夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 企業論理を超えて
夢惑う世界4.1.2.4−4 企業論理を超えて

1997年9月21日  森みつぐ

 昨年度の組合アンケートを読んで、どう思ったであろうか。「帰りたくても帰れない」「友もできない」悲痛な叫び声である。労基法第一条に全く反する内容である。人権侵害も甚だしい。
 経営側は、「会社が潰れたら人権侵害どころではないだろう」と如何にもそれらしいことを言う。しかし、労基法第一条を良く読んで欲しい。会社の主権は、労働者にあるのであり、経営側の言い分は、本末転倒である。労働者が人たるに値する生活を営むことの出来ない会社は、会社とは言えない。タコ部屋と何ら変わらない。そのようにならないようにするために組合が存在するのでもある。
 年間労働時間1800時間が言われ初めてから、既に10年が経とうとしているのにも関わらず、企業は、社会の時短の流れに逆行し続けている。これは、利益優先・効率優先の企業論理(社会一般の倫理観から懸け離れていること自体が問題である)をモットーとする経営側に労組が完全に力負けしてしている証であり、また労使協調路線の負の結果でもある。本来在るべき組合としてのアイデンティティの欠如の結果かも知れない。
 ゆとりの欠如は、社会人になりきれない労働者を創り出し、その結果、子どもたちの社会にも影響を及ぼし、そして犯罪という形で表面化してきている。いじめの問題の時、文部大臣が「父親を早く帰してあげて欲しい」と言っていた。あのとき経営側は、そして組合は何をしたというのか。
 今、日本は、大きな返還期を迎えている。心の問題という非常にデリケートで厄介ではあるが、これを乗り越えない限り日本には、明日はないだろう。
 組合そのものの存在意義が問われているのである。そのことを十分認識した上で、時短への確実な道を進んで欲しい。


1998年4月21日  森みつぐ

 従来、国の豊かさの指標として挙げられていたのはGDPであるが、ここ数年、これに疑問を持ち始めた団体が、豊かさの指標として労働時間の短さ、緑の豊かさなどを考慮に入れて新たな指標作りをしている。GDP1位、2位の国の荒んだ社会状況は、非常に似通ってきている。アメリカの小学校での銃乱射、日本の中学校でのナイフによる教師刺殺事件は、歪んだ大人社会の投影だと考えられる。
 中教審がまとめた「幼児期からの心の教育の在り方について」の中間報告の中から大人に関するところを抜粋してみる。

○第一章(3)社会全体のモラルの低下を問い直そう▽個人の利害損失を優先、他者への責任転嫁、物質的価値や快楽の優先、夢や目標への努力の軽視など、大人社会のモラルの低下を大人自身が率先して是正する。
○第二章 もう一度家庭を見直そう(1)家庭の在り方を問い直そう・・・・・・
▽子育ては夫婦で行う。育児不安を覚える母親の背景に父親の無理解や非協力がある。父親は仕事一辺倒の生活を見直す。・・・・
▽国際比較で十分役割を果たしていない日本の父親。父親は母親とは異なった視点で子育てにかかわる。父親の影響力を大切にする。
○第三章 地域社会の力を生かそう(1)・・・▽育児休業や長期休暇の取得の促進など、企業中心社会から「家族に優しい社会」へ転換する。単身赴任を減らすなど、企業も積極的取り組みを行う。

 心の教育は、子どもより、まずは大人から始めなければならないのかも知れない。
 長時間労働は、労働者から心のゆとりを奪い自立できぬ大人を作り出している。また会社は、労働力を超えて、その人の人格(人間)まで支配し、アイデンティテイの喪失へと向かってゆく。会社人間は、家庭のみならず地域社会までも不安に陥れている。学校で、地域社会で真剣に取り組み始められてきたが、相変わらず知らん顔をしているのは利潤優先の企業だけである。
 もし、残業を前提にローンを組んでいる人がいるから組合として残業を減らすことが出来ないとしたら、それは本末転倒の考えである。長時間労働が社会に及ぼしている多大な影響を十分に熟慮し、残業削減に有効な手段を採るべきである。ローン返済は、組合が責任を持って対応してあげるべきことである。
 アメリカでは、ホワイトカラーの年間労働時間は約2000時間だと言う。冒頭で述べたように、週40時間が人間にとって精神的にも生理的にも適っているとしているILOが示した基準である。年間労働時間2000時間が、人が人として生きてゆく上での妥当な数値とは到底思えない。
 世界共通の労働時間の下で労働すべきであり、その基準はILOが定めた数値となるべきである。それに従わない国は、世界から非難されるべきであろう。
 今年2月、岡山地裁が川鉄の掛長が自殺したのは、「常軌を逸した長時間労働で心身ともに疲弊し、うつ病となった」と仕事と自殺の因果関係を認めたうえ、「サービス残業が常態化していたのに会社は措置を取らなかった」と会社側の過失を認める判決をした。
 長時間労働とは、何時間を指すかは別として、個人差があるのは当然である。サービス残業の常態化は、どこの会社においても同じである。残業や効率優先を前提としているから、障害者雇用率1.6%も達成しようとしないのである。サービス残業を含めた長時間労働を取り締まり時短へ向けて前進して欲しいものである。


1998年9月28日  森みつぐ

 人間性を無視した長時間労働の常態化は、個人の破滅のみならず、家庭、地域社会や国家そのものまでも破滅に陥れることは、今更、言うまでもない自明の理であろう。子どもたちの不安さの解消は、家庭で、学校で、地域社会で真剣に取り組まれ始めてきているが、一番大きく大事なものがここから欠けている。これが欠けていては、成果も余り期待できないだろう。その欠けているものとは、労働者である父親の参加である。会社は労働者に、長時間労働を強いる。労働者は、それに応えようとして仕事依存へと突き進む。仕事依存の特徴は、過労死予備軍である。このような労働者の視野の狭さと目前の利益追求は、正悪の判断を棚上げすることを当然と考えるような、バランスを欠いた社会をもたらしたのである。目的が手段を正当化してはならないのである。
 労働時間短縮に向けて、有効な手段の下で達成することを強く要望するところだが、国も労組も全く役に立たない。悲しいことだが。


2003年11月9日  森みつぐ

 相も変わらず企業では、サービス残業が続いている。先週の新聞には、松坂屋が労働基準監督署からサービス残業があったとして、労働基準法に基づく是正勧告を受けたとあった。
 去年から大手企業によるサービス残業の違法行為が摘発されていると云うのにも関わらず、今でも当然のようにサービス残業が続いている。企業は、是正勧告を受けたからと言って、経営側の責任問題は生じない。労働組合も、それをことさら問題にしない。何故ならば、労働組合もそれを知っていたからである。サービス残業は、見つかったら未払いの残業代分を労働者に支払うだけである。見つからなかったらラッキー!なのである。これでは、サービス残業が無くなるはずがない。
 同じく先週、日立が全従業員の定期昇給を廃止して、実力・成果主義を徹底するようなニュースが流れていた。私には、よく分からない。何故、こうも愚かなことをするのかが。生き物は、安定を望む方向へと進む。特に、精神構造の進んだ人間は、安定さが一番である。実力・成果主義の先進国アメリカは、行き過ぎた競争主義の修正を始めようとしていると云うのに。
 虐げられ続ける労働者の行く末は、暗い。


1998年2月4日  森みつぐ

 いじめ問題を始めとする青少年たちの引き起こしている社会不安は、長時間労働という日本の社会システムに大きな要因があることは疑う余地もない。
 長時間労働は、会社人間、仕事人間という精神的に自立できない人間を創出して、家庭や地域社会を崩壊させている。心の教育において、中教審では、家庭や地域社会の役割の見直しを問いかけているが、親不在という教育の下では、どうしようもないのである。
 労組は、この日本の現状をどう考えているのだろうか。今のままで心豊かな社会が実現できると思っているのだろうか。危機意識が少々不足しているように思われる。
 残業の消滅、及び年休の取得しやすい環境づくりに、今以上に力を注がなくてはならないというのに。


1992年7月10日  森みつぐ

 年休は、経営側より、「あなたは、よく働いた。」からと云って恩典で与えられるものではなく、全労働者の権利であると労基法で認められている。年休の権利は、その目的如何を問わず使用者の許可ないし承認を要せず、届け出により自動的に生ずるものである。
 年休の計画付与方式は、従来、気兼ねで年休を取れなかった者に取らせることが目的であり、労働基準局の通達においては、「従来から年休をよく取れていた者の既得権を侵害したり、小さな子どもが病気等したときに年休をよく使った主婦労働者の年休を妨害するためではない」と云っている。
 今や、先進工業国の年休は、30日を越す。なのに、唯一の貿易黒字国である日本の大企業の組合が、労基法の最低基準を完全消化というレベルの低い取り組みしかできていないと云うことは、非常に嘆かわしいことである。

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