夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 気ままにひと言
夢惑う世界4.1.2.8−6 気ままにひと言

2003年5月5日  森みつぐ

 トリニダー(キューバ)の街を歩いていると、馬車や乗馬の人と擦れ違う。最初は、観光客用と思っていたのだが、郊外の村を歩いているとどうも今でも現役みたいであった。しかし観光地では、観光客用ではあるみたいだが。
 トリニダーから1時間弱の所にある村を歩いていると、馬車や牛車をよく見かけた。そして道端には、生新しい馬糞や牛糞が転がっている。ぺっちゃんこになって干しからびた糞は、既に大地に溶け込んでしまっている。ついでに犬の糞もコロコロと転がっている。
 子どもはと言うと、裸足でその上を歩き廻っている。鶏も犬も馬も牛も子どもも何もかも、ごちゃ混ぜ状態である。乾いて風が吹けば、みんながそれを吸い込んでしまう。そう言えば札幌もその昔、春先に吹く風を馬糞風と言っていた。
 そんな光景を見ていて、ふと思い出した。花粉症などのアレルギー体質の要因に環境が綺麗になりすぎていることで、免疫作用に混乱を起こしていることがあるみたいである。
 そう、一昔前まで日本の道路でも、牛、馬の糞は、珍しくなかった。今は、街が綺麗になりすぎて犬の糞でさえ問題となる。その割には、人間はたばこの吸い殻、空き缶、ペットボトムなどを平気で投げ捨てているのが見受けられるが。
 人間が人間らしく生きていける環境とは、どんな環境を指すのだろうか。何に対しても神経質になって行くのは、情報化社会の負の側面なのだろうけれども。少なくとも私は、余り関係ないかも知れない。


2003年5月14日  森みつぐ

 キューバでの最初の採集を終えてホテルでシャワーを浴びていたら、左足の膝裏が少し赤く腫れていた。虫に刺された覚えはないし、草にかぶれたようなものでもない。“まあ、そのうち治るさ!”と思いながら。次の日も次の日も採集をしに出かけた。歩くには、問題なかったのだが、日に日に腫れは足下へと広がっていた。
 帰国してからも、更に腫れは広がってきた。ズボンを穿いて歩いていると患部が擦れてむず痒い。10日が過ぎたというのに、一向に腫れは引く気配がなかった。ただただ赤く腫れ上がっていくだけである。腫れていてもどうと言うことはないのだが、不思議な腫れである。
 足首まで腫れが広がったら今度は、上へと上ってきた。“これは、いかん!”と思い、土、日を迎えた。“土日、腫れが引かなかったら病院にでも行こうかな!?”と思っていたら、やっと日曜日腫れが治まってきた。無精な私は、いつもながら自分自身の治癒力を信じて病院に行くことはない。2週間腫れが続くという、なんともしつこい毒であった。
 腫れが引いた2日後、早速ジョギングを始めた。こんなのに負けてたまるかとばかり。


2003年10月23日  森みつぐ

 ソ連、アメリカに続いて中国が、有人宇宙船の打ち上げに成功した。中国のそれなりの技術力の高さを賞賛するが、今更技術力があるからと言って、莫大な資金を投入してまでして宇宙に人を送り出そうと思う国は、そうないと思う。
 有人宇宙船を打ち上げているのに、ODAを受けている。有人宇宙船を打ち上げるという国に対して、ODAを供与している国がある。何とも滑稽な構図である。
 有人宇宙船が打ち上げられる度に、私は思う。世界には、今日の糧を得ることもできず苦しんでいる人がいるというのに、莫大な金が宇宙開発に投入されている。少なくても発展途上国が行うようなことではないし、国の威信をかけて行うようなことでもないと。その前に行うことがあるのではないかと。
 そして、この宇宙開発が、軍事目的のために利用されないことを祈るばかりである。愚かな人類は、何をしでかすか分からないから。


2004年1月1日  森みつぐ

 今年の始まりは、南アフリカである。今、南アフリカ南部のとある空港にいる。
 昨年から、特に一国至上主義が世界を跋扈し始めて、一段と世界中を不安定に陥れている。そして、その一国を無批判に受け容れ支援する国々も悲しい国かも知れない。
 ところで私は、ここ数年、森林地帯を歩いていないような気がする。どちらかというと乾燥地帯を歩いている。毎回これでもかとばかり、陽に灼けている。今回もサバンナを歩いていた。いつものことながら、初めての昆虫との出会いは、感動がある。世界は広いと。
 世界の秩序は、一国の思惑で決められるものではないし、そうなってはならない。国を越えて人は移動し、国を越えて人は連携しあう。人は千差万別、国も千差万別、世界の秩序は、世界の国々が作り上げてゆくものであろう。
 私は、今年も夢を追って旅をする。果てしない旅は、まだ始まったばかり。新たなページは、夢惑う旅から綴られる。何処まで行けるかは、世界の治安次第である。


2003年12月23日  森みつぐ

 ボツワナの首都ハボロネは、サバンナの中にあった。今回の旅は、チョウを期待してなかったのだが、街中にも白いチョウが翔び廻っていた。そして、ここも車社会である。
 車の行き交う路肩を歩いていると、此処彼処にチョウが横たわっていた。追突事故である。数えるのも厭になるほどのチョウが、弾き飛ばされている。今日一日、チョウを何匹撥ねたかなんて車側は、全く意識していない。車問題の根の深さは、そこに起因する。無意識のうちに、多くのものに危害を加えているのである。
 そう言う諸問題に直視することなく、車は走り続ける。そして、誰からも惜しまれることなく今日も、多くのチョウが死に絶えてゆく。


2004年1月11日  森みつぐ

 成田に到着して、南アフリカで預けた荷物を受け取った。このとき荷物の異変には気付かなかった。
 帰宅後、鍵を開けようと思ったら、2つの鍵の内1つが無くなっている。ファスナーのつまむ部分がぶち切れて鍵が無くなっているのである。荷物を開けてみると中は荒らされているようには思えないし盗まれているのもない。しかし、よくよく見てみると、物色された跡が見受けられる。やはりファスナー部分が壊されて、鍵は外されているのである。
 これで荷物を荒らされたのは2度目である。この他に、荷物の紛失も一度ある。米国同時テロ以前は、被害に遭わないように手荷物として持ち込んでいたのだが、米国同時テロ以後は、機内持ち込み荷物の検査も厳しくなり、ピンセットさえも没収されるので、私は七つ道具を預けることにした。勿論貴重品は、もう一つのデイパックに入れて持ち歩いている。従って、今回は、盗人にとって全く役に立たない物ばかりだったので実害はなかったが、預ける荷物には、十分注意しなくてはならない。
 多分今回は、南アフリカでだと思うが東南アジア諸国も危険である。バッグに鍵を掛けても何の気休めにもならない。でも少なくても鍵を掛けないと、“ご自由に開けて下さい”と言うことになってしまう。相手は、壊す道具を揃えている。金庫に入れて預ける訳もいかないので、もし被害にあっても最低限の被害に留めるように工夫しておく必要があろう。少なくても貴重品を入れるべきではないだろう。
 他の国々の人々からすれば、日本人は金持ちである。日本人の荷物は、狙われやすいので注意しなくてはならない。今回、盗まれた物はないけど、次の旅行までにファスナーの部分を治さなくてはならない。ああ、やっぱり口惜しいね。


2004年1月30日  森みつぐ

 狂牛病、鳥インフルエンザ問題で、牛肉や鶏肉の供給が減ってきた。食糧自給率の低い日本にとっては、大きな打撃である。もともと、日本の食糧事情には、問題がある。自国で消費する最低限の食料は、自国で賄うことが、独立国家としての最低限の条件であろう。
 人間は、生き物のDNAを解析できたとしても、生き物を自分の思い通りにコントロールすることはできない。何か問題が起きると、今や、その地域の問題に留まらず、世界中を巻き込んだ問題となる。そして人間は、それを速やかに解決することもできない。生き物は、人間の手中にはないのである。
 今回の問題は、他国に食糧の多くを求めている日本にとって、一人ひとりが食について考えるいい機会だと思う。そして肉食文化についても、よく考えてみなくてはならない。食糧問題から見えてくるものを、再整理してみようではないか。


1994年10月23日  森みつぐ

 世界の生物区は、6つに区分されている。日本は、西はヨーロッパから始まる旧北区の東端に位置する。ヨーロッパを翔んでいるチョウたちは、日本で見かけるチョウたちに似ていると云うが、残念ながら旧北区で歩いたのは日本だけ。東洋区は、まだ物足りないが大分歩いている。オセアニア区もまだまだこれから。新熱帯区はアマゾンの緑深いジャングルに代表される生物区で昆虫も豊富であり、例えば、世界のチョウ18000種のうち10000種が生息していると云われている。ちょっと遠いが、これからどんどん行きたいところである。
 今年で6つの生物区全てを一度は歩くつもりでいたが、夏、石っころにつまづいて(出発前日、尿管結石で・・・痛〜い!)新北区に行きそびれてしまった。来年は、大丈夫だろう。エチオピア区は、今年中に行く予定。まだまだ行きたいところがいっぱい。会社なんかに行ってる暇なんてないみたい。私も育児休暇を取って、一年位休んでみたいが、その時には既に、会社での居場所が無くなっているかも・・・。まあ、いいか・・・・。

Copyright (C) 2003-2004 森みつぐ    /// 更新:2004年3月26日 ///