文庫本のタイトル | 作品のタイトル | 作品の書き出し | |
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1 | 象の白い脚 | エア・ラオス機、約四十人乗りのDC3。ほとんど満席で、空席は二つか三つしかない。 | |
2 | 日本の黒い霧(上) | 下山国鉄総裁謀殺論 | 昭和二十四年七月五日(死体発見六日)に発生したいわゆる下山事件は表面上はまだ解決していない。 |
「もく星」号遭難事件 | 昭和二十七年四月九日午前七時三十四分、日航機定期旅客便福岡板付行「もく星」号は羽田飛行場を出発した。 | ||
二大疑獄事件 | 連合軍総司令部民政局(GS)の次長であったチャールス・ケージスと恋愛関係を噂された鳥尾夫人が、その手記に、次のような意味のことを書いている。 | ||
白鳥事件 | 昭和二十七年一月二十一日の午後七時半ごろのことである。 | ||
ラストヴォロフ事件 | 昭和二十九年一月二十七日のことである。 | ||
革命を売る男・伊藤律 | 伊藤律の除名は、日本共産党の六全協(第六回全国協議会)の席上で、昭和三十年七月二十八日、満場一致で再確認された。 | ||
3 | 日本の黒い霧(下) | 征服者とダイヤモンド | 残暑のきびしい昭和二十年九月三十日午後三時すぎのことである。 |
帝銀事件の謎 | 帝銀事件の犯人は、最高裁の判決によって平沢貞通に決定した。 | ||
鹿地亘事件 | 昭和二十六年十一月二十五日午後七時ごろ、藤沢市鵠沼に転地療養していた鹿地亘は、江ノ電鵠沼付近の道路を散歩中、二台の米軍乗用車によって挟まれた。 | ||
推理・松川事件 | 松川事件における広津和郎氏の観点は、被告たちの無罪を立証するために重点が置かれた。 | ||
追放とレッド・パージ | 日本の政治、経済界の「追放」は、アメリカが日本を降伏させた当時からの方針であった。 | ||
謀略朝鮮戦争 | このシリーズを書きつづけて、遂に最終回を迎えた。 | ||
なぜ『日本の黒い霧』を書いたか | 『日本の黒い霧』をどういう意図で書いたか、という質問を、これまで私はたびたび人から受けた。 | ||
4 | 強き蟻 | 早春の寒い夕方だった。伊佐子が運転しながら燃料計を見るとEになっていた。 | |
5 | 波の塔(上) | 波の塔 | 最初の日は名古屋に泊まった。次の晩には、木曾の福島に泊まった。最後が上諏訪であった。 |
6 | 波の塔(下) | ||
7 | 球形の荒野(上) | 球形の荒野 | 芦村節子は、西の京で電車を下りた。 ここに来るのも久し振りだった。 |
8 | 球形の荒野(下) | ||
9 | 彩霧 | 午後四時半に銀行を出た。なま暖かい早春の土曜日であった。 | |
10 | 事故 | 事故 | 高田京太郎は、或る朝、寝床の中で朝刊を開いていたとき、「あ、やってる」と声を出した。 |
熱い空気 | 河野信子は渋谷の道玄坂上の「協栄家政婦会」というのに所属している。 | ||
11 | 陸行水行 | 形 | 「高山地帯観光株式会社」という観光道路建設の会社ができた。 |
陸行水行 (新潮文庫7) |
九州の別府から小倉方面に向って約四十分ばかり汽車で行くと、宇佐という駅に着く。 | ||
寝敷き | 森岡源次はペンキ職人であった。 | ||
1d断線 | 昭和三十二年の秋、田島光夫は滝村英子と結婚した。 | ||
12 | 果実のない森 | 梅木隆介は所沢街道を田無の方面に走っていた。 | |
13 | 火と汐 | 火と汐 | 一晩泊まった部屋だが、外出先から帰った眼にはわが家の居間のように見えた。 |
証言の森 | その犯罪の発覚は、被害者の夫青座村次(当三十一歳)が附近の巡査派出所に昭和十三年五月二十日午後六時半ごろ出頭して、 | ||
種族同盟 | 人間の不仕合せは、ほんのちょっとしたはずみから起こる。 | ||
山 | 女の話声が聞えた。青塚は立ったまま障子を細目に開け、片目をのぞかせた。 | ||
14 | 証明 | 証明 | 久美子はこのところつづけて次号雑誌の取材で下調べをしていた。 |
新開地の事件 | 都会に密集した家屋は、異った生活集塊の様相と、隣人との孤絶関係で成り立っているという組み合せから犯罪の伏在を容易に想像させる。 | ||
密宗律仙教 | 尾山定海は彼が真言宗の僧籍に入ってからの名である。 | ||
留守宅の事件 | 交番の巡査は、事件捜査記録の「証人訊問調書」のなかに通報を受けたときのことを述べている。 | ||
15 | 不安な演奏 | 雑誌編集者の宮脇平助は、誰にも教えない自分の巣を三軒持っている。浅草に一軒、池袋に一軒、新宿に一軒。どれも安バーであった。 | |
16 | 浮遊昆虫 | 浮遊昆虫 | 東京の西郊、いわゆる武蔵野台地と呼ばれる一帯は、近年、住宅地がふえてきたが、それでも、東西約四十キロ、南北約二十キロの宏大な地域の大部分は、田園が展がり、欅、櫟、楢、樫などの雑木林が帯状になって幾重にも茂っている。 |
閉鎖 | 突然、お手紙を差上げます。 | ||
皿倉学説 | 採銅健也は六十五歳になる。 | ||
相模国愛甲郡中津村 | 私が資料などをよく頼む古書店にI堂といのがある。 | ||
振幅 | わたしは木谷潤子の家にいた。 | ||
17 | 風の視線(上) | 風の視線 | 青森行き急行「おいらせ」号は、上野駅発二十三時で、列車は三十分前にホームにはいっていた。 |
18 | 風の視線(下) | ||
19 | 高校殺人事件 | 高等学校は城山にあった。城山といっても、べつに石垣があるわけではない。 | |
20 | 弱気の虫 | 二つの声 | 野鳥の声を録音しようと言い出したのは妻我富夫である。 |
弱気の虫 | 川島留吉は或る省の役人をしている。或る課の課長補佐だった。 | ||
21 | 遠い接近 | 夏が過ぎ、九月にはいると、どこの印刷所もぼつぼつ活気を帯びてきた。 | |
22 | ベイルート情報 | 脊梁 | ほとんどの小説には背景になる土地が指定されてある。 |
晩景 | 朝の白々とした陽が狭い庭の南天の葉に注いで、今日も底冷えがする。 | ||
軍部の妖怪 | ローガン弁護人 あなたは、日本人によりまして怪物(モンスター)として知られておるのではありませんか。 | ||
ベイルート情報 | 一九六四年の秋のはじめ、私はローマまで一緒だった友人たちと別れて、ひとりでカイロに向かった。 | ||
23 | 私説・日本合戦譚 | 長篠合戦 | 天正三年五月、武田勝頼の一万五千の兵と、信長・家康の連合軍三万八千の兵とが三河設楽原で激突したのが、長篠の合戦である。 |
姉川の戦 | 「桶狭間役ノ後十年ニシテ姉川役アリ。 | ||
山崎の戦 | 天正十年六月二日の早朝、織田信長は京都本能寺の宿舎で、明智光秀の急襲をうけてあえなく殺された。 | ||
川中島の戦 | 川中島の戦といっても、今の青少年にはあまり分からぬ。 | ||
厳島の戦 | 安芸宮島は日本三景の一とは誰でも知っている。 | ||
九州征伐 | 豊臣秀吉の九州征伐は、運命を決するような大勝負でもなく、華々しい合戦があったわけでもない。 | ||
島原の役 | 寛永十一年から三年間、九州の涯、島原領と天草島では凶作がつづき、飢饉がおこった。 | ||
関ヶ原の戦 | 豊臣秀吉は、慶長三年八月十八日、六十三歳で伏見城内に死んだ。 | ||
西南戦争 | 西南戦争の誘因は、征韓論に敗れて下野した西郷隆盛が、東京を去って鹿児島に隠退したことからはじまる。 | ||
24 | 表象詩人 | 山の骨 | 少し長い話を書いたあと、小説家は、いちがいには言えないが、枚数を切り詰めた小説を書きたくなるものである。 |
表象詩人 | 批評家というのは、その詩的な抽象用語を駆使して作品の鑑賞論を展開しがちである。 | ||
25 | 告訴せず | 容貌の程度も平均以下で、風采も上がらない四十半ばの男は、群衆の中ではただの夾雑物でしかない。 | |
26 | 風の息(上) | 風の息 | 事件当時の事を新聞記事に沿って書く。―― |
27 | 風の息(中) | ||
28 | 風の息(下) | ||
29 | 火の路(上) | 火の路 | |
30 | 火の路(下) | ||
31 | 昭和史発掘1 | 陸軍機密費問題 | |
石田検事の怪死 | |||
朴烈大逆事件 | |||
32 | 昭和史発掘2 | 芥川龍之介の死 | |
北原二等卒の直訴 | |||
三・一五共産党検挙 | |||
33 | 昭和史発掘3 | 「満洲某重大事件」 | |
佐分利公使の怪死 | |||
潤一郎と春夫 | |||
34 | 昭和史発掘4 | 天理研究会事件 | |
「桜会」の野望 | |||
五・一五事件 | |||
35 | 昭和史発掘5 | スパイ“M”の謀略 | |
小林多喜二の死 | |||
36 | 昭和史発掘6 | 京都大学の墓碑銘 | |
天皇機関説 | |||
陸軍士官学校事件 | |||
37 | 昭和史発掘7 | 二・二六事件 | |
38 | 昭和史発掘8 | ||
39 | 昭和史発掘9 | ||
40 | 昭和史発掘10 | ||
41 | 昭和史発掘11 | ||
42 | 昭和史発掘12 | ||
43 | 昭和史発掘13 | ||
44 | 高台の家 | 高台の家 | 山根辰雄は、東京の或る大学に法制史の教師としてつとめ、同じく講師として他の二つの大学にも出議している。 |
獄衣のない女囚 | 服部和子は午後四時ごろに会社を出た。今日は土曜日なのでいつもより一時間半は退社が早い。 | ||
45 | 黒の回廊 | アンカレッジの「買物」 | |
コペンハーゲンの「古城」 | |||
ロンドンの「公園」 | |||
スコットランドの「湖」 | |||
スイスの「高原」 | |||
アイガーの「壁」 | |||
46 | 虚線の下絵 | 与えられた生 | 桑木は三ヵ月ほど前に、内臓外科専門のA病院で胃癌の切除手術を受けた。 |
虚線の下絵 | 久間は、夕方の六時ごろ、倉沢の家の前まで行った。 | ||
通過する客 | 少し大げさにいうと、妻と夫の性格の不一致は古来しばしば小説や劇のテーマとなるように、実際の上でもそれが原因して大事にいたることがある。 | ||
首相官邸 | 医務室での診断は午前九時にはじまって十一時半に終る。 | ||
47 | 梅雨と西洋風呂 | ||
48 | 危険な斜面 | 危険な斜面 | 西島電機株式会社調査課長秋場文作が、野関利江と十年ぶりに偶然会ったのは、歌舞伎座のロビーだった。 |
二階 (角川文庫3) (新潮文庫3) |
竹沢英二は、二年近く療養所にいたが、病状はいっこうに快くならなかった。 | ||
巻頭句の女 (新潮文庫7) |
俳句雑誌「蒲の穂」四月号の校了のあと、主宰者の石本麦人、同人の山尾梨郊、藤田青沙、西岡しず子の間に、茶をのみながらこんな話が出た。 | ||
失敗 | D署が*・*といっても、判然としないだろうから、かりに東北の中都市の警察署と書いておく。 | ||
拐帯行 (新潮文庫3) |
森村隆志は外から会社に帰ってきた。 | ||
投影 (新潮文庫6) |
太市は、東京から都落ちした。 | ||
49 | 屈折回路 | 従兄の香取喜曾一が熊本で死んだという電報を私が貰ったのは、昭和三十七年の冬になりかけの頃だった。 | |
50 | 火神被殺 | 火神被殺 | ぼくの経験を書く。なるべく簡略な記述ですすめたい。 |
奇妙な被害 | 事件は単純にみえた。秋の夜、六十二歳になる金貸しの老人が、二十八歳の男に自宅で撲殺された。 | ||
葡萄唐草文様の刺繍 | ブリュッセルの十月半ばは寒い。 | ||
神の里事件 | 平野部を走って一時間以上にはなる。 | ||
恩誼の紐 | 九歳の記憶だからあやふやである。 | ||
51 | 西海道談綺(一) | 西海道談綺 | 宿直の上番は正午から翌日の正午までである。 |
52 | 西海道談綺(二) | ||
53 | 西海道談綺(三) | ||
54 | 西海道談綺(四) | ||
55 | 西海道談綺(五) | ||
56 | 西海道談綺(六) | ||
57 | 西海道談綺(七) | ||
58 | 西海道談綺(八) | ||
59 | 馬を売る女 | 馬を売る女 | 画家の石岡寅治は一週間に二回ぐらいのわりあいで銀座に出かける。 |
式場の微笑 | 結婚披露宴は、都内のホテルで、午後四時からと金ぶちの案内状にはあった。 | ||
駆ける男 | 蒐集狂というのは、精神分析の分野では、たぶんパラノイア(偏執狂)の分類に入るのかもしれない。 | ||
山峡の湯村 | 金山から北へ下呂温泉までの飛騨川沿いは昔から「中山七里」とよんでいる。 | ||
60 | 白と黒の革命 | ||
61 | 象徴の設計 | ||
62 | 空の城 | ||
63 | 絢爛たる流離 (中公文庫3) |
北九州市のR市は、後背地帯の石炭によって成長し、繁栄してきた。 | |
64 | 雑草群落(上) | 雑草群落 | 雨は昼間より激しいものに見えた。ヘッドライトの先の舗道に白い水煙が立ち昇っている。 |
65 | 雑草群落(下) | ||
66 | 十万分の一の偶然 | A新聞一月二十七日朝刊は、「読者のニュース写真年間賞」を発表した。 | |
67 | 疑惑 | 疑惑 | 十月の初めであった。北陸の秋は早くくるが、紅葉までにはまだ間がある。 |
不運な名前 | 三月末の或る雨の日、安田は岩見沢の駅で降りた。 | ||
68 | 史観宰相論 | ||
69 | 彩り河(上) | 彩り河 | |
70 | 彩り河(下) | ||
71 | 形影 菊池寛と佐佐木茂索 | ||
72 | 鬼火の町 | 天保十一年五月六日の朝のことである。 | |
73 | 幻華 | 三月下旬の夜十時すぎであった。銀座八丁目の並木通りを、背の低い小肥りの男と、丈の高い痩せた男とが、タコ焼き屋台の横で邂逅した。 | |
74 | 霧の会議(上) | 霧の会議 | 十月も十日をすぎるとロンドンの日あしは急に短くなる。 |
75 | 霧の会議(下) | ||
76 | 西海道談綺<新装版>(一) | 西海道談綺 | 宿直の上番は正午から翌日の正午までである。 |
77 | 西海道談綺<新装版>(二) | ||
78 | 西海道談綺<新装版>(三) | ||
79 | 西海道談綺<新装版>(四) | ||
80 | 暗い血の旋舞 | ||
81 | 詩城の旅びと | ||
82 | 草の径 | 老公 | |
モーツァルトの伯楽 | |||
死者の網膜犯人像 | |||
ネッカー川の影 | |||
「隠り人」日記抄 | |||
呪術の渦巻文様 | |||
夜が怕い | |||
83 | 無宿人別帳 (角川文庫4) |
町の島帰り | 船は六ツ刻に着くということであったが、予定より半刻遅れた。 |
海嘯 | 強い夕陽が暑かった。能州無宿の新太は、本所松坂町の本多内蔵助の長い塀の蔭を拾って犬のように歩いていた。 | ||
おのれの顔 | 坂部能登守勤役中風聞書写 | ||
逃亡 | 安永七年、老中書付 | ||
俺は知らない | 信州奈良井生れの銀助は懐に金が一文も無かった。 | ||
夜の足音 | 浅草田原町の粂吉が、今戸の裏店に龍助を探しに行ったのは、正月の半分が過ぎ、今日は増上寺の山門開きがあるという日であった。 | ||
流人騒ぎ (新潮文庫5) |
武州小金井村無宿の忠五郎が、賭場の出入りで人を傷害し、伊豆の八丈島に島流しになったのは、享和二年四月のことであった。 | ||
赤猫 | 此年もすでに暮れし十二月晦日の夜半ばかりに、忠良朝臣の家より火発して、延焼の家ども多く、明れば丙申の春正月元日の巳時の終まで、火消る事もなし。 | ||
左の腕 (新潮文庫5) |
深川西念寺横の料理屋松葉屋に、このひと月ほど前から新しい女中が入った。 | ||
雨と川の音 | 江州無宿の与太郎が博奕場の争いで人を斬って伝馬町に入牢した。 | ||
84 | 両像・森鴎外 | ||
85 | 神々の乱心(上) | 神々の乱心 | |
86 | 神々の乱心(下) | ||
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