夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 気ままにひと言
夢惑う世界4.1.2.8−39 気ままにひと言

2014年8月6日  森みつぐ

 「農林水産省が5日発表した2013年度のカロリーベースの食料自給率は39%で、4年連続の横ばいだった。…(省略)…食料自給率は国内消費のうち、どの程度を国産の農水産物で賄っているかを示す指標。カロリーを基に計算する場合、輸入肥料で育てられた牛や豚などの畜産物は国産には含まれない。…(省略)…政府はこれを20年までに50%に引き上げる目標を掲げている。(読売新聞より)」
 食料自給率50%の目標を掲げているが、ずっと40%に達していない状態が続いている。そもそも食料自給率を上げるためにどうするか、その施策が全く見えて来ない。まして今は、TPPなどで、輸入食料がますます増えるのではないかと危惧している。
 毎日、食するお米などの主要な食糧に関して100%の自給率が求められる。嗜好品となる食料は、関税を撤廃して自由に輸出入させればいい。輸入に頼っていると、各国の政治状況や天候異変で、主要な食糧が輸入ストップになるというリスクは、当然あり得ることだ。


2014年8月13日  森みつぐ

 今年に夏は、当初、エル・ニーニョ発生で冷夏になると予想されていたが、夏直前に、今夏は平年より暑くなると予報は修正された。5月後半から6月にかけて大陸からの熱気団も加わって暑い日が続いたので、その時は、今年の夏はどうなるかと心配したものである。
 確かに今年の夏は、平年より暑い日が多いように感じるが、しかし暑くなって来たと思うと、大陸から寒気団が入って来て、暑さはリセットされてしまうのである。そんなことが6月からずっと続いてきた。そして7月後半から30℃を超える日が続いて、とうとう札幌も夏が来たと思ったが、一週間続いた30℃以上の日も、その後の前線や台風の影響による長雨のために、また暑さはリセットされた。
 この夏は、太平洋高気圧の影響をほとんど受けず、オホーツク海高気圧が張り出したり、既に、大陸から移動性高気圧が発生して、今がピークの暑さを和らげているようだ。まだ夏は終わっていないが、この夏はこの数年の暑い夏に比べて、北海道の平年通りの夏のようである。結局、短パンを穿いて扇風機を回し続けたのは3日間ぐらいであった。


2014年8月27日  森みつぐ

 今日、一か月振りに定山渓に行ってきた。シーズン中に一か月も、昆虫採集に行かなかったことは、札幌に戻って来てから初めてのことである。原因は、天候不順であるが、一か月間毎日、天気が悪かった訳ではなく、天気が良くても私の方の都合で行けないことも重なってしまった結果である。
 まだ定山渓ではセミが啼いているかなと思っていたら、全く啼き聲は、途絶えていた。今年は、結局、ミンミンゼミとエゾチッチゼミの聲を聴くことは出来なかった。久し振りに今日は、晴れてくれるかなと思っていたのだが、晴れているよりも曇っている時間が長く、ひんやりした一日だった。
 紅葉は、まだなのだが、もうすっかり秋へと移行していた。雨が長く続いていたせいか、ところどころで崖が崩れていた。今日は、日が射さなかったためか、翔んでいるのはスジグロシロチョウぐらいで、ときどきベニヒカゲやミドリヒョウモンを見かける程度であった。奥深くまで生息域を広げているオオアワダチソウの黄色い花には、スジグロシロチョウやハチ、アブが訪れて賑わっていた。今シーズンも、もう終わりみたいである。


2014年9月3日  森みつぐ

 先週、うすら寒い中、定山渓の林道を歩いて、やはり日射しも少なかったためか、セミの聲は聞こえて来なかった。それから一週間、雨もなく気温も25℃を超える暖かい日が続いたので、昨日は、別の林道を歩いてきた。日射しがたっぷりの一日だった。
 林道を歩いて聞こえてくるのは、カンタンの美しい旋律だけである。もううるさくまとわりついてくるゴマフアブなどはいない。ほんの僅かだけ、鬱陶しいメマトイが目の前を飛び交っているだけで、すっかり秋を感じた。先週は見かけなかったオニヤンマが林道上を飛んでいるのを何匹も見かけた。やはり先週は、ちょっと気温が低すぎたかも知れない。
 “やっぱりセミはいなくなったかな?”と思いながら、午後になって引き返し点に近付いてきたとき、セミらしき音が聞こえたように感じた。足を止めてじっとしていると、ミンミンゼミが一匹啼き出した。また去年よりも生息域を広げたみたいである。何とか雨や寒さに耐えて生きていたようだ。林道の入り口付近では、アブラゼミが一匹啼いていた。やはり、森林には、セミの聲が良く似合う。


2014年9月10日  森みつぐ

 「女性の活用」を目指す安倍自民党内閣は、5人の女性閣僚を登用した。女性の社会進出を促すのを目的としているが、ただ今回の人事は、単なるパフフォーマンスにしか見えて来ない。障害者の人、高齢者の人にも、生活しやすくするバリア・フリーという考え方があるが、労働においても、女性が働きやすいバリア・フリーのシステムを構築する必要がある。
 男性社会の中に入って残業も厭わないでバリバリ働く、女性の仮面を被っただけの男勝りの女性を採用したところで、組織の労働環境は、全く変わりはしない。それどころか、結局、男性労働者と何もかも同じように働かなくては、女性も労働力として認められないという男性優先社会は、変わらないのである。
 そのような今までのシステムを全面的に見直していかない限り、女性にとって働きやすい労働環境には、全くほど遠いと思われる。企業にも女性の管理職が徐々に増えているのだろうが、それは男性並みに働く女性が増えてきているだけで、働きやすい労働環境が整ってきているわけではないだろう。労働のバリア・フリーというシステムをどう構築してゆくか、それが問題である。


2014年9月24日  森みつぐ

 敬老の日の前の記事である。「「敬老の日」を前に、厚生労働省は12日、100歳以上の高齢者は5万8820人(15日時点)で、前年同期に比べて4423人増え、44年連続で過去最多を更新すると発表した。このうち女性は5万1234人で、初めて5万人を超えた。(読売新聞より)」
 少子高齢化、人口減少社会など言われているが、この数字は大したものである。100歳以上の9割近くを女性が占めているので、男性陣にとっては、なかなか厳しい数字である。私も100歳まで生きると思えば、まだ40年もあることになる。もっともっと人生を楽しめることになるが、健康であり続けなければ楽しみも半減してしまうので、やはり今の生活が大切ということになる。
 まだまだ高齢者が増えてゆくのである。高齢者が輝いて生きてゆける社会を創らない限り日本の明日はないと肝に銘じなくてはならないだろう。そのためには経済一辺倒の幸福感を見直して、高齢者が生き生きと輝くことができる社会を創ることができるかどうかに、明日の日本はかかっているだろう。


2014年10月1日  森みつぐ

 登山ブームが続く中、多くの登山者で賑わっていた御嶽山の山頂付近で噴火した。日本は、火山列島である。自分が登っている山が活火山であることを自覚して登っていた登山者は、どれだけいたのだろうか。最近は、地震、台風、竜巻などの自然災害には敏感になっていたが、登山ブームで火山に対する警戒心は薄れていたのではないだろうか。
 私は昆虫採集をしているので、緑豊かな山には登りたいのだが、標高の高い山の上の方は保護区域のなっているところがほとんどだし、また登山ブームで観光地みたいに人がいっぱいいるので、そういうところには行かないようにしている。ただ、火山を観光としているところに行くことは確かである。
 今回の噴火で御嶽山の山頂付近をテレビで見ているが、3000m級の頂上付近にあれほど多くの山小屋が建っていて、そして何百人という登山者がいたなんて信じられないほどのことであった。もう一度、日本は火山列島であることを思い出さなくてはならないだろう。


2014年10月8日  森みつぐ

 御嶽山噴火から10日経つが、未だに行方不明者の捜索が続いている。火山灰が降り積もったところで雨にぬかるみ、寒さも重なり、かつ3000mという薄い空気の山頂での捜索の困難さは、半端なことではないだろう。毎日のように朝登っては捜索し、夕方前に下ってくる。頭が下がる思いである。
 日本の豊かな自然の恩恵を授かって、多くの人たちが生活を送っている。火山があり、地震があるから日本の国土は存在している。梅雨や台風のもたらす大量の雨のお蔭で、五穀豊穣の国土が存在している。どんどん生活が便利になって、未踏の奥地が少なくなり3000m級の山でも日帰りができてしまう時代になってしまった。
 海もそう、山もそう、いつも危険と隣り合わせであることをすっかり忘れてしまっている。そこは、いつも自宅の延長でしかないと思って行動している人がなんと多いことだろうか。日本人は、もっと自然の厳しさを知っていたはずなのだが。御嶽山では、今日も救助隊が3000mの山で不明者の捜索活動を続けている。全員見つかって欲しいものである。


2014年10月22日  森みつぐ

 会社を辞めてから、すでに8年半になる。毎日、虫三昧の日々であるが、まだまだ作業は終わらない。飽きずにやっていられるのも、趣味所以であろうか。朝から晩まで起きている間中、虫に関することを行っているなんて、会社勤めの時には考えられないことだった。こんな人間も少しはいてもいいだろうと思っている。
 標本の撮影は今春ほぼ終わり、今はその画像処理をしながら、名前を調べている。名前を同定するに当たって、裏側や局部の写真を欲しいときには、冬の乾燥時にまとめて撮影することになる。画像処理をして満足できなかった写真も、また撮影し直したりもする。来月には、そんな標本の再撮影もすることになるだろう。
 それに加え、来月からは体長などのデータ収集やラベル整理もするので、実際の標本を見ながら、再度、名前の確認もすることになる。そこでまた新しく写真を撮る標本も、多分出てくるだろう。新しい知識を得るたびに名前を確認してゆく必要があるので、終わりはない。最近は、ほんの少しずつだが、採集旅行の日記をパソコンに打ち込み始めている。一生、虫三昧の日々は続くのだろう。


2014年10月29日  森みつぐ

 私はマンションの4階に住んでいるが、しっかりコバエはやって来る。ただ敷地の向こうには笹が茂っているのだが、今まで蚊には一度も刺されたことはない。4階だからという理由ではなくて、多分、この辺りには蚊が少ないのかも知れないと思っている。ベランダには色んな虫がやって来るので、それなりに自然豊かな札幌郊外だろう。
 今年、コバエ(キイロショウジョウバエ)の室内での初見日は8月20日で、終見日は10月20日だった。ちょうど2ヶ月間の発生期間だった。去年は、今年と比べて半月早く出現し、半月以上も遅くまで我が物顔で居座っていた。去年は暖かかったが、今年は、平年並みの気温で雨も多かったせいだろうか。
 毎週、日曜日に洗濯するので、ベランダに干すときに部屋に入り込んで来るものと思われ、毎週、10匹くらいは退治していた。ところが、今年は、その数も少なかった。気温だけではなく、やはり雨が多かったせいだろうか。私は、生ゴミの容器には、捕虫網を被せて、コバエが入り込まないようにしているが、初雪も降ったことだし、もうそろそろ取っても良さそうである。


2014年11月16日  森みつぐ

 突然、年内の衆院解散・総選挙が浮上してきて、テレビや新聞が取り上げている。前回の衆院選から2年、まだ任期が半分残っているこの時期に何故、解散しなくてはならないのだろうか。首相が明言したわけではないので、まだ確かなことではないと思うが、火のない所に煙は立たぬという。
 もし、そうだとしたらあまりにも唐突であろう。政治とは、誰のために行われるのだろうか。政党の都合だけで、解散・総選挙はあってはならないことだ。本来は、責任を持って任期を全うするのが義務である。それを、国民を無視して政党の都合を優先することは許されないことである。
 国民不在の政治を続ける限り、政治不信は限りなく続くことになるだろう。自民党に有利な時に解散・総選挙をして勝利し、さらに4年間、与党に居座ろうとするとしたならば、余りにも国民不在の政治としか言いようがない。さて、どうなることやら。


2014年11月26日  森みつぐ

 私は、昆虫採集が趣味である。そして今は、それがライフ・ワークになってしまった。四六時中、虫さんの作業をしている。40代までは、ここまでどっぷり浸かってしまうとは思っていなかったが、やはりパソコンの普及が大きかったようである。そして、デジカメの普及も大きかった。
 私は視力が良くないので、小さな虫さんたちをルーペで見つめていても限界がある。しかし、デジカメのマクロ撮影で、素人の私でも、それなりに拡大して観察することができる。私には、非常に助かるデジタル技術であった。そのお蔭で、時間が全く足りなくなってしまった。本来、私は歩き回っているのが好きなのだが、デスクワークに重点を置かないと昆虫の整理が終わる目途が立たなくなっている。今まで、いっぱい歩き回って、いっぱい採集したからなのだが。
 私の昆虫採集の対象は、チョウだけではない。会社勤めの時は、限られた時間しかなかったので、主にチョウとトンボを採集していた。しかし会社を辞めてからは、徐々に幅を広げてきて今は、殆どの昆虫が採集対象となっている。虫さんなら何でも好きなので、何でも採集してしまう。そしてその整理に苦労している。こんな人間も、いてもいいだろう。


2014年12月3日  森みつぐ

 昨日、衆院選が公示された。自民党が政権を奪回してから円安は一気に進み、株高に拍車がかかっている。景気は、回復基調にあるという。与党は安倍首相の経済政策を評価し、今後も、この経済政策を続けようとしている。
 経済政策アベノミクスによって潤っているのは、東京を中心とした都市部と大企業など勝ち組と云われる人たちであって、地方や中小企業は、その恩恵には授かっていない。与党は、更なる経済政策を実行することによって、その恩恵は地方や低所得層の人たちにも及んでゆくという。ところで一昔前、中国は「富める者から先に豊かさを手に入れよ」と経済発展を続けてきた。確かに経済が発展し豊かになったが、国内の貧富の格差は拡大し、固定化してしまったようである。
 これが、グローバル経済の宿命であろう。賃金格差があってこそのグローバル経済、低賃金労働者がいてのグローバル経済なのである。グローバル経済は、弱者のそういう大きな犠牲の上にしか成り立たない。もう右肩上がりの経済成長に幻想を抱かないで、低成長もしくは現状維持の中でも、豊かさを実感できる生き方を模索するときが来ていると私は思っている。

Copyright (C) 2014 森みつぐ    /// 更新:2014年12月7日 ///