくれた。
行ってみると、中が見えないくらい狭い「窓口」だが、
必死で覗くとコンピユーター発券だ。
2人分の運賃と手数料で約50元、バーコードの印刷されたキップが
渡された。
券面表示を見ると597列車は、全車指定席でエアコン付き、
エアコン料金が含まれている。
火車票(列車のキップ)
次は待合室捜し。 北京駅は待合室も列車毎に分かれている。
待合室のある2階へ行くには、空港同様の荷物チェックがあるが、
なぜか私達だけフリーパス。
597列車待合室はすぐ見つかった。 「直快597次」と立て札が
あり、大勢待っている。 ダンボール箱など大荷物の人が多い。
この光景を見て、急に懐かしい気持が込み上げてきた。
青函連絡船の待合室そのものなのだ。 北海道へ行こうとして、
青森駅桟橋待合室でワクワクしていた頃が蘇ってきた。
左 行き先表示板の前で
右 各車両出入り口には列車員が立ち、検札を兼ねて乗客を案内
8時半に駅員の先導で、行列はホームへ向かう。
跨線橋上で改札をし、ドキドキしながらホームへ降りて驚いた。
緑色コルゲート板の武骨な客車かと思ったら、
欧州の客車のようにスマートだ。
客車には中国国鉄のマ-クと「青局済段 26m 44t」の表示。
青島鉄路局済南車両区所属で、車体がJRより6m長い。
作業用自動車がホームを走り危険なので、乗車して待つことに
する。 各車両出入口には、車掌が立っていてキップをチェック。
ホームとデッキとの段差は大きく、ステップを登り、
車内に入ると、JRの特急列車そっくりだった。
5 9 7列車は定刻9:02に発車、北海道帯広市郊外を
もっと広くしたような大地を、時には120kmを越えるスピードで
快走し、11時に天津西駅に到着した。
話には聞いていたが、16両編成のこの列車には、
相当数の列車員が乗っている。 少なくとも、
1両に1人以上は乗務している。
列車員は軍服のような制服・制帽で、女性も多い。
発車後、この車両担当の列車員が通路に直立不動で敬礼しながら
挨拶の口上を叫ぶ。 まるで軍人のようだ。
乗客は、これに拍手で応える。
列車員は、列車毎にチームを組んで、他の列車チームと
サーピス競争をしているようだ。 途中、食堂車の服務員が
メニューを持って昼食の注文を取りにきたが、
昼前に下車する私達には関係無く、残念だった。
天津西駅に到着
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大成鍼灸院 2001年11月
Ly-Zh-9710