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今日の脳みそ。 お馬さんとの知恵くらべ。
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 待ち受ける人  



もどる。

作:UEHA(no.3)


「あっ」
 気が付いたときにはもう清美の身体は地面 に叩きつけられていた。激痛が清美の身体を走る。
 車が猛スピードで清美にぶつかったのだ。だからといって、車が悪い訳ではない。清美が赤信号にもかかわらず、飛び出したのだ。
   まだ意識がある。諦めようか……。
 清美は道路に寝そべりながら、そう考えていた。
    これで何回目だろう。
 清美の服はぼろぼろだった。
   すこし休みたい。休ませてくれるだろうか……。
 清美は目を閉じる。しかし、傷みがまるで電気のように清美の身体を走っている。
 さっき地面に叩きつけられたときの傷から赤い血が流れ出ている。いずれこの血が止まれば、この傷も周りの傷と一緒になってしまうだろう。
 清美の身体は傷だらけだった。
   後、どれくらいだろう。あそこまで……。
 清美は今までのことを傷みの中で考えていた。
 街路灯が闇夜の中の清美をうっすらと照らし出していた。


 二日前、清美は普通の十七歳の女子高生だった。
「ねえ清美、これから渋谷に行かない?」
 と聞いたのは清美の友達の裕子だ。
「もちろん、いいわよ!」
 と言いながら、清美は教室の備え付けの時計を見た。
 時計は二時半を指していた。今日は職員会があるとかで早く学校が終わるのだ。
   渋谷か……あそこのアクセサリーショップに行ってみようかしら。まだ、あのピアスがあればいいけど……。
 などと清美が考えていると、
「なら、早く行こ!」
 と、裕子が促した。
「ええ!」
 清美と裕子は学校を飛び出して渋谷に向かった。

「なんで平日なのにこんなに人がいるの?」
 山手線を降りたときから薄々感じていたものの、改札口を出て人込みを目の当たりにしたとき、いつもながら、その人の多さに呆れてしまった。
「さっ、行きましょう」
 裕子はその人の多さには目もくれず、一目散に目的の店に突進していった。そう、本当に牛のごとく突進していった。
「ちょっ、ちょっと待ってよ!」
 清美は急いで裕子の後を追いかけたが、裕子は人込みの中に紛れ込んでしまい、すぐに見失ってしまった。
「全く……もう!」
 清美はため息をついて、裕子を追いかけるのを止めた。こうなると、もう裕子を追いつくのは無理なのだ。
   それにしても凄い人込み……。
 清美は改めて周りを見た。同じ制服の男子や女子が四、五人でグループを作り、集団で歩いている。どうやら修学旅行で渋谷に来ているらしい。しかもそれは一校や二校ではない。五、六校は来ているだろう。
 太陽がさんさんと輝き、清美は汗をかき始めていた。
「ふう、暑いなー」
 清美は目の前に丁度ショーウインドウがあったので、それを鏡代わりとして、自分の顔を見た。ちょっと汗ばんでいるが、可愛い顔立ちである。一七〇センチ近くある身長が清美の唯一気にしているところで、顔と身長が合わないのである。
 しかし、それも髪を伸ばし始めて、やっと顔が大人っぽくなってきたのである。つまり清美は自分の身体には満足していたのである。まあ、他人の評価は別 として……。
 清美は髪をさっと整えると、ハンカチで額の汗を拭いた。
   どっかで休んでいこうかしら。
 辺りをもう一度見回すと、丁度道路の向こう側に喫茶店があった。
   丁度いいところにあったわ。どうせ裕子の行った店はいつもと同じトコだろうし……。きっと、十分や二十分ぐらい裕子は待ってくれるわよ。
 そう考えていたときは、もう清美は喫茶店の方に足を向けていた。
 が、しかし、その足も喫茶店の前まで来ると止まってしまった。
「なっ……」
 清美は思わず声を漏らした。ガラス越しに見える店内は満員だったのである。考えてみればしごく当然のことで、こんな暑い日、クーラーのガンガンかかった喫茶店などはまさに天国なのである。
「それでも」と思い、喫茶店のドアを開けるとレジの前は席待ちの若いカップルで一杯であった。しかし、涼しい風が顔に当たるとスーっと顔の汗が退いてくる。清美はこの風に誘われるかのように店の中に入った。
 入ると、すぐにウェイトレスが飛んでくる。
「お一人ですか?」
 白いエプロンをしたウェイトレスが、いかにも仕事用というスマイルで聞いてきた。
「ええ」
 清美が答える。
「相席でもよろしいでしょうか?」
 ウェイトレスが即座に尋ねる。
「はい」
「では、こちらへ」
 ウェイトレスの後をついていくと、窓側の外の様子がよく見える席に案内された。
 清美は「待たされるかな」と思っていただけに少しびっくりした。どうやら一人分だけ空いていて、後はカップルで埋まっていたらしい。
 清美の案内された席は向き合う形で椅子が置かれていた。まさにカップル用の席らしい。
 清美が座ってから一分ぐらい経つと、さっきとは別 のウェイトレスが注文を聞きに来た。
「アイスティーを下さい」
 メニューも見ないで清美が答える。
 ウェイトレスは水を置き、さっと伝票に書き留めると、他のテーブルに行ってしまった。
「ふうっ」
 清美が息をつくと、目の前に男の子がいた。いや、前からいたはずなのだが、その存在に清美は今まで気がつかなかった。
   小学五年生? いや六年生かも。もしかしたら中学生?
 清美がそう思うのも無理はない。その男の子は小学生にも中学生にも見えるのだ。
 男の子は本を読んでいた。マンガだろうか。小説だろうか。ブックカバーを掛けてあるので、清美からは分からない。テーブルの上にはオレンジジュースが乗っていた。
 清美が人込みの凄い外の様子を見ているとウェイトレスがアイスティーを持ってきた。
「どうも」
 清美が何となく礼を言う。そしてアイスティーを飲もうとしたとき、清美は男の子のオレンジジュースがさっきから全然減っていないことに気がついた。
   そういえば、何故こんな所に一人でいるのだろう。友達を待っている訳でも無さそうだし……。聞いてみようか……。
「ねえ、誰かと待ち合わせ?」
 清美が聞く。
 すると、男の子はびっくりしたように本を置き、清美の顔を見た。そして、
「いいえ、そういう訳ではありません」
 と答えた。
 清美はその礼儀正しい言葉遣いにびっくりした。しかもその声は明るく、一滴の濁りのない純粋で素朴なものだった。
「じゃあ、何故ここに?」
 清美は男の子を見た。男の子と目が合う。すると男の子から出た透明な『何か』が清美を包み込んだ。
「えっ」
 清美はその『何か』を身体中に感じて声を出した。
 男の子はオレンジジュースを少し飲むと、口を開き始めた。
「お姉さん、僕はね  
 男の子の話に耳を傾けたとたん『何か』のことなど、清美は忘れてしまった。
 何十分話しただろうか。男の子の話は純粋で素直な男の子の性格をそのまま表わしているかのようだった。もう、一時間くらい話しているかもしれない。しかし、一向に飽きない。清美は男の子の話すことすべてを興味深く聞いていた。
 不意に窓がコンコンと鳴った。
 清美が窓を見ると、そこには怒った顔の裕子がいた。裕子が喫茶店の中に入ってくる。
「ちょっと、どこ行ってたのよ!」
 裕子は怒っているが、手にいろいろな紙袋を持っているところをみると、一人で結構お店を見てまわったらしい。
「分かったわよ。さっ行きましょ」
 清美が立ち上がる。
「ねえっ」
 喫茶店を出ようとした清美を男の子が呼び止める。
「ねえ、明日も会えるかな?」
「えっ」
「誰、この子?」
 と、裕子。
「明日も会える?」
「……明日は駄目ね。明日は学校が終わるのが遅いから」
「そうなんだ。じゃあ、その次の日は?」
「……土曜日か……まあ、別に予定はないわ」
「じゃあ、会えるね! 僕さ、ここで待ってるから、必ず来てよね!」
 男の子の声は本当に嬉しそうだ。
「ええ、分かったわ。絶対ここに来るわ」
「ねえ。誰なの、この子?」
 裕子はまだ不思議そうだ。
「いいの!」
 喫茶店の会計を済ませて、清美は嬉しそうに外に出た。
 太陽はもう沈みかけていた。


 次の日、学校の教室。
「起立、礼」
 日直が号令をかけると、生徒全員が声に合わせて礼をする。そして、先生はそれに頷き、
「さよなら」
 と言って、教室を出る。
 すると、
「さ、帰ろうぜ!」
「ねえ、ちょっと聞いてよーっ」
「これからどうする。どっか遊びに行く?」
 というように、様々な声が飛び交う。
 清美はそんな中で、
「裕子、一緒に帰ろう!」
 と叫んでいた。
「ええ!」
 裕子も頷く。
「あー忘れてた! 清美、ちょっと待ってて、これ野口先生のとこに出してくる」
 裕子は慌ててバックの中からプリントを取り出す。
「いいよ、私もついていく」
 清美はデイバックを手に持ち、廊下に出る。続いて裕子も焦りながら廊下に飛び出した。
 そして、裕子に待ち受けていたのはプリントの出し遅れのための野口先生の三十分のお説教だった。
「ふーっ。ごめんね、清美。三十分も付き合わせちゃって」
 裕子が謝る。
「いいよ。いつものことよ」
 清美が言う。
「でも、あの先生、よくあんなに話すことがあるもんよね」
「そうよね。いきなり『中国の故事には……』なんて言い出して、昔の人のことなんて知らないわよねーっ」
「そうよ! 螢の光や雪明かりで勉強したって、電灯で勉強したって同じじゃない!」
 などと話しているうちに、下駄箱のある玄関まで来てしまった。
 玄関はもう静まり返っていた。
「さ、早く行こ!」
 裕子が促す。
 その時、フッと清美の目の前に、学年で二番目にカッコいいと言われている外林君が表れた。
「あらどうしたの?」
 清美はびっくりしている。目の前に突然出てきたのだから当たり前である。
「君を待っていたんだ……」
 外林君が清美を見ながら言う。
 それはまるで映画のワンシーンの様だった。
「私、先に帰ってようか?」
 裕子が気を利かす。
「う、うん……」
 清美が頷くと、裕子は一人でさっさと帰ってしまった。
   ちょっとどういうこと! あの憧れと尊敬で一杯の、夢の外林君が「私を待っていた」ですって? これは夢じゃないかしら?   ああ、私、ほっぺたをつねりたいわ! でも、そんなことやったら外林君に笑われないかしら……。
 などと、清美は一人で考えていた。
 外林はそれを不思議そうに見つめている。
 清美もそれに気付き、
「ねえ、何か用でも?」
 と聞いてみた。
「あ、あ、あ、明日暇なら、俺と一緒に映画に行かないかい。券が二枚、ちょうど手に入ったんだ……」
 外林はどうやら上がっているらしい。
「こっ、これ……」
 外林は手を差し出した。その手の中には映画の券が二枚握りしめられていた。よく見ると指定席のようである。
 清美はその一枚を受け取った。
「よかったらでいいんだけど……」
 外林の顔は真っ赤である。
   もちろん行くに決まっているじゃない! あなたの誘いを断るなんてゾウとカエルとカビ菌位 のものよ。
 などと、清美は考えていた。清美の顔も真っ赤である。
「明日、映画館で待ってる」
 それだけ言うと、外林はもう駆け出していた。
「あっ」
 清美はただそれだけしか言えなかった。
 そして次の瞬間、清美の右手は自分のほっぺたをつねっていた。

 そして、その次の日。
「それじゃ、月曜日にまた!」
 それだけ言うと、外林は家に向かって走り出していた。
 彼は何と言っても体育会系である。
 そんな外林とさっきまでずっと一緒にいた清美は、浮かれ顔である。
   うふふ、楽しかった。うん、実に楽しかったわ。映画を見た後、二人で手をつないで……。
 今、頭の中には完全に外林のことしかなかった。
   さーて、早く家に帰って、裕子に電話して……今日のことを報告しなきゃ。映画も楽しかったわ。あれ、どんな映画だったかしら?
 つまり清美は外林のことで一杯なので映画の内容など覚えていないのである。
   まあ、いいわ。映画を見た後……二人で喫茶店に入って……それで……喫茶店? あれ、喫茶店って……あれ……?
 清美は頭が混乱し始めていた。
(必ず来てよね!)
 あの男の子の声が聞こえる。
「え、どこ?」
 周りに男の子など一人もいない。
(必ず来てよね!)
 また聞こえた。
 どこから、という訳ではない。全身、そう、清美の身体全部から男の子の声が聞こえるのだ。
「だって、今日は……」
 清美はどこに向かってという訳ではなく、自分自身に向かって、自分に語りかけるように言った。
(絶対に来ると言ったじゃない)
 また声が聞こえる。
「けど……」
 清美は自分の家に向かって歩き出そうとしていた。
   きっとこれは空耳よ。だって……だって……。
 清美の思考に男の子の声が入ってくる。
   近くにあの子はいないわ……(必ず来ると言ったじゃない)……違う、これは空耳だわ……(必ず来ると言ったじゃない)……違う、これは……きっと……(絶対に来ると言ったじゃない)……そう、私は言った。……けれど……けれど……今日は……仕方な(必ず……)かったじゃない。
 次の瞬間、清美は蝋人形のように動かなくなった。いや、動けなくなった。清美を取り巻く『何か』が清美を動けなくしているのだ。
(来てね)
 男の子の声は、この前会ったときと同じように一滴の濁りもない純粋で素直な声だ。
「まだ、あそこの喫茶店にいるの?」
 清美は声にならない声で聞いてみた。
(うん、いるよ。だから来て)
「けれど……」
 清美は身体を動かそうとがんばってみた。しかし『何か』の束縛は硬く、ピクリとも動けなかった。
   仕方ない。行ってみるか……。
 清美がそう考えたとき、その『何か』の束縛はなくなった。
   あっ動ける。
(早く来て)
 仕方なく清美は歩き始めた。
 やがて交差点に着いた。清美は横断歩道を渡ろうとする。
(どうして右に曲がらないの?)
 男の子が聞いた。
「えっ」
 その瞬間、清美はまた動けなくなった。
「だって、駅はこっちの方よ」
 清美が言う。
(電車なんて使わないで)
「そんな!」
(大丈夫だよ。道を歩けば、絶対ここに来られるよ)
 清美は諦めて右に曲がることにした。そうしないと動けないのだ。
   渋谷まで何時間かかるのだろう?
(大丈夫。ずっと待っている。君を待っている。けれど早く来て)
 清美の考えに男の子が答えた。

   もう何分歩いたのだろう。
 目の前の交差点の信号機は赤色である。清美は止まる。
(早く来て)
 男の子の声が聞こえる。
「信号が赤だから……」
 清美の目の前をトラックが猛スピードで通 り過ぎていく。
(止まらないで。早く来て)
「そんな!」
(大丈夫だよ。早く来て)
 清美の足は『何か』によって動かされていた。一歩、一歩、清美が歩き出す。
「ちょっ、ちょっと……」
(大丈夫だよ)
 激しいクラクションの音とブレーキ音。そして、車のボンネットがへこむ鈍い音。
 清美は次の瞬間、車にはね飛ばされていた。清美に激痛が走る。地面 に叩きつけられる。
(ほら、大丈夫でしょ)
 男の子の声が聞こえる。確かに清美の意識はあった。
「そんな……」
(早く来て)
『何か』は清美の意識とは関係なく、清美を起き上がらせた。そして、清美は歩き出す。
 清美の赤い血が流れる。
   後、渋谷までどれくらいだろう……。
(早く来て)
   後、どれくらいだろう……。
(早く来て、待っているから)
 街路灯が闇夜の中の清美をうっすらと照らし出していた。
(早く来て、待っているから……)
 待っているから……。

Fine.

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