2009年12月10〜13日じゅっくりの会in京都 記録     home  

10日 駅から  えいぞうさんの家体験記  えいぞうさん父を語る えいぞう・きみこさん新居を語る

11日  柳原照弘の この1年   工芸繊維大講義 デザインイースト 00 を語る  

12日  渡辺菊眞さんに聞く   鼎談 アガカーン賞の王路 (森田一弥・渡辺菊眞・江崎貴洋)
     松岡聡さんに聞く    
工繊大3年生・浅野翔さんに聞く

    えいぞう  「父を語る」  
      
 えいぞうさんより お父さんの話を聞き 文字におこした記録です えいぞうさんがお母さんから聞いた内容が基になっているのです。えいぞうさんのお父さんの実像とは異なっていると想われますが、何度が聞き取りを続けて より事実に近づけるようつとめる予定です。まずは父を語り合うための議題設定にするために 公開いたします
その01   その02   その03

 その01

佐藤:えいぞうさん こんばんは!
えいぞう:はい
佐藤:今夜はえいぞうさん父を語るということです! う? 聞き方 マスメディア番組の真似みたいになってるはははあ ダサイからやめよう
えいぞう:はははは

佐藤:えいぞうさんお父さんの話をお聞かせください。えいぞうのお父さんは何年産まれだったんですか
えいぞう:えーとね それがね〜今日 思ってたんですけどね
佐藤:俺と同じで家族に興味ない わな ない 馬鹿ですかお互いふふ
えいぞう:昭63年に50才で死んだんで、昭和13年かと思うんですよね、定かじゃないですけど
佐藤:昭和13年ていうことは 1938年生まれ 50才足すと1988年です没が
えいぞう:違う 89年です 13年か14年です
佐藤:どこか時間違っているな〜昭和13年に産まれて、1925に足せば1938年だよ、生まれたのは
えいぞう:1989年て昭和63年じゃなかったけ〜

佐藤:知らないよ 1988じゃない 69年だな

えいぞう:1989年に50才で死んだ、ああ昭和14年ですか
佐藤:1年違いましたね
えいぞう:昭和14年ですね(昭和13年生まれ  1988年没が正とのこと 20101月4日訂正)
佐藤:ということで昭和14年 1929年生まれ 世界大恐慌の後に お生まれです
えいぞう:昭和14年に産まれているんですね。うちの母親より4才下なんだ、うちの母親より
佐藤:お父さんはどこで産まれたんですか

えいぞう:うちの父親は鹿児島の鹿屋市っていうことろです
佐藤:知ってますよ
えいぞう:あ、知ってますか!?あの大隅半島の方の
佐藤:やねだんとか志布志事件とか知ってます?

えいぞう:なんです志布志事件って?
佐藤:本当 知らないの?
えいぞう:
佐藤:志布志事件語りになっちゃうじゃない 俺語りになちゃうよ〜ふふふ
えいぞう:いやいや

佐藤:冤罪事件です 20、30人の有権者しか居ない地域に買収事件をでっちあげた 鹿児島県警による 警察がでっち上げた選挙買収事件があって
えいぞう:ああ最近の話ね、ああ最近やってたやつか、あれ鹿屋ですか
佐藤:鹿屋の傍の志布志です

えいぞう:そうか 鹿屋は大隅半島で一番大きい市
佐藤:鹿屋だったら やねだん
えいぞう:なんですかやねだんって?
佐藤:やねだん 知らないですか 俺の方が鹿野屋市詳しいね〜 じゃないですか

えいぞう:鹿屋の事 本当に知らないですよ
佐藤:豚と牛しか居ないので臭くってしょうがない。こんな地域いやだって若者が出て行ってしまい寂れた  で 豊重オジサンが町おこしして 今や村人全員で共同作業に焼酎を造って売り 利益を地域の全員に配ってしまうって

えいぞう:すごいですね それ!
佐藤:あした講義しましょう。鹿屋市で生まれてずーっと鹿屋市で暮らしていたのですか
えいぞう:そうなんです。それでね、うちのお爺ちゃんおばちゃんの。またそのご両親の話をすると。うちのお爺ちゃんお祖母ちゃんは 僕が産まれる前にずーっと前に亡くなっているんですけど。鹿児島市で旅館を始めて

佐藤:鹿児島市の人なんだ     2階から撮る さとう
えいぞう:最初にね もともと鹿屋の人らしいんですよ。それでうちの親父がいい加減な事言うことには、家の祖先はむかし和冦だった
佐藤:海賊

えいぞう:ふふふ 違いないと!。うちのオヤジの親父らしい言い回しで言うんですけど。
佐藤:おれんちは海賊やで!と
えいぞう:あながち嘘でもね〜なと思うのは、あの当たりの人達はたぶん百姓やりながら適当に海賊やってたんじゃなかと
佐藤:網野善彦さんの説によると百姓って商売でも活躍してたようだし 北前船の船長大稼ぎした、何でもする人だから、百姓のDNAは、でり海賊は農作業や商売の間の暇つぶしでね 襲われるほうはたまらんね 

きみこ:う〜ん
えいぞう:そういう話をしたのね それで鹿屋でずーっと百姓で比較的まあ、土地を持っている方の百姓じゃないかと思うんですけど。それでお爺ちゃんとおばちゃんが戦前に、戦前って言っても、何時の話か分からないんですけど。旅館を始めて。それで比較的成功して。それで鹿屋市で

佐藤:鹿児島で旅館でしょう
えいぞう:でも鹿屋市に何時の頃から鹿屋市で旅館を始めたらしんですよ、それで鹿屋市で比較的大きい鹿屋荘っていう旅館をやっていたんですよ。
佐藤:そのままじゃん
えいぞう:そのままですけど、鹿屋を代表するでしょう。旅館をやっていた。地方都市

佐藤:木賃宿ですか温泉宿ですか
えいぞう:温泉は無いと思うんですよ
佐藤:行商人が泊まるようなですか

えいぞう:でも比較的大きい宿、旅館で。それでうちの親父(おやじ)は旅館の長男として産まれる たんですけど
佐藤:旅館の長男坊主ですか?

2009年1月5日発見写真 ネットより 第6回「キリストの教会」全国大会(鹿屋)1954年鹿屋荘にて)

 
(門柱部拡大→)

えいぞう:
うちの親父が産まれたのは昭和14年だか戦中ですよね。太平洋戦争始まった(昭和5〜20年)ばかり。 うちの親父の両親、旅館やって、しかも鹿屋はアメリカ軍が駐留したから、旅館が凄い潤ってたらしいんですよ、アメリカ軍の
佐藤:ドルで払うんだろからな

えいぞう:それですーごーい裕福だったらしいんですよ戦後直ぐ。うちの親父の家は。それで親父はもう子供の頃からカレーとか喰っていたらしいんですよ。
佐藤:みんな 土手の草とか、芋ばっか喰ってるときにね
えいぞう:戦争直後に
佐藤:チョコレートにカレーライスみたいな暮らしね〜

えいぞう:それでね、だから苦労知らないんですね。それでうちの爺ちゃん婆ちゃんもたぶん凄い高齢になってから出来た子供なんで甘やかして。長男で下に、ああお姉さんが一人いたか。お姉さん親父、弟。凄い猫ッ可愛がりで母親なんかね。うちの母親の話ですよ

父親に関してはうちの母親からしか聞いてないんで!。うちの母親が言うには、だまって手を上げるとお金を置いていってくれたいう。お爺ちゃんお祖母ちゃん。旅館たから女中さんも一杯居て。ボンボンで育ったんですよ

それで、そういう親父は高校では野球をやっていて。野球のピッチャーだったんですよ。それでまあ、裕福な家で好い物喰っているから当時としては珍しく身長が180p、私と同じぐらい

佐藤;でけーな〜
えいぞう:デカイ親父だったんです。それでピッチャーやっていて。甲子園に出たりはしないんだけど、一応ね阪神タイガースにね、スカウトされたんです
佐藤:凄いね〜いつのはなし
えいぞう:ドラフトが始まる前、直前みたい。だからたぶんその年齢から言うと
佐藤:18足せばいいのか

えいぞう:1957年ね。ドラフトも無かったんですそのときは。阪神からスカウトされた、
佐藤:ピッチャーで 180pでかいね、いいもの喰って
えいぞう:いいもの喰って育っちゃって ピッチャーで、でもうちのお爺ちゃんが反対して。お前旅館継がなきゃいけない。いかんと反対されて、行けなかったんですよ。
佐藤:ぐれた
えいぞう:ぐれてはいないんだけど、どうせ行っていてもそうですぐ補欠で終わっているだろうって言っていたけど。その後、何でか知んないけど、神奈川大学短期大学部かな、に行ったらしい。商学部かなんかに。私立大学にね。今はたぶん立派な大学だと思うんですよ。ふふふあんまり他の大学のことはふふふ行ったらしんですょ。それでぷらぷらやってたですね。それで何か私もそこら辺はねよく分からない。卒業してたぶん九州で何かの営業マンやってたらしいんですよ。たぶん。

佐藤:今回は途切れとぎれでいいじゃないですか。えいぞうさんの兄姉が、ここに来たときに俺も来て音採りして重ねる

えいぞう::これはあくまでも、私の記憶にしかない親父なんで。それでそんときに、うちの母親と知り合ったらしいんですね。うちの母親は

佐藤:何をなさってたんですか 母を語らせると
えいぞう:たぶんね日本勧業銀行のね、OLやっていたらしいんですね。
佐藤:はは 銀行ですか、ヤクザな旅館の息子が来て
えいぞう:ボンボンが来て、そうそう うちの、おやじはまたね〜育ちが良いからね。人当たりがまた良いらしいんですよ。

佐藤:なるほど いいね〜
えいぞう:それでね、営業マンとしてもね結構優秀だったらしいんでけどね。それでね何かうちの母が、うちの母親からいか聞いてない話ですけど。あのしつこい!

佐藤:もてたってことで いいね〜
えいぞう:母親はもてたって言いたいんですよしつこいんだと。でなんかねバレンタインデーにね
佐藤:そのときバレンタインデーあったんですか
えいぞう:あったらしいんですよ。バレンタインデーっていうのは女性が男性にものあげる日なのに、うちの親父はねバレンタインデーだって、うちの母親に何か持って来たらしいんですよ ふふふふふふふふ それぐらいなんかね軽薄というかね。なんかそういう親父だったらしいんですよ。でうちの母親は何か知んないけど、なんか良いかも!と。この人は悪い人じゃないなと。と思ったらしいんですよ。

佐藤:親父、てきとうに行動して いいと
えいぞう:それでそこら辺の恋愛の経緯はまったく聞いた事が無いんですけど
佐藤:ちゃんと今度聞いて残しましょう

きみこうふふふふふふ
えいぞう:結婚することになったと。で、ただうちの親父は鹿屋の旅館の息子だから、旅館継ぐことになるから、結婚したら鹿屋に行くことになると。うちの母親の両親はけっこう商売人だっうんで、反対したんですね。うちの母方のお爺ちゃんは公務員、堅い

佐藤:上から撮るのでしゃっべっていてね
えいぞう:ふふふ 堅い人なんで。それであの〜・・結婚して、両親の反対を押し切って結婚して、うちの母親はですね

佐藤:階段を上って写真を撮るよ 上むいてください 上

   岡田夫妻:ふふふふ

えいぞう:うちの母親はですね 父親と一緒に鹿屋に行ったわけですようちの母親はだから 旅館の女将(おかみ)になったんですよ
佐藤:それは大転換ですごいね
えいぞう:はい!
佐藤:銀行の女子行員さんから

えいぞう:旅館の女将になったんですよ、うん。それでまあ旅館自体はけっこう。だからうちは、どういう前後関係か分からないけど。お爺ちゃんお祖母ちゃんが亡くなったと。父親が旅館を仕切っていくようになったと。それで

佐藤:おかあちゃん経理出来るし 天下きたね
えいぞう:うん。出来たかどうか分からないですけどね、でまあ一応女将で、父親が社長で。それで旅館自体は比較的ね、けっこうよかっ。お相撲さんが泊まりに来たりとか。そうこうしているうちに、うちの兄貴が産まれうちの兄貴はお相撲さんに抱っこされた写真とか有るんですねふふううふふふそれでね〜なんかね〜。まあだから社長とはいえ、放っといても旅館はまあうまく回っているみたいな感じだったでしょうね、たぶん普通にやればね。そいでうちの親父は何んだかしんないけど、贅沢しまくってなんかうちの母親に

佐藤:愛人とかつくらなかったの
えいぞう:そういのあったんじゃないの、
佐藤:おかあさん言わないよね
えいぞう:で、なんかね〜うちの母親はねまたね〜父親が贅沢ばっかりしていてみたいな話になるんで。あるとき一寸、車買おうと思ってとか言って。これ買おうと思ってんだけど、ちょっと一緒に乗ってよとか言って、うちの親父が。ほいで、一緒に乗ってベンツなんですよ。もうそれ買ってんのもう買ってるんだけど言えないから、うちの母親乗っけて一回走って、で母親にいいね〜って言わせると。ふふふ、ほいで言わせるると

きみこ:へええ〜
えいぞう:言わせて、実はこれ買って、そういう親父だった
きみこ:子供みたいやな〜
えいぞう:それで、そういう感じで。でそういう感じで旅館自体はまあまあ上手くいってるんですけど。うちの親父がまたそういう何てつうんかな〜軽薄というか、まあ思慮が足りないというか、苦労知らないから、付き合いがまた悪かったらしいんでね。鹿屋で。

佐藤:付き合いが 相手 連中ね 悪かったと
えいぞう:付き合う相手がね、
佐藤;それは悪が寄って来そうだね、金づるみたいだよね
えいぞう:そうそう金蔓でね麻雀の相手がやくざの人たちとか、だったらしいんです。
佐藤:よくあるね そういう話っての

えいぞう:んでやくざの人と麻雀やってて、それで負けるでしょう、ほんでやくざいいと。いつでも良いからみたいに言ってて、ずーっとそれが続いて。ある時分かってんだろうな!みたいな。来て

佐藤:
もう1億円たまてるぞ!!みたな、博奕は不法行為なのに おどしね 裏世界の掟ね
えいぞう:もうたまってるぞみたいな。みたいになったと。それでヤバイみたいになって。それでやばくなっている時に私が生まれそうになっていて。でやばいと。
佐藤:それで なまえ えいぞう なんだ! ふふふふ

えいぞう:名前の由来はまた、。でヤバイからって私、うちの母親は実家の方に、福岡の方に戻って出産をとりあえずしようと。で私が生まれた直後か産まれる直前かなんかに、うちの親父もとうとう旅館乗っ取られて
佐藤:乗っ取られた!、間抜けな親父だな〜
えいぞう:親父間抜けなんで、うちの母親から聞いてるだけだかふふっふふ旅館乗っ取られて逃げてきて。福岡。家族共々。うちの母親は自分の大事にしていたバイオリンまで捨てて 来やがって〜みたいなこと言って。

きみこ:え バイオリン!!
佐藤:おかあちゃんバイオリン弾いてたんだ
えいぞう:ふははあははは、そういうね。うちの兄姉を連れて。旅館はもう乗っ取られて、で北九州に逃げて。それでしばらく小倉のアパートに
佐藤:逼伏してた 隠れていた

えいぞう:巨大な旅館から小倉のね一間のアパートにね、なって。うちの兄貴とか、あんまり今兄貴いるから ふふふ けど。母親が言うには兄貴はちょっと精神的にまいってアパートの狭い部屋を壁から壁伝いにずーっとデングリ返してたらしいふふふふ兄貴ふふふふ

佐藤:一人でデングリ返しを繰り返してた
えいぞう:たのよね〜みたいな。あの子は苦労してみたいな話をしててそれはそうですよね 16:26

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