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小説  「 人魚伝説 」 by 崎山 幸
 私の元にMからファックスが入ったのは三年前のことだ。やつの用は、いつも急を要する場合が多いが、
今回も『 至急、人魚とその飼育条件について考察せよ。』というものだった。このファックスを読んで、すぐにピンときた。Mはもともと動物ブロー力一をやっている男だが、近頃は水棲動物を扱うことが多いらしい。
どこかに非公式の水族館を持つていて、各国からの闇取引された魚や海獣類が流れてくる。もっとも表向きは水産会社の倉庫か何かを装つているようだが、その実は日本一、いや世界でも有数の施設であるらしい。
また各国の要人とも近しく、某熱帯魚輸出国の公営ギャンブルも資金源の一つになっていると聞くが、事実かどうかはわからない。
 そのMが二年ほど前、中国に接近していると聞いて、あるいはと思っていたのただが、やはり目的は人魚だったようだ。中国陽子江の某支流といえぱ、人魚の産地として有名な所である。他にはフィリピン・ミンダナオ島沖もあるが、この種は深海と行き来し、大変遊泳力が強く夜行性でもあり、めったに人目にふれることは無い。
一般にはジュゴンを見間違えたものと言われているが、たふん誰かが事実を隠蔽しようとした結果なのだろう。今でもかなりの数が棲息しているらしく、船乗りが夜間“人魚の歌”を聞くのは有名な話だ。魚、イカなどが主食と思われるが、はっきりしたことは不明である。六度にわたる大英人魚調査隊の調査にも、未だ目撃されたことはない。
日本近海にも1820年代までは人魚の一種がいたようだが、その種は人魚というよりは“水棲ザル”と言った方が適当で、大きさも60〜80Bと1mに満たない。いわゆる日本産人魚のミイラは、そのほとんどが偽物だが、ライデン博物館の日本産架空動物室の人魚のミイラの一つが本物であったことは記憶に新しい。今では絶滅したとする見方が一般的だが、私もそう思う。
 やはり現在もっとも発見の可能性が高いのは中国のものだが、このところ良く出没するという話を聞いていた。吉くから中国の人魚は人を化かすと言われているが、最近聞くのも、それと似た話だ。「夜中、陸に上がってきた人魚に村人がさらわれる」というのだ。さらわれた村人が帰って<ることはないとも聞く。中国政府も噂に手を焼いて1988年と1989年に未確認生物調査委員会のメンバーを送り込んだが空振りに終わつたという。もっとも、それは公式発表であり、たんなる噂であったことを世間に納得させるためのもので、本当は一頭の人魚を捕獲したのではないかと言われていた。
 Mが、その人魚か、その人魚の子供を手に入れたとしたら何等かの情報は流れてくると思われるので、まだ中国で飼われていて、それを譲りうける商談が成立したので'はないかと考えられた。
あのMが、いくら私が人魚に関して専門であるとはいえ、飼育法を聞いてくることから察して、中国側も手を焼いているのかも知れない。そうなると捕獲した人魚そのものである可能性も高い。しかし持込み腹、あるいは中国の人魚は雄が目撃されたことがないため単為生殖ではないかと考えると、その子供である可能性も棄てきれない。実は、これは重要なことで親と子では飼育に対する注意が、かなり異なるのである。
 飼育に話を移すが、フィリピンの人魚であれぱ長期飼育は難しいというのが結論である。極端に人目にふれるのを嫌い、行動も素早い上、行動範囲も広いため中型のイルカのプールの最低でも倍は必要であろう。神経質なため人に慣れさせることさえ難しいかも知れない。しかし中国の人魚であれぱ飼育に成功する可能性はある。昔は河口でも良く目撃されていたということもあり、淡水から半海水まで幅ひろく適応できるものと思われる。野生ではカワイルカと一緒にいることが多いと言われており、必ずイルカの群れの中に一頭しかいないことを考えると、人魚どうしは排他的であることも考えられる。また、神経質でもあるため一頭での飼育よりスナメリ等、小型鯨類との飼育を薦めたい。
 知能もかなり高いことが予想されるため、飼育者は必ず一人での世話は避けるべきである。また学習能力が高い場合も考えられるため、芸を訓えようなどと考えないことだ。表情を読まれない様に面をかぶるくらいの注意が必要かもしれない。『河童飼育事件』の二の舞は、ぜったい避けねばならない。その点子供の方が成功率は高いだろう。
 餌は魚、肉など動物質のものや、ときには藻や水辺の植物も食べるかもしれない。とにかく栄養には気をつけたいが、やりすぎも禁物で、かなりの絶食に耐えられるのでは、と思われるフシもある。様子を見ながら慎重に行うべきだ。病気については何一つわかつていない。診察時には、できるかぎり人間が直接手をふれない方法をとりたい。人間の病気がうつるということもあるが、非常に危険な生物である可能性もあるのだ。飼育する上で一番厄介なのは足がある場合だ。私が見た1977年の人魚と思われる死体は、ひどく腐敗が進行していたうえ、中国政府の監視も厳しく、はっきりとはわからなかったのだが、どうも不完全ではあるが先の方が二本に別れた足のように思えた。もちろん、かなりヒレに近いものだろうが、本当に村人の言うように夜中陸に上がってくるのだとしたら、体重を支えられる足を持っていてもおかしくない。そうなると飼育も大型のカワウソかラッコに近いものになるかも知れないし、はるかに危険なものになるだろう。扉や鍵は高度なもので'二重三重にするのが、無難だ'ろう。

 以上がMに送ったレポートの一部である。(内容には公表をはばかる部分も多い)その後、銀行の私の口座に聞いたことのない会社から多額の振込があったため、Mが人魚を手に入れたことは間違いないだろう。事実、一時期Mが中国からヨウスコウカワイルカを輸入したと噂されたことがあるが、時期から見てそれが人魚だったのだろう。その後のことは一切不明である。このことは他言は避けていただきたい。
1992年11月10日K
 これは友人のKが、私に送ってきた手紙の原文です。
Kが人魚の研究をしているのは知っていましたが、まさかこんなことに関わっているとは考えもしませんでした。   実は、この手紙が届いた直後の1992年12月末にM氏が死んだことを伝え聞きました。話によると小型の鯨類の水槽で溺れて、死体はクジラたちに食われたらしく、服の断片しか見あたらなかったということです。しかしM氏が溺れるというのも変ですし、小型のクジラが跡形もなく食べてしまうものでしょうか。現在このレポートを持っているのは、おそらく私ひとりだと思います。しかし最近、私がこのレポートを持つことは大変危険なことに思えてきました。それというのも私も知らないうちに、この計画に加わってしまっていたのです。Kに頼まれて描いた数枚のイメージイラストがKのレポートと共にM氏のもとに渡ったらしいのです。実はM氏が死んだ後、Kの行方もつかめなくなってしまい今日に至っているのです。今も日本のどこかで人魚が飼われているのだとしたら・・・

同封のイラストは、そのときに描いたもののうちの一枚です。

                                 1994.4.20 アートシアター・シゲマツ