夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 企業論理を超えて
夢惑う世界4.1.2.4−6 企業論理を超えて

2005年2月27日  森みつぐ

 また、サービス残業のことである。テレビから流れてくるニュースを聞いていたら、家電量販店の「ビッグカメラ」が管理職でもない労働者に対して管理職だとして、残業代を払わなかったとことに対して東京地裁が書類送検したとのことである。
 多分、このような不正行為は、多くの企業で行われているのではないだろうか。肩書きだけは管理職のようだが、実際は、管理職とは言え部下がいるわけではなく、何ら管理・監督する職ではない。企業は、残業手当を削減するための常套手段として名ばかりの管理職を増やしているのである。私の勤める会社も同じである。文書では明示せず、口頭で残業をつけないことを強要するのである。そして組合は、そのことを見て見ぬ振りをする。そして今は、労働裁量制を採用して、更に巧妙にサービス残業を強要する。
 企業倫理規定もコンプライアス委員会も、労働者は当てにはしない。形骸化したそんな物は、組合と何ら変わらないからである。いや、それ以下だろう。私は、もっともっと企業のこのような実状が社会に明らかになることを望む。


2005年7月5日  森みつぐ

 私の勤める会社が長年ずっと続けてきた、近くの川への鯉の放流を今年から中止した。地域環境の美化のためと言う謳い文句で、可愛い幼稚園児を出しに使い、良い会社という美談づくりをしてきた。
 私は、十数年前から生態系を攪乱するような行為をしないようにと組合を通して異議申し立てをしていたが、金儲けに猛進する会社にとっては、私の訴えを分かっていても美談づくりが優先され続けてきたのである。
 しかし昨今の外来種に対する規制や環境に対する企業責任が問われる中で、やっと重い腰を上げた格好である。個人がいくら正論で異議申し立てをしても、全く通らない社会が企業である。企業倫理規定は、何の役にも立たなかった。そして現在のコンプライアンスなんて言うのも、なんの役にも立たないことは誰の目にも明らかだろう。それ故、談合も続く。それが企業というものである。私は、企業にこの身を預けていないし、信用もしていない。この考えは、会社に入る前から変わっていない。だから私が私でいられる。企業倫理の基準は、社会常識から乖離しているのが現実であるのである。


2006年2月25日  森みつぐ

 先日、NHKのニュースを聴いていたら、労働者の労働時間が以前よりも長くなっているとの調査を報告していた。裁量労働制を導入し成果主義・能力主義が浸透する中で、労働時間は自ずと長くなってゆく。企業側の狙い通りである。その上、競争至上主義なので、ほんの一握りの勝ち組労働者しか賃金は増えない。
 1月の新聞に、「1日8時間・週40時間労働」の規制対象から、「副部長」などの管理職一歩手前のサラリーマンを外す方針の法案を、厚生労働省が提出すると載っていた。これを読んで不思議に思ったのは、私だけだろうか。多分、多くの企業では、部長ではなく課長職から管理職として扱い、「1日8時間、週40時間労働」の規制対象から外しているのが実態ではないだろうか。そして課長職一歩手前の労働者まで、役職の肩書きを付けて、規制対象外として働かせている。
 そして昨今の競争至上主義の下での裁量労働は、一般の労働者までも巻き添えにする。労働強化は、経営側のし放題となってしまっている。そして国が、それを扇動する。社会の悲しむべき事件は、そのような不安定化した社会構造の中で、行き場を失った不満、不平、不安の結果であろう。更に国は、その不安定な心の人々に、追い打ちのダメージを与えようとしている。夢を持ち続けることのできない社会が、近付いてきている。


2006年4月27日  森みつぐ

 先日、耐震強度偽装事件に関わったと思われる8人が一斉に逮捕された。このニュースで私が一番興味を惹いたことは、この8人の全てが耐震強度偽装事件の容疑者として逮捕されたわけではなくて、それぞれ別件の容疑で逮捕されたと言うことである。
 この一件、何を物語っているかと言うと、多くの企業と言うのは、陰に隠れてこそこそと悪さをしていると言うことであろう。叩けば必ず埃が出てくる。それが、果てしもなく利潤のみを追求してゆく企業の姿なのである。
 企業の社会的責任とは何だろうか。倒産を回避するために、利潤を追求するために、法さえも無視する。労働者を更に締め付け、労働強化へと推し進めてゆく。会社が倒産するよりましでしょうと逃げ場のない労働者を精神的にも追い込んでゆく。耐震強度偽装事件は、形を変え、何処の企業でも当たり前のように行われているのだろう。


2006年10月8日  森みつぐ

 昨年度不払い残業代が100万円以上だった企業は、1524社の上った。1000万円以上の不払い企業も、293社であった。
 ここ数年、サービス残業摘発の新聞記事を読んで是正指導が進んでいると感じていたのだが、相変わらず弱い者いじめの企業によるサービス残業強要が行われているようである。今や各企業は、違法行為行わないようにとコンプライアンスに力を入れているが、それは単なる見せ掛けだけに終わっていることは確かなようである。うわべだけ着飾って世間の目を誤魔化そうとしていることは今も昔も変わらない。
 サービス残業は、以前から企業により巧妙に行われてきた。労基法の定義する管理職に該当しない人たちを管理職に仕立てて適用除外にしたり、さらに最近ではみなし裁量労働と称して、少ない固定残業時間を設定し、それ以上の残業はカットしたりしている。
 労働者は、企業に全幅の信頼を置いたとき、最後の血の一滴まで労働搾取されることを肝に銘じておかなくてはならないだろう。企業国家「日本」も、怪しくなっている!


2006年10月26日  森みつぐ

 経営側は、相変わらず労基法の形骸化に腐心しているようだ。次なる一手は、「年収が一定以上ならば、労働時間の規制を外す」である。労基法の週40時間規制を条件付で外そうと画策している。
 企業の社会的責任とは、何なのだろうか。雇用の確保、法令の遵守、利益を上げて納税義務を果たす等々、国家の中で、社会の中で大きな位置を占め、個人にとっても非常に大きな位置を占めている企業が、単純にそれだけでいいのだろうか。昨今のモラル低下による社会問題、子どもたちに拡がったいじめ自殺問題等々、企業が心ならずも影響を及ぼしていることはないのだろうか。
 私は、企業による常態化した長時間労働が、地域社会に大きな悪影響を及ぼしていると考えている。家庭でも、地域社会でも、基本は"人"である。ところが、日本では、企業が私利私欲を肥やすため(狭義の社会的責任?)に、労働者に職場社会の優先を迫る。その結果として、子どもたちを育ててゆく社会などが犠牲となっている。
 "死ぬまで働け!"、そして社会も壊死してゆくのである。


2008年1月25日  森みつぐ

 ファーストフード店やコンビニエンスストアなどで問題となった名ばかりの管理職である店長は、長時間に及ぶ残業を行っても残業代は支払われていなかった。先日の新聞に、紳士服「コナカ」は、元店長に、未払い分の残業代を支払うことで合意したと載っていた。
 名ばかりの管理職は、ファーストフード店やコンビニエンスストアだけの問題ではなくて、多くの大企業においても同様に人件費削減の一手段としてこのような方法が採用されているのではないだろうか。労働基準法で定めた労働時間などの規定を適用させながらも、管理監督職に当たると言う肩書きをつけて、残業をしても全く残業代を払わないか、一定の残業代をしか払わないとしているのではないだろうか。私が勤めていた会社では、肩書きを"役職"として、"役職手当"を払うことで、管理監督職でないのにも拘らず、残業をつけないように上司が口頭で指導していた。プライベートな時間の方を優先していた私の場合は、役職になる前に、残業"0"を達成していたので、そんな違法行為をする会社に付き合うことはなかった。
 企業とは、法を犯しても利益を上げようと画策する。そのとき犠牲になるのは、弱者である労働者たちである。そして今、能力主義、成果主義の下、更なる巧妙な方法で労働者から金を絞り上げようとしている。


2008年1月31日  森みつぐ

 先週の紳士服の「コナカ」元店長の未払い残業代の件は、労働組合とコナカ側との団体交渉での合意によるものであった。そして今週、日本マクドナルドの店長が未払い残業代等の支払いを求めた訴訟の判決で、「東京地裁は「店長の権限は店舗内の限られており、経営者と一体的な立場で事業を行う管理職とは言えない」と述べ、未払い残業代などの支払いを命じた。」と新聞に載っていた。
 また一歩、前進した。それも、大きな前進のように思われる。労働基準法の言うところの管理職の不明確さを逆手に、何とか人件費削減をしようと企業は画策していた。法の不備をついて、グレーゾーンの管理職を大量に作り出して企業は、弱者である労働者から金を巻き上げ続けていたのである。
 管理職であるかどうかは、@人事権や営業方針の決定などの権限を持つかA出退勤の時間を自分で決められるかB管理職に見合った給料などの待遇面で優遇されているかの3点であると言う。労働者は、会社の制度に、もう一度疑問に持つことが必要であろう。


2008年3月14日  森みつぐ

 NHKで旅行添乗員の過酷な労働実態を放送していた。海外旅行において添乗員は、「朝早くから夜遅くまで働いているのにも拘らず、支払いは、日当のみで残業代は払われない。」とのことだった。
 慣れない海外で、ほんの少しも気の休まる暇がない添乗員の労働対価が、日当のみとは、余りにも酷過ぎると私は思った。私も旅行中、空港や航空機内で走り回っている添乗員たちを見かけるが、旅行客をまとめると言う精神的にも負担の大きい労働であることは確かなように思われる。そして。「海外では、会社は、添乗員の時間の管理ができないから、残業代は払わない。」とは、どう言うことだろうか。旅行のスケジュールは、オプションツアーを含めて、最初から分かっていることではないか。
 企業とは、そう言うものである。強者の論理で金儲けに突っ走るのが企業である。そして、いつも虐げられているのが弱者である労働者であろう。そのような社会システムが鮮明になってきて、格差がより広がってきているのが、現在の日本である。

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