大室佑介さんに聞く 2010年3月8日ダメハウス home その01 02 03 04 05 06 その05 佐藤:詩人関係大室さんは強いですね 大室:詩人は そうですね、一応今 平出隆さんという詩人の方。60ぐらいの人なんですけど。田村隆一さんとかの下の世代にいる人ですね。その人とかと、一緒に今やらせてもらっています。 佐藤:詩に反応したというのは小さい頃からですか 大室:いや!、とくに 佐藤:お父さんが詩人だとかいう話しはないですか (絵 平出隆さんの本) 大室:詩人ではないですけど。なんですかね 佐藤:突然変異のように詩的体質をもった人が現れるわけはない 大室:ゲルニカのときに、通じた詩人がちょっと興味が湧きましたね。ガルシアロルカの詩とかを読んで。詩人って誰にでもなれるんですよ。日本にも詩人って一杯いますけど。読んだときにこれ違うなっていう詩人ってやっぱり居るんですよね。 佐藤:数学的だったり物理学的だったりダジャレ的だったり色んな詩人居ますから、大室さんに合った詩人というのはあらゆる詩人ではないのでしょう 大室:そうですね。その詩の強さというのはありますよね。あれだけの言葉数で 佐藤:詩は伝わる時間的なものも含めて 届く距離が全然ちがいますものね。 大室:建築もそれが出来るジャンルではあるような気はするんですけど。中に留まって何十年いて分かるものもあれば、通りかかっただけでぱっと訴えかけて来るっていうこともありますから。 佐藤:1300年前ぐらい前の孟浩然の春眠暁を覚えず・・って詩は知っているけど、その当時のその地の建築を知らないね。詩人の言葉って強いよね、その代わり現世では放浪しているみたいな。やっぱり食えない、生きているのだから食ってはいるが。残された言葉の強さよりははるかに か弱い暮らしだったろうと思う。その時書き残された感情は言葉が抽象化されて文字にかわって伝えていくしかない訳だけども。建築の強さとは比べものに成らないぐらい強い。大室さんの中ではそれがゆくゆく問題に成ってきますよね。 大室:そうでしょうね。 佐藤:物の弱さというのは、骨身に感じチャウじゃないですか。物の場合は人が介在しないと作れないという事実があるじゃないですか。現在の大室アート作品のように小さい場合は可能だけど、巨大だったら一人で構築するのは無理ですよね。その当たりはどういうふうに考えてますか 大室:あるていどこういうものを作っていると、これを作るときは、誰の手も介在させたくないですね。建築になると、じゃーそれだったら建築以外の処でやればいいじゃないかっていう。誰かの手が介在されて嫌なら自分でこういうものをつくれば良いじゃない。 佐藤:建築は介在出来ないっていう前提ですね 大室:え介在できない。自分はその介在の元をつくる役割であって。その間に入ってくる人はもちろん一杯いますし。 佐藤:大室さんか建築で、ここだけやるというのは言葉だけですか?建築を起動させるときに、自分がコントロール出来るというのは言葉ですか? 俺は建築のここだけしかできない、みたいな諦めがあるわけでしょうか。 大室:そうですね、諦め、 佐藤:建築になる素材の元素の事までコントロールしたと言う人が居るとすると、大室さんの場合は他者に介在されちゃうのは建築だという姿勢があるから、建築は「あ」という一言であるみたいな処に行ってしまうじゃないですか。どこを建築の境としているんですか 大室:でも一人でやっても建築に成る場合もありますよね。誰も介在することなく、こうやって作っても、成る場合もあると思うんですね。他者というか外の人が入っても彫刻になる場合も、アートに成る場合も。 佐藤:秋山画廊の作品は屋根が架かっているのでコンクリートの3,6のスペースで寝てもいいわけだけど。作品だと言われれば誰もそんなことしないで観るだけですよね。野外に単に置いてあればスクウォターの人が来て寝てしまうかもしれないよね 大室:ふふふふ 佐藤:作品と建築の境というのが、あまり普段は考えませんけども。大室さんは考えている訳ですよね、考えざるを得ませんよね 大室:そうですね、まだ答えは出ないと思います。建築を作ってる訳でないので。でもゲーリーが言葉を言っているんですけど。貴方にとって建築とアートの境目は何ですか?と言われて。窓が有るか無いかですって一言で返したんです 佐藤:ふふふ なるほど 大室:あれは行き着いた人にしか言えない表現だと思う 佐藤:ゲーリーさんにとっては窓の有無だと。 大室:その窓って言うだけで内部と外部性ということを全部言っているんですよ。難しい言葉無しで。窓が有るか無いかですって。ああ彼らしいな〜って。それぐらいまで行けたら本当は良いんですけどね〜。 佐藤:行きそうですね 大室:わからない。それには知識ではなくって知恵というか。 佐藤:サポートしてくれる人もいないと駄目ですよね。飯喰って生きのびなければならないし。考えつくことは出来るかもしれないけど、日本の現状とか社会が持っている力だとか、大室さんに仕事を与える社会自身の力やタイミングがないと、出会う運があるからね。 大室:うん うん 佐藤:なかなか自分一人で極められる問題でもない訳ですよね。なるほど。そうすると大室さんの今現在に至は独立して3年目でしたっけ。 大室:2009年、去年からですから1年ちょっとですね。1年ちょっとで記念館と展示計画を2つと自分の作品、展示作品が2つ、それぐらいです。 移築 佐藤:現在に至るまでで、会場の皆さん質問ありますか 加藤:なんで移築アトリエなんですか 大室:お、良いですね。へへへへへ 会場 がやがやワイワイ 大室:建築っていう言葉自体が日本で翻訳されたのってまだ、100年ちょっと。 佐藤:明治維新から140年チョイですからね 大室:辰野さんどっちかが確か運んで来たと思うんですね。伊藤さんでしたっけアーキテクチャーを建築って翻訳したところから始まっているだけで。まだその言葉自体に疑問を持たなければいけないっていうのと。建築を名乗ちゃうとこういう活動をすると、「建築やっているのに、こんなのやって」いう見方がされてしまうので。移築っていう言葉が今しっくり来てて。移築だと自分の中では幾らでも言い訳が出来るというか。これはあくまでも自分 佐藤:移築って移動するや移行することですね 大室:そうですね移す築くの移築で。内面にあったものを移築する。新築の話が来ても御施主さんの要望だったり、中にあるものと土地の中にあるものと社会に有るものと自分の中にあるものを移す。コラージュ作業に近いと思うですけど。そういう意味での移築っていう言葉が今はぴったり来ていますね。 佐藤:近代の教育内で、建築教育に対する批評でも、批判でもあるんだね。建築家は何をやっても良いんだもん。元々は日本ではお坊さんでしょう建築や景観は 弘法大師・空海にかぎらず 大室:そうですね 佐藤:職人の人々に支持されていた太子(空海)講といのがあったけれど。俺は重源とか勝手に尊敬しているだけど 凄い建築家だと思うんだけど。ゼネナルマネージメントをやっている。お金も集めているし、勧進興行などの演劇芸能の小屋も立てるしね。あらゆることを宗教思想というのを具現化させるために建築に置き換えるような活動もしていた。 大室さんは宗教に代わる自分の何か思想みたいな考え方みたいなものを、建築や移築作品によって考え方を知らせようとしているので「私は移築家です」と言っても。移築家ですと言っても近代建築教育を受けた人々にかぎらず大方の人々は今はピント来ないよね。現在の建築を批判しているわけだから言葉を発明しなければならなかったと。現在の建築を離れて、建築という言葉を使わずとも 大室さんの活動が分かる言葉を発明したときに大室さんは完成していくという感じがしますよね、楽しみですね。 一時間経ちましたので一度休憩しましょう 大室:そうですね 佐藤:じゃあ一回休みでは拍手〜 かいじょう大拍手パチパチパチ その06へ |