夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 気ままにひと言
夢惑う世界4.1.2.8−22 気ままにひと言

2009年4月16日  森みつぐ

 「臓器の提供可能年齢「15歳以上」を撤廃することを目的に、臓器移植法を修整する協議に与党が着手することになった」と、テレビで報道されていた。「詳細は新聞を読んでみよう」と思っていたのだが、新聞の方は、余り関心がないのか、すぐに載らず、少し時差があってから今朝の新聞に、小さく掲載されていた。
 とても、デリケートな問題であることは確かなことである。「脳死」と言う新しい概念を取り入れて作られた臓器移植法は、私は、当初から疑問に持っていた。そして、今も変わらない。個人の死生観に関わる問題を、臓器移植を前提に「脳死」を人の死とすると言う考え方は、本末転倒である。「臓器さえ移植できれば、この子は助かる」となれば、親は、藁にもすがる思いであろう。私も、その当事者になると、臓器移植を求めるかも知れない。
 ただ、問題となることは、臓器が死んでいてはならないと言うことで、「脳死」と言う概念が出てきたのである。日進月歩の医療技術、人の死を前提とした臓器移植に頼らなくても、良くなるかも知れないし、現状、「脳死」と宣告された人も、復活する可能性が出てくるかも知れない。医療の進歩を信じて待つ他ない。


2009年4月30日  森みつぐ

 札幌に帰ってから、3度目の春を迎えている。昨年までの2回の春は、5月中旬以降に、定山渓に昆虫採集に行っていた。昆虫に関する作業が、昆虫採集に行かなくても大変な作業量があるので、毎年、春の山歩きは、出遅れている。今年は、4月中に行こうと思っていたが、先週は、雪が降ったりと気温が低かった。そして、4月最後の日になって、やっと気温が上がってきたので、いつもの定山渓の林道に行ってきた。
 ちょうど山菜採りに来ていた人たちが、多く見受けられた。日当たりのいいところは、ほぼ雪が融けていたのだが、1時間ほど歩くと、林道にも雪が残っていたので、そこで引き返すことにした。成虫で越冬したシータテハ、クジャクチョウ、コヒオドシ、そしてキベリタテハが既に翔び回っている。花は、やはりフキノトウである。鮮やかな紫色のエゾエンゴサクや僅かだがカタクリの花も咲いている。まだ、初蝶のモンシロチョウは見てないが、この春羽化したばかりのコツバメも小気味好く翔んでいた。
 今年も虫さんたちの季節がやってきた。今まで、余り採って来なかったハエやアブの双翅目、ハチ、ガ、その他諸々の昆虫たちも、目を向けてゆくことにしている。フキノトウには、ハナバチの仲間が多かったが、まだ、マルハナバチは活動していないようだった。


2009年5月8日  森みつぐ

 ゴールデンウィークも終わり労働者は、また職場へと帰って行く。先月、新聞にインターネットで調査した先進国11ヶ国の有給休暇取得実態が載っていた。案の定、日本は、取得日数は、最下位の7.9日(支給日数14.9日)であった。フランスの取得日36日(支給日数38日)と比べようもないほど嘆かわしい結果である。
 非正規労働者の待遇の悪さを反映しているのか、支給日数の少なさも然ることながら、その半分程度しか有給休暇を取得できないという実態は、先進国の一員として余りにも情けない次第である。労働者の最低限の権利さえも行使することができない経済大国とは、何なんだろうか。労働者を酷使することでしか成り立たない経済大国・日本が、先進諸国の仲間入りしているとは、私には思えない。
 労使間の力のアンバランスは、余りにも酷過ぎる。企業国家日本の政府が企業側寄りであることが、その一因であろう。GDP第2位の経済大国から滑り落ちたとしても、労働者優先、人優先の政策を国に求めてゆかなくてはならないだろう。


2009年5月14日  森みつぐ

 夕方過ぎに雨が落ちてくるかと思っていたのだが、早くも雨が降ってきた。そして、少し雨足も強くなってきて路面も濡れてきた。自転車に乗って帰る途中だったが、歩道を走っていたのでスピードを出さないように、飛び出してくる自動車や歩行者に気を付けながらブレーキに手をかけ走っていた。
 大きな病院の出入り口辺りに来ると、病院から自転車に乗った女性がペダルを強く踏み込みながら、私の方へと走ってきた。"このままだと接触しそう!"と思った瞬間、彼女は、カーブでツルっと滑って転んでしまった。雨は強くなって、病院のタイル張りみたいな歩道の上で滑ってしまった。私も利用している病院なのだが、冬、雪が薄っすらと積もっていると滑りやすくて辟易する歩道である。何故、こんなところでスピードを出して公道に出てくるのかが、不思議で仕様がない。足を打撲したみたいだが、骨には異状がなかったようである。
 いつも、我が物顔で交通弱者を見下した運転するマイカーに苛立つ私だが、同じように交通ルールを無視して走っている自転車にも納得できないでいる。多分、交通ルールも理解せず、歩道を当然のように自転車に乗って走っている人が多いのではないだろうか。弱者を思いやる運転に心がけて欲しいものである。


2009年6月4日  森みつぐ

 県知事の辞任と引き換えに、静岡空港から第一便が離陸した。この地方空港、初年度から全便満席でも赤字であることが決定している。そして、その赤字は、税金で補填される。私が静岡県に住んでいたときから、空港問題があったが、私は一貫して反対だった。
 ハコモノに付き物の予想利用客数が、いつものように黒字になるように調整された無茶な数字であり、それを基に、黒字になると試算されても私には納得できないことなので、賛成できなかった。県が向いていた方向は、観光産業や経済界であり、赤字で負担を強いるのは県民であるのにも拘らず県民側ではなかった。
 静岡空港の主な利用客は、観光客になるようだ。最初は、満席状態が続くだろうが、ある程度期間が経てば、搭乗率が減少していくことは必然である。飛行機を利用する客は、県東部は羽田へ、県西部は中部へと流れてゆくことだろう。静岡県民は、非常に重い荷を背負う羽目になってしまったと私は思っている。


2009年6月11日  森みつぐ

 歩道の自転車ゾーンを自転車に乗って、いつものようにゆっくりと走っていた。前方には、犬を連れて歩いてくる人がいた。そして、その後ろから、その犬を連れた人を追い越そうとしていた人がいたが、なかなか追い越せない。飼い主は右を歩いているが、鎖が長くて犬の方は左側を歩いているのである。そういう無神経な人が犬の散歩をしていると、危なかしくて見ていられないし、そう言う人が意外と多いので辟易する。その人は、後ろにいる人に気付いて犬を引き寄せて通したが、前方から自転車に乗ってきた私に気付くことなく、また鎖を伸ばして私の行く手を塞いでしまった。
 大型犬を連れている人は、鎖を短く持ったり、擦れ違うときには立ち止まったりとマナーがいい人が多い。しかし、中型犬や小型犬の飼い主は、鎖の長さいっぱいに犬の好き放題に歩かせて、歩行者や自転車の邪魔をしていることを意に介していない人が多い。中には、ルール違反と思われるリール式の鎖を歩道で目いっぱい長くして犬と散歩している人がいるので、邪魔臭くてどうしようもないときがある。
 人間社会で一緒に暮らそうとするならば、しっかりと飼い主とともに犬にも最低限のマナーを身に着けさせなくてはならない。長い鎖の3匹の小型犬が歩道いっぱいにじゃれあっている。"そこ、通してくれない!"


2009年6月26日  森みつぐ

 昨日、今年の最高気温となる31℃を超えた札幌の奥座敷定山渓へ歩きに行ってきた。林道に入り、早速、網とカメラをバッグから取り出していると、カーブした林道の先で大きなミスジチョウのようなチョウがゆっくりと羽搏くのがチラッと見えた。準備を終え、"さっきのは何だろう?"と思い歩き始めると、ひらりひらりと札幌にはいないはずのアサギマダラが翔び上がった。
 渡りで有名なアサギマダラは、北海道でも晩夏や初秋、台風や強風の後、見つかる迷チョウである。ところが今は、まだ6月である。温暖化の影響もあり、アサギマダラの北上も、北海道に達していても不思議なことではない。幼虫の食草となるガガイモもあるので、北海道で育ったアサギマダラの成虫が秋に、南へと回帰することも可能であろう。
 今回、見つけたアサギマダラはオスであった。もしもに備えて、近くでアサギマダラの食草となる野草を探しておかなくてはならない。あと10年もしたら、アサギマダラは、札幌ではごく普通のチョウになっているかも知れない。


2009年7月2日  森みつぐ

 新型インフルエンザの新聞記事(読売)で、「リスクを過大評価しがちな国民に対し政府は「これだけ万全にやっています」と、最もアピールしやすい施策を打つ。専門家たちも、やりすぎとわかっていながら、異を唱えない。対策の硬直化を招いた背景に、そんな構図があったのではないか。東海教授は「ゼロリスクはあり得ないことを国民に理解してもらいつつ、もっと上手に専門家の情報を伝えてゆくべきだった」と・・・。
 その記事には、人口10万人当たりの死亡者数(人)の表が載っていた。トップに、「がん261.0」「心臓病137.2」・・・「新型インフルエンザ39.1(国民の4分の1が感染し、死亡率が0.15%の弱毒性だった場合)」「自殺23.7」「交通事故7.2」・・・「殺人0.5」。そして、「本来取るべき行動は、そのリスクが許容できるレベルかどうかを判断し、防衛策などを講じたことで生じる、経済的・社会的損失と比較考慮することだ。ごく小さな危険にも大騒ぎするのは、賢明とは言えない」・・・。
 確かに日本人は、危険に対して過剰反応を示す。そのリスクが許容できるかどうかは、単純に経済的・社会的損失で計れるものではない。自殺・交通事故・殺人は、新型インフルエンザなどの病気と同レベルでリスク評価されるものではないだろう。特に、交通事故は、凶器となる銃刀と同じである車にて、お互いに殺傷し合うという重大事件であり、マイカーの使用規制による経済的・社会的損失は非常に大きいとは言え、人の命と引き換えに利益を得ようとすること自体、私には、到底正気の沙汰とは思えないのである。

Copyright (C) 2009 森みつぐ    /// 更新:2009年7月5日 ///