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6月26日 弁護士会の責任

 一昨日の日誌の続きです。

 さて、報道によれば訴えられてしまいそうな奈良弁護士会ですが、訴える被害者らに勝ち目はあるのでしょうか?

 日弁連の定めた懲戒処分の公表に関する会則に奈良弁護士会が従わず、そのために河辺弁護士が以前に懲戒処分を受けたことが公表されていなかったことは争いのないところなのだと思います。

 奈良弁護士会のこの点についての過失はあるのではないでしょうか?

 ただ、問題は、懲戒処分が公表されなかったことと、現実の被害者らが河辺弁護士に依頼したことへの因果関係です。懲戒処分が公表されていたら、被害者らは河辺弁護士に依頼しなかったと言えるでしょうか?

 現実問題として、依頼者が弁護士に依頼するときに、その弁護士が懲戒処分を受けたことがあるかをいちいち確かめることはあまりしていないのではないでしょうか?これは弁護士会の広報の問題でもありますが、依頼者の意識の問題でもあります。

 弁護士の立場として、あえて批判を覚悟で言わせてもらえば、具体的に何にお金が必要なのかの説明も受けずに、単に「裁判の訴訟費用」などという説明で、大金を預けてしまうような依頼者の方が、弁護士の懲戒歴まで気にするほどの意識があったとは思えません。

 お医者さんも、学校の先生も、裁判官も、「聖職者」と呼ばれていた人たち全てが、実はただの人間であったということが次々と判明する時代です。というより、今までの「聖職者」という認識が、「信仰」でしかなかったのだと思います。

 弁護士にしたって「弁護士」というだけで、盲目的に信頼してもらえば、これほど楽なことはありません。実際、今でも、依頼者にろくな説明をせず、ただ「私に任せておきなさい」という弁護士は一定数います。

 しかし、そのような弁護士を盲目的に信頼することは、むしろ危険である、と認識して欲しいものです。

 というわけで、被害者らの損害と、奈良弁護士会の懲戒処分不公表の間の「因果関係」については、なかなか問題があるのではないか、というのが私の認識です。


追伸 W杯・審判・韓国戦

 1億総サッカー評論家状態の屋上屋を重ねるようなコメントですが、旬を過ぎてしまう前に一言。

 にわかミーハーサッカーファンなので、W杯の誤審の歴史については報道された程度にしか詳しくありません。しかし、素人でも英雄ペレ氏の批判が当を得ていることぐらいはわかる。

 「問題は同じ行為に対し、異なる判定が出ていることだ」

 基準が統一されなければ、予測可能性が生まれず、プレーヤーは萎縮するしかなくなります。サッカーの世界でも、法律の世界でも同じことです。

 これに対し、朝日新聞の「審判は絶対だ。その原則を外したら、サッカーは崩壊する」旨のコラム。みんな、そんなことはわかった上で、それでも納得いかねえ、と論じているのに、一人で優等生ぶってるようで、がっくりきました。

 それから、韓国。別に嫌いではありませんが、ポルトガル戦以降は応援する気がなくなりました。これに関しても既に死ぬほど論考がありますので、私の気持ちに一番近いものを引用させていただきます。

 もし日本代表が今大会でフランスと対戦したとして(もはやあり得ない話なのだが)、稲本なり鈴木なりがゴールを決めたとしよう。その時、彼が突然「シドニー五輪の篠原のかたきだ」とばかりに背負い投げのパフォーマンスを見せたとしたら、どうなるだろう。きっとサッカーファンなら、興ざめすることはなはだしいはずである。

 私は、できることなら韓国のベスト4進出に、隣国のライバルとして、そして同じアジア民族として、心からの賞賛と祝福を送りたいのである。しかし、どうしてもそれができない。その理由は明白である。

 誤審騒動と、妙なナショナリズムなどなければ、隣国の躍進に驚き、賞賛し、そしてこころからねたましく思っていたことでしょう!?それにしても、意地でも韓国の応援をしなければならないという金縛りにあっているような大マスコミの風潮は誰が作ったのでしょうか?

一つ前へ  一つ後へ

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