夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 気ままにひと言
夢惑う世界4.1.2.8−11 気ままにひと言

2005年8月19日  森みつぐ

 まだ日付が変わって、そんなに経っていない時間に、セネガルに着いた。入国すると、まもなく人が集まってくる。“タクシー!”“マネー・チェンジ!”・・・。両替所が開いている時間帯でないので、闇両替商と交渉をしようとしたら、あとは親切な人?が夜明けまでぴったりと付いてくる。話しかけてくるのは一人なのだが、陽が昇って次の目的地へのバスターミナルまでタクシーで行こうとすると、3人が乗り込んできた。どうもセネガルの空港は、余り雰囲気が良くない人たちがいっぱい集まっているみたいである。“親切にしたのだから、お金を払え!”と言うのである。大きなお世話である。彼らの要求した金額の妥当と思われる半分のお金だけ渡して、後は一切、“ノー!!”と突き放した。日本人は、彼らにとっていいカモなのだろう。
 ワンボックスカーのミニバスに乗って、ダカールからカオラックに向かう。荷物を持っているので、少し狭苦しいところでじっとしながらも、バスは走ってゆく。最初は、やはり睡魔に克てず、うとうとを繰り返していたら、風景は全く覚えていない。村などでミニバスが停まると、乗客よりも物売りがどっと押し寄せてくる。ビニール袋に入った水やヨーグルト、パン、菓子、竹?で編んだ旗のようなセネガルの団扇などなど。
 やっと、旅は、始まった。ここは、セネガルである。


2005年10月18日  森みつぐ

 先々週、北海道に帰っていたときテレビを観ていると、池田と北見とを結ぶ鉄道のふるさと銀河線の存続を訴えるデモの報道が流れていた。JNR、JR時代の池北線である。国鉄が民営化されたときは、まだ池北線として残っていた。私も、この時代に池北線の駅で降りて昆虫採集をしたことがある。
 JR北海道から、いつしか切り離されて北海道ちほく高原鉄道になったが、私は、残念ながらこのことは覚えていない。ただ、銀河線という名称だけは、頭の片隅に残っていた。そして、このふるさと銀河線も廃線となる報道を観た。民間企業としては、儲からなければ撤退するしかない。企業にとって利用者の意向は、何の意味も持たない。まして全国展開の大企業ならば、儲からないところからの撤退は、何の躊躇もなく決断される。大手スーパーのこの手の撤退を、誰しもが何度も見てきているはずだ。
 郵政民営化も同じ道を歩もうとしている。地方は、切り捨てられ、更に廃れてゆく。便利な都会へと人は流れて、そして市町村の合併が進んでゆく。地方文化は、そして消えてゆく・・・・。


2005年11月4日  森みつぐ

 昨日、毎年秋に行っている子どもを連れてのハイキングの下見をしてきた。伊豆の東海岸である。最初、小雨模様の曇り空の下だったので、早歩きで回ろうとしたのだが、途中で雲間から日射しも射し込んで、穏やかなお散歩日和となった。
 さすが伊豆、歩きずらそうなスーツに身を纏ったダイバーたちが、海岸を埋め尽くしている。見所の観光地には、観光客で埋め尽くされていて短いハイキングコースも彼らに乗っ取られていた。ハイキングの時には、擦れ違う人たちとは挨拶を交わすのだが、彼らは返事をしない。彼らは、ハイキングではなく観光コースを歩いているだけなのである。
 観光コースを外れて、また静かな海岸沿いのコースを歩きながら、今は盛りの黄色いツワブキの花たちに訪れている虫さんたちを見ていた。11月になるけど相変わらず賑やかである。アサギマダラは、まだ南に帰らずこの辺りで翅を休めている。私の住む辺りでは、微かにしか聞こえなくなったカネタタキも、ここでは、まだ元気そうである。麗らかな秋の一日が過ぎてゆく。


2005年11月19日  森みつぐ

 今週、一気に寒波が日本を襲った。私の住んでいる暖かい沼津でも、朝はすっかり冷え込んできた。静岡県は暖かい地域であるのだが、駿河湾の奥に当たる沼津辺りでは、他の地域に比べて朝方1〜2度気温が低くなる。
 今週、仕事で3度東京に行って来た。屋内での仕事だったのだが、人混みの中で喉を潤すこともままならない状態だったので水曜日には、少し喉に違和感を覚えたので風邪の兆候かも知れないと思い、夕方のジョギングを中止した。私は、風邪を殆ど引くことがないのだが、今回はちょっと危ないみたいであった。
 そんな状態で金曜日、今週3度目の東京に行った。人混みの中で、昼以外は水分も補給できず仕事をしていたのだが、何とか風邪は引く一歩手前で阻止?できたようであった。夜家に着いたら、すぐに風呂に入ってゆっくりと体を温めた。いがらっぽい喉はまだ完全ではないが、鼻水も出ず、今回は風邪を避けられそうである。
 今冬は、鳥インフルエンザの話題でいっぱいである。こんな時に風邪なんか引いてはいられない。暖かい服装で、そして喉を潤しながら、この冬も風邪とは縁のない生活を送らなくては。


2005年11月26日  森みつぐ

 先月末からずっと、標本箱の整理をしている。そのお陰で、あまりパソコンにも向かわず、またノートも開いていない。私はパソコンの電源を入れっぱなしと言うことはないので、何かを書くときには、最初ノートを開く。これもノートに書き込んでから、パソコンに打ち込む。文明の利器は、ほどほどがいい。
 標本箱を清掃するのに水を使うので、指先があかぎれでぱっくりと傷口が開いている。今日も整理中、指先を見ると、赤く血が滲んでいた。乾燥した時期に行わなくてはならないので仕方ない。
 標本箱の中身は、まだまだ名無しの権兵衛たちが多い。以前に比べて資料も多くなって、また採集品も多くなったので、再度調べ直してみたいのだが、残念ながら会社に時間をとられてしまっている。いつも整理をしながら、そう思っている。“ゆっくり一匹一匹、じっくりと確認したい!”と。
 10月末からチョウの個別種ページを作り始めた。チョウセンシロチョウのページを作ろうと思い、各地で採集したチョウセンシロチョウの写真を撮り整理していたら、フランスで採ったチョウセンシロチョウが他の所のと、ちょっと違っているように思えた。調べ直してみると、やっぱり別種であった。逆に、違う種だと思いこんでいたのが、同一種だったりもするだろう。そんな至福の時間を、いつも過ごしたいものだ。全て私の時間なのだから。


2005年12月10日  森みつぐ

 何年経つのやら、まともなテレビに久し振りに買い換えた。以前のテレビは、見難くなった訳ではなくて、電源スイッチ周辺がいかれてしまったのである。リモコン操作のテレビになったお陰で、単純に電源スイッチで直接電源のオン/オフすることがなくなり、別の電子回路が付加されて制御する。この電子回路がオフ側に短絡してしまったみたいで、電源をオンすると、まもなくオフしてしまう。それで古い14インチのテレビを押入から出してきて、数年見ているが、2年位前から色が無茶苦茶な状態となってしまった。
 でも、ながら族の私は、音さえ聞こえてくれば、こんなものだで済ませてきた。余所でまともなテレビを見ると、その映像に感動してしまう。いつも、まともな映像を見ていると、多分、そんな感動なんてしないだろうに鮮明な映像は、感激そのものである。この冴えないテレビのお陰で、ときどき感動を得ている。いい経験だ。
 アナログテレビが使えなくなるまでの間、このテレビが持つのならいいのだが、後一年も持たなさそうなので、新しいテレビを買うことにした。デジタルだろうが、アナログだろうが私には関係ない。手頃な値段のアナログテレビを買った。2011年まで持ってくれればよい。その後のことは、また考える。
 今、私の視界の隅で鮮やかな映像を流しながら、新しいテレビが動き始めた。やっぱり2011年と言わず、壊れるまで、ずっと使いたいな。25年以上も前に買った14インチのテレビは、もう少し非常時に備えて置いておこう。


2006年1月3日  森みつぐ

 元旦は、ブラジル南部の小さな町イグレジーナで明けた。ホテルのない街だったが、運良く郊外の民家に泊めて貰った。外では、花火を揚げたりしているが、大したうるさくもない大晦日から元旦にかけての夜だった。
 海外で正月を迎えるのは、今年が最後かも知れない。多分来年は、日本での正月だろう。海外でいろいろと採集してきた昆虫たち、今年一年限りで採集回数を減らす予定である。来年からは、データの整理に精を出そうと思っている。採った昆虫たちをじっくりと観察したことがない。似た者同士を並べて、標本箱に仕舞っているだけである。
 データを整理して最終目標のホームページを作らなくてはならない。そのためには、じっくり腰を据えての作業になるだろう。あと一年は、もう少しデータ集めに奔走しよう。そして、その後は、ゆっくりとした旅になるだろう。


2005年12月31日  森みつぐ

 ウルグアイからブラジル南部の町ポルト・アレグレに入った。昼間の入国だったので、ポルト・アレグレには泊まらず最終目的地にバスで移動することにする。
 年末のせいかバスターミナルは、非常に混雑していた。海外を旅するとき私は、100万分の1航空図で町と地形を確認して目的地を決めている。地図上である程度の面積を持った町ならばホテルはあるという予想の下で決めているのである。そしてこの予想は、外したことはなく、今回もイグレジーナという町までやって来た。高い建物もあるそれ相応の町であった。
 “向こうにある!”と言われてホテルを探し歩き回っていると、ホテルの看板を見つけた。ドアを開けようとするがロックが掛かっている。呼び鈴を鳴らしても、人の気配が感じられない。近くにいた人に訊いてみると、“この町にはホテルがない!”と言う。“一つ手前の町まで戻らないとホテルはない”と言う。もうすぐ7時になる。“戻るしかないな”と思い引き返し始めると、近くに停まっていたタクシーの運転手が、“この先にある”と言ってきた。ポルトガル語なんて分からないので取り敢えずタクシーに乗って、連れて行ってもらう。2〜3分も走って町外れの民家の横に停まった。民家の中の一部屋を貸してくれると言うのである。
 “それにしても、何でホテルがないのだろう?”、いいところだと思うのだが。でもブラジルの民家に入り込んでしまった。全くポルトガル語が分からないと言うのに。

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