夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 気ままにひと言
夢惑う世界4.1.2.8−5 気ままにひと言

2003年1月6日  森みつぐ

 去年の11月頃からふとした切っ掛けでVBAに目覚めてしまった。そもそも私は、会社の仕事ではコンピュータシステムのハードウェアを中心に仕事をしてきた。しかし私は、文明の利器に余り興味を持っていた訳ではないので、ハードウェア、ソフトウェアの区別はしていなかった。ただ学生時代、電気工学を専攻したこともあってハードウェア関連の仕事をしているだけである。
 ところが、このホ−ムページのお陰で、パソコンを買う次第となってしまった。購入した以上パソコンは、パソコンらしい利用の仕方をしなくてはならない。後はパソコン所有者の考え方(力量)次第で、パソコンは生き生き(?)としてくるのである。
 そんな訳で全くパソコンを触れることもなかった人間が、40代後半で文書、作図、表計算、データベース、画像処理の一般的なソフトは身に付け、ホームページHTMLは、テキストエディタで書けるレベルになった。そして次は、ソフト処理の自動化である。以前VBやVBAなどは、一体何をする物なのかさえも全く理解していなかったので、ユーザフォームのダイアログボックスを見ても、その利用価値が分からなかったのである。それが突然去年の11月、硬い頭に閃いた。まだまだ簡単なVBAだが、作れるようになった。データベースを基にソフトを構成すれば、ダイアログボックスを中心に必要なデータを入力すれば、多くのファイルを開け/閉めしなくても済むようになるのである。
 私のパソコンにどんなVBAを組み込むかをまたのんびりと考えてソフトウェアを構築しようと思っている。今年は、VBAをもう少し勉強しよう。その次は、ホームページをダイナミックに書き替えるソフトウェア技術を習得して・・・。うわ〜、50才を過ぎてしまうね。頭の中は、何時までもソフト?だから大丈夫!!!・・・?? 


2003年3月11日  森みつぐ

 イラク情勢が緊迫の度を増す中、各国で反戦デモが起きている。そして更に、イラクのバグダッドまで行って、人間の楯になろうとしている人たちもいる。人々は、戦争よりも平和を望む。
 確かに悪者はいる。テロを引き起こすかも知れないならず者国家は確かに存在する。日本の近隣にも、平気で他国の人々を拉致してしまう北朝鮮という国がある。これらの国を牛耳っている権力者は、ほんの一握りの独裁的な人たちである。
 ほんの一年前まで続いたアフガニスタンでの空爆では、多くの一般の人々が戦争の犠牲となった。多分、世界中の人たちが、悲痛な思いでテレビなどの報道を観たに違いない。そして、もう二度とこのようなことを起こしてはならないと。
 私も戦争を憎む。しかしどんなに国際社会が対話の中で、問題の打開策を探ろうとしても、全く意に介さない国家が存在することも確かである。それどころか、戦争に反対する世論をカムフラージュにして、難を逃れようとさえする。
 戦争が一旦勃発すると、何の罪もない人たちが、一番の被害を被ることになる。戦争を回避させ、ならず者たちを一掃する良い手段はないものだろうか。
 やはり国連に委ねる他ない。軍事大国が世界を牛耳るようになったら、それはならず者国家と何ら変わらない構図になってしまう。反戦デモは、国連に対する力強い支えにならなくてはならないだろう。


2003年3月17日  森みつぐ

 横浜市帷子川に、すっかり住み着いてしまったアザラシのタマちゃんを、救出するために捕獲しようとする動物愛護団体が現れた。私は今までの報道では、アゴヒゲアザラシが迷い、入り込んでしまったことは確かなようだが、困っている様子も見られないため、住み着くなら、“どうぞ、ごゆっくりと!”と言う目で見ていた。「救出」とは、どういう意味か、私にはよく分からない。動物愛護団体は、どうも感情移入をし過ぎて相手が動物であることを忘れているのではないだろうか。
 生き物というものは、生息地域が広いほどいいのである。それ故、チャンスがあれば拡大しようと虎視眈々と狙っている。人は、先駆けとなるパイオニアを移転地で見つけると、大きなニュースとして取り扱う。当然パイオニアは命懸けである。しかし、それを見守る人々は、可愛そうだと本来の生息地へ連れてゆく。パイオニアの生き物としては、とんでもない迷惑なことであるのだが、人々は、“ああ、良いことをした”と自己満足に酔う。
 人間て、本当に面白い動物である。全てを思い通りにしないと納得しない。多くの人は、擬人化されたタマちゃんを見ているが、当人(?)は、意外と醒めた目で人間という動物を観察していることだろう。


2003年3月24日  森みつぐ

 ここ沼津では、今年に入って2度、山からイノシシが出没して十数人に怪我を負わせている。春を間近にして、イノシシの餌が見つからなくなったのだろう。人は、他の生き物の生息地を征服して、自分の土地として切り開いてきた。野生動物としては、人間という動物の暴挙に為す術もなく甘んじなければならなかったのである。
 イノシシだって人間がうじゃうじゃいる場所なんかに、本当は行きたくないだろう。でも何処へ行っても、人間がいるのである。狭い場所に詰め込まれて、そこだけで餌を探さなければならない。その餌だって人間が入り込んできて、取り上げてゆく。イノシシは、どうしたらいい?残された道は、猪突猛進しかなかった。
 そんな沼津で、イノシシの退治が始まった。イノシシをこのまま放っておくと、人間の方に危害を与えかねないとのことである。
 こんなニュースを観ていたら、ふとあることが頭をよぎった。今、イラクで起きている戦争は、これと大した変わらないと。問題の根本的解決には、何ら繋がらない。


2003年3月28日  森みつぐ

 洋書の代金を払うため、郵便局に振り込みに行って来た。そのときお釣りに出てきた紙幣を見て、“えっ!何それ!”と一瞬、受け取るのをたじろいでしまった。見たこともない紙幣だった。そしてまもなく、“あっ!二千円札だ!まだ廃止されていないんだ!”と気を取り直して、皺一つない新札を受け取った。
 この二千円札、本当に流通しているのだろうか。最初から、記念紙幣そのものであるような気がしていた。もう暫くしたら、三千円くらいの価値に跳ね上がるかも知れないと。
 何だったのだろうか、この紙幣は。低迷する日本経済の象徴かも知れない。でも人生の中では、こんな事も時にはいいのだけでども。“サラリーマンには、それが無さ過ぎる”と、ふと考えさせられた紙幣だった。


2003年3月28日  森みつぐ

 先日、旅行の手続きで旅行会社に行って来た。担当者と旅行の手続きを済ませて帰る段階になったとき相手の担当者から、困惑した顔で“名前が違う”と言われた。そのときは、“え!何!”と思ったのだが、すぐに、“ドキッ!!”としてしまった。全く、無意識のうちに、以前の担当者の名前を口にしていたみたい(私は、その時もまだ“本当にそんなこと言っていた”と思っていた)なのである。
 非常に失礼なことをしてしまった。平に謝っても、許されることではない。ただ、ひたすら“ごめんなさい!”と謝り続けるほかない。それにしても担当者が変わってから1年半にもなるのだが、ちょっと気を抜くと、無意識の状態になると頭の中は元の状態に戻っている。たまにしか会うことがないから仕方がないと言えばそれまでだが、どうも私は人の名前がすぐには出てこない。すんなり出てくるときは、このように間違っている。
 なかなかパソコンみたいに上書き保存が出来ない。私も人間である。だから、次のステップを楽しめるのかも知れないが。
 もう、間違いません。ひたすら、“ごめん!”


2003年4月20日  森みつぐ

 最近の子どもたちは、近くに緑の自然が残っていないこともあって、昆虫採集することがめっきり少なくなってきているが、子どもたちがいくらチョウを採っても減少するほど、昆虫たちは柔ではない。
 チョウは一生の間に、300〜400個の卵を産む。また、チョウの一生(卵から成虫まで)は普通長いもので一年、短いものだと、静岡県辺りでも年に5〜6回発生を繰り返すチョウがいる。こんな事を考えると産卵されたものが全て成虫になるならば、ネズミ算どころではなくなる。ところが卵、幼虫、蛹の期間に細菌、寄生虫や鳥などの天敵にによって、殆どが命を失ってしまう。人間も天敵の一部なので、昆虫採集もこの中に入ってしまう。そして成虫になってからも天敵に食べられたりするが最終的には一匹の雌が300〜400個の卵を産めば、個体数が保たれることになる。
 一匹一匹を見ると非常にか弱そうだが、種としては、非常に逞しいのである。命の儚さ、尊さ、素晴らしさを学び豊かな大自然に接することで、この地球上では人間だけでは生きられないことを、心の豊かさが全てであることを子どもたちには、昆虫採集を通して知って欲しいと思っている。
 自然の保護は、昆虫たちが生活している自然そのものを守ることが、一番大切なことであることを昆虫採集を通して実感して欲しいと思うのだが。


2003年5月3日  森みつぐ

 旅をしていろいろな国を歩いていると、しょっちゅう声を掛けられる。“チャイニーズ!”“コリア!”などと。キューバでもトリニダーの街を歩いていると、子どもが“チノ!”と声を掛けてきた。最初、“チノ!”と言うのは、何の意味かよく分からなかったのだが、どうも中国人を指しているみたいである。何処の国にも中国人はいる。どうも観光客らしい格好で歩いていないと日本人ではないみたいである。
 ここキューバ、トリニダーの街も、日本人観光客が多い。旧跡、名所の近くを通るとよく見かけた。観光客相手の人は、間違ったりしない。陽に灼けて小汚い格好の私でさえ、日本人だと分かっている。と言うよりも多分、この辺りに来る東洋人観光客は、日本人位なのだろう。
 街裏手の丘を下り、旧跡の横を歩いていると、日本人?の女性観光客と擦れ違った。更に行くと中年の女性観光客が、こっちの方をじっと見ている。どうも日本人みたいである。“あんまりじろじろ見ないで!”・・・・「日本人ですか?」「はい!そうです」・・・・“やっぱり日本人だと言うことが分かってしまうんだ!”

Copyright (C) 2003 森みつぐ    /// 更新:2003年3月30日 ///