夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 気ままにひと言
夢惑う世界4.1.2.8−14 気ままにひと言

2006年9月20日  森みつぐ

 電通のインターネット調査で、1947年生まれの団塊世代は、定年後も組織で働きたいと望んでいるのが77%に及んでいるとの結果であった。
 "やっぱりね!"と私は思った。定年間近の方々でインターネット調査とのことなので、多分、もう定年後の生活費も困らない人たちなのだろう。彼らは、社会人になるや否や寝食も忘れて会社に滅私奉公してきたため、会社(組織)が彼らにとっての居場所であり、人生の目的にもなってしまっっている。"明日から会社に来なくてもいい!"と云われたら、ただただ路頭に迷ってしまう人たちなのである。社会人と云うよりも、会社人と云うほかないのだが、そうすると社会人は、この日本から殆どいなくなってしまう。
 人は、やはり生き甲斐がないと生きてゆくことが辛い。仕事人間だった彼らは、結局、生き甲斐も社会貢献も会社に帰趨してしまう。サラリーマン時代の余暇は、ストレス解消のために充てられてきただけなので、定年後、会社から切り離されてしまうと、ただの粗大ゴミになるしかないのである。
 私は、団塊世代の少し後の世代だが、今年、自主的に定年後を迎えた。やりたい事があるから、際限なく束縛しようとする会社を退職した。生活費に困らないうちは、間違っても組織で働こうという気は起こらないだろう。自分のしたいことは、自分で決めるという当たり前のことを、一人の人間として実行できることの楽しみを、毎日実感している。今が、第一の人生である。


2006年10月19日  森みつぐ

 いつからだったのか、もうすっかり忘れてしまったのだが、大分以前からポタンポタンと蛇口からの水漏れが起きていた。ただ、数十分おきの水漏れだったので気にはしていなかった。
 ところが今年の夏頃から、その間隔が早まってきた。数十分おきになり、数分、そして9月には十数秒おきになってしまった。"まずい!"
 水漏れぐらい、自分で修理しようと思い、ホームセンターに行って水道器具の構造を調べていたら、水漏れ用に交換ゴムパッキンが売っていた。"おっ!これを交換したら直るかも?"「交換時には、元栓を閉めてから」と書いてある。"そりゃ、そうだ!"水道の元栓を探すが見つからない。何か変である。水道メーターの近くに栓があるのだが、壊れていて回すことが出来ない。"どうなっているのだろう?"と思っていると、数日後、水道検針員の方が来ていたので訊ねてみると、やはり壊れているとのことなので直して貰うことにした。そして、それからも新しく工具を買ったりと悪戦苦闘の連続であった。
 やっと、ゴムパッキンを交換したのだが、前より改善しても、まだ水漏れがある。"???"私は、お湯の方は、殆ど使わないので気にしていなかったのだが、もしかしてと思い交換してみると、"ぴたっ!"と水漏れは止まった。10年ほどでお湯側を回したのは3〜4回であったのだが、ゴムパッキンを見ると、ナットでの締め付けが少しきつすぎるように思えた。"よし!これで水漏れの工事は、マスターした!"


2006年11月2日  森みつぐ

 やはり何処かが狂ってきている。全国各地の高校において、必修科目が未履修であったことが判明した。未履修の時間は、その多くが大学受験で必要な入試科目に割り当てられていたようだ。すっかり高校は、大学受験のための予備校と化してしまっている。
 教育の目的とは、何なのだろうか。今後、ひとりの日本人として、豊かな人生を送るのに必要な要素が必修科目として取り上げられているのではないのだろうか。
 私の住む静岡県の知事は、ゆとり教育が原因と学習指導要領を非難していたが、私には全く納得のいかない発言であった。子どものときから競争至上主義を煽るのは、私は反対である。
 大学などは、入学したければ、誰でも入学させたらいい。ただ卒業は、厳しく査定する必要がある。子どものときに教えなければならないこと、それは、大人になって学んで来て良かったと気付くものなのだろう。もう一度、教育とは何かを考えなくてはならないだろう。


2006年11月27日  森みつぐ

 11月だからだろうか。タイ北部を旅行していて、日本人を見かけることはなかった。その多くが、欧米人である。タイ北部の拠点であるチェンマイに来て、やっと日本語があちこちから聞こえてくるようになった。
 欧米人たちは、秘境巡り、トレッキング等々と地方の村々を巡る観光が好きなようである。多分、東南アジアのこのような観光地も、欧米人たちが作り上げてきたみたいなものだろう。特に、タイは、欧米人観光客用の宿泊施設としてゲストハウスを提供し、欧米人の口に合う料理を振る舞うレストランも観光地化された村々には出来上がっている。私には、最低限の設備が整った安いゲストハウスは、重宝している。ただ私は、欧米人の利用するレストランよりも、ご飯や麺類が食べられるタイの食堂や屋台の方が合っている。そして、ぐっと安上がりである。時々そんな食堂で欧米人が料理に挑戦している姿を目にしたりするが、やはり滅多にないことである。
 地方のローカルバスに乗ったとき、小さな子どもを二人連れた欧米人の家族が同乗していた。次の目的地に移動するところだったのだろうが、日本人家族では、このような光景は、ちょっと見られないように思われた。旅行の目的が、有名観光地巡りの好きな日本人とは、少し違うのだろう。
 そんなことをふと考えたりしながら、明日もまた、バスに揺られて、私も次の目的地に向かっていることだろう。


2006年12月4日  森みつぐ

 タイに来て、バスにもう15回位乗って移動を繰り返しているが、タイの携帯電話事情も、殆んど日本と変わりがなかった。着信音があちこちで鳴り響き、大きな声が一方的に発せられる。
 日本みたいに猫も杓子もと言う訳ではないが、多くの人々が持っている。屋台でも商売をする人は、当然の如く持っている。タイのミニバイクの数も凄いが、既に、携帯電話は、それをも上回っていそうである。
 そう言えば、もう一つ、久し振りのタイで、驚いたことは、多くの町々で、コンビニエンスストアの7−ELEVENがあることであった。タイの店は、殆んどが前面の敷居がないオープンな店構えであるのだが、その中にドア付きの冷房が効いた店内で24時間営業している。タイに、既に浸透しているみたいであった。
 社会の変化が、何処にでも訪れているようだが、私は相変わらず、携帯を利用していない。


2006年12月25日  森みつぐ

 知らぬ土地に行くと、移動手段としてタクシーは、大変有り難い乗り物である。場所が分らなくてもタクシーは、目的地へと連れて行ってくれるからである。
 ところが問題は、タクシーはバスに比べて遥かに高い運賃であることである。そして、その上、発展途上国では乗車するときの運賃交渉で、確実にふっかけられ現地の人に比べて非常に高い運賃を払うことになる。
 タイは、特にバンコクは、嬉しいことに走っているタクシーの殆んどがメーター制である。メータータクシーに乗って思うことは、運賃が以前(交渉)に比べて格段に安いことである。しかし、それで安心は出来ない。各バスターミナルやホアランポーン駅に行くと、"タクシー!""タクシー!"とお客を呼び込むタクシー運転手が駆け寄ってくる。客引きをしている運転手のタクシーにもメーターが付いているが、絶対メーターを使わない。交渉で値段を決めるのだが、メータの2倍〜3倍の運賃をふっかけてくるので、絶対相手にしてはならない。メータータクシーを真面目に運転している運転手たちは、タクシーを降りて客引きはしない。
 そして、一番の問題は、メータータクシーの正規の乗り場横にタクシーを止めて、メータータクシーを待っている人たちに、"タクシー!"と声を掛けてくることである。外国人たちは、気付かずに乗ってしまうことがあろう。そんなときでも、メーターを使わないときには、慌てずにタクシーを降りよう。周りのタイの人たちと同じように、メータータクシーに乗りましょう。


2007年1月1日  森みつぐ

 今年から新年は、日本で迎えることになった。昨年、計画通り待ちに待った自由を、手にした結果である。ライフワークである趣味に掛ける時間が足りないので、生活資金が貯まり次第自由の身になることを決めていた。
 昆虫採集、データ整理等々、計画を立てていたのだが、いざ自由の身になって始めてみると、それでも時間が足りないことが判明した。だからと云って、どれも切り捨てる訳にはいかない。短期的成果を求めるより、やはり私には、のんびりとマイペースが似合う。
 海外への昆虫採集旅行は以前よりも減るが、採集日数はそう変わらないだろう。そしてデジカメによる生態写真撮影は、格段に増えてゆく。素人の撮影なので、ピンボケが多いが、それでも一杯シャッターを押す。以前行ったことのある国には、今度は、デジカメを持っての採集旅行となる。昨年末のタイ旅行のように、心身共に健康であるうちは、まだ続く。
 データ整理は、それに続く。最初のうちは、データ整理に充分時間を割くつもりでいたのだが、生データの収集の方が優先する。従って、画質優先のホームページ・リニューアルも、暇を見つけながらの作業となる。
 そんなことを考えていても、時間が増える訳ではない。マイウェイ、マイペース、今年も私は、これしかない。


2007年1月8日  森みつぐ

 昨年末のタイ旅行中に、2度も犬に咬まれてしまった。今まで、犬に咬まれた経験など一度もなかったのだが、立て続けに2度も咬まれてしまった。とは言え、ズボンを破られるほど強くはなかったので、心配はしなかった。
 タイに限らず発展途上国では、犬は殆ど放し飼いである。私みたいに見知らぬ土地を歩き回っていると、しょっちゅう犬に吠えられている。ただ犬の縄張りに近付かないように、遠回りして歩けば問題ない。吠えないときでも、怪しげな犬は唸るので、やはりそのような犬には近付かないようにしている。
 今回の旅で、1度目は、山から帰ってきて民家の横を通り、大通りに出ようとしているところだった。犬が路上に、べたっと寝転んでいたのだが、吠えもしないし唸りもしなかったので、少し油断して犬の前を横切ったところ、がぶっと足を咬まれてしまった。しかし犬の方も目の前に来た足に、条件反射的に噛み付いてきたみたいで、すぐ黙って離れてしまった。ただ、厚手のズボンを穿いていたので問題がなかった。
 2度目は、朝、山に向かって街中を歩いていると、小型犬が吠えてきた。飼い主らしき人が、"駄目だよ!"と言っているみたいだったが、犬が主人の言うことを聞くことがない。気にもしないで歩いていると、本気になって足に噛み付いてきた。でも小型犬なので、ズボンの中まで歯は喰い込まない。
 残念ながら、犬の放し飼いはごく当たり前になっているので、このような場所に行くときには、自分で守る工夫をしておく必要があろう。

Copyright (C) 2006-2007 森みつぐ    /// 更新:2007年1月14日 ///