夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 気ままにひと言
夢惑う世界4.1.2.8−4 気ままにひと言

2001年11月3日  森みつぐ

 もう、数年前から終の住処について考えている。老後に備えて、居心地のいい場所探しでもある。
 夏、このことについて考えると涼しい札幌にしようと言う結論に至るのだが、秋以降考えると暖かい沼津周辺にしようなんて言う結論に達する。どうしようもない性格である。

 私が希望する終の住処の基本となる条件は、次の通りである。
(1)歩いてゆける範囲に、緑の自然があること(狭くてもいい)。
(2)ジョギングができること。降雪地帯ならば、冬、歩くスキーができること。
(3)駅、またはバス停が遠くないこと。

 忙しく生きるつもりもないので、のんびり歩ける場所が近くにあるのがいい。移りゆく四季を肌で感じ、小鳥の囀りや虫の音を聴き入る場所が欲しい。そして、昆虫の整理とそのデータベースの整理を行い、情報として発信する。
 4〜5年以内には、終の住処を見つけて、最後の引っ越しをする計画ではいるが、さてどうなることやら。思うようにならないのが、これまた人生である。


2001年11月4日  森みつぐ

 昆虫採集のデータを今、入力している。現時点で入力しなくてはならない点数(採集数)は、約2万5千点に及ぶ。約1割を入力したものの、まだ不完全なデータなので、今後、空欄を埋めてゆかねばならない。4〜5年掛けて根気よく進めてゆかねばならない作業である。
 30年前のデータを一つずつ入力していて、最近採ったのも一緒だが思い出す虫さんもいれば、すっかり忘れてしまった虫さんもいる。30年前でも鮮やかに思い出す虫さんは、印象深い出会いがあったように思う。ノートに書かれたデータだけで、その虫さんが映像となって蘇る。“ああ!あいつだ!”それと正反対に全く思い出せない虫さんもいる。“これって何!こんなの採ったっけ!”当然、思い出せない虫さんや風景が多いのだが、ときたま、“あのとき、こんな事があったな”と思い出しながら虫さんのデータを打ち込んでいる。
 「ちょっとひと言」の中に「想い出の昆虫記」があるが、データベースを作りながら思い出した記憶を書き綴っている。私は、以前は写真を撮ってなかった。採集した虫さん一匹一匹に想い出をしっかりと心に焼き付けることにしていたからである。カメラのファインダを通して見ていると、そればかりに気を取られてしまい、それを包み込む風景が見落としてしまうかも知れないためである。その考えは、今も変わらないが、10年ほど前から積極的ではないが、情報を発信する立場で考えると映像は、何にも増して雄弁な語り部となると思い少しずつ撮ることを習慣づけてきた。でも、まだ身に付いていないように感じる。その写真を見ることによって、虫さんの思い出がくっきりすることは、やはり嬉しいことである。。
 データベースに書き込むデータは、増える一方であるが少しずつ充実してゆく楽しみもある。虫さんの画像を蓄積するのが、また大変であるのだが。折角パソコンを利用してデータベースを作るのだから、それをどう有効活用してゆくかをこれからのんびりと考えてゆくつもりだ。


2002年10月5日  森みつぐ

 数年前から今年の暮れから正月にかけては、西アフリカのコート・ジボアールに行こうと計画していた。
 しかしながら、アフリカの国々の多くがビザ取得の条件がなかなか厳しく難しい。その一つに、勤務する会社の推薦状がいると言うことである。そもそも私は、個人的な目的で旅行している。まして休む期間は、会社のカレンダーよりも長い。会社の助けを借りてまでして、旅行をしようとは思っていないので、そう言う国は諦めざるを得ない。残念ながら、コート・ジボアールもそんな国だった。
 ところが、9月に入って、そのコートジボアールでクーデターが起きた。今回、コート・ジボアールにいた外国人たちは、短い停戦の間に避難することができたので良かったが、常にそうとは限らない。私は、まだ幸か不幸かそんな憂き目にあったことはない。アフリカの政情は、まだまだ不安定である。その原因の多くは、貧困から来るものだろう。
 アフリカに住む人々の心は、まだ金欲と物欲に支配された社会でないが故に、人々の心も刺々しくない。そんなアフリカに、今年は行けない。非常に残念である。


2002年12月15日  森みつぐ

 年間個人破産が、150万件に及ぶ。と言っても、この数字は日本のデータではなくアメリカのデータである。因みに日本では、16万件である。
 アメリカの人口は、日本のざっと2倍である。日本の個人破産16万件も、私にとっては驚くべき数字であるのに、150万件とは何ともアメリカらしい数字であることか。分相応の生活をわきまえることなく、物質至上主義を貫いた結果である。
 アメリカ人は、貯蓄することよりも消費することを美徳とするみたいである。資本主義経済は、消費すればするほど成長する。消費することよりも貯蓄することを美徳としてきた日本人には、余り向いていないシステムのように思える。物に絶対的価値をおいて消費を加速させ、経済が順調だなんて言う一元的な物の捉え方には、私は納得できない。人は、必要最低限の消費でも、充分満足できる安らかな心を得ることができるはずである。
 ところが最近、政府自ら経済を活性化させるために、国民にお金を使え、消費しろと言う。アメリカ人みたいに消費癖をつけろと言うのである。全てアメリカがお手本である。まもなく日本も個人破産が、100万件に及ぶ時代が訪れるかも知れない。


2003年1月4日  森みつぐ

 今年の正月は、チリ南部パタゴニアの入口プエルト・モンで迎えた。朝まだ寒い中、朝食も摂らず次の町バルディビアに向けてバスの乗った。そう言えば昨夜寝ているとき、何時までも花火の音が響いていたことを微かに覚えている。
 2時過ぎ、今年初めての昆虫採集が始まった。チョウが非常に少ないところだが、一匹南米南部に生息するミヤマモンシロチョウを掴まえた。20〜30m先が川となっている丘の斜面の草地ある。プエルト・モンを出るときには空はどんよりと雲に覆われていたので、“チリに来て初めての雨かな?”と思いながらバスの揺られていた。しかしバルディビアに近付くにつれて少しずつ晴れ間が広がってきた。そして今は、快晴である。寒かった朝に比べると心地好い風が吹く、清々しい暖かさである。
 毎年いろんな国で採集してきた。最初の頃は、昆虫がいっぱいいそうな国から始まったので、チョウは年に300種くらい増えていた。しかし今は、昆虫が余り採れそうもない場所も歩き回っているので、去年は50種類を少し超える程度ではないだろうか。でも昆虫が少なくても歩きたい国は、まだまだある。さて今年は、この地球の何処を歩いているのだろうか。


2002年12月30日  森みつぐ

 わざわざチリのアタカマ砂漠にある町まで行って、昆虫採集をしてきた。物好きにも程があるのだが、一度は歩いてみたかった砂漠である。チリの中部と南部には必ず行くつもりだったのだが、日程上北部にも立ち寄れそうだったので行ってきた。
 何で砂漠に町があるかと言えば、鉱山とその積出港で賑わったところだからである。2つの町アントファガスタとカラマに立ち寄ったのだが、それはそれはごく普通の町と一緒でセントロ(町の中心)は人々で賑わっていた。そして気温は、昼間でも涼しい。ただ紫外線強いので、日中肌を出して長く外を出歩かない方がいい。私の場合は、もう最悪である。しかし、こんなことは慣れてはいるが。
 歩いていると街中もそうだが、郊外もゴミで一杯であった。何処の国でも感じるのだが、ポイ捨ては一緒である。砂漠の中を走るバスの中からも砂防の所には、ゴミが吹き溜まっていたのが見えた。悲しい光景だ。
 ところで目的の昆虫はと言えば、チョウは2種類(1種類は見ただけ)とヤンマ1種くらいである。厭なカは全くいなく、ハエも少ない。そしてゴキブリも見なかった。この時季、花の開花は、既に終わっていた。
 いつか、もう一度位は別の砂漠の町にでも出かけるかな。ああ!まだ顔がひりひりする。酷い顔・・・!!


2002年12月30日  森みつぐ

 私は、良くコーヒーを飲む。飲むと言ってもコーヒー通の訳ではなく、豆を挽いてまでして飲もうなんてちっとも思わないし、そのようなコーヒーでないと飲まないなんて事も全くない。味については全くこだわらないので、インスタントコーヒーで充分なのである。
 ところでここでは、こんな事を書くつもりではない。チリに来て、ホテルの朝食で出てくるコーヒーは、カップにお湯がいっぱい満たされて出てきたのである。こんな事くらいでは驚かない。確かフィリピンでもそうだったように思える。そこにスティック状のネスカフェコーヒーを入れるのである。発展途上国ではネスカフェは、ブランドである。インドネシアでコーヒーを飲むとき、コーヒー(多分、自国製)とネスカフェがメニューに分けられて載っていたことを覚えている。
 そして、熱帯地方のコーヒーは甘い。砂糖をたっぷり入れる。大体がコーヒーと言えば頼まなくても最初から砂糖がたっぷり入って出てくるのである。コーヒーとは、そんなものである。誰がブラックでなんて飲むものか。私は、それでも体重はベストである。
 なんて思いを巡らせながらサンティアゴの空港で、ネスカフェのスティックをちぎっている。これがなかなか切れなくて・・・!


2003年1月5日  森みつぐ

 日本でも若い女の子の間でかなり定着したヘソ出しルックは、やはりラテン系の国では、ごく当たり前に見られる光景である。今回訪れたチリでも若い女性の間では、ジーンズとこのヘソ出しの短い服装はごく普通の普段着みたいに着てヘソを出し合っていた。ラテン系の大らかな性格は、ふくよかな体形なんて日本の女性とは違ってちっとも気にしていない?ように思える。
 ところで、更に驚くべき光景を目の当たりにした。なんとお腹がぱんぱんに膨れ上がった若い妊婦が、もろヘソ出しルックで歩いているのである。私は、大きなお腹と大きなおヘソをじっくり見てしまった。と言うよりも、あっけに取られてただ唖然としただけなのだが。ここまでするかと・・・。
 このファッション、果たして日本に上陸するのだろうか。まあ、私としては、どうでもいいことだが。

Copyright (C) 2002-2003 森みつぐ    /// 更新:2003年1月7日 ///