夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 気ままにひと言
夢惑う世界4.1.2.8−19 気ままにひと言

2008年5月9日  森みつぐ

 先日の読売新聞に、「政府が2年前に、格差社会対策としてまとめた「再チャレンジ可能な仕組みの構築」では、「最終的に、いくつになっても働ける社会」を目標に掲げたがその実情や課題についての特集」が載っていた。
 日本の高齢者は、就労意欲が高い(各国の労働力率の表において、年齢別人口に占める労働力人口の割合は、日本の「60歳から65歳」男性で70.3%などと諸外国より高くなっている)が、その意欲が生かされていないとある。私は、65歳定年だろうと70歳定年だろうが年齢にはこだわっていない。働きたいならば、本人の体力が続く限り働ける社会に、そして私のように賃金労働とは別に目的があれば、いつでも辞められる社会になって欲しいと思っている。
 ただ私は、日本人の就労意欲?の高さは、本当に労働に生き甲斐を持っているからではなくて、どうしてもやりたいと言う生き甲斐がないため時間潰しに生活費を補うこともできる賃金労働をするからであろうといつも思っている。日本人の労働実態は、相も変わらず企業に対して長時間労働を強いられる滅私奉公である。それ故、個が育たずいつまでも賃金労働に精を出すのである。日本人の貧弱な個は、今も企業に阻まれ続けているように私には思われる。


2008年5月15日  森みつぐ

 ミャンマー、中国と立て続けに未曾有の被害をもたらした自然災害が発生した。自然の凄まじいパワーは、人間の作り出した物を跡形もなく蹴散らしてしまった。残念ながら、今、この自然災害を防ぐ術を持っていない。
 多くの人々がこの災害で犠牲になったことは、もう過ぎたことで、問題は、この災害での犠牲者をこれ以上増やさないことである。早く、実態を把握して対策を取る必要がある。多くの専門的技術を持った人たちがこれに当たる必要があろう。人海戦術をもって、これに対応しなければ、1分1秒を争う人命救助ができないのである。
 そう考えると今回の軍事政権下のミャンマーの対応や一党独裁下の中国の対応には、疑問を持たざるを得ない。物は要るが人を拒むことは、国が被災した国民に対して取る対応とは、到底思えない。丁度、これを書いているとき、中国は、日本の支援を受け入れるとのニュースが入った。一歩前進したが、被災した国民のため、支援してくれる国は、押し並べて受け入れるべきだろう。


2008年6月4日  森みつぐ

 空の新規参入組であるスカイマークが6月パイロット不足を理由に、大幅な欠航を決めた。私は、早めに予約を入れる場合は、マイレージが加算される日本航空か全日空を使うのだが、数日前の予約なら、やはり運賃の安いスカイマークかエアドゥを利用することにしている。
 昨年、引越しの際、スカイマークを利用した。沼津と札幌の間を行ったり来たりと2往復半したが、その最後、羽田から新千歳の便が機体整備とかで運休になっていた。今まで国内線を数百回乗っているが、こんな欠航は初めてだった。"機体整備なんか、最初から計画的に行っていたら、欠航になんかならない"と思ったのだが、最近では、当たり前のように欠航が目立ち、私には少し不思議でならない。
 折角、事前予約していても欠航では、何の意味もなくなってしまう。乗り継ぎなどでどうしてもこの便でなければならないと言う場合は、安さに魅力があるのだが新規参入組を利用するのは考えもののようだ。


2008年6月13日  森みつぐ

 オリンピックを目前にして、スピード社の競泳水着に話題が集中している。試着した日本のトップスイマーたちも続々と記録を更新したのである。水着の違いだけで、こうも記録が違うとは驚き以外の何物でもない。
 ただ、この点以外においても、異様な水着であることは否められない事実であろう。体の締め付けがきついため、本人一人で着用することができないらしい。また長い時間着用していると、しびれてくるらしい。余りにも水着らしからぬ水着である。勝つ為とは言え、疑問を感じる競泳水着である。
 私は、もともと勝ち負けには興味のない性格で、勝敗より楽しくをモットーに生きている。オリンピックは、"勝つこと、メダルを獲得すること"が優先され、"参加することに意義"は、もう死語となってしまったようだ。同じ条件で戦うことは必要なことである。私は、スポーツ番組はニュース以外で観ることはなくなってしまったのだが、北京五輪も今回の水着騒動においてもそれ以上の興味は湧きそうにない。


2008年7月10日  森みつぐ

 サミット警護のパトカーを横目で見ながら、ジョギングをしていた。走り始めて、すぐに左足の膝裏に違和感があったが、問題ないだろうと思って走っていた。今年は足の状態が余り良くないので、負担がかからないようにゆっくり走っている。
 足に疲労が溜まってくると、足が痺れてきて、さらに悪くなるとびっこの状態となってしまう。今年は軽い痺れが続いていたので、週に3〜4回ゆっくりと走ることにしていた。少し起伏があるコースだが、そんなに足に負担になりはしない。緑の木々や庭の花々を眺めながらのジョギングは、移りゆく四季の走馬灯のようである。
 歩道を走っていると手前から人がやってきた。ちょうど道幅が狭いところだったので、邪魔にならないようにと、低い段差の法面に軽くジャンプしたところ、左足の膝裏の腱がプッツンしたような感じがした。"痛っ!"そのまま10mくらい走ったけど、ここで無理して傷を深くしてはならないと思って立ち止まった。"仕方ない!"びっこをしながら40分位かけて歩いて帰った。痛みは大したことはないのだが、この夏は、ジョギングはできそうにもない。口惜しいね!ただ、来週の山歩きは大丈夫だろう・・・?


2008年7月24日  森みつぐ

 大分県の教員採用試験を巡って、口利き汚職事件は、単に大分県に限らない全国の各都道府県に疑惑が及ぶような不正内容の事件であった。採用試験の不透明さは、当然、このような疑惑をもたれても仕方ないと思われるものである。
 そんな折、大分県教育委員会は、「不正な手段で合格した教員全員の採用取り消しを決定した。」と言う。そんなニュースがテレビから流れてきて、私には、しっくり来なかった。親たちの不正によって、得点データを嵩上げされて合格した受験生たちがいても、その受験生がそのことを知らないのなら、受験生たちには、何の落ち度もなく非難される対象ではないはずである。それなのに、何故、採用が取り消しにならなくてはならないのだろうか。不思議である。
 教員として問題があれば、不適格な教師として教育の場から排除されてゆくことだろう。県民の大分県教育委員会への強い不信感を払拭するのが狙いならば、余りにも御門違いの措置と思われる。正さなければならないのは、教育委員会そのものであろう。


2008年8月8日  森みつぐ

 半年が過ぎ、闇に葬られそうになっていた日中の懸案事件が、再び浮上してきた。今夜、北京オリンピックが開催となるが、本事件の捜査とは無関係でなくてはならない。日中両国民の食の安全を守り、安心できる社会を作り上げるのに全力を尽くして欲しいものである。
 中国の被害発生から既に1ヶ月以上経つと言う。この1ヶ月と言うのは、中国政府の「捜査の途中経過なので公表しないで欲しい」という要請にしては、余りにも長すぎる時間だと私には思える。国民の安全を守ると言う何よりも優先されるべきことが、政治絡みでずるずると解決が遅れていくことが心配である。
 今回がこの事件解決のための、最後の機会となるだろう。先の事件では、闇に葬ろうとする中国側の姿勢が見え見えだったが、「食の安全は、国民の為に」を肝に銘じて、日中の協力で捜査を行い、解決していただきたい。未来志向の日中の為にも。


2008年8月15日  森みつぐ

 7月に入ってからの札幌は、好天が続かなかった。それが原因なのか私の住んでいる札幌の南区郊外では、8月になってもセミの聲がさっぱり聞こえてこない。引っ越してきた去年の夏、ジョギングの最中、コエゾゼミ、エゾゼミ、アブラゼミが良く啼いていた。そして、ときどきツクツクホウシも。それが今年は、ツクツクホウシとたった一度のアブラゼミの聲を聞いただけである。
 今日、藻岩山山麓にお墓参りに行ってきた。ちょうど雨が上がっていたが、その後は、ずっと雨だった。去年のお盆は、札幌では珍しく35度近くの日が3日続いていた。お盆も過ぎ札幌も秋を迎える。今週、鳴く虫の女王といわれるカンタンが鳴き始めている。
 お墓参りを終え、札幌駅に出てみると、大きなリュックを背負った若人たちが地下街を闊歩し、そこかしこから韓国語など外国語の会話が聞こえてきた。北の街札幌の夏は、もう終わろうとしている。


2008年8月29日  森みつぐ

 8月も月末を迎え、秋雨前線が各地で猛威を振るっている。短時間の局地的集中豪雨が多くなっているのが最近の傾向だろう。崖や川に近い所や低い土地に住んでいる人たちにとっては、大きな心配事がまた一つ増えていることだろう。
 私は、亜熱帯や熱帯の雨は、たびたび経験している。昆虫採集で林内を歩いていると、俄かに空模様が怪しくなって暗くなってくる。そして一段と暗さを増してきて、水滴がポツリポツリと落ちてくる。それに負けじと網を片手に、バラバラと雨が降り出してくるまで歩き回っているが、流石に網が濡れてしまうとどうしようもない。網を片付けバッグに仕舞い込み、代わりに傘を出して、大きな木の下で傘を差す。暫らくの間は、木の葉に守られて、ポタポタなのだが、次第に、またバラバラと落ちてきて、足元にも水溜りが出来始める。ものすごい風も吹くのだが、林内は、木々に守られて安全である。殆んどが30分位で通り過ぎてゆく通り雨が多い。
 だが、この雨が数時間も続くと最悪で、びしょびしょになりながら帰ることになる。そんな集中豪雨が日本にも多くなったのが最近のことである。新たな災害対策が、また必要になってきたようだ。

Copyright (C) 2008 森みつぐ    /// 更新:2008年8月31日 ///