大阪 ことば悦覧 ことば紀行 2008年5月12〜18日   home 

 柳原照弘さん ことば紀行 2008年 5月17日 午後 靱公園にて 
 その01 その02  その03  その04 その05  

2 15分 10秒 〜 30分 29秒 

柳原:乾物やさん 知らなかったですね 
佐藤:この公園は 友達同士  お祖母ちゃん達が多いね おじいちゃんは見えないね 
柳原:ここが大阪に住んでいる人の憩いの場 一番おっきな公園なんですけど 
佐藤:ああ 一番大きい ここは入場料無いじゃん 夜も開いてる そこはいいよね 

柳原:そうですね 
佐藤:その割には住みこんでいる人いないね ブルーシートハウスとか作ってね 
柳原:いえ もともと居たんですよ 居たんですけど強制撤去
佐藤:排除された 
柳原:全国放送もにもなったんです ちょうど僕の事務所 あそこなんですけど あの下ブルーシート貯まっていたんですけど 一回報道陣が凄い集まって あれ何の時かな 

佐藤:何か博覧会かなにかじゃないの
柳原:華博かなにかかな  その時に退去命令で 撤去ですね ちょうどその時 上から見てましたけど 
佐藤:名古屋で博覧会やったときにも 名古屋市内の公園から ブルーシートハウス追いだしたそうだ 
柳原:今その人らが大阪城公園の方に一回いったんですけど また追いだされて 今どこに行ったか 

佐藤:ああ それで居ないのか 
柳原:もともと 凄いたくさん 居た 
佐藤:いそうだよね 御堂筋の東側の筋なんか 夜中になると店先に寝てるものね ここになんで 居ないのかなと 寒いからかと思ったら そういう理由があったのか

公園内のお話しグループは 会社の仲間ふうなのが多いね 境界が無い公園内なのに 会社と言う境界内の人々と その人達としか交流してない おもしろいね それから家族かな  俺が行っていきなり喋ろうとしても なかなか無理だ

柳原:ブルーシートで境界を 明示し作ってますよね 
佐藤:そうそうそう 
柳原:それが変わる時があって これ全部桜なんですよ 今芝生の所が全面ブルーシートで覆われる テリトリー作って 
佐藤:桜見るために 陣取りをするわけね 
柳原:でもね 後半 どうでもよくなって 
佐藤:ふふふふはは
柳原:どの グループかよくわからなくなる それが唯一 一年間で使う 境界溶融
佐藤:おもしろいな 今回のテーマは 境界を作るではなく 境界を溶かすと言う ことだった。 そう言う行為はだれが行っていてどこに居るのか。 僕の建築の理想は路上(状)である と言ういいかた 道路の上って言う 意味もあるけども 概念の路の上に居るって言う 両方ある

 けども ここで眺めていると 森が道になる わけでもないけど この公園の奧 俺たちの後ろの方は森っぽいから 俺たちの目の前が キチンと整備された道路で  段々に道路に近づくほど 自由な行為が出来なくなる 路上で寝ている人 居ないけど ちょっと後ろの表面が土になると 飯喰って寝て しまうごろごろしている。 昼寝までして居るっ言う姿がね このゾーン分けって言うの 短冊状に切って眺めると 道に近づくほど境界が明確になる 構造を見ることができるよね

柳原:そうですね 外国やと芝生の上みんな 寝っ転んだりするんですけど みんな大阪の人って 寝っころばないですよね  
佐藤:それは大阪の人だけじゃなくって 金沢でもその話題になったんだけど 中村彩さんと言う人の話を聞いたんだけど フィンランドの人はごろごろするのも ごろごろ度が一番高い らしい 「フィンランドはみんなごろごろしているから フィンランドに勉強へ行った」と言っていた 日本はほどんどごろごろしないから 自分が公園設計して 公園の使い方も実践して ごろごろ倶楽部とか俺が命名して ごろごろ仕掛け人で ごろごろする 公園の使い方を 示して行こうと 公園設計者が自ら率先して 使い込んで行こうと 21世紀美術館の芝生で実践している 

靱公園は ごろごろ出来る ブルーシート敷いて 会社の仲間とか 学校の仲間とか 女性同士とか 子供の学校の親と子とか 通行人がそのなかに突然紛れ込んで交流すると言う 姿は見ない 無いね

柳原:そうですね 
佐藤:ヨーロッパだと そのような交流が在るらしいね コウヒーハウス ベンチに一緒に座って 俺の喋りに混ぜてというのが 

柳原:
僕もスエーデン夏とかよく行くんです スエーデンもごろごろ率高いんです 日本と北欧の 公園の使いかた 違うな〜と思うのは ごろごろしているの 一人なんですよ スエーデンの人は 

佐藤:ああそうか 一人でごろごろと 
柳原:こっちの人って 公園に来ますけど 集団で来て ワイワイ喋って ますけど 北欧の人って 本当に一人の時間を 公園で過ごすために ごろごろしているって状況の人が多い 

佐藤:日本の公園でごろごろしてると 会社から外れて 宿無し 役立たず男 が居るみたいな
柳原:サボっているみたいな 
佐藤:サボっている見たいな スエーデンでは 一人でごろごろしていると 
柳原:グループも最小単位です 3人とか 2人とか     

佐藤:
ごろごろしているおばちゃんたちが  飯喰ってると思ったら 飯喰いとめて これは体に良いとか あれが体に悪いとか言い合ってる ベンチに座っていると 話が聞こえたんで 暇だから聞いてたんだけど 隣の果物屋が どれだけ安いとか デザートのジュースの話になって 効能話に華を咲かせ 疲れたなら ゴロンと寝る  そういう相手が居ても楽しまず お互いに説教しあうみたいな 効能話を吹く 体に良いことやっている そんな話を持ちださないと会話が成り立てないと言うのがね 

ベンチに座っている人達も会社の人間関係だって解る ラブラブカップルも 会社の仕事の話をしている 二人で居ても 楽しそうじゃないんだよね  会話と互いの表情がね

柳原:一人の人も メールしてますからね 
佐藤:なにかぼーっとして 
柳原:使いかたが 上手くないんでようね   
佐藤:だから今日の インタビューのテーマでもあった 脱近代化と言うか 近代人に俺たちはもう 成りすぎている ところが 教育からされてるから 公園での振る舞いもそうなる 柳原さんがデザインした一階の展示場と言うのは なんて言うスペースだっけ 

柳原:あそこは僕がーナーじゃないですけども ベデーミーカーって言う 
佐藤:展示室になっているわけだよね あそこに展示されていた 小学校の椅子とテーブルが黒塗りで 教室をかたどってあるけども 黒板を向いてるのではなくって この靱公園に向かって カウンターの方を向いている あれが象徴的じゃない だから 近代教育の方向を反転させて 批判している 。

超進学校の配列だと 逆向きになるんだよね 窓に背を向けて 廊下に向かって黒板が付いている 脇目も振らず 勉強すると 生徒の並べ方だよね それを逆ベクトルにして行こうと 言う展示だよね 尚かつ公園がメーイン 教科書だみたいな 配列されている のが印象的だよね 

柳原:凄いですね 何も書いてないのに 読み取ったんですか 
佐藤:読みとらなくっても そう見えるじゃないですか 
柳原:はい 
佐藤:そんな事は俺が勝手に解釈しているんだけど 作品の意図 にそって 本当かは知らないけど 

柳原:いや 実はあれは インスタレーションに成っていて 単なるカフェじゃなくって ようは少子化の問題 をテーマに 作り込んでいるアートの インスタレーションなんですよ 
佐藤:あの椅子とテーブルは いらなくなった物を
柳原 :もらって来た それを全部均質にもう一回 塗り直したのです 
佐藤:番号まで振ってあるところが またね 普通は番号振ってないんだけど 整然と番号が振ってあって 壁には英語の辞書を 毎日すこしずづ写して書き込んでいく 文字が持っている権力と言うものを 逆に権力から 自分が命令されてずもなく 壁に書き込んでいくと言う馬鹿馬鹿しい行為と いうか徒労と言うか 無目的な行為に還元していこうとしている 

辞書在るからいいじゃない と言わない でやると言うとことが 展示と行為が同時に同じベクトル向いていると思うけど  近代に対する 批判みたいな 事をやり展示している そういう感じは受けたけどね でも解答があるわけではない

柳原;そうですね だからと言ってどうするかと 
佐藤:問題が提示されている 
柳原:そうですね 彼らはアーティストなんですけど 彼らは解答 結果を見せないんです ようは何時も やっているのが そこの問題提示 させることを ずーっとやっている 
佐藤:答えがあると言うことで 解答を出してしまうと そう言うカタチにしか 見ないし 意味無いと いう見方も含めて 俺みたいに勝手に解釈して 脱近代作品だと へんな意味づけをする 本当はただみて 体験すればいい わけだけども おれは建築を観察記録してしまうから そういう屁理屈を言ってしまうけども 

そう言う 事 反応すらも 消えてなくなれば 何にもなくて床と壁があれば それでいいみたいな 建築的権力を展示し 示すまで いくのだろうけどね ああいう展示の仕方は だから ブルーシートと1枚敷いて これが作品ですと 問題提起として 行為するだろう 

そういう意味では この公園は 後ろに森ふうがあって 道があって 森があって 建築内にギャラリーがあって その向こうに公道が ある この東西の短冊のなかに いろいろな権力にかかわる問題が並んで提起されてる その上で色んな 近代教育を受けた 年齢差 が 毎に バラバラの人達の関係の現在が その上に展示されていて 色々な問題が顕在化してて 観察できるよね 

柳原:中に入ってカフェですけど こっちから展示されている状況が観れると言う 
佐藤:自分達の過去を観ると言うか 教育された過去が こっち公園からも陽炎にように立ち上がって見える 合わせ鏡のように 互いを同時に見ることはできない 互いはけっして写せない そう なっているだよね それは凄くおもしろいな〜と

 ブルーシートではなくって 本当に柱立てて 布の屋根を掛けて 物を売っている 自分たちがボランティアしていると 主張するために 柱と屋根を付ける って言うかな 存在を主張するために 建築的権力を持ちだし 境界を立ち上げて ア ピールすると 

柳原;はい 

佐藤:まあ おもしろいと言うか 五月蠅いと言うかな 
柳原;そうですね 本当のボランティアだったら 
佐藤:屋根無しでやれや
柳原:もしくは何もなく うどんをこう 公園じゃなくってね 
佐藤:道路でね
柳原:路上で 

佐藤:そうそう そこの所がまた 目的主義に回収されてしまっている ボランティアの方法だやよね 
柳原:私はボランティアをしてますと 
佐藤:専業主婦を終えたので 目的が消えたら 今度は専業ボランティアだ〜と ボランティアと言う目的を見付けて来て また自分がボランティア機械に成って行く って言うかな そう言う 貧しい構造も見えるし  

ものを売っている人が からまって 段々崩れて行く ポール一本で傘だけで テーブルだけで 物を売る 商売ですと 素直な姿を出している 
柳原;そうですよね 

佐藤:そこのところがおもしろいな〜と 
柳原:値段も全然ちがいますしね〜 750円と言う まあまあよい値段してる 


佐藤:
凄い高い値段だよな 柳原さんは僕の家でレクチャーしたあと 何か変化はありましたか 住宅は出来たよね 

柳原:
そうですね 年月が経過するのに プロジェクト得ましたけど やってることはそんなに変わらない 意識としては変りがない
佐藤:なるほどね 飯喰いながら喋っている柳原さんを撮ってしまおう  まだ1年しか経ってないからね 1年じゃ変わりようがないので 5年毎に来ると 言うぐらいが ちょうど良いかな〜と 思っているだけど 会ったらちょっとメモを執ってお話しするぐらいが 

子供を連れて 来ないと 公園に来ないというの それおもしろいな

柳原;はあははは そうですね 
佐藤:あとは 犬連れが多い 一人で ぼーっとしている 人は本当に居ないんだよね 真っ黒光っている 浮浪者だって 何か熱心に不乱にメモを執りまくっていたし 浮浪者に成れない悲劇がある    

柳原;
スエーデンとかと言うのは 一人で居る 人ばっかりですよ 自転車に乗って ふらーっと来て そのまま鞄 お尻にして ぼーっとして 日が沈んだら その横で 湖に飛び込んで 水浴びして 帰ると言う 自転車乗っている間に 家に帰る 時に乾くと言う 
佐藤:ふふふふふ 

柳原:
でも 僕経験さしてもらったんですよ スエーデンの友達の所で 凄く人間的な 生活で いいな〜と思ったんです 
佐藤:この公園の中かで唯一自由に行ったり来たりしている動物は 雀とか ハトとか 自由自在に 人間の食べこぼしを ついばむ ドンドン越境して行く 犬は繋がれているから 越境できない 人間は動物的な振る舞いをなかなかしない 

柳原;そうですよね〜 
佐藤:スエーデンの人達は意外に 一人で 自分の時間を 何も考えず 動物の様に 気持ちがいいから湖にどぼーんと浸かる そのまま拭きもせず 自転車に乗って乾かしてしまうと 極めて動物に振る舞うんだね  

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