赤穂事件とは、一般的に「忠臣蔵」の名で知られている江戸元禄時代に起きた事件です。
 
 「忠臣蔵」ものの映画やドラマ、小説なども数多くあり、師走の風物詩にもなっているぐらい有名な物語となっていますが、ここでは講談から離れた史実としての赤穂事件に触れて行きたいと思っています。赤穂浪士たちを「義士」とも、討ち入りを「義挙」とも言うつもりはありません。あくまで事件そのものを見つめていきたいと思います。
        
 私が赤穂事件を知ったきっかけは、ご多分にもれずテレビドラマです。NHK大河ドラマ「峠の群像」でした。当時小学四年生だった私は、何に惹かれたのか今でもわからないのですがかなり夢中になってしまいました。内蔵助役の緒方拳さんが素敵だったのか、あの暗い雰囲気が良かったのか、はたまたテーマ曲が良かったのか…(事実今でもあの曲を聴くだけで胸が騒ぎます)。兎にも角にも、それ以来、図書館に行けば歴史コーナーで元禄時代の本を探し回り、本屋で目についた「忠臣蔵」の文字に飛びつき、昔の映画やドラマなども手に入ったものは繰り返し見るという生活をおくるようになったのです。おそらく人生初めての「執心」出来事でした。

 中学生の頃からもっと赤穂事件のこと勉強したいと思い始め、大学は史学科を専攻できるところ…などと漠然と考えていましたが、結局は勉強不足のため短期大学部の国文科へ入学。 しかし、卒業研究&論文はかねてから赤穂事件を扱ったものにしたいと願っていたので、国文の域を出ない程度で近松門左衛門の浄瑠璃「碁盤太平記」を題材に選択しました。みなさんは「峠の群像」のラストシーンを覚えていますか?浪士切腹後の世間が映り、思索に耽る近松門左衛門がカッと目を見開き新作を書き始める場面です(…だったと記憶しているのですが)。その新作品が、「碁盤太平記」だったわけですが、それから私はこの作品が気になって気になって仕方がなかったのです。でも、小中学生の私が調べられた範囲の中ではその名前は殆ど出てきませんでした。有名なのは「仮名手本忠臣蔵」ばかりです。ずっと詳しく知りたいと思ってきた「碁盤太平記」を短期大学の卒業研究で扱えたことは、本当に良かったと思っています。
                                      
 さて、短期大学卒業後は併設大学の文学部へ編入をしたわけなんですが、やはり履修科目等の関係で希望していた史学科は諦めざるを得ず、中国文学を専攻することになります。それでも、卒業論文では赤穂事件を扱いたい気持ちは揺るぎないもので、今度はいささか強引だったかもしれませんが、兵法研究家として有名な山鹿素行を介して、中国の兵法書「孫子兵法」と吉良邸討ち入りとを繋げて論文を進める事にしたのでした。当時、それなりに頑張ったつもりではありますが、時間的なこと・自分自身の基礎知識のなさなどから、出来上がった論文は自分でも満足のいくものではありませんでした。もっと深い考察が必要だったと思っています。大学を卒業した後の次なる私の夢は、その卒業論文を何年かかってでも自分の中で満足のいくものになるように再度調べ直して書き直すこととなったのです。
                                      
これら二つのテーマで、赤穂事件を調べられたことは、本当に有意義でした。私にとっては卒業論文は辛かったけれどもとても楽しいものでもありました。普段は行かないような図書館や資料室などへ足を運び、膨大な資料のコピーを抱えながら、自分の手で調べ回っているときの充実感は忘れられません。私の赤穂事件への傾倒に拍車をかけたと言っても過言ではないと思います。


こんなちっぽけなページでは内容にも限りがありますが、ちょっとずつでも自分の知識を広めていけるきっかけの場所であればと願っています。
       

                 

松の廊下での刃傷から、浪士切腹に
至るまで、赤穂事件一連の流れ
吉良邸に討ち入った浪士達の一覧
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卒業研究「碁盤太平記」の概要
卒業論文「孫子兵法の研究
−山鹿素行の孫子理解とその吉良邸
討ち入りへ与えたる影響−」の概要

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研究・論文を書いたうえで
参考にした文献・論文・著書等

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赤穂事件に関する掲示板


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