大室佑介さんに聞く 2010年3月8日ダメハウス home その01 02 03 04 05 06 参加者など感想 2010/03/08日pm8時から仙台市内のダメハウスにおいて加藤拓郎さんの呼びかけで 、仙台デザインリーグ2005年日本一に輝いた大室佑介さんの「経過と現在」を聞く会が行われました。5年前のプレゼンを再現していたいた後 佐藤敏宏が分からない点をインタビューし文字起こしweb記録にしたものです。 移築家大室佑介(28才)を知ってるかい? その01 佐藤:大室さんよろしくお願いします 加藤:どれから行きますかね〜 大室:卒制から。、修士設計だけでは。 佐藤:自己紹介はないの? 大室:写真は? 加藤:ありました 大室:じゃー自己紹介から。 佐藤:いきなり卒制でもいいけど、後で自己紹介していただくと。お好きにして。お願いします 大室:はい。皆さん! 初めまして 会場 はじめまして 遠いところよくいらしてくださいましたガヤガヤ 大室:多摩美術大学を出て、大学院も出て。今一人でやっています大室と言います。丁度仙台で2005年に一位を取ったんですけども。被っている人とかって居ない?わけですよね。 佐藤:被っているというのは? 大室:僕が4年の時に1年で入っていた人とか?今の大学院の2年生が 加藤:そうですね。 大室:だから たぶん初見ですよね。 加藤:ポートフォリオは見たことあるんですよ。 後列左より 浅野翔 佐藤敏宏 圷一将 北本直裕 三浦和徳 前列左より 石井勇貴 龍神勇佑 加藤拓郎さん・大室佑介さん ・加藤敦史・・ ゲルニカミュージアム 大室:そうですか。なので学部の時と同じプレゼンテーションしようかな〜と思って。早速卒制の発表を始めます。 ゲルニカミュージアム。スペイン北部バスク地方に在る小さな町ゲルニカ。 この町で起きた無差別爆撃を題材にした史料館、ピカソの代表作ゲルニカを町に取り戻すための美術館、そして小劇場と図書館、複合施設を設計しました 追体験の旅は一軒の既存の史料館から始まります。 史料館の裏手の階段をおり公園側、裏に隣接する公園側に回り込むと一基のガラスエレベーターが姿を見せます。その先には地表に突き刺さる無数の鉄の棒が見えます。(絵)消えてますね〜あれ〜 ふふふ。 エレベーターで地下に降り爆撃史料館へと進んで行きます。 地上に在った柱は地面を貫き地中にまで達しています。小さな穴から入って来る光と、乱雑な柱は爆撃による恐怖を思い起こさせます。 写真や展示物映像スペースなどが行く手を遮る柱と共に続き、全長約90mの史料館になっています。 その最深部に当たるのがゲルニカの間です。 ここで人々はこのゲルニカの作品を通して、この町で何が起きたかを知り、ゲルニカの絵がどのような意味を持っているかを知ることが出来ます。 続いて、ゲルニカの間に隣接する巨大なエレベーターに乗って地上へと上がります。 このエレベーターはゲルニカの絵を搬入するためのエレベーターにもなっています。 ここから地上約4mの高さの地点まで到達します。ここのエレベーターから大地を切り裂く二本の直線が見え、その先にはそれぞれサンタクララ教会とゲルニカの議事堂が配されています。 エレベーターから降りて、鉄製の空中歩道を歩いて行きます。空中歩道はそれぞれの終点で爆撃を免れた建物、すなわち生き証人たちと対峙することになります。 サンタマリア教会。旧民家、エルスケラ資料館、サンタクララ教会、議事堂と向かい合います。 空中歩道に囲まれるようにして、深さ11mの穴が開いています。 歩道から専用のエレベーターで降りると そこには何もありません。 このボイドは爆撃によって破壊された町の焼土の記憶を表現しています。 このコンクリートの壁によって切り抜かれたのは爆撃以前と変わらないゲルニカの空の色、太陽の光、そして教会の鐘の音です。 以前と変わっている処は黒い御影石の巨大な慰霊碑が空を切り裂いていることだけです。 続いて、エレベーターでボイドの上に上がり慰霊碑の中に入って行きます。ここで、この作品の題材になったノーマンロステの詩ゲルニカではを紹介します。 ゲルニカでは死んだ子供たちが糊の効いた真っ白なよそ行きの服を着て哀れを誘う 白ずくめの姿で歩道に一列に並べられている 額や胸の小さな穴は夏の遊戯に夢中のさなか落雷のように死が体内に入った跡 母親よ子供らを思って泣かないで あの子らはもう帰って来ない 小さな子供らは天使の待つ天国に真っ直ぐに昇りました 弾痕は神様がキャンディーで埋めてくださることでしょう このフロアから浮いた白く冷たい鉄製の基礎は床に彫り込まれた、22の詩やメッセージを照らし出します。 人々はまるで祈っているかのように柱の前でかがみこみメッセージを読むことになるでしょう。 慰霊の空間を抜けると目の前にゲルニカの象徴である樫の木を迎えることになります。 樫の木との対面を済ませると、慰霊碑に隣接するように仮設の劇場(右絵赤囲み)が配置されています。 夏の夜には 慰霊碑や無数の柱を背景にした、演劇や音楽会、記念式典が行われることでしょう。 最後に大地に刻まれた切り込みから、地下に在る図書館へと入って行きます。 内部は巨大な天窓のエントランス・フォアイエ 閉架書庫は開架書庫はキャットウォークによって二層になって広がり約1万5千冊の本が収容されています。 図書館には閲覧室、カフェなども併設されています。 これで建物のプログラムは終わりです。 時間の経過と共に生き証人が消えつつあるなか、生と死。 過去から現在の記憶を追体験した人々は、何を感じ取り、またこれから何をすべきかを話合うこととなるでしょう。 2007年ゲルニカは爆撃から、70年を迎えます。以上です 会場拍手パチパチパチ テロを題材に 記憶を建築化 (久しぶり プレゼンはどうしたか) 佐藤:この長さで!全てプレゼンしたんですか 大室:そうですね。 佐藤:随分長いですね 大室:時間はオーバーしてました。 佐藤:でも構わず話していた 大室:そうですね。本当にその時書いた内容のままです 佐藤:止めろ!と言われなかったですか 大室:もうベルは鳴ってましたね。 佐藤:鳴ろうが無視してね〜 大室:無視してやってました 佐藤:止めろと言われてもやめないと 大室:あと、一人審査員の誰かが続けてって言ったような 気がしたんですね、言った気がしただけかもしれない かいじょうわいわいがやがや 大室:石山さんではないです。 佐藤:今日 再読したのと、正式な発表の場で読むのとではやっぱり違いますか? 緊張してるのが伝わってきてるんですけど今日も。 大室:そうですね原稿を読みながら、やったのが久々だったんですね。これ以降は本当に原稿無しに。 佐藤:当日も原稿読んでたんですか 大室:当日は有る程度原稿を頭に入れてやってましたけど。それ以降、何か発表のときは原稿無しでぱっぱっと見ながら、 佐藤:久しぶりに原稿を読んでいただいたと。どうでしたか 大室:いやなに言ってんだって 佐藤:ふふふふふ かいじょう ざわざわ うふふふふ 大室:なんか言葉が繋がってないと思うのもありますしね〜 佐藤:文脈というか大室さんが作った物語に沿って建物が配置されて、全体が構成されているというのは分かりますよね 大室:これはもうプレゼンテーションが一番し易い作品だと思います。一連の流れをただ、建物の機能とそこで起きた出来事を説明するだけでプレゼンテーションが出来ちゃうので。まあ楽なやりかたではあります。これは。 (どうしてゲルニカミュージアムなの) 佐藤:なんで?ゲルニカミュージアムを設計しようと思ったのか?が説明されてなかったんですけど 大室:そうですね、 佐藤:なんで?ゲルニカに行ってしまったのか 大室:うふふふふ 佐藤:唐突だったので、なるほど感が今一 沸かないんですが 大室:それは質疑のときも出たんですけど。なぜゲルニカかって説明をしてたらたぶん時間足りないと思ったんですよ。 佐藤:ああ無視したのね、今日は無制限で時間ありますので かいじょう はははははは 佐藤:ゆっくりと説明をねがいしましょう 大室:ゲルニカを選んだ理由というのは、 佐藤:ピカソが好きだったというのではないでしょう 大室:いや〜ないですね 佐藤:ゲルニカって70年前っていうことですから、だいぶん昔の話ですよね、現在の日本とも関係が薄いですよね 大室:最初卒制を始めようというときに、テロを題材にしようとした。 佐藤:911終わってたな 大室:911を題材に。僕は丁度大学1年のときに911が起きて 佐藤:あそうか!そうか2001年から数年経っているか。 大室:はい、テロを題材にして、卒制に繋げていこうと思っていたんですけど。テロ、今題材にするよりも何か根源的に何かあったんじゃないか?というところから 佐藤:テロを題材にして建築作るっていうのは建築に成りにくいと思うんですけど 大室:そうですね。テロに対しての慰霊碑の作り方という、記憶を建築化するというところを 佐藤:繰り返されるテロ行為の悲劇を記憶させるための建築を作ろうとしたんだと 大室:はい。 佐藤:分かりましたかみなさん かいじょう はい はい はい 大室:テロの出来事を扱うと、まだそのときは4年しか経っていなかったので時間的にも色々揉めたりして、早いですね。記憶がまだ 佐藤:戦争やってましたかね、イラクで 大室:まだやってます、そのときだったので。調べていくと、あのシーントいうのを。きっと過去にもあったと思ったんですね。空中から突然こう 佐藤:あそれで最初の絵に爆撃機が飛んでるのね 大室:ゲルニカっていうのは世界で初めての無差別爆撃が起きた場所だった かいじょう ふ〜ん 大室:ちょうどドイツ軍、ファシズムとの 佐藤:911民間航空機だけどゲルニカは軍機で違うと 大室:違いますね、ファ シュミットですかね。ドイツの爆撃機 佐藤:無差別空爆撃機 大室:ちょうどその頃はフランコが政権を握った直後で、ドイツと、ヒトラーの方と手を組んで実験場みたいな感じで。 ゲルニカを選んで空爆をしたんです。ちょうどそのときバスク人の迫害とかもあったので。でターゲットにされたんですね。規模としても丁度よくって 佐藤:なるほど 大室:で一日にして焼土と化して。空爆をまずジュウタン爆撃をして、逃げまどった人々に機銃掃射っていう爆撃の典型的なかたちが出来たんです。そこにテロまで続いている根源があるのではないか?なと。考えて。 まずこの出来事に狙いを絞ったんですね。ちょうどその1937年に起きて、つぎ2007年に70周年を迎えると。70年っていうのはメモリアルの方では記憶の節目として扱われるんですね。 佐藤:世代ではなく 70年 そうなですか 大室:当時、14才とか15才の子達が70年後85才、記憶の限界なんですね。95才になるとさすがに。なので60年以上に70年っていうのはかなり重要な時間だったんです。 佐藤:そういう、当時被災した人が死んでまうから記憶が無くなってしまうと。 大室:実際にゲルニカに狙いを決めて、ゲルニカに夏に! 佐藤:すごいねゲルニカに行っちゃったよ〜卒制するのに〜 大室:はい。その前の段階なんですけども。ピカソのゲルニカが必ず何か絡んでいると思っていて。でピカソのゲルニカが 佐藤:あそのときはピカソのゲルニカ知らなかったんだ! 大室:あまり知らなかったんですね。ゲルニカって本当図工の教科書の1頁目にあるぐらいで。あまり分からなかった。何の絵だろう?と。ピカソは描かされたっていうこともありますけども、題材にしていて。このゲルニカの絵が、本当はバスク地方のビルバオ、ゲーリーが建てたビルバオに移送される予定だったんですね。出来たときに。誘致したんですけど、直前になってそれがとり止めになっちゃったと。 そのときに政府がかなり動いてゲルニカの絵をバスクに戻すというのは またバスクの方からひっくり返されるんじゃないかみたいな、そういう政治的な保守派が居て。でとり止めになったという話があって。 いまでもビルバオに行くと4階の一室だけ壁で塗り固められた部屋が在るんですね。そこを壁を叩くと、やると怒られるんですけど。叩くと中が空洞でコ〜ンって抜けた音が聞こえるんですね。で、それを見てこのゲルニカをビルバオで誘致出来なかったんだから、僕の卒制で、ゲルニカの町に誘致することは出来ないか?ということで 佐藤:なるほど 大室:ゲルニカの間とかを設計してましたね。 佐藤:卒業設計をスペイン大使館に持っていってプレゼンもしたんですか? 大室:これは一冊にまとめて・・・ 14:57 その02へ |