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シュールだ

 夕食──というより僕にとっては朝食──を食べながら、テレビでつるの剛士の内蔵の映像(なんか語呂がいいな)を観ていた。へー、じゃあ今僕が食べたものはあんな感じのところに入っていって消化されるんだぁ、などと想像しながら。

 昨日、用事が色々あって街中を自転車で走っていた時の事。
 交差点で信号待ちになった小学3~4年生くらいの女の子と60~70くらいの男性の二人連れ。恐らく祖父と孫なのだろう。あまり広くはない歩道の中程で立ち止まった女の子の肩に手を掛け、そっと歩道の端に寄るように促す男性。
 その光景を見て、何だかとてもホッとした気分になった。男性は当然の事をしただけなんですけどね。
 僕は普段、好き好んで外出する事はない。何故なら、周りの事を全く考えないアホに必ず──誇張ではなく文字通り“必ず”──遭遇し、とても不快な気分にさせられるからだ。
 例えば交差点で。
 自分の進行方向が通行不可という事になれば、それと交差する通りが概ね通行可になっている事くらいはサルでも解るハズだ。
 それなのに、平気で通行の妨げになる位置で信号待ちをしているアホがなんと多い事か。酷いのになると、人がすれ違うのがやっとの幅の狭い歩道だというのに、それを完全に遮るように自転車を停めたりする。
 自動車の場合も同様。脇道から幹線道路に出るには、幹線道路の車の流れが途切れなければならない。それが東京区部の日中であれば、手前の信号が赤にならない限り、車の流れが途切れる事はまずない事くらい、よほどの田舎から出てきたのでない限り解るハズだ。
 なのに、幹線道路手前いっぱいまで車を前に出して停車するアホがなんと多い事か。何のために停止線があると思ってんだ?
 ここに挙げた連中は、自分が歩道の通行の妨げになっているという事も解らないのだろうか?まあ、アホだから解っていないという可能性もかなり高いが(ここで疑問が生じる。そんな連中でも取得出来る運転免許に何の意味があるのだろうか?もっとも日本の運転免許のシステムは、警察幹部の天下り先の財源確保のためにあるようなものなんだろうけど)。
 とまあ、交差点だけでもこんな感じなので、それ以外の場所にも当然アホは棲息している訳で、外出する度に“必ず”アホに遭遇する事も頷ける。

 普通の光景を見てホッとさせられるなんて、日本は随分と腐った国なんだと思う。

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未承認 2013年11月08日(金)22時49分 編集・削除

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