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6月24日 弁護士自治・弁護士会自治(2)

 1ヶ月ぶりの高松出張も(雨、うどん、暇!)、W杯の審判(突然話題沸騰ですね)の話も、宇多田ヒカルのアルバムの批評(実は昔は歌謡曲研究会!?)も書きたいですが、昨日続き物を始めてしまったのでその続きです。

 昨日は奈良弁護士会のような地方弁護士会の体質の悪い面について書きました(地方弁護士会であるためのいい面もあります。その点はわかっているつもりです)。

 今回のように刑事責任が問われる場合は別として、弁護士の懲戒は弁護士会しかできないことになっています。

弁護士法56条  弁護士及び弁護士法人は、この法律又は所属弁護士会若しくは日本弁護士連合会の会則に違反し、所属弁護士会の秩序又は信用を害し、その他職務の内外を問わずその品位を失うべき非行があつたときは、懲戒を受ける。
 2  懲戒は、その弁護士又は弁護士法人の所属弁護士会が、懲戒委員会の議決に基づいて行う。


 このように、弁護士の身分が国家権力に左右されず、弁護士会内部の自治的な懲戒処分に委ねられていることを指して「弁護士自治」と言われています。これは、時には国を相手取ってでも依頼者のために体を張って正義の実現に努めなければならない弁護士の立場を保障する最大のよりどころと言われています(例えば、国を相手取った訴訟の相手方は法務大臣です。もし法務大臣が弁護士の懲戒審査をするのであれば、弁護士は懲戒処分が怖くて誰も国家賠償など起こせなくなってしまいます)。

 問題は、この「弁護士自治」の受け止め方に2つの潮流があるように思えるところです。

 地方の弁護士の大部分や、大都市の弁護士でも一定以上の年代の弁護士の主流は「弁護士自治」=「弁護士」の「自治」という発想です。すなわち、弁護士の規律は個々の弁護士の自律に任せる、その上でどうしようもないものを弁護士会が懲戒する、という感覚です。

 このような感覚から、弁護士の相次ぐ不祥事を受けて、日弁連が数年前に倫理研修を会員に義務づけた際にも、「弁護士自治の趣旨に反する」という反対が強かったと聞いています。

 私はこのような考え方に懐疑的です。

 なぜなら、弁護士自治が認められているのは、あくまで国民の権利を守る弁護士の役割に着目して、弁護士の国家権力からの独立性を守るため、弁護士会に自治権を認めたものに過ぎず、いわば「制度的保障」です。別に、個々の弁護士が己を律するについて、他の職業よりもア・プリオリに優れているわけではなく、個々の弁護士が特権を有するわけではもちろんありません。

 その意味では「弁護士自治」=「弁護士会」による「自治」と考える方がしっくりきます。「弁護士自治」=「弁護士」の「自治」ととらえる人は、弁護士会が個々の弁護士を管理することにも大変反発します。しかし、国家権力から独立している以上、むしろ弁護士会は個々の会員に対しては国家以上に厳しく管理しないと、「自治」の内実が問われてしまうことになります。

 奈良弁護士会の今回の問題点は、「弁護士自治」=「弁護士」の「自治」ととらえるあまり、弁護士会が個々の弁護士を放任してしまったためのツケと言えるのではないでしょうか(さらに明日へ続く)。

一つ前へ  一つ後へ

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