「駅のホームで人助け」
岐阜市 足健会会員  島崎豊子
今は亡き主人の肺気腫による入院経過から突然死(急性心不全)に至るまでの、私と主人とお医者様との葛藤と、一昨年(H15年)6月の不思議なほど偶然の出会いによる貴重な実体験をお話します。
私の主人は今から6年程前に肺気腫で岐阜市内のある大病院に入院しました。当人はそんな重病とも知らず入院したのでした。それまではとても元気な人で、主人の今は亡きお母様の話だと、若い時(青年時代)盲腸で手術した時は3日程で退院してしまった様な人だったそうです。私と縁が出来てからは、風邪で2〜3日身体を休めたぐらいで、全くといって良いほど病気とは無縁そのものでした。そんな人なので、この入院当初も、「一週間程だろうから骨休めのつもりで入院させてあげたら!」とそんな軽い気持ちでして、私も息子も娘もすっかり大船に乗った気分でおりました。ところが1週間経ち、2週間経ち、3週間と経過し、ついに1ヶ月程経ってしまいました。本人はもう病院はいやだから出る、家に帰るとダダをこねる始末でした。その間、お医者様の手前もあると思い、私は隠れるようにして主人の足を揉んで帰ってくると、翌日は良くなっていました。足もみを一週間毎日続けて帰り、次の1週間はお医者様の治療のみして足もみをせず、これを交互に試してみました。すると、病状はお医者さん任せにすると良くなるどころか悪くなるばかりでした。
私自身は、足を揉んだ方が調子は良くなると確信を持っていましたが、なにせ大病院のことなので、本人も私共家族も良くなると信じてこの病院を選んで入ってもらっているのに、これは何なのだろう、病院は良くするのが役目だろうに…と疑問をいだくようになってきました。しかし主人にはこの事は言いませんでした。私の胸にそっとしまっていました。そうこうしている間に私と主人が主治医に呼ばれ、そこで聞いた言葉は、「この病気は治りませんよ…」とのこと。治療のために大病院を選んで入院しているにもかかわらずそんな言葉って…?
ついに私もプッツンと、どこかの線が切れたような思いでした。じゃあ、東洋医学でも何でもするしかしようがないですね…と。つい口走ってしまいました。そこで次の病院を準備して主人の体調の良い頃を見計らって退院しましたが、本人曰く「足を揉むからもう病院はこりごりだ」とのことです。全然病院の方へ足を向けようと致しません。そこでやむをえず足もみに集中(朝晩2回)する様になりました。それまで病院では酸素吸入が手放せなかったのに、退院の翌日から全く必要もなく、めきめきと元気になり、約2年経過しました。しかし、男の人はわがままで、調子が良くなればもう私の言うことも時には聞かず、私が一番注意していたタバコは止まらず、私も子供じゃないから自分の健康は自分で守らねばと半分開き直りで、主人のご機嫌に任せていました。主人は気分よく、好きな建築模型に精を出すようになり、根を詰めてばかりで、足もみの方もおさぼりが始まり、タバコは絶対に足もみでも止まらぬと意気込んで自信を持っている始末で、これはいけないと私は思っていましたが、その負担が心臓に一気にきてしまい、とうとう帰らぬ人となってしまいました。
その後は私も2〜3ヶ月は返す返す残念でなりませんでした。心臓は脳に血が行かなくなると、早くて3分長くても5分で死を招くと義理の弟(元警察官)から耳にしましたがその通り、私が気づいた時にはもうすでに遅くて、なんともなりませんでした。私は当時も仕事を持っていたお陰でまわりの皆さんに励まして頂き、今では主人の足の代わりに自分の休日を利用しては昔からのお客様の足をずっと見させていただいている今日この頃でございます。
そんなことで主人の死後4年ほどたった命日の2日後(平成15年6月4日)の朝のことです。きっと主人が引き合わせてくれたと…思っていますが、自分を助けてもらえなかった分、他人の方を必ず助けるようにといわんばかりに、本当に偶然ですが、名古屋駅(名鉄)のホーム内でのことです。年の頃30歳ぐらいの女性が椅子になだれ込むように駅員さんに手をささえてもらっていらっしゃるではありませんか。私は荷物でも持ってあげようかぐらいのつもりだったのですが、それはそれは大変な状態で、貧血の方は今までホームなどで数人の方を見ましたが、この方は状態が全く違う様子で、またたく間に体は硬直し、眼はもちろんつむったままで、駅員さんはオロオロの状態でした。ホームは朝のラッシュ時で、すごい人ごみだったのですが、幸い椅子のところが少し空いていて、掛けられて少しは助かりましたが、「早く救急車を、急いであげてください」と願わずにはいられませんでした。私もお医者様ではないので手を出してはと自分を戒めていましたが、このままでは本当にこの人危ないな、若い方なのに…と思いました。もうこれ以上待っては危険じゃないかと思うぎりぎりまで待ちました。本当に大変な勇気がいりましたが、手を差し伸べようと決心して、まず靴を脱がせてあげて様子を見ながら、本当にそーっと、やさしく、足の指先を広げるように2〜3度、とにかく指先をしっかり広げながらふくらはぎ、ひざ裏、足の裏を、顔色見ながらやさしくやさしく、やんわりやんわり、又、指先をすべて手のみで軽く軽く擦ってあげました。するとやっとはげしかった脈拍が徐々にゆっくりとなりました。そして心臓・副腎の反射区を呼吸にだけ気にしながらやんわりやんわりと触りました。これが功を奏したのか、女性はすごい硬直状態から開放され、ほとんど正常に近い脈拍に戻り、顔色もずいぶん戻ってこられた様子で、私もやっとこの時点でホッとしたところで、やっと担架がまいりまして「お母さんですか?」と聞かれ、「いいえ」と答え、「よろしくお願いいたします」とだけ伝え、自分の職場にと急ぎました。名前こそ名乗りませんでしたが内心「よ〜し、これであの子は助かったな」と安堵したことでした。
きっと主人もあんな感じであちらの世界へ旅立ったのだなと何となくダブって思えてなりませんでした。あの時の体験を思い出すと、始めはほんとうに恐かったのですが、きっと主人が自分に代わって助けるようにと天国からパワーを送ったのかなと思えてなりません。電車の中でこの様子を見ていた方があって、それも私の知人で、偶然その停車中の電車の中で見守ってくださったそうです。後日「おねえさんすごいことをしたねえ」と言ってくださりました。しかし、その方は今病気中とのことで、勤務先をお辞めになったそうで連絡が取れず大変残念です。本当の一時の出来事だったのですが、この健康法を覚えていて良かったなあと思っています。
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