文庫本のタイトル | 作品のタイトル | 作品の書き出し | |
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1 | 小説日本芸譚 | 運慶 | 仏師法印運慶は、京都の七条仏所の奥で七十六歳の病んだ身体を横たえていた。 |
世阿弥 | 世阿弥が、後小松天皇と前将軍足利義満の前で申楽を演じたのは、応永十五年三月十五日の夜であった。 | ||
千利休 | 利休は雪の中を大徳寺から帰った。天正十九年の閏正月の末である。 | ||
雪舟 | 雪舟が、京都相国寺の春林周藤のもとに弟子入りしたのは、永享三年の秋、十二歳の時であった。 | ||
古田織部 | 古田織部が、千利休の追放の報せをきいたのは、その当夜の天正十九年二月十三日の晩である。 | ||
岩佐又兵衛 | 天正六年の秋、摂津伊丹の荒木村重が織田信長に謀反した。 | ||
小堀遠州 | 小堀作介政一に一つの記憶がある。 | ||
光悦 | 私どもの今住んで居ります村は、京の北に当る鷹の峯の麓でございます。 | ||
写楽 | 寛政七年正月の半ば、午下りであった。 | ||
止利仏師 | 伊村は締切を明日に控えて、煙草を喫いながらぼんやりしている。 | ||
2 | 或る「小倉日記」伝 | 或る「小倉日記」伝 (角川文庫1) |
昭和十五年の秋のある日、詩人K・Mは未知の男から一通の封書をうけとった。 |
菊枕 (角川文庫1) |
三岡圭助がぬいと一緒になったのは、明治四十二年、彼が二十二歳、ぬい二十歳の秋であった。 | ||
火の記憶 | 頼子が高村泰雄との交際から結婚にすすむ時、兄からちょっと故障があった。 | ||
断碑 (角川文庫1) |
木村卓治はこの世に、三枚の自分の写真と、その専攻の考古学に関する論文を集めた二冊の著書を遺した。 | ||
笛壷 (角川文庫1) |
案内記によると、土地にできた蕎麦粉を武蔵野の湧き水で打ったのが昔からの名物だそうであるが、この蕎麦粉は家の構えの貧弱なこと田舎うどん屋と異なるところがない。 | ||
赤いくじ | 一九四四年(昭和十九年)の秋、朝鮮京城で二つの新しい師団が編成された。 | ||
父系の指 (角川文庫1) |
私の父は伯耆の山村に生まれた。 | ||
石の骨 (角川文庫1) |
「故宇津木欽造先生記念碑除幕式」は、三時からL大で開かれた。 | ||
青のある断層 | 「フォルムは決定的な位置にありながら、なぜかそれを破棄して苦闘しているが、それは、ほかの作品にない世界の内面を窺知させる。 | ||
喪失 (角川文庫3) |
男も女も職業をもっていた。田代二郎は運送会社の会計係を勤めて一万五千円を貰う。 | ||
弱味 | 眼をさました。暗い。森閑と静まっている。 | ||
箱根心中 | 八時十分すぎに、中畑健吉は新宿駅の東口にきた。 | ||
3 | 黒地の絵 | 二階 (角川文庫3) (文春文庫48) |
竹沢英二は二年近く療養所に居たが、病状は一向に快くならなかった。 |
拐帯行 (文春文庫48) |
森村隆志は外から会社に帰ってきた。 | ||
黒地の絵 | (一九五〇年六月=ワシントン特電二十八日発AP)米国防省は二十八日韓国の首都京城が陥落したことを確認した。 | ||
装飾評伝 (角川文庫5) |
私が、昭和六年に死んだ名和薛治のことを書きたいと思い立ってから、もう三年越しになる。 | ||
真贋の森 (角川文庫5) (中公文庫10) |
醒めかけの意識に雨の音が聴こえていた。 | ||
紙の牙 | 昏くなると、この温泉町の繁華街の灯が真下に見えた。 | ||
空白の意匠 (中公文庫10) |
Q新聞広告部長植木欣作は、朝、眼がさめると床の中で新聞を読む。 | ||
草笛 | 周吉が十七歳の時だった。 | ||
確証 (角川文庫34) (中公文庫1) |
大庭章二は、一年前から、妻の多恵子が不貞を働いているのではないかという疑惑をもっていた。 | ||
4 | 西郷札 | 西郷札 (角川文庫10) |
去年の春、私のいる新聞社では『九州二千年文化史展』を企画した。 |
くるま宿 (中公文庫13) |
柳橋に近い“相模屋”という人力車の俥屋だった。 | ||
梟示抄 | 鎮台兵が征韓党の拠っている佐賀県庁に入城したのは、明治七年三月朔日の朝十時ごろであった。 | ||
啾々吟 (角川文庫10) |
予、松枝慶一郎は、弘化三年丙午八月十四日、肥前佐賀において、鍋島藩家老のせがれとして出生した。 | ||
戦国権謀 | 慶長十二年、家康は駿府に引っこむと、今まで従っていた本多佐渡守正信を江戸の秀忠のもとに傅役として置き、自身は正信の子の上野介正純を手もとに使った。 | ||
権妻 | 女が妊娠したというので、杉野織部の顔色が変わった。 | ||
酒井の刃傷 (中公文庫13) |
寛延二年正月、老中酒井雅楽頭忠恭はその職を辞し、溜間詰めとなり、領地上州前橋から播州姫路に国替えとなった。 | ||
二代の殉死 | 慶安四年四月二十日の夜、大老堀田加賀守正盛が、その日の未明、寅の刻時分に他界した家光に殉じて、腹を割いて果てた。 | ||
面貌 | 空がどんより曇って、薄ら寒い風が吹いていた。 | ||
恋情 | 己は田舎の小さな旧藩主の長男として生まれた。 | ||
噂始末 | 寛永十一年六月、三代将軍家光が上洛した。 | ||
白梅の香 (中公文庫13) |
享保十六年三月、亀井隠岐守茲久が一年の在国を了えて、参勤のために江戸に向かうことになった。 | ||
5 | 佐渡流人行 | 腹中の敵 | 天正二年の元旦、織田信長が岐阜城に在って諸将の賀をうけたことがある。 |
秀頼走路 | 元和元年の夏、家康が大坂に再度の兵をすすめたとき、開戦の理由の一つとしたのは、大坂方が夥しい浪人を召抱えていることであった。 | ||
戦国謀略 | 毛利元就は芸州吉田から興った。 | ||
ひとりの武将 | 佐々与左衛門が、はじめて前田孫四郎の名を知ったのは、このようなことからである。 | ||
いびき (角川文庫10) |
上州無宿の小幡の仙太は博奕の上の争いから過って人を殺して、捕縛された。 | ||
陰謀将軍 | 永禄八年五月、三好、松永の徒が、石清水八幡宮に詣でると披露して、人数を催し、二条の第を囲んで足利十三代将軍義輝を殺した。 | ||
佐渡流人行 (角川文庫10) |
寺社奉行吟味取調役であった横内利右衛門が、このたび、佐渡支配組頭を命ぜられた。 | ||
甲府在番 (角川文庫10) |
旗本小譜請組二百五十石伊谷求馬は、兄伊織の病死のあとをうけて家督をついだ翌月、甲府勤番を命ぜられた。 | ||
流人騒ぎ (角川文庫4) (文春文庫83) |
武州小金井村無宿の忠五郎が、賭場の出入りで人を傷害し、伊豆の八丈島に島流しになったのは、享和二年四月のことであった。 | ||
左の腕 (角川文庫4) (文春文庫83) |
深川西念寺横の料理屋松葉屋に、このひと月ほど前から新しい女中が入った。 | ||
怖妻の棺 | 非番なので遅く起きた戸村兵馬は、朝飯とも昼飯ともつかぬ食膳を終わって庭に降りた。 | ||
6 | 張込み | 張込み (角川文庫2) |
柚木刑事と下岡刑事とは、横浜から下りに乗った。 |
顔 (角川文庫2) |
−日。今日、舞台稽古のあとで、幹部ばかりが残って何か相談をしていた。 | ||
声 (角川文庫2) |
高橋朝子は、ある新聞社の電話交換手であった。 | ||
地方紙を買う女 (角川文庫2) |
潮田芳子は、甲信新聞社にあてて前金を送り、『甲信新聞』の講読を申しこんだ。 | ||
鬼畜 (角川文庫3) |
竹中宗吉は三十すぎまでは、各地の印刷屋を転々として渡り歩く職人であった。 | ||
一年半待て (角川文庫3) |
まず、事件のことから書く。被告は、須村さと子という名で、二十九歳であった。 | ||
投影 (文春文庫48) |
太市は、東京から都落ちした。 | ||
カルネアデスの舟板 (角川文庫3) |
昭和二十三年の早春のことである。 | ||
7 | 駅路 | 白い闇 (角川文庫2) |
信子の夫の精一は、昭和三十×年六月、仕事で北海道に出張すると家を出たまま失踪した。 |
捜査圏外の条件 (角川文庫3) |
……殿 殿とだけ書いて、名前が空白なのは、未だに宛先に迷っているからである。 | ||
ある小官僚の抹殺 | 昭和二十年の早春のある日、警視庁捜査二課長の名ざしで外線から電話がかかってきた。 | ||
巻頭句の女 (文春文庫48) |
俳句雑誌「蒲の穂」四月号が校了になったとき、主宰者の石元麦人、同人の山尾梨郊、藤田青沙、西岡しず子の間に、茶をのみながらこんな話が出た。 | ||
駅路 | 小塚貞一が行方不明になったのは秋の末であった。 | ||
誤差 | 宿は六軒ぐらいだった。 | ||
万葉翡翠 (角川文庫34) (中公文庫1) |
「ぼくはね、万葉考古学をやりたいと思っていた時期があったよ」 | ||
薄化粧の男 (角川文庫34) (中公文庫1) |
三月三日の午前五時半ごろであった。 | ||
偶数 | 城野光夫は、その会社の調査副課長をしていた。 | ||
陸行水行 (文春文庫11) |
九州の別府から小倉方面に向かって約四十分ばかり汽車で行くと、宇佐という駅に着く。 | ||
8 | わるいやつら(上) | わるいやつら | 二時を過ぎていた。窓から射す光線が昏れかけたように暗い。 |
9 | わるいやつら(下) | ||
10 | 歪んだ複写 | 十一月の末の、寒い宵であった。 | |
11 | けものみち | ||
12 | 半生の記 | ||
13 | 黒い福音 (角川文庫12) |
東京の北効を西に走る或る私鉄は二つの起点をもっている。 | |
14 | かげろう絵図(上) | かげろう絵図 (角川文庫7〜8) |
家斉は眼をさました。部屋に薄い陽が射している。六つ(午前六時)を少々過ぎたころだなと思った。 |
15 | かげろう絵図(下) | ||
16 | ゼロの焦点 | 板根禎子は、秋に、すすめる人があって鵜原憲一と結婚した。 | |
17 | 眼の壁 | 六時を過ぎても、課長は席にもどってこなかった。専務の部屋に一時間前に行ったきりである。 | |
18 | 点と線 | 安田辰郎は、一月十三日の夜、赤坂の割烹料亭「小雪」に一人の客を招待した。 | |
19 | 黒い画集 | 遭難 | 鹿島槍で遭難(R新聞九月二日付) |
証言 | 女は、鏡に向って化粧を直していた。 | ||
天城越え | 私が、はじめて天城を越えたのは三十数年昔になる。 | ||
寒流 | B銀行R支店長沖野一郎が、割烹料理屋「みなせ」の女主人前川奈美を知ったのは、沖野一郎が新任支店長として取引先をまわったときが最初であった。 | ||
凶器 | 田圃には、霜が雪のように降っていた。 | ||
紐 | 七月二十八日の午前十時ごろである。 | ||
坂道の家 | 杉田りえ子がはじめて寺島小間物店の店先に姿を見せたのは、夏のおわりかけであった。 | ||
20 | 霧の旗 (角川文庫9) (中公文庫18) |
柳田桐子は、朝十時に神田の旅館を出た。 | |
21 | 蒼い描点 | 椎原典子は、新宿駅発午後四時三十五分の小田急で箱根に向った。 | |
22 | 影の地帯 | 田代利介は、福岡の板付空港発十二時五十分の日航機に乗ったが、機が離陸してまもなく、北九州の空にかかるころから、シートに崩れかかるように寝込んでしまった。 | |
23 | 時間の習俗 | 早鞆の潮薙の藻に和布刈るかな 雲屏 | |
24 | 砂の器(上) | 砂の器 | 国電蒲田駅の近くの横丁だった。 |
25 | 砂の器(下) | ||
26 | 蒼ざめた礼服 | ||
27 | 黒の様式 | 歯止め | 能楽堂は八分の入りであった。 |
犯罪広告 | 阿夫里の町は、南紀の端、熊野灘に面している。 | ||
微笑の儀式 | 春の終りから夏の初めに移る季節だった。 | ||
28 | Dの複合 | ||
29 | 鴎外の婢 | 書道教授 | |
鴎外の婢 | |||
30 | 分離の時間 | 分離の時間 | 四月末の午後六時ごろ、その日とくに気温が高かったのを広告代理店外交員の土井俊六はおぼえているが、麻布狸穴の近くでタクシーに手をあげた。 |
速力の告発 | 「悪夢のような突然の不幸は去年の三月末の日曜日に起こりました」と、家庭電器販売店主の木谷修吉は書いている。 | ||
31 | 死の枝 | 交通事故死亡1名 | 東京の西郊外に伸びるI街道という古い街道がある。 |
偽狂人の犯罪 | 猿渡卯平がその殺人計画を立てたのはほぼ一年前からであった。 | ||
家紋 | 《或る地方ではめったに殺人事件は起こらないが、起これば迷宮入りになることが多い。 | ||
史疑 | 新井白石の著作「史疑」が現存していると伝えられた最初は、ある新聞社の学芸記者が北陸一帯をほかの取材で歩いて東京に帰ったときだった。 | ||
年下の男 | 大石加津子は、ある新聞社の交換手として十七年間勤めていた。 | ||
古本 | 東京からずっと西に離れた土地に隠棲のような生活を送っている長府敦治のもとに、週刊誌のR誌が連載小説を頼みに来たのは、半分は偶然のようなものだった。 | ||
ペルシアの測天儀 | ある金属製品会社の課長をしている沢田武雄の家に泥棒が入ったのは、二週間くらい前であった。 | ||
不法建築 | 東京R区役所の建築課監査係は、係長以下五人しかいなかった。 | ||
入江の記憶 | 秋の陽が入江の上に筋になって光っている。 | ||
不在宴会 | 魚住一郎は中央官庁の或る課長だった。 | ||
土偶 | 汽車の中は立っているだけがやっとだった。 | ||
32 | 地の骨(上) | 地の骨 | |
33 | 地の骨(下) | ||
34 | 小説東京帝国大学 | ||
35 | 溺れ谷 | ||
36 | 眼の気流 | 眼の気流 | 「恵那タクシー」の運転手末永庄一は、配車係から峡西館に行くように云いつけられた。 |
暗線 | 三浦健庸先生。先日は、突然お邪魔に上って失礼しました。 | ||
結婚式 | ホールに立てた金屏風を背にして、花婿・花嫁は、少しうなだれて立っていた。 | ||
たづたづし | 夕闇は路たづたづし月待ちて行かせわが背子その間にも見む(七〇九) | ||
影 | 白備線(岡山−米子)の途中、中国山脈の脊梁に近い新見の町から東の方、作州津山へ向う間に勝山という町がある。 | ||
37 | 巨人の磯 | 巨人の磯 | 仙台で開かれた法医学関係の学会に出た清水泰雄は、帰京の途中、水戸で降りた。 |
礼遇の資格 | 銀行協議会副会長原島栄四郎は、人目をひくような風貌ではなかった。 | ||
内なる線影 | 真夏の街では、冷房のきいたデパートやレストランや喫茶店やビルの廊下などは恰好な避暑地である。 | ||
理外の理 | ある商品が売れなくなる原因は、一般論からいって、品質が落ちるか、競争品がふえるか、購買層の趣味が変るか、販売機構に欠点があるか、宣伝に立ち遅れがあるか、といったところに〜 | ||
東経一三九度線 | 内閣の改造が行われて文部政務次官に群馬県第×区選出代議士の吉良栄助が就任した。 | ||
38 | 喪失の儀礼 | ある年の三月十三日から十五日までの三日間、名古屋で内科医ばかりの学会が開かれた。 | |
39 | 渦 | ||
40 | 共犯者 | 共犯者 | 内堀彦介は、成功した、と自分で信じている。 |
恐喝者 | 雨は三日間降りつづいて一日晴れた。その夜半からまた降りだした。 | ||
愛と空白の共謀 (角川文庫5) (中公文庫10) |
勝野章子はふた月に一度ぐらい、ひとりで一週間を過す。 | ||
発作 (角川文庫3) |
田杉は十時すぎて眼をさました。暖かいと思ったら、カーテンの合せ目の隙から射した陽が首の上まで来ていた。 | ||
青春の彷徨 | 四人が麻雀をしていた。夜更けのことである。 | ||
点 | 伊村は、冬のはじめ、足かけ四年ぶりに九州のK市に帰った。 | ||
潜在光景 (角川文庫34) (中公文庫1) |
私が小磯泰子と二十年ぶりに再会したのは、帰宅途中のバスの中だった。 | ||
剥製 (角川文庫5) (中公文庫10) |
鳥寄せの名人がF市に居るから写真班を連れて、子供向きの読物記事にしてくれないか、と芦田が次長から頼まれたのは、十月の終りごろであった。 | ||
典雅な姉弟 (角川文庫34) (中公文庫1) |
東京の麻布の高台でT坂といえば、高級な住宅地として高名だった。 | ||
距離の女囚 | 紙質の悪い便箋にうすい鉛筆でこの文章を書きます。 | ||
41 | 渡された場面 | 坊城町は、佐賀県の唐津から西にほぼ三十キロ、玄界灘に面した漁港の町である。 | |
42 | 水の肌 | 指 | まったく偶然なことから、見知らぬ同性どうしが知合いとなり、特殊な友情を深めてゆく話は、陳腐な物語として顧みられないものだが、「陳腐」が日常性から発している以上、現実にその例が多い。 |
水の肌 | 企業から頼まれた興信所や私立探偵社の個人身許調査報告書は、女遊びとか金使いが荒いとかいう素行内偵調査とは違って、およそ内容の面白くないものである。 | ||
留守宅の事件 | 交番の巡査は、事件捜査記録の「証人訊問調書」のなかに通報を受けたときのことを述べている。 | ||
小説 3億円事件 「米国保険会社内調査報告書」 |
ニューヨーク。―― スミス火災海上保険株式会社査定部(クレーム・デパートメント)。H.S.スチムスン部長宛。 | ||
凝視 | 行政域では、東京都の隣県に属した都市であった。 | ||
43 | 隠花の飾り | 足袋 | 津田京子は、某流の謡曲の師匠であった。大久保のマンションに居る。 |
愛犬 | おみよさんは京橋近くの会席料理店「初音」の会計係をつとめている。 | ||
北の火箭 | 一九六八年三月一日の午後三時すぎ、ラオスのビエンチャン空港に旧式な四発のストラトライナー機がカンボジアのプノンペンからきて到着した。 | ||
見送って | 結婚披露宴は都内の著名なホテルで行われた。だが、ホテル内に三つある式場のなかでもっとも小さいのが使用された。 | ||
誤訳 | 世界的な詩歌文学賞であるスキーベ賞の本年度受賞はペチェルク国の詩人プラク・ルム氏に決定した。 | ||
百円硬貨 | 男には妻子があった。村川伴子は十三歳上のその男―細田竜二というのだが、彼とは四年越しの関係だった。 | ||
お手玉 | 東北地方に駒牟礼温泉がある。山裾に囲まれた狭い盆地で、芭蕉の「奥の細道」に出てくる川の上流にも沿っている。 | ||
記念に | 寺内良二は福井滝子のことをそれとなく両親へほのめかした。彼女はある鉄鋼会社の総務部に七年間つとめている。 | ||
箱根初詣で | 昨夜フロントに五時半の朝起しをたのんだが、それをあてにする必要はなかった。 | ||
再春 | 鳥見可寿子はペンネームで、本名は和子である。短大にいたころ校内の同人雑誌に出していた小品の筆名をそのまま使ったのだった。 | ||
遺墨 | 神田の某古書店から古本市の目録が出ている。 | ||
44 | 天才画の女 | 八時十分に赤坂の料亭の前をはなれた車は、同四十分には渋谷南平台界隈のゆるい坂にかかっていた。 | |
45 | 憎悪の依頼 | 憎悪の依頼 | |
美の虚像 | |||
すずらん | |||
尊属 | |||
文字のない初登攀 | |||
絵はがきの少女 | |||
大臣の恋 | |||
金環食 | |||
流れの中に | |||
壁の青草 | |||
46 | 砂漠の塩 (中公文庫2) |
窓の外は依然として白い色がつづいていた。野木泰子は、ときどき、うす眼をあけてはそれを眺めた。 | |
47 | 黒革の手帖(上) | 黒革の手帖 | |
48 | 黒革の手帖(下) | ||
49 | 岸田劉生晩景 | 骨壺の風景 | |
筆写 | |||
鳥羽僧正 | |||
北斎 | |||
岸田劉生晩景 | |||
50 | 夜光の階段(上) | 夜光の階段 | 三十五歳くらいの男が九州の温泉地の旅館で朝の床から起きた |
51 | 夜光の階段(下) | ||
52 | 迷走地図(上) | 迷走地図 | |
53 | 迷走地図(下) | ||
54 | 聖獣配列(上) | 聖獣配列 | |
55 | 聖獣配列(下) | ||
56 | 赤い氷河期 | ||
57 | 状況曲線(上) | 状況曲線 | 六月の十日であった。都心のガードしたに沿った狭くて細長い地帯に走る路地は、ちょっとした迷路となっていて、屈折したり行きどまりになったりしている。 |
58 | 状況曲線(下) | ||
59 | 過ぎゆく日暦 | ||
60 | 名札のない荷物 | ||
61 | 隠花平原(上) | 隠花平原 | |
62 | 隠花平原(下) |