東京 ことば悦覧 2008年春   home 

  龍光寺マサトさん   2008 4月09日  
 その01 その02 その03 その04  

 その02 14分18秒 〜30分41秒  

佐藤:ぼくはそれについては興味ありますね
龍光寺:計画学なんですね、もともと、興味があって始めたって言うのは。計画学と判らずに計画学ですけど

佐藤:学者にならずに 設計に進んじゃったわけですか
龍光寺:やっぱりその〜、設計の課題を大学で始めて、凄く面白いじゃないですか
佐藤:設計が。手で書いて 頭の中のものがアウトプットされて、模型にしたりしていくと言う そのプロセスが面白かった

龍光寺:そうですね。あと一番大きいのは、僕の場合はアンドウさんの建築を大阪のほうとか京都の方とか見に行って。アンドウさんだけじゃないんですけども・・会場わらい
佐藤:これは朝までいくぞ〜
龍光寺:朝まで行ったらすごいですね〜。朝まで
佐藤:大丈夫ですよ龍光寺ゲラゲラわらう
伊藤僕は途中で帰ります 共におおわらい

佐藤:一番長かったのは12時間テープ起こしましたけど。さすがに校正する人も大変なので 龍光寺わらい 最初の1時間半しか公開してないですけどもね

龍光寺:その大阪に行った話を。たいした事ないですけども。笑い
佐藤:龍光寺さん、とりあえず、プロフィールをザット。ここまで辿り着くざっとね。

龍光寺:簡単に言いますと、高校は
佐藤:生まれは?
龍光寺:埼玉県川口市
佐藤:キューポラのある町ですね、僕の世代から言えば龍光寺わらい

龍光寺:饅頭とか売ってますけども
佐藤:東京の直ぐ傍でね
龍光寺:僕高校から芝浦工業大学の付属の高校に。それが東京の板橋区に在る
佐藤:高校生から建築やるそ〜みたいな事でですか?

龍光寺:いやソンなことないです。ずーっと野球やってました。
佐藤:あぁ野球、高校球児。これで2人めですね。柳原さんという方が大阪でデザイン事務所をひらいていまして、香川県内の高校球児。外野守っていたと言ってました。龍光寺さんは何処を守っていたのですか?

龍光寺:僕はファーストですね
佐藤:ファーストですか、じゃ左投げ
龍光寺:そうですそうです。共に笑い
佐藤:王選手のまねしてみるか〜共にわらい、王じゃないか龍光寺時代は
龍光寺:イチロウとかですね。怒られちゃうから、なかなか言えないですけどもね。でま、全然勉強もそんなにしてないかんじで、建築の興味もなく

佐藤:野球好きなのは俺と一緒ですね。中学は野球やって高校は器械体操だったけど龍光寺わらい

龍光寺:学科が建築になったのも、わりと偶然みたいなものがあります
佐藤:偶然!
龍光寺:はい。

佐藤
:じゃー今日と一緒ですね
龍光寺:そうですね。はい。他にやりたいことも無いので、建築と言うのに何か、漠然と魅力を感じてたんですけど

佐藤:漠然というのはどのような
龍光寺:なんですかね 共にわらう 芝浦工業大学の付属だったので。大学の学部を選ぶ時に、機械とか金属とか。工業系ばっかりで。それでも良かったと言えば良かったですけど。全然やりたくなかった わらう
佐藤:機械系はね
龍光寺:全然触手が動かない処で、建築ってなんだろう?。なかに入った後に、また選べるような感じがあったから。そういう結構ゆるい理由で

佐藤:入ってしまった
龍光寺:「建築学科へ入ってしまった」と言う感じなんですよね。
佐藤:芝浦工業大学へ入って
龍光寺:そのあとは、だからしばらく勉強する気も無く
佐藤:ふらふら彷徨う 龍光寺笑う

龍光寺:それほど優秀な学生でもなく、やっていて
佐藤:野球やっていたんですか
龍光寺:野球もやりたくなかったんで 佐藤爆笑、高校野球でもう完全燃焼。東京都の硬式の野球で、

佐藤:サインもらわなくチャー 龍光寺笑う
龍光寺:やり尽くした感じがしたんで。大学とかやらずに
佐藤:朝から晩まで野球詰めだったんだ
龍光寺:そうですね
佐藤:凄いな

龍光寺:だからと言って大好きだったかと言うと一寸判らないですけども
佐藤:理由なんか分からなくっても三昧
伊藤:体育会系の部活って結構そういう処あるじゃない
龍光寺:だよね。「何かやるすぎると嫌いになる」と言うか。しばらく経つとやりたくなる。で。

佐藤:いきなりフラッシュ焚いちゃいました。会場笑い。カメラマン居ないので、何でもやらなきゃ行けないので。昨日全然写真撮って無くってね。 HP用のネタが少なすぎると言う。なかなか忙しいですよ。音取りと絵採りとインタビューする人が別れているといいんだが。一人5役ぐらいやらなければいけないので。後で文字起こしもするし。龍光寺笑い。えらい忙しいので

龍光寺:経歴聞いてても面白くないので、ぱっと行きますけども。ようすうるにアンドウさんの建築見て「凄いな」と思ったんですよ。一回体験してみて、ほどんど情報が無かったので、友人と一緒に「これは凄いぞ」と「なんでこんな事が出来るのだろう」と言うことろで、完全に引き込まれていった。

佐藤:さすが〜体育会系ですな〜龍光寺わらう
伊藤:大学1年とか
龍光寺:2年の初めとか
佐藤:学部の時 関西方面の建築ツアーやるんだ
龍光寺:学部というよりかは、仲の良い友達と。建築が好きなのいるじゃないですか

佐藤:アンドウさんの何処の建築ですか、共同住宅ですか
龍光寺:共同住宅じゃないんですよ。全然関係なくって。だから京都と大阪なんで、その時 教会とか、住吉も見ましたし。陶板名画って言う京都にあるんで。う〜ん。みんな別に「どうってことない」と言うんですけど、陶板名画の庭を見て。何かシークエンスだけで空間をつくる。その時 ソンな事意識してないんですけども。何か歩き廻っているだけで。こんな狭い中で色んな体験ができる。みたいな。初めてだったので、今まで体験したことの無い ものだったので。全然衝撃が消化できないような状態に成ってしまって、それで。

佐藤:いままで体験したことのない体験をしたと
龍光寺:そういう体験でしたよね。結局それが切っ掛けですね
佐藤:自分もそういう設計をやってみようと
龍光寺:はい。はいそうですね。わりとだから今「たいしたことない」と言ったじゃないですけど、立ち返ってはいますね。何かあると。そうやって。迷った時は。

佐藤:アンドウさんの写真かなにか、取ってないの
龍光寺:ないです 共に大わらう。自分の内だけで伊藤大笑い
佐藤:神棚か何かに飾ってないのですか共に大笑い
龍光寺:判断基準としてはそういうので。だからたまたまその時 見たのがアンドウさんの建築で、それが切っ掛けだったと言うのはあります。

佐藤:それで建築家の路へ踏み込んで10数年経つわけですねよね
龍光寺:十年ですよね。
佐藤:大学院で西沢先生に会って、また違うタイプじゃないですか
龍光寺:そうなんですかね龍光寺わらう 素材とかの使い方とか、ドラマチックな空間を、どこまでやるか。なんて言うんですかね。細かい処は全然違うんですけども。ある空間の鮮やかな、なんて言うんですかね。結構分かり易い、面白さみたいな、ものをやっている。建築で何かやろうとしている・カタチにしていると言う意味では、あまり違いが

佐藤:それは建築関係者じゃなくって、それを普通の人も判ることなのですかね、建築を志した人しか判らない

龍光寺:そうかもしれないですね。でも西沢さんは公共建築まだそんなにやられたないですし、こんど十和田の美術館ですけど。アンドウさん何か一般的に何処にでも在るって感じですけど

佐藤:東京大学の赤門の傍に出現しました。一緒に見に行きますか龍光寺わらい
東大の中にあると言うことはね〜。都市ゲリラが国家の建築家になってしまた。こうきょの中に作れば神になり、叙事詩は完成ですね 龍光寺おおわらい 今度タワー立てますね〜
伊藤たわーね

佐藤:高いのもやるし、低いけど地底建築もあるし、あらゆる地底も制圧しそうだ。地底建築論さえも達成しそうだ。渡辺さんの地底建築論が今頃芽吹くかんじですけども、京都の新築建物は地上一階で制限してしまって、その他は全て地下に作れという話が30年前ぐらいに在ったんですけどね。それが東京のど真ん中に浸食して来た気分が僕はしますけどもね。アンドウ神社をつくらなければ成らないでね。建築界の人々は。龍光寺わらい 

龍光寺:そうですよね〜
佐藤:そんなに感動している人が居るんだったら。僕は1万円ぐらい寄付しようかな(笑)

伊藤:そんな何か。「陶板名画の庭を常に思いだして」って言うのは
龍光寺:そんな思い出し方じゃなくって、その時に。僕が思い出す時は物自体は、思い出さないんですよ。その時の経験した時のビックリ具合と言うか。そういうのを思いだしてね。そもそも何がやりたくって、建築を設計を始めたのか?って言うとこ

佐藤:アンドウさんは、建築にある魅力の路へのフックを与えたけど、アンドウさんの建築が好きだ、と言うわけではないんだよね

龍光寺:そうですかいじょう大爆笑
伊藤:これテープにとって置いて 会場だいばくしょう 
佐藤:間違える人がいるので一応確認しておきました

龍光寺:でも好きですよ。誰でもそうだと思うんですけども。映画監督にしても、この映画監督が作った映画が全部好きか?と言うとそうでもない。
佐藤:そうだよね

龍光寺:ちょつしたものから見たりしますから。 本とかでもやっぱり、書いた人というか。その本。物自体で好きだと言うのは
佐藤:それで西沢先生と、サトルさんと出会って。龍光寺わらい それは何年前ですか?6年ぐらい前ですかね。

伊藤:23とかだから7年前
龍光寺:7年前か
佐藤:7年後に僕と会う訳ね。このご縁でね龍光寺笑う 大学院から博士課程は行かなかったんですか?2年で終わりですね。
龍光寺:2年ですね

佐藤:その後はどこかで働いた
龍光寺:大学院の2年から、難波さんの事務所に
佐藤:アンドウさんのところに何で行かなかったんですかね?
龍光寺:その頃はスッポリ抜けていたので かいじょうおおわらい 
佐藤: 早いですねアンドウ流行病の治癒期間 かいじょうわらい 

龍光寺:やっぱり学部の3年で変わったと思うんですけども。色んな興味が移り変わるじゃないですか。雑多なものを
佐藤:なんでも食べちゃって、ドンドン好きになってドンドン嫌いになっていったり、いろいろ激しく変わるわけね。

龍光寺:そういうことですね。
佐藤:建築家像の全体が判ってないから、見たものはつい好きに成ってしまって、ドンドンドンドン変わっていって
龍光寺:そうですそうです

佐藤:まだそれは続いているんですか?
龍光寺:そうですね
佐藤:いろんな人に出会う事によって、好きなになったりする可能性がまだあるっていうことですね
龍光寺:はい、そうですね
佐藤:それは面白い、いいんじゃないですかね。難波先生の処に行かれて、具体的に作るということも、設計して現場監理するととかやったんですかね?

龍光寺:はい、そうですね。大学院1年。それでバイトに行って。その時は大学の教授になっていなかったので、わりと事務所にもいらっしゃって。で話を結構してくれて。いろいろ薦めてくれたんですよ「これが良いとか、あれが良いとか、本とかも」

佐藤:教育しているわけだ、所員を
龍光寺:だから今の話は、大学院のアルバイトの頃で。本棚が難波事務所にあるのですけど、僕それに対して聞き込むんですよ。わらいこれ何ですか?みたいな。一々それ突っ込むと説明してくれたりして
佐藤:書評してくれるんだ 龍光寺わらい

龍光寺:それが凄く新鮮で、今まで会った事のないタイプの大人と言うか。
佐藤:他力本願で建築を学んだんだよな 会場大爆笑 
龍光寺:その人 自体が凄く特殊な人と言うか、他に居ないタイプ。凄い興味があって、それで卒業して、その難波事務に入れてもらって、6年ぐらい働きまして
佐藤:横浜大学に教えに来ていたんですか?アルバイトに行った

龍光寺:その切っ掛けが無かったわけではなくって、建築家会議と言うのが。学生が、集まって建築についてワイワイ話をやる
伊藤:学会のイベントだよね
龍光寺:学会のイベントでそういうのありまして。僕らの研究室で、何人かそれに参加して。その時にユニットが幾つか在ったんですけど。その一つのユニットが環境ユニットと言う事で。難波さんがレクチャーしてた

佐藤:分かり易いね。そこで出会っちゃった。龍光寺おおいにわらう
龍光寺:なにかエコロジーとかある
佐藤:あるね

龍光寺
:エコロジーのこと 色々話をしたりして。全然でも、自然が大事だみたいな話はしないんですよ。ドンドンドンドの問題を広げて行くんです。僕ら普通考えると環境問題と言うじゃないですか。そうじゃなくって、そういう風に誰かが考えようとすると、問題をもの凄く広げて広げて。ドンドンドンドン拡散して行くような感じで。その考え方が面白いと言うのが在ったんですけども。それが縁で。模型を手伝いに行くってことですね。 

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