1997年秋 初めての北京-12
中国国鉄試乗2・天津西→北京




 帰りは、「直快426次」の硬座車にした。 これは、 エアコン無しで、往路の597列車と違い、座席 が指定されていない。 運賃も2人で24元と往路の半額だ。 天津西駅でも、バーコードが印刷されたキップが、 JRの「みどりの窓口」と同じ感覚で簡単に買えた。
 ヒマなのでホームに入ってみる。   時々優等旅客列車が高速で通過したり、 長〜い貨物列車が入線する。 しばらく眺めていて、 北海道滝川駅あたりの、かつての賑わいを思い出した。  長大編成の石炭列車のせいかと思う。 
貨物列車の長大さは、JR貨物社員が見たら、泣いて喜びそうだ。  1kmもありそうだ。 しかも、国際コンテナを満載し、 いかにも中国の物流を支えているという印象だ。 仕事の仕甲斐もあるだろう。

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天津西駅を通過する列車

 さて、426列車は13:22発である。 この列車は昨夜8時、 上海に近い「常州」を発車して長駆北京まで行くが、 1時間遅れで到着した。
 今度は待ちに待った、緑色コルゲート板の武骨な客車である。

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426列車が到着

 天津西で、大量の乗客と大荷物が下車、ようやく落ち着きを取り 戻したという雰囲気の車内。 私達は緑色ビニール製の硬い座席に座った。 ホックスシート(向かい合わせ)で、いかにも「鈍行」という 感じがする。
 往路の597列車のようなドライさが無く、人民の列車という 感じが好ましい。
 遅れ426列車は、北京までノンストップの筈だが、 後続する定時運転の列車に道を譲るため、小駅に停車した。
   隣席のおばさんが、私達の中国語会話集に興味を示し、 会話が始まった。 日本人と知って驚くのは、なぜだろう?
   中国に来てから「韓国人ですか?」「台湾同胞!」等と 声をかけられる。 日本人は、こういう純行風列車の硬座車 なんか乗らないのだろうか?
 しかし、私は幸せである。 車内放送は、穏やかな中国の メロディ-を流し、列車は小駅に停車しつつ走る。
   どこまでも続く青空と畑。 その中を一直線に横切るポプラ並木 の農道。 そんな農道の踏切では、踏切番が旗を振って列車の 安全を看視。 その横では、ロバを連れた農民が列車の通過を 待っている。 
車内では、私達の話す怪しい中国語を解ろうとしてくれる。 中国に来て良かった!
 彼等にしても、日頃利用している列車に外国人が嬉しそうに 乗っているのは、ちょっぴり嬉しい事のようだ。

 私達は、訪中の目的や中医学を勉強していること、 明日には帰国だが、まだ帰りたくないというようなことを話した。
 世界鍼灸学会については、関心があるらしく、細かいことまで 聞かれた。
 それにしても、中国の方々には、とても親切にしていただいた。 言葉が通じなくて困っている時、スッと現われて通訳して くださったり....。
 日本は中国に対して、許されざる侵略行為を働いた。  私達日本人はこうした侵略行為を反省していないばかりか、 事実を認める勇気さえ示していない。   それなのに、私達が中国の皆さんから受けた好意は....。
 私は、中国の皆さんの気持の大きさと、翻って日本の在り方が 情けなくて、泣けそうになった。
 こういう気持は誰に伝えたらいいのだろうか。 こういう気持をストレートに伝えられるような中国語力を 持ちたい。  2度と再び戦争を繰り返さないためにも。

 426列車の北京到着時刻は14:58だが、結局4時半を回っていた。 1時間半以上の遅れだが、そんなことはどうでもよかった。 中国の汽車旅を満喫して、「同仁堂薬店」に漢方薬を買いに行く 私達を、車内で知り合ったおばさんが地下鉄ホームまで 案内してくれた。
 彼女は、自分の地下鉄を1本遅らせて、私達が誤乗しないよう にと案内してくれた。




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大成鍼灸院 2001年11月
   
Ly-Zh-9712