夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 気ままにひと言
夢惑う世界4.1.2.8−16 気ままにひと言

2007年5月31日  森みつぐ

 自分の属する組織を守るために死ぬ。組織のための自己犠牲と言えば聞こえはいいが、トカゲの尻尾切りみたいなものである。大企業では似たようなことは良くあることであろうが、今回、国のトップでそれが起こった。旧態依然とした自民党と言う組織で、自己表現の残された方法が自殺だった。
 大臣への疑惑は、いろいろとあったが、その内容云々よりも、何故、死を選ばなくてはならなかったのかが、私にとって、最も知りたいところである。組織を絶対的なものとし、そして組織に軸足を置いていなければ、こういうことはあり得なかったことだと思う。組織と個人とは、運命共同体とは成りえないことは、重々承知の上のはずなのに、最期まで組織を守ろうとする。それとも、飽くまでも己を正当化するために、組織を守ろうとしたのかも知れない。
 私は、会社に入ったときから、組織から一歩距離をおいて生きてきた。それが私の行き方であり、その結果、在職中も退職した後も、会社の一存に依らず、自分の信念で生きてきたのである。私たち一人ひとり、組織と個人の関係をじっくりと考えてみたいものである。


2007年6月14日  森みつぐ

 私が札幌を離れてから、いつの間にか北海道に棲みついてしまったチョウがいる。旧北区に広く生息しているオオモンシロチョウである。私は、このチョウを海外で採集している。今回、札幌に引越しをしてきたので、いつか掴まえる機会が来るだろうと思っていた。
 5月下旬、定山渓近くの林道を歩いていた。草木が一気に芽吹き始めた春の山である。白いチョウが翔んで行く。"エゾスジグロシロチョウの写真も撮っておかなくては!"渓流沿いの林道を歩きながら、久し振りのエゾスジグロシロチョウを採ったり、写真を撮ったりしていた。ちょっと大きな白いチョウがいるのに気が付いていたのだが帰り道、傍に来たので掴まえてみると、オオモンシロチョウだった。よくよく見ていると、エゾスジグロシロチョウと同じぐらい翔び回っている。昔から、ここにいたチョウのように、ごく普通に翔んでいた。もしかしたら、家の近くで"モンシロチョウ!"と思ってみているチョウも、オオモンシロチョウかも知れない。
 札幌には、モンシロチョウ、オオモンシロチョウ、スジグロシロチョウ(私は、未採集)、エゾスジグロシロチョウがいるが、オオモンシロチョウが平野から山野までと広い範囲に棲みついていて数も多いみたいである。もしかすると、モンシロチョウと思っていた今年の初蝶も、オオモンシロチョウだったかも知れない。


2007年7月11日  森みつぐ

 薄れてきた記憶の中、17年振りに台湾で昆虫採集をしてきた。ほぼ予想通り、台湾の梅雨も明け、真っ青な夏空が広がっていた。台北駅前に降り立つと、ヤマトシジミ(?)やキチョウが僅かな公園の中を翔び回っているのが見えた。そして、車の騒音に掻き消されるように、クマゼミ(?)の聲が聴こえてくるような気がした。
 私の海外採集は、台湾から始まり、3年台湾行きが続いた。そして今年、24日間に亘る旅をしてきた。全く不慣れだった当時と比べると、今は、自由気儘な旅となっている。以前なら採集地は、いろんな昆虫関連の資料から見つけ出して決めていたが、今では、地図を広げて、適当に決めている。泊まる町も、ガイドブックに掲載されていない町もあるので、その町に到着してから宿探しが始まる。
 今回、一ヶ所だけ以前に訪れた町に行ってきたが、やはり様変わりしていた。夕食を摂った食堂は、大きく綺麗になっていたが、メニューは変わってなかった。そして、他の食堂と同じように、大きな液晶テレビが、ドンと置かれていた。道を走ってゆく車も綺麗になったような気がする。あれから、既に17年が経った。そう言えば、今年で海外での採集は20年目になった。


2007年7月20日  森みつぐ

 台湾に到着したその夜、近くのコンビニエンスストアで弁当などの食料を調達した。温められた弁当と冷たい飲料水などだが、何とか手に持てそうだ。日本では、このとき、当たり前のようにレジ袋に入れられて渡されるが、台湾では、その気配は全くなかった。そう言えば、台北駅構内のコンビニエンスストアでも、レジ袋に入れて渡しているのをは見なかった。
 特に、発展途上国の旅で目に付くゴミは、ビニール袋である。道の両側には、ビニール袋が汚くへばりついている。ところが台湾では、そう言うゴミは見当たらない。コンビニエンスストアで持ちきれないほどの買い物をすると、レジ袋が要るかどうかを訊いてくる。多く買うときには、マイバッグを持ってゆけばいい。本屋で、2冊の本を買ったときも、レジ袋が要るか訊いてきた。そのときは、デイパックを背負っていたので、レジ袋は断って、デイパックに仕舞い込んできた。
 都会でも、田舎でも、それは徹底していた。ゴミが少ないことは、いいことだ。しかし、やはり日本と同じく、ペットボトルが造作なく捨てられ、山に入ると、粗大ゴミ放り投げられていた。何処でも一緒かも知れないが、レジ袋無しが原則と言うのがいい。


2007年7月28日  森みつぐ

 札幌に引っ越してきてから、標本箱を収納する部屋用に、新しい温湿度計を買ってきた。沼津にいたときには、温湿度計(旧)で、40%以上の湿度になったら標本箱を開けないようにしていた。5月から10月位までは湿度が高くて、7月には80%を超えていた。ただ、旧温湿度計の湿度指示は、誤差が大きく、高い、低いの判断基準に使っていただけであった。
 新しい温湿度計は、すぐに標本室に置かずに、旧温湿度計の横において、比較できるようにしていた。これまで、新温湿度計は、40〜70%の間を指しているが、旧温湿度計は、20〜30%強のところを指しているだけである。と言うことは、旧で湿度40%は、実は、湿度が80%になっていたかも知れない。標本にとってこのような高い湿度は、大敵である。
 5月から10月までの沼津では、70〜100%近い湿度だったのだろう。それに比べ札幌では、高くても70%程度の湿度みたいである。湿度によるストレスは、非常に小さい。これからは、新温湿度計で湿度60%を目安に、標本箱の開閉を管理することにしよう。多分、札幌では、夏の雨の日以外ならば、湿度が低くて問題ないように思われる。そして部屋内の温度も、26度程度で推移している。いい気候だこと!


2007年8月2日  森みつぐ

 私は、札幌に引っ越してきて、まだ間もないので北海道の選挙権はなく、以前住んでいた静岡県の選挙を札幌で行った。今回の参議院選挙は、長期に亘る自民党政権の弊害が顕著化する中での選挙であり、また、前小泉政権が進めてきた行過ぎた競争至上主義政策を問う選挙でもあった。
 一党独裁による長期続投政権は、公民問わず弊害が生じることは周知の事実であろう。企業社会においては、問題が発覚すれば、法の下での制裁が課せられることになるが、政界では、トカゲの尻尾切りで終わり、何の緊張感もなく問題政党による政権は続く。それが、これまでの日本政治の構造だった。
 問題があれば、政権が入れ替わると言う緊張感の下での政治体制である二大政党制度は、日本では、なかなか受け入れられないでいる。自民党でも、民主党でも、何処が政権を担っても同じだから、経験豊富な自民党を選択するのでは、一度腐敗した政治は健全な政治に戻りはしない。自民党とか民主党とかではなく、政権交代が有り得ると言う制度が機能してこそ、健全な政治が行われる。
 今回の選挙は、それが機能しているかどうかを見極める選挙だった。政権交代が起こることで、政治が研ぎ澄まされてゆき、国民のための政治が行われることになる。そして、次回の選挙が、国民の手に政治を取り戻すための大事な岐路となる選挙になるだろう。


2007年8月11日  森みつぐ

 台北駅前でバスを降りて、ホテルを探し始めた。今立っている場所と地図との位置関係が分からなかったので、近くにいた若い男性に、地図を見せて、"ここは何処?"と手振り身振りで訊いてみた。漢字の国同士なので、彼は地図が分かったみたいで、訪ねた場所を指差してくれた。私も、やっと自分のいる場所が分かったので地図を片手に、ホテルへと向かった。
 信号が青になり横断歩道を渡っていると、次から次へとミニバイクが止まる。10台、20台。車の停止線の前に、ミニバイクの停止線があり、そこに後から後からうじゃうじゃと溜まってゆく。ミニバイク天国である。
 地方に行っても、ミニバイクは、あちこちの道を縦横無尽に走り回っている。狭い道だろうが、夜店で混雑している道だろうが、ミニバイクは通り過ぎてゆく。それでなくてもごちゃ混ぜの台湾の道なのに、うろちょろと動き回るミニバイクが邪魔くさい。台湾の生活道は、すっかりミニバイク地獄になっている。


2007年9月5日  森みつぐ

 札幌に引っ越して間もない5月中旬には、私の好きな抑揚のある啼き聲のエゾハルゼミが啼き始めていた。それまで住んでいた沼津周辺には、春早く啼くハルゼミが棲んでいなかったので、7月中旬ごろ啼き始めるニイニイゼミやアブラゼミが初鳴きのセミだった。ただ山中では、昼間あまり啼いてくれないヒグラシが6月頃から啼いていた。5月からセミの聲が楽しめるのは、嬉しい限りである。
 そのエゾハルゼミの聲もか細くなる7月中旬には、郊外の林や定山渓では、単調な啼き聲のコエゾゼミが啼き始めた。そして札幌郊外の真駒内では、アブラゼミの聲も加わってきた。私が30年前住んでいたときには、アブラゼミの聲を聞いたことがなかった。7月下旬となり、定山渓に行くと北海道特有のエゾチッチゼミが啼き始める。エゾゼミも啼き始めていると思うのだが、私は、まだコエゾゼミとエゾゼミの区別が付かないでいた。アカエゾゼミは、尚更のことである。
 8月初旬、藻岩山裏手に住む両親のところにいたら、ツクツクホウシが近くで啼いていた。"もう、啼いている!"と思ったのだが、ツクツクホウシも札幌では、初めて聞くセミだった。更に、8月下旬には、定山渓で初めてのミンミンゼミが啼いていた。
 久し振りの札幌で、初めて聞くセミは、アブラゼミ、ツクツクホウシ、ミンミンゼミである。30年前、まだセミの啼き聲に敏感でなかったかも知れないし、この30年間に、いろんなセミの聲を聞いて、耳も肥えてきたせいかも知れない。多分、それよりも温暖化の影響が大きいように思われる。そのセミの聲も、9月に入ってぱったりと啼き止んでしまった。今は、時折エゾゼミの聲が、風に乗って流れてくるだけである。本州では、10月まで騒々しく啼いているので、少し寂しい気がする。
 来年は、ニイニイゼミとヒグラシが啼くのを札幌で聞いてみたいと思っている。ただ、私が存命中に、札幌でクマゼミの聲を聞くことはないだろう。

Copyright (C) 2007 森みつぐ    /// 更新:2007年9月9日 ///