文庫本のタイトル | 作品のタイトル | 作品の書き出し | |
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1 | 草の陰刻 | ||
2 | 黄色い風土 | 午後二時三十分から三時までの東京駅の十二番線ホームは、贅沢で華かな混雑が渦巻いている。 | |
3 | 黒い樹海 | 姉は十一時すぎに帰って来た。笠原祥子がアパートの表に自動車の停る音を耳にし、それから沓音が固いコンクリートの階段を上ってくるのを聴いて、姉は上機嫌なのだと思った。 | |
4 | 連環 | ||
5 | 花氷 | 赤坂の午後十一時ごろ、溜池の停留所から乃木坂に向う通りをちょっと入ったところ。 | |
6 | 火の繩 (講談社文庫51) |
夏のさかり、細川藤孝、忠興の父子が、忠興の舅、惟任光秀と一緒に、信長に呼ばれて安土城に赴いたことがある。 | |
7 | 彩色江戸切絵図 (角川文庫29) |
大黒屋 | 文久二年正月十五日の八ツ(午後二時)ごろのことだった。 |
大山詣で | 日本橋平右衛門町に蝋燭問屋を営む山城屋という店があった。 | ||
山椒魚 | 天明元年は米価の高騰で、早々から世間が騒がしかった。 | ||
三人の留守居役 | そろそろ夏に向う四月末の八ツ刻(午後二時)ごろのことだった。 | ||
蔵の中 | 十一月も半ばを過ぎると、冷え込みがひどくなる。 | ||
女義太夫 | 「ああ疲れた」と、女は舞台から楽屋に戻るなり紫ぼかしの肩衣を脱ぎかけた。 | ||
8 | 紅刷り江戸噂 | 七種粥 | その年正月六日は雪であった。「よく降るな」と、庄兵衛は炬燵の中にまるくなりながら、中庭の松の上に積った雪を見て云った。 |
虎 | 甲斐国甲府の町に皐月屋という鯉幟製造の旧い問屋があった。 | ||
突風 | 十一月八日は吹革祭である。鍛冶、鋳物師、錺、白金細工、すべて吹革を使う職人が、この日稲荷を祭って息災を祈る。 | ||
見世物師 | このところ、両国の見世物小屋はいい種がなくてどこも困っていた。 | ||
術 | 葉村庄兵衛は両国の浪人ということである。 | ||
役者絵 | 天保年間のことである。二月に入って春になったとはいえ、江戸はまだ寒い。 | ||
9 | 遠くからの声 | 遠くからの声 | 民子が津谷敏夫と結婚したのは、昭和二十五年の秋であった。 |
殺意 | 近頃の判事は沢山な事件を同時に持たされている。 | ||
なぜ「星図」が開いていたか | 真昼は灼けるような暑さのつづく七月下旬のある夜、東京都世田谷区△町に住む倉田医師は、看護婦から電話を取り次がれた。 | ||
反射 | 霜井正雄が、雨宮スミ子に殺意を起したのは、全く金が目当てであった。 | ||
尊厳 | 宮が御西下になると決ったのは、その年の夏であった。 | ||
市長死す | 田山与太郎は九州の或る県の小さな市の市長であった。 | ||
支払い過ぎた縁談 | 其処は、「和名抄」に見えているくらいだから旧い土地であった。 | ||
氷雨 | 外には冷たい雨が降っている。渋谷の割烹料理屋「ささ雪」では、玄関の板の間に五六人の女中たちが遊んでいた。 | ||
10 | 北一輝論 | ||
11 | ガラスの城 | 東亜製鋼株式会社の東京支社は、数年前に建った都心の高層ビルの十四階と十三階を借りきって、男女従業員二百名を擁している。 | |
12 | 棲息分布(上) | 棲息分布 | |
13 | 棲息分布(下) | ||
14 | 小説帝銀事件 (角川文庫6) |
R新聞論説委員仁科俊太郎は、自分の部屋での執筆が一区切りついたので、珈琲でも運ばせようと思って、呼釦を押すつもりであった。 | |
15 | 落差(上) | 落差 (角川文庫13) |
列車が沼津駅に着いた。島地章吾は窓から首を出したが、あいにくと一等車がホームの端に停ったので、売子がここまで来てくれない。 |
16 | 落差(中) | ||
17 | 落差(下) | ||
18 | 大奥婦女記 | お福が竹千代の乳母になったのは二十六の齢であった。竹千代は徳川二代将軍秀忠の長子である。 | |
19 | 風紋 | 早春の朝、今津章一は東方食品株式会社本社に、一番気に入った服をきて出勤した。 | |
20 | 天保図録(一) | 天保図録 (角川文庫14〜16) (朝日文庫2〜4) |
むし暑い日である。四月も半ばをすぎると、陽気が夏のものになってくる。 |
21 | 天保図録(二) | ||
22 | 天保図録(三) | ||
23 | 天保図録(四) | ||
24 | 天保図録(五) | ||
25 | 松本清張社会評論集 | ||
26 | 写楽の謎の「一解決」 | ||
27 | 神と野獣の日 (角川文庫19) |
早春の暖かい日である。ある広告代理業の社員が、日比谷公園横の祝田橋に車でさしかかって、信号待ちの停止をしていた。 | |
28 | 中央流沙 (中公文庫8) |
宴会場の料亭は札幌の山の手にあった。 | |
29 | 随筆黒い手帖 (中公文庫9) |
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30 | 殺人行おくのほそ道(上) | 殺人行おくのほそ道 | |
31 | 殺人行おくのほそ道(下) | ||
32 | 湖底の光芒 | ||
33 | 邪馬台国清張通史@ | 河川は切れめなく流れている。どこを区切りようもない。 | |
34 | 空白の世紀清張通史A | ||
35 | カミと青銅の迷路清張通史B | ||
36 | 天皇と豪族清張通史C | ||
37 | 壬申の乱清張通史D | ||
38 | 古代の終焉清張通史E | ||
40 | 奥羽の二人 | 背伸び | 安芸国安佐郡銀山の城は、代々、甲斐の武田氏の一族が城主であったが、大内義隆の勃興とともに滅亡してしまった。 |
三位入道 | 日向飫肥の伊東の軍勢は、炎天下に島津勢を追撃して行動していたが、照りつける暑熱に、みんな参っていた。 | ||
細川幽斎 | ○藤孝 初三淵中細川後改長岡氏實三淵伊賀守リ員二子也。 | ||
奥羽の二人 | ――うち眺めて行きけるほどに、こゝは那須野の原といふ所なりければ、余りに人気もなく、物さびしかりつるまゝ、ふと思ひつらねて、 | ||
群疑 | 石川数正が、主人家康の使として、初めて羽柴秀吉に会ったのは、天正十一年の五月であった。 | ||
英雄愚心 | 太閤様が斯く諸事に成功を収めつつある間にも、天主は苦悩と恐怖とを以て日本全国を満たし、 | ||
転変 | 慶長五年九月、関ヶ原で大捷した家康は、すぐには入洛せず、しばらく大津の三井寺に滞在して、味方の諸将の賀詞をうけた。 | ||
武将不信 | 羽州山形城主最上義光は、秀吉の存生中からしきりと家康に慇懃を通じていた。 | ||
脱出 | 石州浜田城主五万四千石、古田兵部少輔重恒は、偏屈な男で、性来、人と交るのがあまり好きでなかった。 | ||
葛 | 五代将軍綱吉の晩年に近い宝永年間のことである。 | ||
41 | 増上寺刃傷 | 願望 | |
奉公人組 | |||
増上寺刃傷 | |||
乱気 | |||
雀一羽 | |||
疑惑 | |||
西蓮寺の参詣人 | |||
贋札つくり | |||
明治金沢事件 | |||
42 | 塗られた本 | ||
43 | 熱い絹(上) | 熱い絹 | |
44 | 熱い絹(下) | ||
45 | 異変街道(上) | 異変街道 | |
46 | 異変街道(下) | ||
47 | 古代史私注 | ||
48 | 密教の水源をみる空海・中国・インド | ||
49 | |||
50 | 新装版大奥婦女記 (講談社文庫18) |
お福が竹千代の乳母になったのは二十六の齢であった。竹千代は徳川二代将軍秀忠の長子である。 | |
51 | 新装版火の縄 (講談社文庫6) |
夏のさかり、細川藤孝、忠興の父子が、忠興の舅、惟任光秀と一緒に、信長に呼ばれて安土城に赴いたことがある。 |