夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 気ままにひと言
夢惑う世界4.1.2.8−7 気ままにひと言

2004年4月21日  森みつぐ

 イラクで日本人が拉致された事件は、二件5人とも無事解放された。5人とも民間の日本人であることが、解放の決め手となったみたいである。多分、政府関係者や自衛官であったならば、こうはいかなかっただろう。
 今回の人質事件で、私が一番納得いかなかったことは、解放された人が”イラクに残りたい”と言ったときに、多くの政府与党の人が、”どれだけ迷惑をかけているんだ!どれだけ心配かけているんだ!どれだけの金がかかっていると思うんだ!”というような非難の発言をしていたことである。
 民間援助は、政府による援助では出来ないところを、補完する意味であるのである。戦時下においては、尚のこと民間援助が必要になってくるのである。現在イラクは、危険地域であろう。それは、政府がそうしたのである。民間人の援助を邪魔しているのは、日本政府そのものなのである。国民の多くの税金を使って自衛隊を派遣し、その結果、守らなければならないはずの民間人に危険が増しているのである。
 国連が統治することを無視し続けるアメリカの管理下で、イラク人のために復興支援すると言って自衛隊をイラクに送っても、結局日本はアメリカの管理下にあるのである。アメリカ管理の下で国連がイラクに入ったとき、国連はイラク人のために復興支援をしようとしたけど、自爆攻撃の対象となってしまった。
 私は、そんな日本政府を支持するつもりはない。


2004年4月29日  森みつぐ

 笑ってしまう。インターネットのショッピングサイトで、アップル社製のパソコンが間違って、「2787円」と掲示されるや否や、約2万人から一億台以上の注文が殺到したとのことである。一億台と云うのも笑ってしまうが、2万人で一億台と云うことは、一人平均5千台の注文である。表示ミスだと分かると、販売会社に抗議が殺到したと云うが、注文する側も、もう殆どまともとは思えない。
 ネットショッピングは、買う側も一儲けしようと狙っている専門業者が多いみたいである。素人が幾ら安いパソコンだかと云っても5千台も買うことはないだろう。ネット社会は、本来の社会に比べて相手の顔が見えない分、更に欲にまみれた混沌とした社会となってしまう危険性を孕んでいる。そのことを肝に銘じて、ネット社会と付き合わなくてはならないだろう。


2004年5月3日  森みつぐ

 ゴールデンウィーク前になると、いつもテレビも新聞も“大型連休!大型連休!”と連呼する。それを聞くと私は、“相変わらず日本は、この程度か?”と思ってしまう。
 1週間や10日間位で、大型連休と言わないで欲しい。まして、マスメディアが口にすることではない。そんなことを言っていたら、労働者を金儲けの道具としてしか扱わない多くの企業が、ほくそ笑むではないか。私利私欲の塊みたいな企業を、甘やかしてはならない。
 1週間や10日間位では、ちょっと旅に出たら疲れが残るだけである。旅をして、そしてぼけっと家で過ごして疲れをとる。大型連休は、最低でも2週間が必要である。この程度の連休で、大型連休と言うべからず。


2004年5月11日  森みつぐ

 ゴールデンウィーク前、とある駅で電車を降りて川沿を走る県道を歩いていた。県道から渓流沿いの支道に入って昆虫採集をしていたのだが、途中カワトンボが道端に横たわっていた。多分、車に撥ねられたのだろう。折角、春早く出てきたというのに、こんな山の中で交通事故に遭うなんて最悪である。
 ところで帰り道の県道で今度は、2種類のサナエトンボが道端に転がっていた。最初は、ヤマサナエである。ヤマサナエは、初めて見るサナエである。口惜しいけど、何故こんなところで。また暫く歩いていると、既にバラバラになったダビドサナエが転がっていた。春、まっ先に羽化してきたというのに、車はそれを踏みにじる。車にとっては、トンボも人も変わりはない。


2004年5月23日  森みつぐ

 “さて、日本に帰ろう!”と思って、ニカラグアの空港に朝早く乗り入れてカウンターの列の後ろにつけて暫くすると、何か雰囲気が変であることに気が付いた。どうも、飛行機が飛ばないみたいである。
 並ぶこと1時間、自分の番になってチェックインカウンターに行くと、モニタを見せられて、“あなたのフライトは、2日後になります。”と説明を受ける。並んでいるとき、“まあ、1日くらいなら仕方がないや!”とは、思っていたが、2日になると話は別である。“OK!”とは言えないので、別の方法で今日飛び立てないかを探って貰った。アメリカの日本語担当オペレータと電話連絡を取って貰い、一部別会社のフライトを予約(運賃は、自分で払う)して、何とか予定日には、帰れるようになった。ちょうど、このとき経由地のヒューストン天候が悪くて明日まで空港を閉鎖することが決まったとのことである。今まで、沖縄、海外へと数限りなくフライトしているが、こんな事は初めてであった。今までが、運が良かったと言えるのだが。
 こう言うとき、どうするか。航空会社の進めるとおりにしても勿論良いが、どうしても日程通りにフライトしたいのなら格安チケットでも航空会社の方は、何とか努力してくれる。当然、別会社のフライトを利用するときは、その区間の運賃は、個人持ちになる。でも旅行は、余裕一杯の日程で2〜3日ずれても慌てずに過ごしたいものである。今回は、口惜しいけどすぐ帰ってきた。


2004年6月1日  森みつぐ

 旅行するとき、極力乗り継ぎのいい日程を組むのだが、国際線の路線は、1日1便と云うところが多いので、乗り継ぎに1泊という事が多い。夜遅く到着したり朝早く出発となると、無精な私としては、空港から外に出ようなんて思わなくなってしまう。まして国際空港は、街中から遠いところにあるのがほとんどで、尚更、億劫になる。
 ホテル空港は、そんな私にぴったりである。マイアミ、ニューヨーク、カンクン、マレーシア、シンガポール、アムステルダム、南アフリカ、いろんなところでごろ寝をしてきた。空港施設に合わせて適当に、ごろ寝をするからいいのだけれど、ただ一つ問題がある。最近の空港は、空調が効きすぎていて寒すぎると云うことである。上着を着込んでも体が冷え切ってしまう。去年、今年と2年続けて空港で風邪を引いてしまった。日本では、6年間風邪を引いていないと言うのに。
 今度、旅行に行くときは、もう一枚、上着を持っていかないといけないかな!?


2004年6月26日  森みつぐ

 6月の初め、ぶらっとまた、とある川沿いの道を歩きに行って来た。林道の入り口には、公園があり、そして短い林道が続いている。そんなに行きたいと思うようなところではないのだが、朝寝坊が出来、ぶらっと歩くにはちょうどいいので、時々歩きに行く。
 この林道の手前にある大きな川沿いに、国道が走っている。今日も歩いていたら、大きなトンボがアスファルトの上に翅を広げて止まっていた。近くに寄っても逃げたりはしない。捕まえてみると生きてはいるが、元気が全くないのである。どうも、車に撥ねられたみたいだ。近くの側溝には、もう一匹お腹が切れそうになって横たわっていた。でも、まだ生きている。コヤマトンボである。コヤマトンボは、路上すれすれに飛ぶ大型のトンボである。車と一緒に飛ぶことになるので、当然のごとく事故に巻き込まれるのだろう。
 この国道で、何匹も見た。何種類ものトンボが被害に遭っているのを。でもトンボは、何も云わない。


2004年8月1日  森みつぐ

 アトラス山脈の麓にある町ベニ・メラルを訪れた。やはり思っていた通り、緑は少なく乾燥した地であることは疑いもないように思えた。バスを降り、まずはホテルを予約し、街中を散策してみることにする。近くにマーケットがあると云うことをホテルの人に聞いて行ってみた。
 ホテルから数分、広い場所にテント張りの出店がいっぱい並んでいる。その間をじろじろ見られながら、私も出品を物色して歩いた。野菜・果物がいっぱいある。大きなスイカが山のように積まれている。“ああ、美味しそう!”スイカなんて、もう何年も食べていない。ミカン、ブドウ、ナシ、リンゴ、何でもある。回りは、瓦礫の山なのだが、何処でこんなにも育つのだろうか分からない。この町に来るまでの間には、そんな場所を、見なかった。
 街中の街路樹を見ていると、ミカンの木が植えられていた。木の上に実を付けたままのミカンの木もあった。“アゲハがいたら、きっと喜ぶだろうに!”・・・街角には、水道の蛇口が設置してある。公共の水道水なのだろう。飲料水は、貴重である。
 イスラム圏の女性は、大した物である。この暑さの中を、頭からすっぽりと衣服を身に纏っている。乾燥した暑さの中だと、この衣装の方が楽なのかも知れないが、ここは、少し蒸し暑い。
 今回の旅で、蚊を一匹も見なかった。ゴキブリも見なかった。でも人は、いっぱいいる。大変だ!大変だ!


2004年8月12日  森みつぐ

 もう10年は経つ。久し振りにタイ、バンコクに1泊した。バンコクの鉄道始発駅ホアランポーの駅構内に初めて足を踏み入れたのは、10数年前である。暗い構内に一歩入って異国の異様な雰囲気について行けず、ほんの1分もしないうちに逃げるように外に出たことを覚えている。不思議な体験であった。2度目以降は、何とか踏ん張ってみたが暗いイメージを心の内に刻みつけたまま10年が経った。
 そして、ホアランポー駅は、すっかり変わっていた。ケンタッキー・フライド・チキンが店を出し、構内は明るく様々な店舗も綺麗であった。すっかり変わった。これだと初めて構内に入る旅慣れない人でも、ごく普通に歩き回ることが出来る。そして駅周辺にあった、あのごみごみとした東南アジア特有の路地に広がった食堂街はすっかり姿を消し、整然と店の中へと移っていた。私は一軒の店にへと入り、タイ式焼きそばを食べた。ここでは、ケンタッキー・フライド・チキンより、こちらの方が私に似合っている。私の机の中に残っていた大きく重い1バーツ硬貨を持ってきたのだが、それは使えなくなって、小さく軽い硬貨に様変わりしていた。
 タイは、確実に経済成長しているみたいだ。今後どのような方向に進むかは知らないが、開けっぴろげな店で、通りを歩く人たちを見ながら、やはり食事をしたいものである。

Copyright (C) 2004 森みつぐ    /// 更新:2004年8月22日 ///