えぼら




先日、私にしては珍しく「電車に乗って飲みに行く」ことがあった。基本的に私は近場でしか酒を飲まない。なので、適当に飲み食いした後、せっかく出てきたのだから、と激辛で有名なラーメン屋に行くことにした。


いまいち場所がはっきりしなかったのだが、そのラーメン屋の隣にある店の前――つまり目的地まで残り2mぐらいのところで「分からんな。一回、駅の方に戻ろう」と言って引き返したりしながら、かろうじてその店に辿り着いた。テレビでもよく紹介されるような有名店なので、順番待ちが結構いた(と言っても店の中に収まっていたが)。普段の私は、ラーメンだろうとなんだろうと食い物屋で並ぶのが好きではない。だが、美味しいとかいうような価値ではなく、激辛という(失礼ながら)ちょっとバカっぽい価値に対しては、好奇心が行列のけだるさを上回った。


食券販売機の前で少し悩む。初来店の方はまずここから、という初心者向けラーメンか、当店の代名詞、という中辛ラーメンか、辛さグレード最高クラス、の激辛ラーメンか。写真を見る限り、どう見ても初心者向けか中辛の方が美味そうだ。券売機のボタンの前を右手の(左利きなのに)人差し指が右往左往したあげく…はい、ご想像通り、激辛をプッシュプッシュ。
(知人の一人は、ラーメンを頼まずに杏仁豆腐だけ、という超一流のヒヨり芸を見せていた)


そして、知人の杏仁豆腐が来た後、私の注文した品が登場。何か赤いのが来た。あかいね…赤いよ。何故に赤=辛いというイメージなのか?というのは今、思いついた疑問。その赤いのを目の当たりにした時の疑問は…はい?の一言。「はい?何ですかコレ」


コミュニスト大喜び、ってぐらいの赤色の正体は、無論、唐辛子の粉。しかも、スープの中に唐辛子の粉が沈殿している、というレベルではなく、唐辛子の粉で出来た泥水、というような状況。その中に麺が沈んでいる。さらに特筆すべきは、唐辛子コロイドの上に覆い被さる油膜(恐らく、1cm近くあったように思える)。ここから推測するに、このラーメンの汁は大量の唐辛子粉をこれまた大量の油で炒め(つまりラー油を作る工程の途中だ)そこにスープを加えたものだと思われる。


さて、数分後の自分がどのような惨状を呈しているかを想像しつつ、意を決して麺に箸を伸ばす。思いっきり冷まして、そして口へ運ぶ。「それはもう、辛かったですとも」。数えようとしてもそれが能わぬほどの唐辛子粉が太麺に絡みついているのだから、辛くないはずがない。他にも色々な表現が出来るのだろうが、「辛い」という表現以外を探すのは面倒なので止める。


だが、舌に対する辛さという点では、「かれーよ、辛いぞ、かれーぞ馬鹿。馬鹿じゃないの?馬鹿じゃないの?かれぇ」と心の中で悪態をつきながらであれば、食べることが出来るレベルだったように思う。実家にいた頃にママンが作ったカレー――香辛料を入れた瓶の蓋がいきなり外れて鍋の中に全てジャックインしてしまったカレー、の方が辛かった気がする。もっとも、その頃の私と今の私では辛さに対する判断が著しく異なるだろうけども。


ただし、舌以外への破壊力は計りきれないほどロマンチックだ。ひび割れた唇には電流が走るし、荒れた喉を刺激して咳き込ませる(しかも「ゴホッ」ではなく「カハッ」という嫌な感じ)。さらに、うっかりスープの付着した手で右目を擦ってしまった私は、手で顔を覆って「アーッ!あーっ!」と叫びながら床を転げ回りそうになった(転げ回ってないけど)。


そうこうしているうちに、麺と具を食いきる。ここまで食ったことについても、ここから食い続けることについても、そこに全く何の利益も存じないことは分かっていた。しかし、どうせだから、というよく分からない観念が私にスープをすすらせる。麺と具だけで終わりにしよう、と思っていたのが、乗りかかった船だ、とスープ半分まで行ってしまう。スープ半分で終わりにしよう、と思っていたのが、バブル期に計画された公共事業工事と同じ論理でスープを飲みきるところまで進んでしまう。というわけで、少なくとも丼は空にした。


自分と同じラーメンを汗だくになって食べている知らない人に、「頑張れよ兄ちゃん!」と声をかけようか迷いながら店を出た。地獄はここからだった。徒歩数分の駅まで行けそうにないほど気分が悪い。食い過ぎたか、と思って、公衆トイレで少し吐くと楽になった。でも、当然ながら、吐いたものも真っ赤で激辛だった。今、考えてみると、あれは食い過ぎではなく油の飲み過ぎだったのだろう…深さ1cm弱の油膜を飲み干せば気持ち悪くもなるわな。そういえば、スープは確かに辛かったが、麺ほど辛くなかった。それもあの大量の油が唐辛子の粉を覆ってしまっていたおかげなのだろう。


その日はなんとか家に帰り着いたが、翌日も大変だった。消化器系の全て、スタートからゴールまでの全てが上手く機能していないようだった。大量の唐辛子を私の体は消化出来ないことも分かった。夜、何とか持ち直して、適当なカップ麺を食った。美味かった。



余談だが、帰り道で吐くために向かった公衆トイレは、飲屋街のど真ん中にあるトイレだった。そのせいか、(私を含め)使用者は酔っぱらいだらけだった。トイレの入り口では、べろんべろんな連中の間で「どーぞどーぞ」「いや、そちらこそお先にどーぞ」「いやいやいや、どーぞ」「どーぞどーぞどーぞ」「私のことはいいですからどーぞ」「いやいやいやいやいや、どーぞどーぞどーぞどーぞどーぞ」というやり取りが行われていた。この非生産性が大好きだ。



(2006/07)



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