文庫本のタイトル | 作品のタイトル | 作品の書き出し | |
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1 | 或る「小倉日記」伝 | 或る「小倉日記」伝 (新潮文庫2) |
昭和十五年の秋のある日、詩人K・Mは未知の男から一通の封書をうけとった。 |
父系の指 (新潮文庫2) |
私の父は伯耆の山村に生れた。 | ||
菊枕 (新潮文庫2) |
三岡圭助がぬいと一緒になったのは、明治四十二年、彼が二十二歳、ぬい二十歳の秋であった。 | ||
笛壷 (新潮文庫2) |
案内記によると、土地にできたそば粉を武蔵野の湧水で打ったのが昔からの名物だそうであるが、このそば屋は家の構えの貧弱なこと田舎のうどん屋と異なるところがない。 | ||
石の骨 (新潮文庫2) |
「故宇津木欽造先生記念碑除幕式」は、三時からL大で開かれた。 | ||
断碑 (新潮文庫2) |
木村卓治はこの世に、三枚の自分の写真と、その専攻の考古学に関する論文を蒐めた二冊の著書を遺した。 | ||
2 | 顔・白い闇 | 顔 (新潮文庫6) |
−日。今日、舞台稽古のあとで、幹部ばかりが残って何か相談をしていた。 |
張込み (新潮文庫6) |
柚木刑事と下岡刑事とは、横浜から下りに乗った。 | ||
声 (新潮文庫6) |
高橋朝子は、ある新聞社の電話交換手であった。 | ||
地方紙を買う女 (新潮文庫6) |
潮田芳子は、甲信新聞社に宛てて前金を送り、「甲信新聞」の講読を申込んだ。 | ||
白い闇 (新潮文庫7) |
信子の夫の精一は、昭和三十×年六月、仕事で北海道に出張すると家を出たまま失踪した。 | ||
3 | カルネアデスの舟板 | カルネアデスの舟板 (新潮文庫6) |
昭和二十三年の早春のことである。 |
鬼畜 (新潮文庫6) |
竹中宗吉は三十すぎまでは、各地の印刷屋を転々として渡り歩く職人であった。 | ||
喪失 (新潮文庫2) |
男も女も職業をもっていた。田代二郎は運送会社の会計係を勤めて一万五千円を貰う。 | ||
二階 (新潮文庫3) (文春文庫48) |
竹沢英二は二年近く療養所に居たが、病状は一向に快くならなかった。 | ||
発作 (新潮文庫40) |
田杉は十時すぎて眼を醒ました。温いと思ったら、カーテンの合せ目の隙から射した陽が首の上まで来ていた。 | ||
一年半待て (新潮文庫6) |
まず、事件のことから書く。被告は、須村さと子という名で、二十九歳であった。 | ||
捜査圏外の条件 (新潮文庫7) |
……殿 殿とだけ書いて、名前が空白なのは、未だに宛先に迷っているからである。 | ||
4 | 無宿人別帳 (文春文庫83) |
町の島帰り | 船は六つ刻に着くということであったが、予定より半刻遅れた。 |
海嘯 | 強い夕陽が暑かった。能州無宿の新太は、本所松坂町の本多内蔵介の長い塀の蔭を拾って犬のように歩いていた。 | ||
おのれの顔 | 坂部能登守勤役中風聞書写 | ||
逃亡 | 安永七年、老中書付 | ||
俺は知らない | 信州奈良井生れの銀助は懐に金が一文もなかった。 | ||
夜の足音 | 浅草田原町の粂吉が、今戸の裏店に竜助を探しに行ったのは、正月の半分が過ぎ、今日は増上寺の山門開きがあるという日であった。 | ||
流人騒ぎ (新潮文庫5) |
武州小金井村無宿の忠五郎が、賭場の出入りで人を傷害し、伊豆の八丈島に島流しになったのは、享和二年四月のことであった。 | ||
赤猫 | 此年もすでに暮れて十二月晦日の夜半ばかりに、忠良朝臣の家より火発して、延焼の家ども多く、明れば丙申(享保元年)の正月元日の巳の時の終りまで、火消る事もなし。 | ||
左の腕 (新潮文庫5) |
深川西念寺横の料理屋松葉屋に、このひと月ほど前から新しい女中が入った。 | ||
雨と川の音 | 江州無宿の与太郎が博奕場の争いで人を斬って伝馬町に入牢した。 | ||
5 | 真贋の森 | 真贋の森 (新潮文庫3) (中公文庫10) |
醒めかけの意識に雨の音が聴こえていた。 |
上申書 (中公文庫10) |
証人訊問調書 東京都世田谷区××町××番地 | ||
剥製 (新潮文庫40) (中公文庫10) |
鳥寄せの名人がF市に居るから写真班を連れて、子供向きの読物記事にしてくれないか、と芦田が次長から頼まれたのは、十月の終りごろであった。 | ||
愛と告白の共謀 (新潮文庫40) (中公文庫10) |
勝野章子はふた月に一度くらい、ひとりで一週間を過ごす。 | ||
装飾評伝 (新潮文庫3) |
私が、昭和六年に死んだ名和薛治のことを書きたいと思い立ってから、もう三年越しになる。 | ||
6 | 小説帝銀事件 (講談社文庫14) |
R新聞論説委員仁科俊太郎は、自分の部屋での執筆が一区切りついたので、珈琲でも運ばせよう思って、呼釦を押すつもりであった。 | |
7 | かげろう絵図(前) | かげろう絵図 (新潮文庫14〜15) | 家斉は眼をさました。部屋に薄い陽が射している。六つ(午前六時)を少々過ぎたころだなと思った。 |
8 | かげろう絵図(後) | ||
9 | 霧の旗 (新潮文庫20) (中公文庫18) |
柳田桐子は、朝十時に神田の旅館を出た。 | |
10 | 佐渡流人行 | 佐渡流人行 (新潮文庫5) |
寺社奉行吟味取調役であった横内利右衛門が、この度、佐渡支配組頭を命ぜられた。 |
いびき (新潮文庫5) |
上州無宿の小幡の仙太は博奕の上の争いから過って人を殺して、捕縛された。 | ||
甲府在番 (新潮文庫5) |
旗本小譜請組二百五十石伊谷求馬は、兄伊織の病死のあとをうけて家督をついだ翌月、甲府勤番を命ぜられた。 | ||
啾々吟 (新潮文庫4) |
予、松枝慶一郎は、弘化三年丙午八月十四日、肥前佐賀に於て、鍋島藩家老の倅として出生した。 | ||
西郷札 (新潮文庫4) |
去年の春、私のいる新聞社では『九州二千年文化史展』を企画した。 | ||
11 | 徳川家康 | 愛知県の名古屋市から東へ三十キロばかりのところに岡崎市がある。 | |
12 | 黒い福音 (新潮文庫13) |
東京の北郊を西に走る或る私鉄は二つの起点をもっている。 | |
13 | 落差 (講談社文庫15〜17) |
列車が沼津駅に着いた。島地章吾は窓から首を出したが、あいにくと一等車がホームの端に停ったので、売子がここまで来てくれない。 | |
14 | 天保図録(上) | 天保図録 (朝日文庫2〜4) (講談社文庫20〜24) |
むし暑い日である。四月も半ばをすぎると、陽気が夏のものになってくる。 |
15 | 天保図録(中) | ||
16 | 天保図録(下) | ||
17 | 考える葉 | その男は銀座を歩いていた。彼は、三十五、六ぐらいに見えた。 | |
19 | 神と野獣の日 (講談社文庫27) |
早春の暖かい日である。ある広告代理業の社員が、日比谷公園横の祝田橋に車でさしかかって、信号待ちの停止をしていた。 | |
20 | アムステルダム運河殺人事件 (朝日文庫5) |
アムステルダム運河殺人事件 | 一九××年八月二十六日の夕方五時ごろのことである |
セント・アンドリュースの事件 | 最初の約束は、七月半ば、箱根の仙石原で出来た。 | ||
21 | 人間水域 | 長村平太郎は湯壷から出た。浴室のガラスの大きな空間がそのまま熱海の風景になっていた。 | |
22 | 葦の浮船 | 今年の綜合歴史学会の当番校は金沢の大学であった。 | |
23 | 日光中宮祠事件 | 日光中宮祠事件 | この事件の小さい紹介は、警察図書の出版社から発行している雑誌「捜査研究」に掲載されている。 |
情死傍観 | 以前、私は或る雑誌に「傍観」と題した二十枚にも足らぬ小品を発表したことがある。 | ||
特技 | 一五四三年日本に鉄砲が伝来してより三十数年を経て、射撃の名手が現われた。 | ||
山師 | 家康が秀吉から関八州を与えられて江戸に遷ったのは天正十八年で、それから二、三年たった年の春のことである。 | ||
部分 | (問)職業は。 | ||
厭戦 | 私の郷里は九州の城下町だが、その近くの山の中に佐平窟という洞穴がある。 | ||
小さな旅館 | 俺が順治に殺意を持ったのは、半年くらいの間である。 | ||
老春 | 栄造は、産地から送られてきた桶の荷を解いていた。 | ||
鴉 | 都下北多摩郡××町次郎新田の新道路建設計画は、同地××番地の浜島庄作さんの地所が価格の点で折あいがつかず、目下難航している。 | ||
24 | 内海の輪 | 内海の輪 「霧笛の町」改題 |
旅館の帳場――近ごろはしゃれてフロントとよんでいるところもあるが、深まった家から門に出るまで庭石の通路の横にそういう関所がある。 |
死んだ馬 | 和風建築の設計で、池野典也は日本でも指折りのひとりにはいるだろう。 | ||
25 | 二重葉脈 | 春浅い三月十一日の午後一時のことである。 | |
27 | 生けるパスカル | 生けるパスカル | 画家の矢沢辰生は、美術雑誌記者の森禎治郎がいう外国の小説の話を、近来これほど身を入れて聞いたことはなかった |
六畳の生涯 | 東京都の西はずれにある区で、郡部の地区に接している一帯は、十年前とは見違えるように多くの家が建ち、きれいな住宅街がひろがっている。 | ||
28 | 聞かなかった場所 | 浅井恒雄がそれを知らされたのは出張先の神戸であった。 | |
29 | 彩色江戸切絵図 (講談社文庫7) |
大黒屋 | 文久二年正月十五日の八ツ(午後二時)ごろのことだった。 |
大山詣で | 日本橋平右衛門町に蝋燭問屋を営む山城屋という店があった。 | ||
山椒魚 | 天明元年は米価の高騰で、早々から世間が騒がしかった。 | ||
三人の留守居役 | そろそろ夏に向う四月末の八ツ刻(午後二時)ごろのことだった。 | ||
蔵の中 | 十一月も半ばを過ぎると、冷え込みがひどくなる。 | ||
女義太夫 | 「ああ、疲れた」と、女は舞台から楽屋に戻るなり紫ぼかしの肩衣を脱ぎかけた。 | ||
30 | 山峡の章 | その一年前、朝川昌子は女子大を卒業した。 | |
31 | 水の炎 | 暑い日がつづく。草間泰子は、その暑い毎日を電車に揺られて、L大学まで通った。 | |
32 | 混声の森(上) | 混声の森 | 「事故でもあったのかな?」石田謙一はタクシーの運転手に声をかけた。「さあ?」運転手も首をかしげている。 |
33 | 混声の森(下) | ||
34 | 影の車 (中公文庫1) |
潜在光景 (新潮文庫40) |
私が小磯泰子と二十年ぶりに再会したのは、帰宅途中のバスの中だった。 |
典雅な姉弟 (新潮文庫40) |
東京の麻布の高台でT坂といえば、高級な住宅地として高名だった。 | ||
万葉翡翠 (新潮文庫7) |
「ぼくはね、万葉考古学をやりたいと思っていた時期があったよ」 | ||
鉢植を買う女 | 上浜楢江は、A精密機械株式会社販売課に勤めているが、女子社員としては最年長者である。 | ||
薄化粧の男 (新潮文庫7) |
三月三日の午前五時半ごろだった。 | ||
確証 (新潮文庫3) |
大庭章二は、一年前から、妻の多恵子が不貞を働いているのではないかという疑惑をもっていた。 | ||
田舎医師 | 杉山良吉は、午後の汽車で広島駅を発った。 | ||
35 | 北の詩人 (中公文庫5) |
一九四五年の十月、林和はパゴダ広場を過っていた。 | |
36 | 地の指(上) | 地の指 | 銀座裏のバー「クラウゼン」といううちだった。午後九時半というと、商売はこれからというときだ。 |
37 | 地の指(下) | ||
38 | 死の発送 (中公文庫17「渇いた配色」) |
岡瀬正平が七年の刑を終えて出所した。 | |
39 | 翳った旋舞 | 三沢順子は、去年の春、東京のある女子大を卒業して、すぐに現在のR新聞社に入った。 | |
40 | 美しき闘争(上) | 美しき闘争 | 井沢恵子は門を出た。この辺の路は暗い。小さな家が多かったが、それでも住宅街だった。 |
41 | 美しき闘争(下) | ||
42 | 延命の負債 | 延命の負債 | 村野末吉は若いときから心臓がよくない。ときどき胸がしめあげられるように痛む。 |
湖畔の人 | 矢上は四十九になった。停年にあと六年である。 | ||
ひとり旅 | 田部正一は早くから、遠い旅をしたいと思い、一種の憧れをもっていたが、貧乏でそんな余裕がなかった。 | ||
九十九里浜 | 古月は、夏のある日、千葉県九十九里町片貝、前原岩太郎という差出名の一通の封書をうけ取った。 | ||
賞 | 私が粕屋侃陸という名を知ったのは、随分前からであった。 | ||
春の血 | 海瀬良子は、友人の中に新原田恵子をもっていた。 | ||
いきものの殻 | タクシーは、門を入って、しばらく砂利道を徐行した。 | ||
津ノ国屋 | 今年の夏、私は用事があって、三重県の鈴鹿市という所に行った。 | ||
子連れ | 八田圭介は、小説を書くのを職業としている。 | ||
余生の幅 | 文吉が急に弱りはじめたのは、留守に本妻の梅子が戻ってからだった。 | ||
三味線 | 隆介は、息子の順治から結婚したい女がいると打ち明けられたとき、まだ少し早いなと思った。 | ||
月 | 伊豆亨の恩師は谷岡翼山である。 | ||
43 | 軍師の境遇 | 軍師の境遇 | 毛利につくか? 織田に味方するか? |
逃亡者 | 細川藤孝が明智光秀の応援として丹後に出兵したのは、天正七年のことであった。 | ||
版元画譜 | 寛政六年九月の或る日、自分は旦那(日本橋通油町の地本問屋耕書堂主人蔦屋重三郎のこと)の使いで京伝の煙草入店を訪ねた。 | ||
44 | 乱灯江戸影絵(上) | 乱灯江戸影絵 | 享保七年四月二十一日のことであった。 |
45 | 乱灯江戸影絵(中) | ||
46 | 乱灯江戸影絵(下) | ||
47 | 失踪の果て | 失踪の果て | Q大理学部地質学教室主任教授渡部荘太郎が消息を絶ったのは四月二十二日の夕方であった。 |
額と歯 | 昭和七年三月五日の朝、三井合名理事長団琢磨が、東京日本橋の三井銀行前で暴力団員の一人に射殺された。 | ||
やさしい地方 | 今から十三年前、沼地恭介はある高名なA弁護士の事務所に所属していた。 | ||
繁昌するメス | 大宮医院は都下K郡B町にある。 | ||
春田氏の講演 | 春田令吉は評論家である。近ごろは評論家という名前がやたらにふえたが、春田令吉はもう二十年も前から、この名前を頂戴している。 | ||
速記録 | 年齢六十一歳の代議士下渡久太郎は、九州の某県選出で当選二回である。 | ||
48 | 野盗伝奇 (中公文庫7) |
秋月伊助の言葉で四人いた同輩が四人とも、顔色を変えて彼の方を睨みつけた。 | |
37 | 紅い白描 (中公文庫16) |
原野葉子は、その年の春、××美術大学図案科を卒業した。 | |
38 | 信玄戦旗 | 甲斐国は山岳四方に連なり、郡郷がその間に点在する。 | |
39 | 黒い空 | 埼玉県川越市。──旧市街は新河岸川にとりまかれている。 | |
40 | 数の風景 | 板垣貞夫は東京から米子空港に午前十一時ごろに着いた。 | |
41 | 犯罪の回送 | 北浦市市長春田英雄は、十一月九日の寝台特急「北斗星2号」で東京に向かった。 | |
42 | 一九五二年日航機「撃墜」事件 | 昭和二十七年四月九日午前七時三十四分、大阪経由福岡行のマーチン二〇二型双発「もく星」号は |