2009年12月10〜13日「じゅっくりの会」in京都 記録 home 10日 駅から えいぞうさんの家体験記 えいぞうさん父を語る えいぞう・きみこさん新居を語る 11日 柳原照弘の この1年 工芸繊維大講義 デザインイースト 00 を語る 12日 渡辺菊眞さんに聞く 鼎談 アガカーン賞の王路 (森田一弥・渡辺菊眞・江崎貴洋) 松岡聡さんに聞く 工繊大3年生・浅野翔さんに聞く 渡辺菊眞さん森田一弥さん江崎貴洋 さん 「アガカーン賞の王路」 その01 その02 その03 その04 その05 その06 その03 先斗町で 使い切る 佐藤:人助けられないじゅないか? 貧困を増産しているようなもんか 江崎:でも4ヶ月ぐらいで120万ぐらいいただきましたかね。本来ならもうちょっと倍もらっている 、でもリスクとか危険性とか専門職からしてもそんなに、妥当な線 佐藤:そんなに 危険なんですか 江崎:インドネシアとかはさほど危険だとは思わないですけど。 森田:でも家族を養ってという事考えたら、それぐらいもらわなければ 佐藤:やってられないと。で帰って来ていきなり先斗町ってのはまた飛びますね。なんでそこに行っちゃうでんすか 江崎:京都の 佐藤:記号的な行動だ 森田:金貯まったら先斗町じゃ〜 会場ははははは 江崎:お世話になっった方々に 佐藤:一晩で無くなりましたか 江崎:2日、3日ぐらいでしたかね、1晩40万円ぐらい使いましたね、ただ10人ぐらい呼んでなんで一人4万円ぐらですかね。それを全持ち・一人で 森田:男前だな〜おれ今までそんなお金の使いかたしたことないよ〜 すごいですよ、江崎君やるわ 江崎:すごくその後後悔しましたけれどね 会場はははあははっはは 江崎:また紐に戻った、3日ぐらいで100万ちょっとが無くなって。また貧乏生活に戻る。その後がヨルダン、そしてウガンダ。 佐藤:だいたい午前中の菊眞さんの話と繋がってきたからその辺の 話から バラチャディ小学校 図書棟 森田:僕がじゃあふりましょうか。その話の前後で、奈良駅で再会して。土嚢を積みに行ったのが切っ掛けなんですか始まりなんですか。 (以下 写真D研サイトより インド バラチャディ小学校図書棟 詳細へ) 渡辺:そこからは彼も 汗帝都 行ったりなんだりしてて、インドネシア終えたのが2006年じゃなかったかな。 江崎:06年の末でしたね。帰って来てすぐ2007年の年を迎えた 渡辺:というのがあって、僕は京都CDLやっていたのと、工房での修業みたいなものを6年ぐらい。秋田県の角館にいっこ木造の住宅、あれが実作初めてみたいな感じで。土嚢を除くと。もう修業もいいやろうっていう時期に差し掛かって来てたし。 江崎君はエンドネシアで3日間でお金すったのは別にしても、そういう能力は有ると思っていたけど。 実際一人で行って来て。耐震設計みたいなことまでワークショップしてやって来て。終えて帰って来てたわけなので。こっちはもうそろそろ修業は良いと。 彼自身は色々やりながらも、海外にピンで行って何かやって来て帰ってくるんだ、というようなものが見えたのもあって。丁度面白い時期だったかな〜っていうこともあって。僕は資格も無かったんだけどD研究所(サイトへ)っていうのを1月1日に立ち上げて。彼も一緒に共同で、あと高橋っているんだけど。3人で立ち上げたというのは、形だけ立ち上げて。 NGOもすごい喜んだのよ、インドネシアの仕事、向こうでも話題になったし、こちらとしても、帰って来てもNHKに出たりとか江崎は。でえらい人気者にNGOがなって。そういう処へ独立して。滋賀でちっちゃなドーム造ってたりとかしてる中で、満をじっして今までだと既にある仕事の監修とかばっかりだったんだけど。 ヨルダンに関しては自分たちがずーっと面倒見て来た貧困女性団体、拠点が無い。 それを菊眞さんが設計して、それを江崎さんとかと一緒に具体化するような、話をしないか?って。 D研究所立ち上げた直後にその話が来たので。あ、ようやく単なる監修じゃなく、設計したものが建てれるんだと。というような事がヨルダンの始まりだったんですよね。(ヨルダン建築へ) 森田:その時は土嚢を積んでく技術っていうのは、向こうの念頭に有ったのか、それともこちが提示したものなのか。 渡辺:土嚢はインドに最初行ったときに。天理大の方で広報してたのと、工房の方でも土嚢を積んで造る建物みたいなものを頁を作っていたので。 その時期に土嚢NGOっていうのは、新聞か何かに出て。 で、アフガニスタンなんかで、被災地復興のモデルを立てて欲しいというのがまずあったんですよ。それは2003,4年ぐらいやったんだけど。それは頓挫して。 ただ付き合いみたいのがずーっと有って。アフガンの学校なんかの耐震補強設計かなんかの監修に僕が行ったりとかしてたんで。それは土嚢とも関係無いし、RCの建物を補強。 向こうもそれで様子見てて、頼んだら割と建築とかの業務するには上手く行く感じのメンバーだし、面白そうだと。土嚢の事を知っていたのと、実際監修させると上手くいくみたいなのがあるから。 向こうとしては満をじっしてじゃちょっと冒険気味に設計もしてもらおうかみたいな話があっって。ヨルダンの話が来たんですよ。 森田:午前中の話はそこら辺まで行ったんですか。 佐藤:ヨルダンの話もウガンダの話も出ました、ざっとね。詳しくは聞いてないんですけど。 森田:順序はインド、 渡辺:海外で最初は インドをやって、しかもそれは1年目は復興住宅モデルを作って。 それから春にまた単に土嚢のドームを一基建てたいと。ポツポツやっていたんだけど。2個ドームを建てたのは単にドームがモニュメント的に成る状態があって。 その次の時に、図書室を建てたいと。インドで。 学校は崩壊してしまったんで、ガチャント。で、何もない、読書室が欲しいという話になって。それを土嚢で作るっていう。 そんときパッシブソーラーかんなかで、山形 になんかやったんですよ。 江崎君が一人でやって。彼はその二つ、なんとなく在ったんだけど。 そこにもう一個正三角形にして加えて、極小曼荼羅みたいな図書室を作って来て。 そんとき威力、能力みたいなものを発露した時があって。 一人でやって設計もする面白い事考えて、かなり短い工期だったけど、作りきって帰って来たんで。 ああ、っていうのがあったと。それがあって、国内でちょこまか土嚢のやつやったりとか何だりとかしてて。それ以降 江崎君土嚢触っていないもんね。僕がやっていて。過疎の村に土嚢を作ったりとかして。そしてると5,6年ぐらい立って来て。 でヨルダンなんですよ次が。そういう流れですね。 森田:長いな〜。 江崎:ヨルダンは4年ぶりとかそのぐらい 渡辺:土嚢はね。 江崎:ちょっとドキドキしましたけれどね かいじょう はははははは 江崎:覚えているかな〜 土嚢(どのう)との出会い |