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★ミ 【その6】 ・・・たいけん 設営・撤去・その他 |
釘を打つ話ばかり続いて、んーー ロムされている方々は もうえぇ
と飽きているのでは無いかと思いまして(汗)
というかぁσ(^○^)が飽きてきまして きゃーーー(笑)
今回は全然違う、新しいコーナーにします ははっ 余り違わないかも(汗)
【たいけん(1)】
このコーナーではイベントブースビルダーσ(^○^)が体験した事を
話して行きたいと思います
それから以前にアップした内容の見直しもこのコーナーで良いですかね
えぇ〜まずはこのコーナーの一番始めという事ですので
全然マニュアルっぽくないのですが
σ(^○^)がこの仕事を始めた初めの日の事から話します
「やはりはじめての時は、いたぁ〜いのですかねぇ(笑)」
σ(^○^)がこの仕事をはじめたその日、いきなり現場でした
それは晴海国際展示場での、ホテルレストランショウでした
そこでパン製造会社のブースが、はじめての仕事でした
ここでちょっとこの仕事に入るきっかけというか経緯を言いますと
σ(^○^)の家は元々木工職人の家で、親父も祖父も木工職人でした
昔は家でちゃぶ台屋を営んでいたそうなのですが、σ(^○^)の記憶には有りません
σ(^○^)はどーもその木工職人の古臭さが好きになれずに
釘よりもボルトナットだぁ、と某大手車ディーラーで整備士を目指しました
普通科の高校だったので、同期で入った他の人達よりも1年遅くなりましたが
3級ガソリンエンジン整備士資格取得
このまま整備士の道を歩んでいくのか・・と思われましたが
いやぁ〜あの頃は若かったのですねぇ
仕事よりも好きな事を選んで、4年1ヶ月で退職
そしてその好きな事もなかなか旨く続けられずに・・・んーーー
以前からオヤジにこの仕事をやらないかと誘われていたので、お願いしました
朝工場に着くとすぐに、オヤジから釘袋と玄翁とスケールとカッターを貰い
ワゴン車に乗り込んで現場へと向かいました
7月の暑い日でクーラーの無いオンボロワゴンに5人乗りはメッチャきつかったです
とにかくそのワゴン車のボロいこと(笑)
展示会場に乗り付けてくる車って、みんなそこそこボロいのですが
そのワゴン車はとーーーにかく、展示会場に来ている車の中で
いちばーーーーーーんボロかったのです
そのボロさですぐに目に付いて良かったのですが(汗)
σ(^○^)は後ろの座席に座ったのですが、その足元が・・・
吸殻でいっぱーーい(激汗)
そうなのです、職人さん達は灰皿を使わずに、というか灰皿も無く
たばこを吸うと吸殻を足元に投げ、足でもみ消していたのです
そして掃除もしないらしく、車内中が灰皿ぁ〜〜状態(激汗)
いやぁ〜もうとんでも無く常識の無い人達の所に来てしまったなぁ
と悲しく成りました
とにかく一緒にワゴン車に乗っている職人さん達はσ(^○^)のオヤジの世代
の人達ばかりなので、もうちいさぁ〜〜くなっていました
とにかく見習いの時は はい はい はい はい なんでも はい ですね(笑)
口うるさく色々と言ってくる人は自分の事を思って言ってくれるのだ
と思って有り難く思わなければいけません(笑)
いやでもこれホントなんですよね、どーでもいいやと思っている人には
何も言いませんからね
その時はその意味が解らずに うるせぇ〜なぁ と思うものですけど(笑)
出発してしばらく行くと、前にとんでもない荷物の積み方をした
2トンロングのトラックが走っていました
・・・なんだぁあんな積み方していいのかぁ・・・
と思っていると、職人さんの一人が
「おっやっと追いついたか」
げっ、それじゃ前を走っているとんでもなく常識はずれな積み方をした
あのトラックも一緒って事ぉ きゃーーー
道がカーブに差し掛かかり、ずーーっと前の方まで見通せる所に来ました
すると前の方に、またとんでもない積み方のトラックが2台
合計で3台、漫画みたいな積み方で走っていました
その積み方とは
前は運転席の前に1メートル以上はみでています
ですから運転席の屋根の上に積んでいる事になります
後ろは煽りを倒し、さらにそこから1メートル以上はみでています
両脇もミラーギリギリまで、ですから150くらいずつはみ出しています
そして上へは、んーー工場から展示場まで通って行けるギリギリの高さまで(汗)
と言うのは、工場から展示場までの間に何箇所かガードが有って
そのガードにぶつからない高さまで (激汗)
んーー数字で言うとちとまずそうなので あっはっは
言いませんが、とにかくすっごいです
あっ、現在はどの展示場も高速道路を使って行くようになったので
3800までで抑えています(笑)
こんな積み方もできるのかぁ〜と感心しつつ、これって違反じゃないの?
と思いましたが、晴海に近づくにつれ、同じ様な積み方のトラックが沢山
おぉぉこの業界ではこれが一般的なのかぁ〜って感じでしたね(笑)
晴海に着いてワゴン車から降りる時です
後ろの席に乗っていたσ(^○^)は降りる時に車の外に手を掛けて
椅子から立ち上がりました
すると助手席に乗っていた人がいきなり助手席のドアを閉めたのです
バシン!! ぎゃーーーーーー!!
そうです指を3本ドアに挟まれてしまったのです(涙)
ドアを閉めた本人は全く気づかずに行ってしまいました
もう1人残っていた職人さんがドアを開けてくれたから良いようなものの
もしσ(^○^)が最後の一人だったら・・・・(汗)
痛さをこらえながら一日中ドアに挟まれていたかもしれません(笑)
その時σ(^○^)は
・・・こなきゃ良かった・・こんな仕事やるっていわなきゃ・・・
取りあえず指は折れていませんでした
サロンパスを貰い貼ったのですが、指はジンジン痺れて
・・・こりゃ今日は仕事なんか出来ないなぁ・・・と思っていると
「こらぁ! 何やってる さっさとトラックの荷物おろせーー」
とオヤジの声が・・(笑)
「あっ は〜い」
痛さを堪え精いっぱいの笑顔で答えるσ(^○^)
とにかくトラックに飛び乗り、荷物を降ろそうとしたら・・・荷物ごと転落
膝をしたたかコンクリートに打ち突ける
その時σ(^○^)は
・・・こなきゃ良かった・・こんな仕事やるっていわなきゃ・・・
「おいおい大丈夫か?」
って言われ、ほんとは泣きたいくらいに痛かったのですが
「あっ いや 大丈夫です なんともないです」
とひきつり笑いのσ(^○^)
悲劇はそれだけでは終わりませんでした
大体立て込みが終わってきたのですが
バックパネルが何枚か足りなくなってしまい、作る事になりました
臨時の大工さんが小割を切り、それを組み立てていました
σ(^○^)は何をやっているんだろう?とぼーーっとして見ていると
「何やってるんだ、さっさとベニヤを打て」
と言われました
・・・どこに??
何をどうしたら良いのか解らずにいると
「出来ている骨組みにベニヤを打て」
・・・んーーどこに打つんだろう?・・・
「どこに釘を打てば良いのですか?」
なんてバカな質問
「桟の所に決まってるだろう」
・・・あちゃぁ・・・そんな怒鳴らなくっても・・・
7分の釘をベニヤに打ちはじめたのですが
7分の釘って小さくてなかなか打てないのですよね
そのうちに”バチン”・・・うぅぅぅうぅぅぅ〜〜・・・
おもいっきり親指を叩いてしまい・・・
んーーもう涙が出てきましたね(笑)
その時σ(^○^)は
・・・こなきゃ良かった・・こんな仕事やるっていわなきゃ・・・
今ですとバックパネルは新規で、という所が多いのですが
当時は古いバックパネルを使い回しが多かったのです
ブースが殆ど立ち上がり、というかσ(^○^)はほとんど出来る事が無いので
バックパネルの紙を剥く仕事をさせられていました
脚立に乗って上の方の紙を剥いていると
ブースの中を髪をオールバックにして、ポケットに手を突っ込み
ガニマタ歩きで廻りにやらたとガンを飛ばしている
一見 矢沢永吉 風のオヤジが近づいて来ました
・・・なんやあのオヤジはぁ〜・・・と思って見ていると
そのオヤジがσ(^○^)の前で立ち止まり
「おい こら おまえぇ 向こうの方も剥けかかっているから 剥いとけよ」
・・・おいこらおまえぇぇ・・なんやこのオヤジはぁ・・・
と思ったのですがσ(^○^)の口から出た言葉は
「あっ はいぃ」(笑)
後から解ったのですが、一見 矢沢永吉 風のツッパリオヤジ
このオヤジこそがこの会社の社長だったのです(激汗)
げぇぇーーこのツッパリオヤジが社長かいぃって印象でした(笑)
この社長σ(^○^)とは何故かウマが合い、色々と可愛がって頂きました
ここでちょっと社長の話を・・・
この当時この会社では全ての仕事が下請けでした
仕事も大きな仕事は余り無く、小さなブースを幾つもこなす感じでした
いつか社長が、現場の仕事の合間に
「ちょっと一緒に行こう」
と晴海のドーム館に連れて行かれました
そのころドーム館というと、大体大きなブースが多かったのです
ですから小さなブースの仕事している業者はなかなか入ることの出来ない
場所だったのですねぇ
そこにはドッカーーーンと大きなブースが立ち並び、電飾がまぶしーーく
輝いていました
「どうだい こういう大きな仕事も有るんだよぉ
いつか こんな仕事やってみたいなぁ」
と社長が語ってくれました
σ(^○^)もそれまで、そんな大きなブースは見た事も無かったので
おぉぉぉすごいなぁ〜こんな仕事出来たらいいなぁ と思いました
そして社長は元請けになるべく、営業専門の会社を起こしました
人員も揃い、体勢も整い、よしこれから
という所で病に倒れ、残念ながら帰らぬ人と成ってしまいました
残念ながら元請けでは無く、代理店が入っていましたが
社長の夢でも有った、ドッカーーンと大きな、展示会場中でいちばーーん
と言える仕事が出来るようになったのは、それから1年程経ってからでした
それから早10年以上の歳月が流れましたが
社長の意志を継いで、なーーんてかっこいいものではないですけど
σ(^○^)はσ(^○^)なりに頑張って現在に至っています
そして現在σ(^○^)とこの工場でやっている仕事の60%〜70%は
元請けの仕事になっています
てな感じで始まったσ(^○^)のイベントブースビルダーへの道なのですが
職人になるまでの苦難の道のりはまだまだつづく・・・(笑)
あははっ こんな話を書くと、この仕事をやってみよう
なんて若者が 減るかもぉ きゃっ(自爆)
ではまたσ(^○^)くん