「‘健康の木’を枯らさないために」
足健ぷらざ奈良学園前   有地 美喜
昨年12月発行の足健アカデミアン第39号で、足もみの勉強を「自分という庭の中に大きく根を張った木」に例えた話を読みましたが、私もこの健康法に出会って以来、自分の中に‘健康の木’が少しずつ育っていくことをイメージしながらやってきました。この‘健康の木’が芽を出したのは今から約10年前の事です。
私は台北で若石健康研究会の李明月老師に出会いました。その時に‘健康の木’の小さな芽が顔をのぞかせ、それ以来多くの方々に支えられながら、今日までなんとか枯れることなく枝を伸ばしていると実感しています。
1995年、阪神大震災の数ヵ月後に、私は主人の転勤に伴い台北へと向かいました。当時息子は2歳半、娘は生まれて3ヶ月でしたので、英語がほとんど通じない国への引っ越しは、精神的に少々辛いものがありました。子育てで目が回りそうな時でしたので、新しい生活への期待などほとんど無く、不安いっぱいで飛行機に乗った事を覚えています。ところが、それから7年後、台北を離れる日が来ると、悲しくて、寂しくて、残念で・・・・・。‘住めば都’ということもあったのかもしれませんが、何より台北を離れたくなかった一番の理由は「学びたい事がまだまだ山ほどあり、ここにはすばらしい先生方が大勢いらっしゃる」という事でした。それほど‘足ツボ三昧’の台北駐在員時代だったのです。
台北に住み始めて1年も経たないうちに、ご縁あって李老師のもとで若石健康法を学び始めましたが、もともと凝り性の私は、一通りコースが終わってからも、一人で毎日李老師の教室に通うようになりました。同じ講義を何度も聞かせて頂き、次に先生の言うセリフまでわかってしまうほど通いました。(ちょっと変わった日本語まで暗記してしまったほどです(笑)!!)そしてアシスタントをさせて頂いていたある日、いつものお教室で陳明仁老師にお会いしたのです。それからは、陳老師に本当に多くの事を教えて頂きました。難しい中医学は、掘り下げていけばいくほど???の連続で、しつこいほど同じような質問をさせて頂きましたが、いつでも穏やかに、どんなに小さな質問にも丁寧に答えて下さり、今でも当時のことを思い出すと、感謝!感謝!です。そして多くの人の足を揉ませて頂き(子供の足もかなり多く見る機会がありました。当時生後7ヶ月だった‘亜美ちゃん’の足も鮮明に覚えています。)非常に充実した日々を過ごし、2002年春、次の国シンガポールへと転勤になりました。
シンガポールでは、足健ぷらざ埼玉の清水さんのご紹介で若石を訪ね、(以前にシンガポールに駐在経験のある清水さんとは、お互いの息子同士が台北日本人学校で同じクラスだったというご縁があるのですが)若石会員の方たちと一緒に、現地の老人ホームにボランティアで足揉みをしに行ったこともありました。日本人は勿論私一人でしたし、いろいろな意味で大変貴重な経験でした。
台北駐在時代同様に、日本人の奥様方を中心にこの健康法を教える毎日を送っていましたが、私にとってシンガポールでの一番の収穫はアロマテラピーでした。以前から独学で研究してはいましたが、すばらしい先生との出会いがあり、一から勉強し直し、私の中ではこれまでやってきた事と難なく融合していきました。足揉みとその他の療法との関係は‘別々の木’というよりも、私にとってのアロマは‘健康の木’の肥料といった感じです。
最近私が注目している‘肥料’は『食物』です。私の中で原点に戻っているとでも言いましょうか・・・。環境破壊によって肉も魚も野菜でさえ危険な現代、いかに『食養生』してゆけるかという内容の文献、講演会などに対して、今私のアンテナはものすごい勢いで反応しています。話題のニュートリゲノミクスについても勉強しなければ!と思っています。
れからも学ぶ気持ちを持ち続け、様々な‘肥料’を試しつつ、‘健康の木’を枯らさないように大事に育てていきたいと思っています。
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