気ままにひと言−47
夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 気ままにひと言
夢惑う世界4.1.2.8−46 気ままにひと言

2017年8月16日  森みつぐ

 オホーツク海高気圧が勢力を増しているせいで、8月の札幌は涼しい日が続いている。その高気圧の縁なので、晴れよりも雲が多い日が続いている。札幌も平地では晴れていても、定山渓などの山地へ行くと雲に覆われてしまう。今日も朝起きたときには雲が広がっていたが、8時頃には晴れ間が広がって来たので、9日振りに定山渓に行ってきた。
 前回、林道の入り口付近のオニグルミの葉にエゾスズメの幼虫を6年振りに2匹見つけたが、2匹も育てられないので大きい方の1匹だけ持ち帰って育てた。今は、鉢の土に窪みを作ってその中でじっとしている。まもなく蛹になるだろうか。前回から9日が経ったので、もう1匹はいないだろうと思っていたら、まだ、オニグルミの葉に1匹残っていた。
 歩き終わって帰るとき、その1匹も持ち帰った。容器に葉っぱと幼虫を入れておいて、夕方に見たら、葉っぱは少しも食べずに軟糞をしている。もしかしたら、蛹になるのだろうかと思っていたが体色は変わっていない。今まで失敗ばかりだった蛾の蛹の越冬方法を、この冬確立させたいところである。今年は、多くのチョウは大変少なかった。来年は、・・・楽しみにしていたい。


2017年8月30日  森みつぐ

 8月も、もう明日だけになった。7月中旬の暑さのときは、8月になったらどうなるのかと思ったりもしたが、それ以降は過ごしやすい日が続いた。そして今日は、秋そのものである。朝は15℃にも達しない、そして、日中も20℃を少し超えただけである。日射しが少ない中では、虫さんもじっとしているだけであろう。
 多くのチョウは、今年も少なかった。3年続いて、芳しくなかった。特に夏になると目立つミドリシジミの仲間が、今年もまたほとんど見かけなかった。チョウに限らず他の虫さんも少なかったようである。毎年見かけていたムカシトンボは、もう何年も見ていない。それでも普通に見かけたチョウは、トラフシジミ、スジグロシロチョウとミヤマカラスアゲハぐらいであった。他のチョウは全く見ない訳ではなく、ときおり見かけたりした。残念ながら、春先によく見かけるコツバメも、今年は見かけなかった。
 セミも春先に啼き始めるエゾハルゼミは、啼き始めた時期は変わらなかったが数も少なかったし、その後の夏のセミ、コエゾゼミは、例年に比べて非常に少なかったような気がする。エゾチッチゼミは、もうしばらく聞いていないような気がする。そして、初めてミンミンゼミの聲も聞くことはなかった。来年はどうなるのか、楽しみにして待つほかないようである。


2017年9月6日  森みつぐ

 昨日、母のところで扇風機を使わなくなったということで、物置に仕舞うことにした。扇風機を片付け、そのついでに10月になると必要となる石油ストーブを母の部屋に持ってゆくことにした。灯油がいっぱい入った石油ストーブはちょっと重いことは、春に物置に片付けたので知っていた。少し気を付けながら前屈みになって持ち上げると、ちょっと腰にきた感じがしたので、すぐに石油ストーブを置いた。でもぎっくり腰ということでもなさそうなので、気を付けながら再び持ち上げて部屋まで運んだ。
 昨年の交通事故から早くも11カ月になろうとしている。しばらくは頸椎のダメージから重い物を持ったり、力仕事はなるべくしないようにしていた。今年4月頃からは、少しずつ負荷を大きくしてきたつもりだが、そんなに重い物を持つことはなかった。今回の石油ストーブもそんなに重い物ではないのだが、前屈みの姿勢が腰に良くなかったのかも知れない。
 今は腰を下ろしたり、立ち上がったりするとき、少し腰に違和感がある。前屈みになるのが、一番良くないみたいである。しばらくは、腰に負担を掛けないように過ごすほかないが、交通事故による体への影響はまだまだあるようなので、これからもリハビリは続けないといけないようである。


2017年9月13日  森みつぐ

 世界の自動車メーカーが電気自動車の開発に全力を注いでいるようである。環境改善のために、中国もヨーロッパもガソリン車やディーゼル車を走行中に二酸化炭素を排出しない電気自動車に置き換えようとしているのである。一昔前まで日本では、公害といえば排ガスの問題であった。いつしかそれが温室効果ガスでもある二酸化炭素の排出へと関心が移っていった。多くの国では、この両方が問題になっているのであろう。
 ガソリンから電気に自動車が変わったからといって,二酸化炭素の発生が無くなる訳ではない。走行中の排出はなくなるかも知れないが、電気を作るときに二酸化炭素が発生しているのである。走行中ではないので、街中は綺麗になることは確かなことであろう。総合的に見たとき、ガソリンから電気に変われば、どれ位、二酸化炭素発生量が抑えられるかは、私は知らない。
 自動車で一番問題になる交通事故により死傷者が、電気自動車になったからといって減らないと思うし、もしかしたら喧しいエンジン音から静かなモータ音に変わることにより交通事故が増えるかも知れないということである。最近、自動運転技術が進展してきている。私は、完全自動運転よりも危険防止技術の進展に力を注いで欲しいと思っている。これまでに自動車は、交通事故によりどれだけの犠牲者を出したのであろうか。そして、これから交通事故によりどれだけの犠牲者を出せば、自動運転は完成するのだろうか。私は、他人の不幸の上に成り立つ自分の幸福を得ようとは思わない。


2017年9月27日  森みつぐ

 2週間ほど前、自転車に乗ってスーパーの駐車場の中を走りながら、駐輪場に向かおうとして右折するため、自動車が来てないかと思い後ろを振り向いた。そのとき、首がコキコキという音がして、“あれっ!大丈夫かな!!”と思ったが、何事もなくその日は終わった。そのスーパーは、私が1年ほど前に交通事故に遭った場所でもある。
 その後、毎日、午前、午後に行っているリハビリの首の運動のとき、今までは首の音はしてなかったのだが、コキコキという首関節の軋む音がし始めた。“やはり何か変だな?!”と思いながら一週間ぐらいしてから、“もしかしたら頸椎の動きが元に戻ったからかな?”と思い始め、右手親指の痺れを確認してみた。ずっと痺れていたので、気にもしなくなっていたが、諦めかけていた右手親指の痺れが、かなり薄れてきているのを感じた。
 右手親指は、事故後からずっと痺れていて、頸椎のダメージ(ずれ?)が治らない限り、“ダメだろうな!”と思っていたのである。ダメージを受けた頸椎の部分が動かない状態だったので、首の運動(上下左右、回転)をしても、何も関節音は聞こえて来なかったが、2週間前、何かの拍子で動くようになって関節音が聞こえてくるようになったのではないだろうか。それで圧迫されていた神経が解放されて、痺れが取れてきたように思われる。この調子で行けば、かなり回復することだろうと思っているのだが・・・。


2017年10月4日  森みつぐ

 10月になったが、今年は、やはり何か変である。毎年、この時期には、部屋内を我が物顔で飛び回っているコバエ(キイロショウジョウバエ)がいるのだが、今年は、一匹もいない。ただ8月にベランダの窓に一匹のコバエを見つけたが、洗濯物を干すときに偶然入り込んだようで、生ゴミではなく外を恋しそうに眺めながら窓ガラスにへばりついていた。
 発生時期はまだ終わっていないので安心はしていないが、やはりころころ変わる天候不順のせいだろうか。コバエの侵入個所は、窓の開閉時にではなく、その多くは玄関ドアの隙間からだと思っている。換気扇を回した時に、玄関ドアの新聞受けや隙間から風切り音が聞こえてくるくらい、風が流れてくるので、簡単にその流れに乗ってコバエが入ってくるのだろう。他の住民たちの玄関から出てきたコバエが、多分、上階へと流れてきて、ときには私の部屋で何匹も生ゴミの上を飛び回ったりしていた。
 ただ今年は、違っている。もしかしたら、今まで大量に発生していた発生源が無くなったのかも知れない。そうならば来年も、少なくなるだろう。今年は、全体的に虫は少なかったが、コバエもそれに準じていたとするならば、来年は元に戻ってしまうのだろうか。私は、コバエは鬱陶しいだけなのだが。


2017年10月25日  森みつぐ

 意味不明の衆議院選挙が終わった。今回の選挙で何かが変わるとは思っていなかったが、少なくても与党が3分の2の議席に届かなければいいなと思っていた。残念ながらそれさえも達成できなかったが、解散前よりも与党の議席が増えなかったことだけが救いであろうか。ただ与党の派閥みたいな政党だらけになっていることに、やはり危惧を感じる。
 二大政党からは、また一歩も二歩も退いてしまったようであるが、以前の民進党の二の舞にならないための前向きな選挙であったと捉えるほかないだろう。それにしても無関心な人が多いことに、日本の未来に危惧を持ってしまう。60%の投票率だけではなく、「取り敢えず投票所に行って、取り敢えず大政党に投票する」という、「長い物に巻かれよ」「寄らば大樹の陰」的な投票する何も考えていないような人が多いと思うのである。
 軍隊を持てば、戦争の危険性はぐっと高まる。まして集団自衛権を認めれば、尚更であろう。アメリカのように銃の所持を認めれば、殺傷事件が増えるのと何ら変わらない。今回の選挙は、二大政党への礎がやっとできた衆議院選挙だったということになればいいなと思っている。


2017年11月1日  森みつぐ

 何とも恐ろしい殺人事件が報道されていた。「男女9人の切断遺体が見つかった」とテレビから流れていた。“こんなことがあっていいものだろうか?”と思ってしまった。最初の二人の被害者以降は、SNSを含めたインターネット・サービスによる出会いである。
 この事件の全容はこれからで、まだまだ解明に時間がかかるのだろうが、何故これだけの人がいなくなったのに、その家族や近辺の人たちは何も気付かなかったのだろうか、不思議でならない。出会い系サイト、自殺サイト、一般的になっているSNSなど、知らない人たちが容易に出会えることができてしまうインターネット・ツールについて、もう一度よく考えなくてはならないだろう。そして、子どもから手にしてしまうスマホについても、もう一度考える必要があろう。
 私は、従来からの通信手段である固定電話やパソコンの電子メールしか利用していない。ほかの人とは、濃密な関係よりも自分の生活に重きを置いた緩い関係を望んでいるからである。ただ私も、もし若かりし頃、このような時代になっていたら、どう考えていたかは分からない。今回のインターネットを利用したとんでもない殺人事件で、この日本社会は何か変わることになるのだろうか。


2017年11月8日  森みつぐ

 先日、テレビでスマトラ島から新種のオランウータンが発見されたというニュースが流れていた。オランウータンは、そもそもボルネオ島とスマトラ島にいるのに、何故またスマトラ島から見つかったのだろうと思っていたら、今度見つかったのは、スマトラ島北部に生息する別の集団とのことである。見つかったというより以前から知られていたが、遺伝学などの最新技術で最近新種であると断定されたようである。
 大きな島であるスマトラ島は、分断された森林が散在している。まだ象や類人猿などの大型哺乳類が生息できる環境が残っていることは、大変望ましいことだが、どんどん文明の発達とともに環境が悪化してきていることは確かなことであろう。
 このニュースを聞いていて私は、大型の動物でも新種が見つかるのだから、小さな小さな昆虫ならば、まだまだ新種が見つかっても当然なんだろうと思ってしまった。DNAの解析も容易になって同一種だと思っていた昆虫たちも、別種扱になることも増えるだろう。ただ危惧されることは、まだまだ発見される前に、この地球上から消滅してしまうことである。それほど人の住んでいない自然豊かな環境は、粗雑に扱われ、また開発されて悪化してゆく一方である。


2017年11月22日  森みつぐ

 先週まで母の所に行くのに自転車を使っていたのだが、先日雪が積もったと思ったら、2日続けて真冬日となり、雪は消えなかった。昨日、母の所には、いつもの冬と同じく歩いて行くことにした。歩くと1時間ほどかかるのだが、運動不足となる冬には、この歩きは私にとっては欠かせないことになっている。
 歩き始めてすぐに、かなり危ない道であることが分かった。冬の初めは雪が降っても、日中はプラスの気温になるので、ベチャベチャの雪が多いので滑ることは気にしないのだが、今回は、降った雪が少し融けて、また凍り付いているのである。それもカチンカチンの氷である。この冬、初めて履く冬靴で、恐る恐る歩くことになった。何度か滑りながらも、1時間余りの道程を転ばないで辿り着くことができた。
 帰りは、目の定期検診を受けるため、病院に立ち寄ったが眼底検査のため瞳孔を開いたので、視力が弱い上に、ぼやけて見えるので、凸凹の氷の道がほとんど見えない状態で帰ることになった。それでも何とか転ぶことなく家路に着いた。ただ今日は、太腿が少し筋肉痛である。今まで。冬道を歩いて筋肉痛になんてなったことはないのだが、この冬初めての雪道にしてはきつ過ぎたのか、それともただ単に歳のせいだろうか。


2017年11月29日  森みつぐ

 最近は、一匹ずつ標本のデータ収集を行っている。今までに、甲虫、トンボやその他の昆虫たちを終わらせて、今は、最後に残ったチョウの番である。標本の撮影が終わり、その後、画像処理が終わった昆虫たちから順番に、体長や開帳などのデータを収集しているのである。画像処理は、まだタテハチョウと東洋区のシジミチョウは終わっていないので、これらは後回しとなる。
 写真撮影は、当然、全個体を撮影していたら、それだけで人生が終わってしまうので、国・地域毎に同一種について雌雄各一匹だが、同じ種かどうか怪しいと思われる個体も撮影しているのだが間違いも多々ある。標本のデータ収集時、全個体の再確認をしていると、同一種だと思っていたのが別種だったり雌雄の間違いもいろいろ見つかる。“まあ、よくもこんなに採ったものだ!”と思いながらも、一生かかっても終わるかどうか分からない作業を、毎日飽きずに続けている。働いているときは、採集して標本にすることだけで精一杯だったのである。
 画像処理は、来年の秋までに終わりそうであるが、データ収集は、ラベルの作り直しもあるので、最低3年はかかりそうである。やりたい作業は、これ以外にもあるので、一生もののライフ・ワークである。作業をすればするほど、またやりたい作業が増えてゆく。


2017年12月6日  森みつぐ

 私の部屋には、ベランダの窓越しに射し込んでくる陽を頼りに冬越しをしている鉢植えの植物が置いてある。昆虫採集の旅行へ行っているときには、動植物の面倒を見ていることは出来なかったので育てていなかったのだが、ここ数年の間に増えてきた。
 一番迷惑そうにしているのは、100円ショップで買ったガジュマルの木である。ガジュマルはどんどん大きくなってしまうので、毎年伸びた枝を剪定しながら、今となっては、ほとんど土の入ってない鉢いっぱいに膨れ上がりながらも新しい葉を伸ばしている。他のほとんどは、母の所から持ってきた花木である。毎年、母のところには、子や孫から花木が送られてくるのだが、多年草ばかりなので増える一方となり置く場所もなく、仕方なく私が育てることになっているのである。
 クジャクサボテン、デンドロビウム、カランコエ、ガザニア、そして母が、“大きくなったから切って!”といったハイビスカスの枝が数本、“根が付けばラッキー!”と思って鉢植えにしたのが一月経った。今年根腐れしたカランコエは、株分けした後、朱色の花を咲かせている。それにまだ花を咲かせている百日草は、もうそろそろ終わりかなと思ってはいるが、蕾が少しずつ大きくなっている。そしてその下には、蜜柑の幼木が伸びてきているが、このまま成長を続けて欲しいものである。


2017年12月13日  森みつぐ

 毎日、毎日標本と睨めっこである。開帳を測ったり、ラベルを作り直したりするだけだと、大体これからどれ位かかるか想定できるのだが、エチオピア区の似た種の多いシロチョウは、図鑑を見て、また名前を調べ直しすることになって、時間がかなりかかってしまっている。名前は、画像処理のときに、一度調べ直しているのだが、多くの標本を横並びにして比べてみると、やはりちょっと感じが違って見えたりする。
 ずっと見ていても埒があかないのは分かっているのだが、じっと違いを見つけようとしても、地域差、個体差などがあって、やはりさっぱり分からないことが多い。多くの資料を入手して、再度見直すことを続けるだけである。こんなことをしていても、いつまで経っても終わりそうもないのだが、これもまた楽しい。
 似たような種が多いことは、同定がかなり怪しいことである。名前だけではなく、雌雄も間違っているかも知れないので、ご容赦をお願いしたい。少しずつ精度を上げてゆくつもりだが、このホームページが終わりに近付いても、正しくなることはないことだけは間違いないような気がする。

Copyright (C) 2017 森みつぐ    /// 更新:2017年12月17日 ///