夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 企業論理を超えて |
4.1.2.4−2 企業論理を超えて |
2002年7月7日 森みつぐ
「有給休暇完全取得12兆円の経済効果」という見出しの記事が、7月1日付の新聞に載っていた。そして約150万人の雇用が創出されると。
有給休暇は、本来、給料と同じく労働者の自由裁量で取れる必要があるものである。しかし企業は、何とか消化させまいと仕事を詰め込んでくる。“仕事が片付いたら、休んでもいい”と。企業は、年初の計画段階で、既に労働者の労働日数を有給休暇を全て消化させない日数で計画を立てる。その計画通り、休暇を取らせない管理者が優秀なのである。
いくら、こんな発表をしても企業経営者には、「馬の耳に念仏」である。次の日の新聞には、「増える就業時間 減る給料」という記事が載っていた。5月の製造業の残業時間が前年同月比で15ヶ月ぶりに増加に転じたという。この内容が、実態を確実に反映しているかどうかは疑わしい限りだが、サービス残業を含めて、遅くまで働いていることは確かなことだろう。
「有給休暇の完全取得」をただ呼びかけても意味がない。本当に休みを取らせようとするならば、法律のバックアップが必要となる。例えば、取得が出来なかった休暇は、企業へのペナルティとして、1日の労働賃金の10倍で買い取らせることにすればよい。そうすれば、企業は、無理してでも労働者に休暇を取らせることだろう。あとは、休まない労働者側の問題である。働き続けることで、社会から逃避しようとする労働者にとって、大きな衝撃になることだろう。
今まで当たり前だと思われてきた視点を変えることが、大きな意味を持つ時代になろうとしている。
2002年12月16日 森みつぐ
「政府は、天下りの原因とされる中央省庁の幹部職員の早期勧奨退職慣行(肩たたき退職)を是正するために、平均退職年齢を3歳以上引き上げる」との新聞記事を読んだ。これを見て“大企業も同じ事をしているな”と思った。内容は少し違うが、企業の場合は、経費削減である。
労働者は本来、60歳定年である。年功序列賃金体系のため歳を取るに連れて賃金は高くなり、残業手当の時間給も高くなって行く。そして、もうひとつ、一年長く働くと退職金は、幾何級数的に上積みされてゆく。それは企業にとっては、大きな経営負担となる。それを抑え込むために、組合員に役職という肩書きを付けて管理職に仕立ててしまう。管理する対象もいない労働者を管理職にして労働組合から分離し、労働基準法の及ばぬ企業にとって都合のいい人たちを作り上げているのである。役職手当てを支給することで残業代を払わず、そして役職定年と言って早期に退職させ関連会社に送り出す。全てが企業にとって経費の上では、ルールを守っていることよりも大きな削減となる。本来、役職者の多くは、労働基準法に基づく労働者なのであるにも関わらず。
この記事の前日厚生労働省は、過去一年半の間に労働基準法違反のサービス残業代81億円を支払うことを613社に命じたとのことであった。多分、この数字は実際行われているサービス残業のほんの一部であることだろう。そしてこの数字には、非組合員で肩書きだけの役職者は含まれていない。
そして、これら役職者たちは、早期に退職させられそして肩書きは殆ど変わらないが割安な賃金で関連会社で働くことになる。役職という肩書きが変わらないと言うのがみそであり、残業しても残業代を支払わないのである。役職者に仕立てることで、実質的な賃下げを行っているのである。それも非合法的にである。
多くの民間の大企業は、このような肩たたき退職を行っている。なんとくだらない組織であることか。
2001年11月13日 森みつぐ
日本から賃金の安い国を求めて、生産拠点を移す企業が多い。結局、雇用を守ることよりも会社の損得勘定を優先しているのである。当然と言えば、当然のことである。企業の実権を握っているのは、一部の人間だから、結局のところ彼らの損得勘定で決まってしまう。従業員が大切だと綺麗事を云っていても、そんなこと何処吹く風で不況となれば、リストラ解雇する。
ITの需要が伸び始めると、設備が増え労働者も増えた。その後ITの需要が落ち込むと、過剰人員だと云うことでリストラ解雇される。労働者は、企業に振り回されて、挙げ句の果てに解雇される。使い捨ての駒である。“企業で働くこと”に生き甲斐や価値観を求めても、それに応えることは、企業にはできない。それでも労働者は、自分自身で生き甲斐や価値観の持てることを見出せないため、働くことに生き甲斐や価値観があるものと信じ込んでしまう。どっちもどっちなのである。社会構造や精神構造が、少しいびつになっているように思われる。
企業は、既に人を育てる場ではなくなった。市場原理によって調整される、単なる物なのである。経済至上主義においては、当然のことかも知れないのだが、そうすると労働者側の精神的な立ち遅れは社会そのものを不安定にしている要因かも知れない。そして、その源流は政治の問題かも知れないが。
企業は、エゴイストなのだから、それを前提に私たち一人ひとりがどうすればいいかを考える必要があろう。
完全失業率が、とうとう5.3%になった。IT産業の不況も追い打ちになっている。雇用創出の旗頭であったIT産業は、大企業を中心に大規模なリストラ人員削減を打ち出している。
1995年9月12日 森みつぐ
労組は、賃上げを行うのは、市場の活性化のためだと、目先の利益だけを考える企業は、賃金を抑止するのは産業の空洞化を防ぐためだと主張する。この2つの命題は、心の豊かさとは別次元のところで論争を繰り返し続けるだろう。それは、労働者不在の論争である。
日本の労働賃金が高いことは、確かなことである。物の豊かさを追い求めてきた日本人は、未だに、それを追い求めて心の豊かさを隅っこに追いやってしまってきた。これは、日本人一人ひとりの問題ではなく、企業が、そして労組が、今までこのような労働者に育ててきた構造的結果である。人が人として振る舞うのではなく利潤動機だけに支配されて行動し、会社の都合ばかり気にする会社人間に労働意欲を高めるために昇進を増やし、福利厚生施設の充実を計ろうとする。労働者の意識を企業内に閉じ込め社会への関心を希薄にし、利益・効率至上主義を植え付けた。
追い付き追い越せの目標を掲げて猛進してきた企業、もう既に極限状態へ差しかかっている。そろそろ成熟化した企業へと脱皮する必要があろう。労組は、企業よりも一歩も二歩も先を歩まなければならない。
労働は、労働者、及びその家族が人間らしい生活を営むために、幸せを得るためにあるのです。そのことをもう一度考えてみる必要があろう。日本の物価・地価は確かに高い。しかし、心の豊かさを追うことに目覚めれば、賃上げを少し抑えても何ら問題はないだろう。否、それ以上のものが得られることは確かなことだと思う。
労組が労働者の心の豊かさと引き換えに勝ち取ってきた賃金、もうそろそろ心の豊かさを勝ち取るための運動へと舵を切るべきではないだろうか。
1996年2月7日 森みつぐ
戦後、日本は、豊かさを求めて経済発展に力を注いできた。そして、それは実現した。しかし、その豊かさは、大量生産、大量消費という物だけの経済構造によって作り上げられてきたものである。そして、労働者の賃金も上昇し、世界有数の水準まで達した。しかし、それと引き換えに、不良債権の問題とか、子どもたちのいじめの問題という日本社会に構造的歪みを呈してきた。また地球環境に重大な影響を与え始めてきている。資本主義・自由主義の経済構造からは、物の豊かさは、いくら賃金を上げていっても豊かさの実感は得られない。それは、右肩上がりの経済構造(商業主義から来る)だからである。
そして企業が、それを扇動してきたのである。
労働者が今、求めているのは、心の豊かさ、そして、その上に成り立つ物の豊かさである。そして、それは精神的に安定な状態であることが条件である。
産業の空洞化、終身雇用制の崩壊等が言われ続ける中で、労組からは何ら明確な指針が打ち出されていない。
そんな中で、賃上げばかりにこだわるというのは、少々納得がいくものではない。社会構造・経済構造そのものを改造しない限り物の豊かさの中の貧乏感を変えることはできないのである。
本当の心の豊かさを実現するために、今、何が必要かが問われている時代なのだから。
2003年6月15日 森みつぐ
昨年度の過労死が、過去最高に達した。一昨年、過労死の認定基準が緩和されたことが要因であることは確かなことだが、それ以前が弱者より企業側に有利と云う経済優先の政策に基づく認定基準であっただけのことである。
日本の企業は、残業をしなければ経営が成り立たない。そんな会社経営に、経営側と労組がしてしまったのである。労基法の36条(36協定)は、死に体と為している。
そして昨今の弱肉強食に則った競争至上主義は、労働者の心も体も磨り減らさせ、極限へと向かわせている。国の痛みを伴う改革は、企業に拍車を掛け、多くの労働者を死の淵へと追い込んでいる。そして労組は、その一端を担い続けている。
そんな企業に、今の若人は、デートよりも残業を優先するという。企業に個人の価値基準を求めたとき、その人の人生は過労死するまで浮かばれることはないだろう。定年間近な人たちを見て、また定年後の人たちを見ていて、いつも私は、そう思うのである。
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Copyright (C) 2002-2003 森みつぐ /// 更新:2003年6月29日 /// |