2009年12月10〜13日「じゅっくりの会」in京都 記録 home 10日 駅から えいぞうさんの家体験記 えいぞうさん父を語る えいぞう・きみこさん新居を語る 11日 柳原照弘の この1年 工芸繊維大講義 デザインイースト 00 を語る 12日 渡辺菊眞さんに聞く 鼎談 アガカーン賞の王路 (森田一弥・渡辺菊眞・江崎貴洋) 松岡聡さんに聞く 工繊大3年生・浅野翔さんに聞く 渡辺菊眞さん森田一弥さん江崎貴洋 さん 「アガカーン賞の王路」 その01 その02 その03 その04 その05 その06 その02 江崎貴洋さんの活動紹介 森田:江崎君は、渡辺豊和さんの工房にしばらく行っていたよね? 江崎:はい 森田:僕学生の頃から記憶あるんですよ。こいつ出来るんだって渡辺豊和さんが自慢してた記憶がある。で、渡辺さんの工房に遊びに行ったら。江崎君が居て。おおやっぱりここに来ているかははははは 佐藤:その後 孤独死しそうになったんじゃないですか 森田:あ そうなの!? 佐藤:その話を 森田:事務所時代は大変だった? 江崎:孤独死 しかけてまして、 森田:あんな繁華街なのに ははははははは 江崎:もう携帯代も払えないですし、なかなか生活費も無いなかで。ただアルバイトはやめようと! 渡辺:工房に居た6年間ぼくもそうで。江崎もそうだよ。僕は月2万の電車賃だけは支給されたんですよ。工房で。江崎君は電車賃も無かったので、自分で生活費は稼がなきゃいけなかったから、バイトしながら工房に。 森田:すごいな! 渡辺:それをするためにはめっちゃバイトをやらなきゃいけなかったという前提があって、今の話になるんですよ。 江崎:で何とか、工房に通うために、交通費稼ぐためにアルバイトをしてたんですけど。それで2年ぐらい。それだと中途半端になるから、アルバイトやめようとなったら孤独死しそうに 家から動けなくなりまして。家でじーっとしている。 かいじょうははあっはははは 渡辺:電話はとめられるし、どこかへ行く電車賃も無いっていう 森田:実家どこなの? 江崎:奈良ですね。 森田:そんとき奈良に居たの 江崎:奈良に実家に 佐藤:飯は 江崎:飯はさすがに親が、さすがにほっとく気はしませんからね 佐藤:それじゃ 孤独死 さえ できないな〜 かいじょう はははあはっははは 江崎:そういう日々が続きまして、ある日なんか菊眞さんから一枚の50円ですかね。葉書が届きまして。 佐藤:何て書いてあった (絵江崎さんHPより 以下同じ スコラメ小学校) 江崎:お元気ですか かいじょうはははははははははははあはははは 佐藤:で 江崎:お元気ですかと。そんときは大阪市立大学のN先生が連絡をとりたいと、言ってますみたいな事書いてありまして。で一度電話下さいということで。公衆電話 佐藤:N先生に電話したんですか 江崎:いえいえ菊眞さんにですね。そのときNさんがやっておられた汗帝都のやつで 営業っていう、本を売るっていう。 佐藤:作った本を売り歩くと 江崎:Nさん、本を作ってそれを売って資金を回収して、また本を作って回収して本を売る 佐藤:手売りっていうこと、書店廻りっていうこと? 江崎:それを、ちっちゃい個人出版社は結局取り次ぎとかというのはなかなか してくれないし、したとしても6掛けとかでやると、なかなか個人的にはキツイんですね。2000部で6掛けとかなったら、資金回収はキツイので。できるだけ直接販売したいっていう話で。直接取引になると7掛け、よくって8掛けぐらいで書店では扱えるので。それで直接取引の書店数を増やして行くとか。 例えばネットとかを使って、それで販売数を増やすとか、ということを協力してくれないかっていう話だったんです。 佐藤:本売りの営業をしたんだ 江崎:営業で。 佐藤:給料は幾らだったんですか 江崎:給料は決まってなかったんですけど。 佐藤:どういうこと 江崎:毎月、タスク報告みたいな事がありまして。それで今月は私はこれだけの事をやりました。これだけください!みたな感じで。 佐藤:だまってちゃくれないの 江崎:だまってたら「なんやお前給料欲しくないの」 会場ははあはははあはは 江崎:でまあ、今月はこんだけの事をやったんで、こんだけ下さいって、「いや俺だったらこんだけの事、5万円でできるよ」とか 佐藤:浪花金融なみでんね、 給料値切られちゃうわけね 江崎:そうですね、そういう感じで半年ほど、それをやっていたんですね。けどまあ建築がやりたいと思って。 佐藤:おれは本を売る営業マンなんかじゃねーと、まだ孤独死になるじゃん 江崎:すみませんと。でNさんにも見切り付けられちゃったですかね。で、辞めさして下さいっていうことで。Nさんの下を離れて。 今度は一緒にその当時Nさんの汗帝都と大阪の浪速区で事務所してた、Iさんていう設計事務所にお世話になって。竹中出身の方ですね。で、同じくNさんとIさん同じ大学出て。そこでまた、お世話になって。 佐藤:どのぐらい働いていたんですか 江崎:それも半年 佐藤:早いですね動きが 江崎:ちょうど足を怪我しまして。入院しなければいけなくなりまして。1ヶ月以上入院するようになると、設計事務所たいへんなので。機会といして辞めさしていただくということで。で、NさんとIさんとで1年間お世話になって。その後入院で。ずーっと膝を悪くしまして。手術して入院、退院後もう一回渡辺豊和建築工房に戻って。 佐藤:また給料でませよ 江崎:その時に、丁度入院中に大学時代の友人と連絡を取ってまして。「俺なんか飯も食えないし、足もまた古傷痛めちゃったし」って言ったら「俺がお前食わしてやる!」 会場 ははあははは 森田:すごいな〜 ガヤガヤワイワイ 江崎:大学の同期、で、今一緒に会社おこしている奴なんですけど。 佐藤:友達が めしくわしたると 江崎:当時彼の給料は月20万やったんですけど。僕に毎月5万円 森田:すごいな〜 江崎:ずーっと支えてくれた、3年ほど支えてくれて。毎日千円で、30日間で3万円携帯代が5千円ぐらいですけど。私けっこう酒呑むので、酒代として1万5千円。 佐藤:酒代って今日のような感じですか 江崎:いや 居酒屋へ 佐藤:生意気やな〜 はははははあっははあは 江崎:女の紐って言ったら格好良いんですけど、男の紐 佐藤:3年の間ね 江崎:その後、3年間ぐらいは支えてもらえました 佐藤:3年間で180万円と、その間、渡辺工房に行っていた 江崎:それで渡辺工房に行っていて、もう一回復帰しまして。ちょうどその時に中国の北京行きの話いただきまして。 渡辺豊和の弟子やったハクリンさんという方が、北京交通大学で大学の先生やられている。で、日本人スタッフを入れて勝負に出たいような話で。丁度お前いっから行けよと師匠から言われて。「わかりました行きます」と言うことになったんですけど。 中国もなんせ人口が多いのでなかなか日本人の就労ビザが下りなくって。ビザの関係で揉めてたら 京都のNGOから2006年にインドネシアのジャワ島中部地震ありまして。それで専門家を探しているということで。 佐藤:地震が起きてなんの専門家を探してたんですか 江崎:小学校の再建ですね(インドネシア・ジョグジャカルタ特別州・バントゥール県・デリンゴ郡 スコラメ小学校)。その前にパキスタンの震災の時にも誘われてたんですですけど。丁度タイミングが悪くって。そんとき渡辺建築工房に話が来て。そんときは菊眞さんも私もタイミングが合わなくって。布野研の学生さんが行かれたんですね。同じくまた来たので丁度中国行きの話が定まらない時だったので「行きます」ということで。 佐藤:その時は男紐中で 江崎:ずーっと紐中 森田:男前だな〜はははははは 江崎:紐中で行って、ある程度固まった報酬頂いて。帰って来て。お礼でばーっと。ちょっと木屋町の方で。ふふふ。お返しをして歩いたらまた紐になり 会場ははあははははははは 江崎:ありがとうって言って、どんちゃん騒ぎを。先斗町で皆さん招待したら、また素ってんてんに成って。また紐でした 森田:男前だな〜計画性ない かいじょうはははあははは 佐藤:インドネシアでは学校はどういう状況で作ったでうしようか 江崎:そのエリアが石工とかはいしていた地域でしたが地域住民が中心になって、小学校の再建をするっていうプロジェクトだったんですけど。そこで4ヶ月間滞在して小学校再建の指揮をするかたちで。まず現地に渡って、なぜ壊れたかっていう処をみんなと考えていって。 佐藤:みんなとは誰ですか 江崎:主に、石工とか、大工っていうのを生業にしている人間も混じって 佐藤:日本人じゃない現地の人なんでしょう 江崎:全員インドネシア人、一緒にかんがえて、もともと鉄筋が凄い細いし、お金が無いからセメントの調合もめちゃくちゃなんで。レンガ積みになってますから、崩れて当たり前なんですけど。 元々木造の文化なのに、レンガ作りとかに憧れてしまってるがゆえにちゃんとした、建て方も分からないから、地震で壊れてしまうというのもあるんですけどね。 佐藤:潰れた建築を再建するんですね 江崎:再建するんですけど、やっぱり彼たちはレンガ造り、格好いいと。木造はみすぼらしい、やっぱりレンガだよと。そんなかで木造は素晴らしいんだよっていうのも 佐藤:受け入れてはくれないんだ 江崎:なかなか難しいですよね。 たとえばレンガ造りにしても、壁をシングルで積んでいくので、絶対壊れるんですけど。梁とか入れて壁の面積を小さくすれば崩れ難くなるとか。色々そういう事も分からないので、がーっと大きくとっちゃうので 間柱入れてから、分割して小さくしていったらもう少しましになるよとか、そういうのすら分からないから、そういう処からちゃんと。 佐藤:すこし戻しますけど 幾ら先斗町で使ったですか 江崎:けっこう 4ヶ月で 佐藤:だれがお金を払うんですか 江崎:ジャパンプラットフォームっていう所が。今、日本のNGOとかを束ねているファンドみたいなところ在るんですね。でもNGOのシステムって凄い酷くって、専門家派遣ってちゃんと日当、例えば1万とか2万とか用意しているんですけど。その内何割かは団体に寄付してもらいますと。勝手にそういうシステム 佐藤:間接 効かし ピンハネか? 江崎:ピンハネ、それが日本の 佐藤:幾らはねるの 江崎:だいたい半分 佐藤:ええ!! 森田:凄いね 江崎:5割カット 佐藤:そこのNOGでは半分とっていると 江崎:それも日本人ならではでしょうね、日本人やからそういうのも何か良心的にというか、あそうですね、金儲けじゃないからみたいな感じで。そういうのもokだし。今の処は日本のNGOの限界なんですようね。 だから海外のオック・ファムとかそいうところっていうのはファンドから違うので。規模が違うんですね。日本のNGOって そういう処にも、今もう限界があると思いますね。やっぱりしっかりとする人に対してちゃんとした対価が払えないっていう処が 佐藤:男の紐を脱したと思ったら 半分はねられる世界へと 会場 ははあはははは 30:07 その03へ |