夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 気ままにひと言 |
4.1.2.8−30 気ままにひと言 |
2011年3月31日 森みつぐ 殆んど全ての人たちが電気の恩恵を受けて生きてきた。私たちは、空気のように無意識に呼吸するが如く、電気も存在することが当たり前のように利用してきた。昨今、地球温暖化防止対策として、太陽光や風力などの自然エネルギー利用の拡大が推進されてきている。そして、一方では、温室効果ガスの発生が少ない原子力発電に熱い視線が注がれていた。
今回、大地震による激しい揺れとその後の大津波により海岸に立地する原子力発電所の設備は、大きな被害を受け、制御不能な状態となった。それから20日経った今でも、制御不能から抜け出していない。今回の地震は想定外だと言うが、想定外の有事のとき、どのような事態に陥るかと言う想定は、放射能と言う特殊で危険な物を扱う業者の責任で行われているのが当然であろう。
今後、原子力発電について撤廃を含めて、大いに議論されるべきである。代替の電力供給方法、そして私たち一人ひとりの電気に頼りきった生活様式についても見直しを含めて、もう一度、考え直さなくてはならないだろう。安全、安心、クリーンな電気を得るには、今まで通りの生活とはいかないと思われる。
2011年4月7日 森みつぐ 3月11日、すっかり時計が止まってしまった。ダイナミックに季節がめくるめくときなのに、テレビからは桜の開花便りが聞こえて来ないし、モンシロチョウの初見便りも聞こえて来ない。そろそろ震災地にも、春の便りを届けたいものである。
先日。ジョギングをしていたら車道から走行する車に煽られて一匹のチョウが私の頭上を越えて行った。翅の表面は、美しい蛇の目模様なのだが、残念ながら黒っぽい翅裏のみをこちらに向けて翔んで行くクジャクチョウだった。あと、目に付くのは、これからが繁殖シーズンとなる番いのカラスたちをあちこちで見かけるのであった。
今週、一気に残雪が融け、各民家の庭々から雪が消えてきた。まもなくクロッカスの花が、顔を出し始めることだろう。花の季節である。これから被災地にも、多くの花が咲くことだろう。春は、必ず訪れるし、どんなところにも、必ず訪れる。それを、待つしかない。
2011年4月14日 森みつぐ 町を大津波から守るには、高台に移設するほかないと私は思っていた。今日、テレビでも、町全体を高台に移住させる計画が示されていた。沿岸部の集落は、平地が少なく、すぐ山が迫って来ていることだろう。必要な高台は、山を切り崩して造成することになるのである。
私は、山を切り崩すことには、非常に大きな抵抗を感じている。山を切り崩すということは、木々を切り倒して多くの生き物たちの生活の場を奪い取ってしまうからである。私にとっては、とても辛いことだが、それしか方法がないなら、山を平らな高台にすることも止むを得ないことかも知れない。沿岸部の町では、津波対策は、必要不可欠なことである。日本は科学の発展した近代に入って、大地震と大津波を経験した。このことを今後に活かしていくことが要求されるのである。
しかし海沿いの都市では、どうしたらいいのだろうか。高台も山もないところでは、どうしたらいいのだろうか。20mを超える防波堤?東北、関東、東海、四国と巨大防波堤を建設?
2011年4月28日 森みつぐ 一年以上前からホームページ(夢惑う世界・昆虫たち)の一部を作り直そうと思っていたのだが、なかなか進んでいなかった。その一つの要因に、昆虫画像が初期の画質の悪いのが残っていて、まずはこれを解決するのが先だと思っていたので遅れてしまった。しかし、この冬にやっと悪い画質の昆虫たち(トンボは残っている)の再撮影を終えたのである。
大きな変更点は、登録した昆虫たちが多くなってきたことに起因する。現在、日本と世界の昆虫たちが混在して表示しているのを、変更後は、@世界(含日本)とA日本のみの二つに区分することである。そして、同じグループと思われる種毎に、まとめて表示することである。日本のチョウとトンボなどは、属毎にまとめて表示できるが、それ以外の昆虫は、大きく括って表示することになると思う。日本の昆虫たちでさえチョウやトンボ以外の分類は難しく、まして世界の昆虫たちについては、私の持っている数少ない資料では、分類そのものが困難なので、大雑把に括って表示するしかないのである。そして、多くの分類間違いや同定間違いも必ずあることを、ご承知おき願いたい。
多分、秋以降に少しずつ更新(一括での更新は無理であるため)してゆければいいなと思いながら、今、まだ案を練っている最中である。そして、トンボたちのは、最後の更新になる。年末から残っている悪い画質のトンボたちの再撮影をしてからになるので、全てを更新し終わるまで一年はかかりそうだ。焦らずのんびり進めてゆくので、それまで楽しみにしていて下さい。
2011年5月5日 森みつぐ 今日は、こどもの日である。昼前からやっと青空が広がってきたが、ひんやりした外気は、相変わらずである。4月中に、いつもの林道を歩きたかったのだが、気温が低く天候不順だったので、結局行くこともなくデスクワークに励んでいた。
それでも花々は、咲き始めて来ている。原っぱには、タンポポ、ウツボグサやハコベの仲間が咲き、庭々には、エゾムラサキツツジ、レンギョウ、ムスカリやスイセンの花が開いてきた。そしてエゾヤマザクラのピンクの蕾もすっかり膨らみ、開く機会を窺っているようだが、10℃位の気温では、まだ開くことが出来ない。
今年は、まだ初蝶をは見ていないし、ハエやアブも、まだである。既に、山の陽だまりでは、フキノトウやエゾエンゴサクの花にハエ、アブやハナバチが訪れていることだろう。デスクワークだけでも精一杯だが、これからは、アウトドアのシーズンである。もうすぐ遅い春がやって来る。
2011年5月19日 森みつぐ 今回の昆虫採集は、舟形屋根の家屋が有名なインドネシア・スラウェシ島のトラジャ地方に行ってきた。前回行ってからもう19年が経ったので、どうなっているのか楽しみにしていた。南スラウェシ州の州都マカッサル(ウジュンパンダン)の空港は、近代的な空港となり、昔の鄙びた建屋の面影は、全く消え失せていた。トラジャ地方の中心地ランテ・パオに向かう夜行バスも快適になっていることは確かであった。
ランテ・パオのすっかり良くなっていた安宿にチェックインしてすぐに、目的の採集地に向かうミニバスを探した。中心街もすっかり様変わりして、大きく成長している。村から町への変貌である。目的地に向かうミニバスらしき車に乗り込むとすぐ走り出したのだが、行き先は、郊外のバスターミナルだった。“あれっ!”と思ったら、そこで目的地に向かうミニバスが客寄せをしていた。客が満杯になると出発するのである。運よく最後の一人だったらしく私を乗せると、間もなく走り出した。
峠を越えて1時間、19年振りの目的地である。ただ、食堂が一軒あるだけだった村が、すっかり家屋が多くなり店や食堂も数件建ち並んでいた。私が車から降りると周囲の人が、“クプクプ!(チョウチョウ)”と言っている。また、“チョウを買わないか?”と声を掛けてくる人もいる。すっかりここは、昆虫採集基地になってしまったようだ。最後の日、採集を終えてランテ・パオへ戻る車の中から、道路沿いに、長い竿の捕虫網を持った地元の人たちが陣取っていたのを見たのである。
2011年5月25日 森みつぐ 今回のインドネシア旅行は、スラウェシ島がメインだったのだが、帰国日の一日前にバリ島に戻ってきた。最終日、真夜中のフライトまでには、十二分に時間があったので、18年前に行ったことのあるバリ島北部のブドゥグルに昆虫採集に行くことにした。
ブドゥグルは、高原地帯にブラタン湖などの湖が点在する景勝地である。私の泊まった空港近くから車で2時間ほど掛かるところにある。目的地までの道程は、以前に比べて、車の台数は増え、道路沿いの民家も断然多くなっている。坂を上り詰めるとブラタン湖と高原が広がっていた。以前は、このブラタン湖と湖畔ホテル、寺院が点在し、民家も多くはなかった。ところが今は、ホテルは増え、民家もレストランもびっしりと建っていた。
ゴルフ場の裏手に広がる森林を目指した。以前は、ゴルフ場の中を突っ切って柵を越えて森林へと入って行ったことを思い出す。今は、ゴルフ場に入るには、ゲートをくぐって入る他ない。今回は、ゲートで許可を得てから森林に入ったのだが、どんどん環境は変化し続けているようだ。
2011年6月3日 森みつぐ バリ島の空港を出たときには、既に24時を廻っていた。3年前に泊まったホテルの名刺を持ってタクシーに乗った。ホテルに入ったがフロントには人はいない。そのうちに出てくるだろうと思って椅子に腰掛けて待つが1時間経っても誰も出て来ない。1時間半近く経って、やっと車が停車して、3名入ってきた。そして、“ここは閉じた!”とのことである。
この辺りには、安宿がなくなってしまったようだったので、今この近くで最も安い宿を紹介してもらって車で送ってもらった。翌朝、食事後、泊まったホテルの前に旅行社があったので、スラウェシ島への往復航空券を買った。ガルーダ・インドネシア航空とライオン航空の2社が運行していたが、ガルーダ・インドネシア航空はライオン航空の倍近い値段だった。ただ、ライオン航空は、機内サービスは全くない。
夕方、バリ島を発った飛行機は、スラウェシ島のウジュンパンダンに着いた。20時発のトラジャ行きのバスに乗るためバスターミナルへとタクシーを走らせた。タクシーは、バスターミナルまで行かないで、その手前で止まった。“ここにバスが来るから待っていればいい!”と言う。バスターミナルを出発したバスが夜食を仕入れるために立ち寄るパン屋であった。次から次へと来るバスの中の一つに飛び乗った。
2011年6月9日 森みつぐ 民主党政権に変わってから、まもなく2年になろうとしている。その間にも引き続き起きている民主党内の内紛は、明らかに国民の民主党離れを加速させている。そして、大地震や原発事故への不適切な対応がそれに輪を掛けて民主党から国民が離れてきている。
私は、民主党に最低でも4年間は日本の政治を任せてみるつもりでいた。その間に、小沢氏の率いるグループをどう民主党に融合させることが出来るかが成功の鍵を握ると思っていた。しかし、相も変わらず内紛は続いている。それでも気の長い私としては、あと2年余りの間は、じっと見てゆくつもりであるが。
民主党が内部分裂したら、もうその時点で二大政党は終わりを告げ、また自民党の時代がやってくることだろう。民主党と自民党がともに分裂して、政界大編成が起きれば、それはそれでまた新しい展開となることだろう。今の日本には、政治の安定こそが求められているのだが。
2011年6月17日 森みつぐ 昨日、いつもの定山渓の林道を歩いてきた。歩き出しは、まだひんやりした空気の中を薄いジャンパーを着込んでいたのだが、賑やかに啼くエゾハルゼミの声を聴きながら歩いていたら、まもなくぽっかぽかになってきたのでジャンパーを脱いだ。木陰になった道を歩いていると黒っぽいチョウと擦れ違った。
まもなく、また水が流れている林道に差し掛かった。青黒く輝いているミヤマカラスアゲハに混じって翔んでいたのは、黒いオナガアゲハであった。その後も林道上で吸水しているオナガアゲハを札幌では、初めてカメラに収めることが出来た。今日、一日歩いて6〜7匹もオナガアゲハを見た。これまでの4年間でオナガアゲハを見たのは、雄2匹のみだったのだが。
昨年の暑い夏のせいだろうか。札幌からすると、オナガアゲハは、暖かい地方の昆虫である。昨年の暑い夏がオナガアゲハの幼虫を元気づけたかも知れない。逆に、暑過ぎて災いを被った昆虫たちもいたことだろう。今回、札幌に来てから初めて雌のオナガアゲハを一匹採ることができた。
2011年6月30日 森みつぐ 「総務省は29日、2010年国勢調査の抽出速報集計を発表した。一人暮らし世帯の割合は初めて3割を超え、家族類型別の調査でトップになった。日本の総人口に占める老年人口(65歳以上)の割合は23.1%(05年度比2.9%ポイント増)と、2回連続で世界最高だった。」(読売新聞より抜粋)
昨年度の国勢調査の抽出速報集計結果である総人口が頭打ちとなる中で老年人口は23.1%に増加し、15歳未満の年少人口は13.2%に減少した。少子高齢化社会へと急激に邁進していることが明白になっている。これから始まる人口減少社会においては、更なる少子高齢化に拍車が掛かることだろう。今まで通りの社会制度では、何れは立ち行かなくなるのは確かである。
もう一つ大きな問題点は、一人暮らし世帯の割合が3割を超えたことである。孤独死、無縁社会、少子化、人口減少へとつながって行く一人暮らし世帯の増加は、将来に亘って暗いイメージの社会を連想させるのである。
2011年7月7日 森みつぐ 余りにも、お粗末な辞任劇だった。問題になった場面のテレビを見ていて、大臣の発言とは思えないほど低俗で威圧的な言動だった。何故、あのような発言をしたのか不思議であるが、もともとないものは出せないのだから、地が出たのであろう。その程度の人間だったということである。
かなり遅れた感が否めないが大震災復興のために新設された復興相だったのに、その大震災の被災地にて、暴言を発した責任は非常に重い。大震災から既に4ヶ月が経とうとしているが、瓦礫と化した被災地は未だに、復興の槌音が弱々しい。復興相の使命は、とてつもなく重いはずなのに、恥ずかしい限りである。
一刻も早い復興が求められている。先が見える復興をしなければ被災者たちは、安心して避難生活を送ることが出来ないだろう。政治の安定と謙虚で誠実な政治姿勢が求められる。
2011年7月13日 森みつぐ 最近の夏の暑さは、尋常ではない。特に、35℃を超える猛暑日が続く本州以南では、正に命懸けである。毎日、熱中症で亡くなる人が数多くいる。今年は暑さに輪をかけ、原子力発電の停止による電力不足が熱中症に拍車を掛けているのである。その中、今年の梅雨は、2週間も早く明けてしまった。
私が静岡県沼津市に住んでいたとき、真夏でもエアコンを使ったことはなかった。エアコンは設置されていたのだが、冷やされることが好きでなかったので扇風機だけで過ごしていたのである。水分不足になってゆくと、偏頭痛に襲われる。水分を余り摂らずに汗を流していると、このような状態に陥ることが多い。私は、偏頭痛に襲われたときは、水分不足が原因と考え、水分を摂るように心掛けていた。
ただ最近の暑さは、閉め切った部屋でエアコンなしで過ごすのは、到底厳しい状況である。我慢せず適度にエアコンを利用して、暑さに対するストレスを抑える必要がある。この暑さは、これからも毎年のように繰り返されるのであろうか。
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