夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 気ままにひと言
夢惑う世界4.1.2.8−2 気ままにひと言

2002年1月2日  森みつぐ

 毎年、暮れからお正月に掛けて旅をしている。今年も、年末年始は、ジンバブエで迎えた。年が改まったからと言って、何をすると言うことには全く興味を示さない性格だから、年末年始だからと言って大したことはしない。
 毎回、1週間から2週間、全くニュースも聞かず旅をしているのだが、やはり日本人なのだろうか、“今、日本で何が起きているのか”が気懸かりになる。でも結局のところ戻ってから新聞やテレビを観ても大したことはないのだが。これって会社人間が、長い休み(3〜4日でも)を取ったときに似ているかも知れない。私の場合、会社に対しては、何も頭に浮かんでくることはないのだが。せいぜい、“今頃、まだ働いているだろうな”と思うぐらいである。
 “さて私の2002年は、どのような1年だろうか”なんて考えても、多分、去年の延長でしかない。去年、このホームページを立ち上げた。今年はそれの充実であるとともに、旅行中以外は毎週、この訳の分からぬエッセーと虫さんを追加していくことである。会社が早く週休3日というワークシェアリングを始めてくれたら、すぐに私は飛び付くのに。否、それとも今まで通り働いて、早く会社を定年するという方が妥当かも知れない。
 多分、私にとって、この2〜3年が勝負の年になる。我が人生は、あまねく私のものである。それ故、今年2002年も、確かに私の足で歩いてみる。


2001年12月11日  森みつぐ

 幅の広い、偏りの小さい結論を導こうとすると、情報の質と量が必要となってくる。多くの情報は、思考を豊かにする可能性を秘めている。

 私の場合、時間と金銭の制約から、主に次の情報を活用している。
  1. 新聞(1社)
  2. NHK(客観的報道を重視して、民間放送局はときどき観るのみ)
  3. 月間総合雑誌(1冊)
  4. 新書、ブックレット他
  5. 図書館
  6. 大学、市主催の講座他
 ここには、インターネット情報は出てこない。インターネット上の情報は、時と場合により活用する事はあるが、それを情報源のベースとは考えていない。情報の質とインターネットそのものに対する疑念を持っているからである。
 私は、大学、市主催の講座を良く受講している。生の声で講演者の講義を受けるのは、活字とは違った意味で新鮮味があって良いと感じている。しかし、これら講座を受講して感じることなのだが、受講している人たちの殆どが、現役を引退した人たちで埋め尽くされているのである。年老いてからも学習欲が衰えないことは、敬服に値することだが、本来一番、一般常識が問われている世代の人たちの姿が見えないのは、やはり最近のモラル低下などの世相を反映しているのではないだろうか。
 会社に中では一般常識の身に付かないサラリーマンは、意識的に一般常識を身に付けなくてはならない。品のない(欲望をかき立てるだけの)テレビの番組や週刊誌を見ていてもストレスの解消にはなっても、一般常識は身に付かない。社会の中で生きてゆくための、子どもを育ててゆくための一般常識は、会社で残業するよりも重要視するべき事である。そう言う点で私は、多くの社会人の参加を期待している。
 このホームページは、このような情報源と私自身の経験(特に、旅での経験)とで成り立っている。これで満足している訳ではないが、現状、これが精一杯である。今は、定年後(会社の決めた定年まで働くつもりはない)どう生きるかを考えている。金銭的な問題から、やはり図書館の利用を多く取り入れてゆきたいと思っているのだが。


2001年12月29日  森みつぐ

 米国同時テロ後、初めて海外に行った。飛行機の乗るときは、極力荷物は機内持ち込みにしている。何故そうするかと言うと、一つに、飛行機を乗り継ぐときの荷物紛失リスクを回避するため(初めてのアフリカの旅で、荷物が出てこなかった経験をしている)、一つに、飛行機を乗り継ぐとき到着時間の遅れや預荷物を受け取る時間の遅れが積み重なって精神衛生上良くないからである。従って荷物には、注意を受けるような危険な物と見なされる物は入っていない。乗り継ぎをしない場合やX線装置が設置されていないような空港の場合は、極力預けるようにはしている。少なくても今までは、カッターナイフやハサミを入れていても問題はなかった。
 米国同時テロを受けて、初めて荷物の中からカッターナイフとハサミを抜き取った。そして最初は、機内持ち込みではなくて預けることを考えたのだが、今回は2回乗り継いで目的地ジンバブエに行くため、やはり荷物を持ち込むことにした。多分アフリカ方面は、アメリカ方面よりもチェックが厳しくないと思ったからである。日本、香港、南アフリカ、ジンバブエで問題にならなかった。もしかしたらカッターナイフやハサミが入っていても問題にならなかったかも知れない。
 アメリカ経由で行く場合は、確実にチェックを受けるだろう。でも私は問題になるような物は入っていないから心配はしていない。また以前から、アメリカの航空会社は、南米路線においてセキュリティチェック(特に麻薬)に力を入れていた。刃物類に注意さえすれば問題にはならない。煩わしいことだがチェックの強化は、旅の安全のためには已むを得ないことである。
 旅の荷物は、少ないに限る。私は、趣味用の七つ道具の入ったちょっと大きめのデイパックと生活必需品の入った普通のデイパック(必ず機内持ち込み)の2つを背負って歩いている。もうこれ以上少なくはならない。
 グローバリズムは、人や物の移動の障壁を低くした。そして悪意に満ちた人々にも好都合に働いている。そして旅行者にとっては、受難の時代が訪れてきている。非常に悲しいことである。


2002年1月30日  森みつぐ

 国会で「言った」「言わない」の論争をした挙げ句の更迭、辞任騒動は、自民党にふさわしく決着を見ないまま闇に葬られてしまいそうである。誰もが事の顛末を知っているのにも関わらず、喧嘩両成敗とは、不思議な裁きである。
 アフガニスタン復興支援会議の直前になって、2つのNGOの出席が認められなくなったと云うこと自体が異常に思われたのだが、事の真相は国民に知らされないままになりそうである。こんな事が許されるであろうか。
 そんな中、参議院に当選したばかりの一人のタレント議員が愛想?を尽かせて議員を辞職してしまった。言ったことには責任はあるのだが言いたい放題の評論家と前述のような政治家とのギャップは、相当なものなのだろう。とは言え、本人の考えが甘かったのだと思われる。彼に一票を投じた有権者たちは、何を期待していたのだろうか。非常に残念なことである。
 国民不在の政治は、いつまで続くのだろうか。完全失業率が、5.6%になったというのに。


2002年3月26日  森みつぐ

 「言った」「言わない」から国会周辺は、盛り上がり続けている。自民党議員の疑惑追及の急先鋒だった社民党の議員にそれは飛び火した。国会議員の一人ひとりを根掘り葉掘り追求してゆけば、数年劇場は満員御礼のロングラン興行になるかも知れないが、最後は、国会議員の何名が辞職を免れるのだろうか。
 お金がないと国会議員としては、まともな活動が出来ないみたいである。そこでお金を巡る議員の疑惑が延々と続くことになる。今回辻元社民党議員は、他議員の疑惑追及に精を出し過ぎて、自分の足下をおろそかにし過ぎた。自分では、違法行為をしているなんて、これっぽっちも思っていなかったのだろう。“人の振り見て、我が身を振り返る”余裕と冷静さに欠け、勢いだけで議員を続けていたようだ。ちょっと痛い代償だが、いい経験をしたのではないだろうか。
 さて、次なるスポットを浴びる人物は誰だろうか。まだまだ続く国会劇場。


2002年5月4日  森みつぐ

 昨年秋のテロ後7ヶ月が優に過ぎたニューヨークのジョン・F・ケネディ空港を経由して、プエルトリコへ行ってきた。本当は、マイアミ経由で行くつもりだったのだが、2月時点で既に満席でニューヨーク経由だと空席があるとのことだった。これも、テロの影響だろう。
 私はニューヨークには興味を持っていないので、今までに一度も訪れたことはない。そしてトランジットでも立ち寄ったことはなかった。“ニューヨーク経由?!”“まあ、いいんじゃない!”アメリカ国内は、何処も一緒だと思っていたので了承した。プエルトリコはアメリカの自治領なので、アメリカ国内と全く同じ扱いである。
 空港到着時は、他のアメリカの空港と何ら変わりはなく特別な検査はない。出発時は、チェックイン後待合室に入る前に、物々しく念入りにボディチェックがある。その後、手荷物のオープンチェックを受ける人もいる。近くには、迷彩服を着て肩に銃を掛けた人たちもいる。そして次に搭乗する際も、全く同じ検査を受けたりする。しかし、後ろめたいことがなければ、素直に検査官に従えば問題はない。不愉快になることはなかった。平常時から不愉快になる国は、多々ある。厳戒態勢で、この程度の不自由なら大したことはない。利用する側が節度を持って接すれば、何ら問題になることはないと思われる。
 テロによって航空業界は大きなダメージを負ったが、一度事故を起こすと助かる確率が非常に低いので如何ともし難い。しかし旅行することによって私自身の得る物は、事故が起きるかも知れない確率による損失を考慮しても、まだ優っている。ただ自分のリスク管理は、自分で行うことである。
 次なる旅も、楽しめる旅でありたいと思っている。

Copyright (C) 2001-2002 森みつぐ    /// 更新:2002年5月12日 ///